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雑誌目次

雑誌文献

病院4巻3号

1951年03月発行

雑誌目次

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病院概史(その16)

著者: Y.Y

ページ範囲:P.2 - P.2

 看護婦養成所の最初に出來たものは京都同志社のものであつて,それは1886年であつた事は前號で述べたが,産婆の養成は1881年櫻井郁次郞が紅杏社を設け産婆の養成を始め,更に1892年には現在まで存續しでいる大阪の緒方助産婦養成所が創立され,緒方正淸の創始にかゝるものであつて,産婆を助産婦と別稱する始めでもあつた。
 偖,前號迄に述べた如く,醫學校設立の爲に官公私立の病院が全國の政治の中心地に出現したのであるが,一方博愛慈善の精神による醫者と離れた救療病院の設立の氣運が起つている。先づ日本赤十字社の事であるが,1877年西南戰役に際し,元老院議員の佐野常民,大給恒等總督府に請い,戰地病院を設け,兩軍の傷病者を治療し博愛社と名付けたが,これが日本に於ける赤十字事業の淵源である。尚同戰役で熊本地方が惡疫に惱まされ,田代文基が北岡に假病院を設けて救療を始めたが,眞宗管長大谷敎正が18,000圓を寄附し,縣令もこれをたすけて,病院新築の資に充てた。1886年に東京に博愛社病院を開設し,皇后の行啓を仰ぎ開院式を擧げた。この病院は翌年博愛者が日本赤十字社と改稱するに當つて赤十字病院と稱するようになつた。そして1892年澁谷村に新築移轉した。日本赤十字が萬國赤十字條約に加盟したのは1886年で,歐洲16國が赤十字社を結盟(1864年)してより18年しか經つていない。

病院管理の見學ところどころ

著者: 栗山重信

ページ範囲:P.3 - P.10

I
 今迄に自分の見學した病院の數は相當多いものと思う。我國内の病院も隨分多く參觀した。歐米諸國滯在中には殊更つとめて出來る丈け多くの病院を參觀する樣にして來た。其際特別に注意する項目は色々あつたとしても病院としての一般を見學し病院管理に關する點も自ら色々見學した筈である。米國にては見學に行くと特別に依頼しなくても炊事場洗濯場なども案内してくれる所が可なりあつた。然し病院管理の問題が今日の樣に強く取り上げられて見ると今迄の見學が少し漠然とし過て居た樣である。もつと突つ込んで研究し批評して自分の關係して居る部面の進歩改善の資材にすべき努力が足りなかつたと思う。病院管理上の缺點が指摘せられ改善の個所を色々擧げられて見ると其事が他の庭でどの樣にせられて居たか分らない事が多いのである。
 昨年7月瑞西國チユーリヒ市で第6回図際小兒科學會が開催せられ自分は幸にして之に出席することが出來た。往復共飛行機を用いたが全日程僅かに33日で其内學會開催期間は11日であると云う極めて慌しい旅行であつた。又瑞西國以外には通過地であるローマに一寸滯在しただけで他の歐洲諸國に廻ることが許されなかつた。病院の見學に相當骨を折つたけれども其数は極めて少數となり又短時間に見學するので研究,臨床の方面を見て更に何かの管理の項目をよく尋ねようとすると時間がなくなる。結局今迄と同し樣な總体的な參觀をする樣になつてしまつた。

社會保障制度審議會の勤告と醫療機關の整備(その1)

著者: 河野鎭雄

ページ範囲:P.11 - P.14

 社會保障制度の整備確立が視下の急務であるということは,憲法第25條の規定を引合に出すまでもなく,今や常識となつた。そしてまた,醫療問題の解決即ちすべての國民に適正な醫療を確保することが,社會保障制度の最も重要な課題であるということも,今更論のないところである。しかも國民の醫療を確保するためには,これを擔當すべき醫療機關の普及整備を圖らなければならないこともまた贅言を要しない。かくて醫療機關整備の問題は,社會保障制度の不可缺の前提要件であり,現下の急務である。一昨年5月發足した社會保障制度審議會は,一年有半にわたる調査研究の結果を取りまとめ,客年10月内閣總理大臣宛に「社會保障制度に關する勸告」を行つた。今後政府が社會保障制度に關する施策を行うに當つては,この勸告を大に尊重することとなるであろうから,この機會に右勸告の内容を研究しつゝ,醫療機關整備の問題を考えて見ることにしたい。

