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雑誌目次

雑誌文献

病院4巻5号

1951年05月発行

雑誌目次

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病院概史(その18)

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.2 - P.2

 1914年第1次世界大戰が勃發して,わが國は戰爭景氣に惠まれたが,1919年大戰が終えんするや,軍需景氣の反動として,当然世界的不況の波に襲われ,勞資の對立は激化し,1919年の大罷業頻發を生ずるに至り,政府は社會政策の強化を必要とし,勞資協調會の設立(1919),内務省社會局の新設(1923)があり,病院問題としては,赤十字病院,濟生會病院の公費補助による普及が促進され,民間では,進歩的資本家大原孫三郞氏の倉敷中央病院の創立(1923年)等が見られるようになつた。一方公立病院の經營については,青森縣立病院長鈴木三伯の主唱により,全國公立病院長會が結成(1925)され,公立病院の強化普及が叫ばれるに至つた。
 公衆衞生の問題としては,1919年に結核豫防法精神病院法,トラホーム豫防法が制定せられたことは畫期的な公衆衞生上の社會施策の出發である。

Dr. Mac Eachernの事ども

著者: 守屋博

ページ範囲:P.3 - P.6

 病院管理の赤本と云えば,東一の研修所に來られた方は勿論,その他の方でも,病院管理に關心をもつ者の間では,病院管理學の聖書だと云う位い有名な本であります。數千頁に及ぶ大部の本のどの頁の隅々にも,Dr. Mac Eachernの40年に渡る深い經驗と,アメリカの病院を,ここまでに育てた熱意があふれているのが見られます。
 病院管理研修所の第1回の講習會は,この本の直譯と云われた位いこの本にたよつたものですが,當時の事情とすればやむを得なかつたものでした。それだけに我々は,未だ見ぬ同先生に,親しみの情をおぼえていたのでした。

病院齒科の基本問題(2)

著者: 高木圭二郞

ページ範囲:P.7 - P.12

III 病院齒科の任務
 日本の病院の多くに,齒科が置かれていることは,前述の通りである。
 醫学にしても,齒科醫学にしても,その進歩,發達は,その程度の進むに從い,内容が高度に專門化したゝめに,細い分科に分れ,深く研究が行われ,今日のような進歩をみたのであろうが,この醫学,歯科醫学を,患者の病氣を癒すために應用するには,再び,それら分化したものが,總合されて,患者に調する完全な醫療行爲となつて,再現されなければならぬはずである。醫療法の主旨からみても,病院は,この目的を果すべき使命を課せられているのであつて,現在,わが國の病院は,この主旨に沿つて,再編せられていると云えるであろう。醫療を與える側の,また,醫療を受ける側の自覺は,病院を,その本來の目的の軌道に乗せつゝあり,幸なことといわねばならない。

アメリカでの見聞と示唆(下)

著者: 橋本寬敏 ,   守屋博

ページ範囲:P.13 - P.21

米國の病院經營と病院醫師のあり方
○橋本 勉強している人は給料のことなんかいわない。そして朝となく夜となくやるんです。
○S その点で日本でも考えなければならないことは健康保險問題ですね。つまり腕があつてもなくつても報酬に差はないんですね。まあ時間に比例するだけで技能には比例しない。このあたり將來の醫療はどうあるべきかということに大きな問題があるんじやないか。たとえば向うで病院がああ發展したのはブリユー・クロスの制度が影響してはいないかですね。あゝいうような制度が病院を發展させたんじやないかと思うんですが,その点をもう少し考えてゆかなければいかん。

ELEMENTS OF THE GENERAL HOSPITAL—綜合病院の要素

著者: 米國公衆衞生局病院課

ページ範囲:P.22 - P.24

靈安室(屍室),解剖室
 第7圖の小屍室は,死体解剖を行うには略々最小のものである。次の第8圖のは之より大きくて,100床又は200床病院の何れにもつかえる。大きいものでは少くとも3体分の冷藏室がある。死体冷藏室を解剖室からわけると,解剖中でも死体を動かす事が出來る。屍室の大きさは,ここを盛察醫が利用するか否かに或程度關係する。勿論,何れにしても靈安室は一般大衆には不必要に接觸せぬ樣に,エレベーターに便利な樣に,そして隔絶した出口を出來れば裏庭の方につける。適當な通風は明らかに必要であつて,通常窓排氣扇風機(window exhaust fan)をつける。

病院給食の管理法について(1)

著者: 矢野眞琴

ページ範囲:P.25 - P.30

まえがき
 昭和24年の春2ヵ月程病院給食の改善に努力し,其殘務整理の意味で今日でも1日1回はかならず炊事場に出入して檢食のかたわら運營を監督することにしている。最近はまた外部から學校給食の相談など持込まれ,その機構や在り方について考えて見なくてはならない場合が多くなつた。元來私は生理学の一部として榮養学の講義をしたことはあるが,實地の給食に關係したのはこれが初めてである。ただし中年から食物に對して特別な關心を持つようになり,このごろは非常に敏感である。それで榮養價だけの料理では到底滿足しきれず,團体給食にありがちな粗雜な料理にはしばしば不滿を感ずる。われわれの病院の給食も1年前に比較すると格段の差違があるとはいえ,まだこれで充分だというところには達していない。由來官廳の仕事はたとえわずかな設備の改善でも,おいそれとできあがることはまれであつて,炊事のような細密な工夫を積み重ねてできあがる仕事は比較的難儀を伴うものである。利達もあれができたらこれができたらと思いながら今日に及んでいるので,この完成にはまだ相當な日時を要すると思う。實際私の描く理想の半分も達せられていないので,今このような文章を發表するのは心苦しくもあり惜しくもある。しかし最近食糧事情の復奮と共に團体結食が復活し強化されたけれども,相當な賄費を使いながらきわめて粗惡な給食を行つているところもある。

