文献詳細
文献概要
人
モニュメント「早蕨」のある病院を作った 十和田市立中央病院長 末武保政氏
著者: 薄場元1
所属機関: 1薄場医院
ページ範囲:P.821 - P.821
文献購入ページに移動 十和田市は昔三本木町と呼ばれ,陸軍の軍馬補充部があった.学生のころ,十和田湖への途路ここを訪れ,軍馬補充部を見学した思い出がある.
末武院長は昭和26年東北大学を卒業後,武藤外科に入局,その後,旭川厚生病院,東北労災病院,県立遠野病院を経て,国保水沢病院副院長を務められ,51年8月,命を受けて十和田市立病院再建のためこの地に赴任した.当時の病院は,累積赤字3億円,医局解体,303床の病院に精神科医1名という惨状であった.再建には院長以下全職員が一丸となり,血の出るような努力が5年間続けられた.増改築事業に引続き150床の増床を含め450床の地域中核病院が立派に完成したのである.
末武院長は昭和26年東北大学を卒業後,武藤外科に入局,その後,旭川厚生病院,東北労災病院,県立遠野病院を経て,国保水沢病院副院長を務められ,51年8月,命を受けて十和田市立病院再建のためこの地に赴任した.当時の病院は,累積赤字3億円,医局解体,303床の病院に精神科医1名という惨状であった.再建には院長以下全職員が一丸となり,血の出るような努力が5年間続けられた.増改築事業に引続き150床の増床を含め450床の地域中核病院が立派に完成したのである.
掲載誌情報