病院と管理(その20)—病院醫師は如何にあるべきか その7

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.15 - P.18

(46)診療成績の分析
 偖,以上御紹介したように,アメリカのこの醫員會議は,病院の診療實績を中心に研究するものであり,病院本來の目的である診療そのものが,日々向上するように,醫員團が一体となつて反省し且つ互に練磨し合う機關であるわけである。從つて,この診療實績,云い代えれば病院本來の成績を,正しく集計して,それを確實に示すことが考えられなければならない。日本に於ては,この一番大切な病院の診療成績を示す方法について研究された事のないのは,甚だ不勉強であつたというべきであり,亦その樣な最も大切なものについて一顧だもしなかつた事は不可思議な事といわれても仕方がないものだろう。
 以下,如何なるものがアメリカの病院で統計されているかについて説明をして見よう。

ELEMENTS OF THE GENRAL HOSPITAL—綜合病院の要素

著者: 米國公衆衞生局病院課 ,   島内武文

ページ範囲:P.19 - P.22

管理室群
(1)50床綜合病院の管理室群
 設計圖をみれば大體はよくわかる。醫務記録室は事務室と別におき,事務室には事務記録のみをおく。醫務記録室は醫員休憩室の向側においてあるので,醫務司書medical record librarianは醫師と連絡してその記録をたえず新らしく保つ樣に促進するのに便利である。醫師の在否の表示が簡單なために,醫師は受付机を通つてゆく樣にする。院長室は他とさへぎつて,總婦長室を近くにおく。この小病院の室群では,社會奉仕部は入退院事務室と一緒にして,仕事が少い時には一人で兩方がやれる樣にしてある。
 1.ゴミ箱。2.重役机。3.重役椅子。4.椅子(布張り)5.つくりつけ本棚。6.タイプ机。7.タイプ椅子。8.フアイリング・キヤビネツト(文書整理箪笥)9.椅子。10.金庫。11.カウンター,40インチ高,現金入れ,下に箪笥と抽出をつげる。12.電話交換臺。13.醫師在否表示器。14.衣裳かけ。15,タイプ。16.卓カード索引箪笥。17.卓(34×60インチ)18.洋服掛つき帽子棚。19.棚,床上2フイート。20.安樂椅子。21.會議卓22.卓。23.つくりつけ長椅子。24.水冷し。25.棚。26.掃除用流し。27.モツプ車。28.指示板,26×24インチ。

綜合大病院における健康保險診療

著者: 室賀不二男

ページ範囲:P.23 - P.28

 私は病院第3卷第4—5號に綜合大病院と健康保險診療と云う題名のもとにいろいろ私見を述べた。その内で現行の健康保險診療録(健康保險醫療擔當規定樣式第1號)がもつと使用し易い形にならないものかと云う點にふれた。又診療報酬請求明細書の記載についても述べた。更にゴム印の徹底的使用による能率化など,凡て私の勤務している病院で毎日實行していることを詳細に述べた。その後,各方面から問合せもあり,一應今迄の小著のしめくくりの意味で1)健康診療録2)請求明細書3)ゴム印一覽表を本號に掲載し以て各方面の御參考に供し得れば望外の幸である。

綜合病院の精神科管理

著者: 近藤宗一

ページ範囲:P.29 - P.33

 精神科管理の各論中,清掃,防火,不慮の事故などは,何れも精神科では特別に重要な項目であるが,これについては既に關根博士によつて詳細に述べられた。それは専門病院であると綜合病院に於けるとを問わない。そこで少々觀點をかえ,綜合病院の精神科という特殊な形態に於ては,總論的に管理の方面でどういう問題があるかを考えて見ることにしたい。

病人の出向く町—醫學中心地であなたは何を豫期するか

著者: デエビスローダ・メイ ,   森島

ページ範囲:P.34 - P.36

私の訪問をうけた醫師の顔が曇つた。私共はあなたがアヂソン氏病にかかつているのではあるまいかと思う。それはどういうことか知つていますか?
 そこで私はどういうことか知つていますと答へた。ここ數週間,私は私のかかりつけの醫師が私が副腎腺の重篤な損傷をしていやしまいかと種々檢査をして居つたことを怪しがつていました。又最近アヂソン氏病の3分の2は副腎の結核であり,其診斷がつく迄は檢索をし,もしそうなら此上3年以上は生存することは出來まいと云われました。然し最近の醫學は先に一旦死とされたものでも救命的の治療の方法が開かれれていると。

病者から見た病院(上)