病院關係人事

ページ範囲:P.30 - P.30

◇美甘 義夫氏 傳染病研究所附屬病院長で東大教授兼任の氏は先般開かれた東大醫學部教授會で東大專任教授に決定した。氏は去る3月末日で停年のため東大教授を勇退された佐々貫之氏の後任となるわけである。美甘氏は岡山縣人,大正12年東大醫學部卒業し稻田内科から熊本醫大教授に轉任し,次で三田村教授後任の病院長となつた人である。
◇佐々 貫之氏 3月末日を以つて東大醫學部教授を勇退された氏は4月から發足した電通病院長に就任された。氏は大正6年東大醫學部を卒業し昭和2年千葉醫大教授に轉じ次で同6年千大病院長となり更に16年東大教授に就任した人である。

まごころある精神病院

著者: ,   森島

ページ範囲:P.31 - P.32

 米國精神病協會の最近の會議で米國の或る州の病院の院長は犯罪性精神病者を取扱う問題に警くべき病者との接近を描出し其内面の仕事を明かにした。今彼の前には殺人者と殺人的狂暴を現わしている寫眞などがあり,そこには鑿や槌や鋸や彫刻器具や野球用打棒などがあつて狂人に犯罪を鼓舞しつゝあるようであつた。
 彼等は彼等が犯罪の使用に之等の兇器を,並べてあることは實際的でもあるようだ。即ち犯罪という職業的の又患者に元氣をつける活動上の一部でもある。疑もなく鑿は咽喉を破ることが出來,野球用打棒は頭を破壞することが出來るからだ。

看護婦養成所の實態

著者: 豊田文一 ,   村田さと

ページ範囲:P.33 - P.39

 甲和23年7月保健婦,助産婦,看護婦法が公布されたことは,医療法,医師法の施行と共に医療組織の近代えの第1歩として,まことに喜ばしいことである。同時に本法は看護婦に對し,高い教養と知識と技能を與え,看護業務の獨立化を明示したものといえよう。新しい法律にしたがい,全國に於忙て多數の看護婦養成所がその設立指定申請を行い,私達は保健婦,助産婦,看護婦審議會調査部委員として擔当を命ぜられた東海,北陸地區30數校の視察を行つたのであるが,こゝに過去1ヵ年の視察所見の概要を卒直に述べ,將來における看護婦養成所の運營に,あるいは今後の設立についての參考に資せられるところがあれば幸甚と思う。
 なお視察所見については,厚生省より示された調査要綱に從うことゝする。

某病院における塵芥の排出量並びにその處理について

著者: 吉田きよ ,   淸水里都子 ,   松野正德

ページ範囲:P.40 - P.43

 本病院は東京都内に在つて,病床數450,外來患者1日平均1000名内外の綜合病院で(傳染病病棟は缺)ある。病院は總敷地21308坪で總建坪は延8370坪であつて本館(1973坪)別館(2772坪)二號館(370坪)三號館(779坪)看護婦寄宿舎(544坪)食研(635坪)等の建物より成り各個所より出される塵芥はは9名の係(小使4名雜使婦5名)により所定のゴミ捨場に運ばれる。ゴミ捨場に集積した塵芥は,更に區役所の清掃事業部の手によつて院外に搬出される。病院の1カ月間に於ける塵芥の運搬方法,塵芥量,ゴミ捨場の施設等について調査を行つたので報告する。

リレー式病院施設見學記(Hospital Tour)

著者: 島內武文

ページ範囲:P.44 - P.45

 病院管理學會は本年はそのはこびに至らなかつたが,今度の醫學會には何かこの方面で意義あることを催をそうではないかというので,リレー式病院見學がくわだてられた。
 豫めその趣旨を各縣を通じて周知につとめると共に,學會場に於てはビラを配つて,會員を募集した。

日本病院協會設立準備會

ページ範囲:P.46 - P.46

日時 3月3日
會場 於順天堂病院(病院會館の豫定のところ都合  により變更)

東京病院協會便り

ページ範囲:P.47 - P.47

A.定例理事會 日時 2月20日 各理事委員 吉  田技官,寺田課長出席
 1.醫療法人の問題について其後の經過報告をなし尚今後共強力に運動を進めることにした。

同一主體の數ヵ所病院開設

ページ範囲:P.49 - P.49

 醫療法施行上の疑義に就て山形縣醫師會長と厚生省醫務局長との間に次の照覆があつた。
◇山形縣醫師會長照會
 現行醫療法の施行に依れば,一病院が他に何々病院分院又は何々病院出張所の名の下に同一經營をなすことは許されざる儀と心得るが,若し實質的には同一病院の經營なるも名義上單に名稱を替え診療所の形にて屆出をなす場合,内容の如何に不拘,之が認められるものなりや,醫療法の本質よりして,聊か疑義が生じたので右につき施行上の解釋に就て御教示願い度い。

編集後記

著者: 編者

ページ範囲:P.50 - P.50

 五月一生物は一せいに新たである。日本醫師會と合同第1回の劃期的第13回日本醫學會總會の一大繪卷も櫻花の盛と共に既に過ぎし思い出となつたが,ヂツト窓外の緑を眺めていると,醫界の新たな發足の踏音が聞えて來るようである。
 天皇陛下御臨幸のあの總會場の壯觀さ,田宮會長,天野文相,南原總長のあの熱烈眞摯な醫界,醫學會えの激勵,特別講演初め5000の演題の下に花を競う同僚の眞摯な姿——何れもわが國醫人の眞の姿が,今年からこそ,改めて新たに世に顯われるのであるという印象と自信を與えられたのは,只に編者のみではないだろう。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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