著者: 山本武夫

ページ範囲:P.37 - P.41

 これからの病院がどんな在り方をするかについては日本には問題がありすぎるほどあるにちがいない。殊に終戰後日本は凡てに於てアメリカの指導を受けるようになり,從つて向うでの病院の在り方がそのまま日本に流れこんで來ることは當然で,これだけでも大變なことだが,經濟的條件にひどい隔りのあるこの二つの國に於て,アメリカの様式をそのまま日本に迎え入れることは事實的に不可能であることが想像され,そこから數多の矛盾が出て來ることが考えられ,從つて日本の病院はこれから多事多難であろうと推測される。病院當事者は,これからあり餘るほどの仕事に忙殺されるだろうし,多くの優れた專門家がそれに應じて續々現われ,それぞれに專門の意見をき,且つそれを行動に移して行くにちがいない。そんな中に,私のように何等その道の研究もなく,專門知識もないものが言葉を出すことは,そうした方面からみれば無價値に近いと思う。ただ私は不幸にしてと言つていいか,幸にしてと言つていいか,私の一生の3分の2を病氣ですごしている。私が病み出したのは20歳の時で今50歳だから,人生50年の3分の2を病者として生きているという特殊の運命を背負わされた。こういう特殊の運命を背負わされれば私でなくても誰でも病氣について,また病氣をめぐる幾多の問題について否應なしに何かを考えさせられ,それについて,その人の學問とか智能とは別に,何か一つのものの見方というものが成り立つているはずである。

病院人事消息

ページ範囲:P.41 - P.41

◇佐藤 悟朗氏 國立沼田病院長に就任。氏は大阪の人で明治39年東大醫學部を卒業,皮膚科教室にて故土肥教授の指導を受け後大阪市西區南堀江通りに佐藤皮泌科醫院を開業し大正14年東大で學位を授けた人である。
◇菊地 金男氏 國立鳴子病院長に就任。氏は東北大醫學部を卒業,杉村外科教室に入り外科學を研究した人である。

社會保險入院料完全看護と完全給食に關する取扱に就て

ページ範囲:P.42 - P.43

 社會保險入院料の完全看護並びに完全給食に關する取扱については,昨25年9月9日厚生省保險局,醫務局,公衆衛生局の各局長連名で都道府縣知事に通知しておるが,完全看護並びに完全給食の適用については,下記基準に基き,各都道府縣の實情を考慮の上,承認の可否の決定をされたいと,三局長名で本年1月9日附で全國知事宛て通知された。
1. 完全看護承認基準
(1)看護婦(看護補助者を含む)の勤務形態はなるべく主交代制であること。

全國公立病院聯盟總會記録

著者: 後藤令二 ,   佐藤良二

ページ範囲:P.44 - P.45

 本會の歴史に古く大正13年春創始者青森縣立病院長鈴木三伯氏の努力により翌年3月同地に於いて全國公立病院長會として結成せられたものである。
 然れども昭和18年8月山形縣濟生館病院に於ける第19回全國公立病院長會開催を最後に戰爭前後の事情のため遂に中絶のやむなきに至つて居つたのである。

中央材料室用具

ページ範囲:P.46 - P.48

基本治療又は繃帯交換トレイ
 3 1/2%ヨード
 70%アルコール

東京病院協會だより

ページ範囲:P.49 - P.49

A.定例理事會 日時 1月19日 各理事委員寺田 参與出席
1.歳末診療結果報告 12月25日26日27日3日 間の歳末診療に參加した會員82病院,不參加13 病院,診療結果は一括都廳醫務課に提出した。

編集後記

著者: 吉田

ページ範囲:P.50 - P.50

 陽春うららかな來月の初めには,第13回日本醫學會總會が,東京で花々しく開催せられる。大内科學會,大外科學會を初め,大小41の各部會において,數千の演題を中心に萬餘の會員が論議を戰わす。壯觀といわなければならない。數と演題の質から見れば,確に世界有數の學會である。實に日本醫學會の偉大さを讃え度い。
 然し,こゝにわれわれが考えさせられる問題がある。即ち,これらの數千の研究成果がわが國の民衆のためにどれだけ碑益しているだろうか,また各研究者の數年の辛苦の結晶がどれだけ報いられているだろうか。このことに思いを致すとき,病院の經營者,病院の管理者は,或は焦慮し,或は失望し,或は自責せざるをえないだろう。というのは學問と實際との間のギヤツプが如何に大きいかということに氣付くからである。年々現われる偉大な學問の成果を,刻々實際化し,普く患者に,應用し,そしてより良く國民の福祉を増進せしめるという重大な仕事は,一體誰の責任だろう。學問の實際化! より適正な醫療の普及化! 病院人が卒先取り上げるべき問題ではなかろうか。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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