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雑誌目次

雑誌文献

病院40巻11号

1981年11月発行

雑誌目次

特集 病院経営悪化の打開策

病院経営悪化の実態と要因分析

著者: 尾口平吉 ,   大島民郎 ,   滝沢喜七 ,   川内拓郎 ,   吉岡観八

ページ範囲:P.918 - P.931

0.4%の減収—自治体病院
自治体病院の概況
 自治体病院数,病床数,患者数の54年度末の現況及び5か年間の年次別推移は表1のとおりであり,この間病院数は16病院(1.7%),病床数は3.3%増加したに過ぎないが,外来患者数は10.2%,入院患者数は7.7%増加している.このため,病床利用率(伝病,結核病棟を含む)も逐年向上し,54年病床利用率は78.5%(一般85.5%,結核50.2%,精神88.1%,伝病18%)に達している.
 職員数はこの間14.2%とかなり大幅に増加しているが,これは医療内容の高度化による医師,医療技術者の増員,看護水準の向上のための看護要員の充実によるものである.また物的装備の面においても表2に示すように,建設改良費(医療機械を含む)も年々多額の投資が行われてきた.特に昭和53年より急増し,54年は1,775億にも達している.このような投資により増改築,医療機械の整備が行われ,1床当たり面積も50年34.5m2から54年37.9m2に拡大し,1床当たり固定資産(減価償却後資産額)も建物1,966千円より3,177千円,61.6%増へ,医療機械477千円より883千円85.1%増へと大幅な整備が行われている.

病院経営今後の諸問題

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.932 - P.935

医療供給体制の現状■
 戦後,社会福祉国家を目標に,医療保障制度の充実に努力して30数年になったわけであるが,その成果には目を見張るほどのものがある.
 国民皆保険は昭和37年に既に達成し,48年には70歳以上老人医療の無料化が実施され,また高額医療費制度や公費負担医療の拡大充実など,医療費保障制度についてはかなり早く整備された.

病院経営悪化の打開策を探る

著者: 竹本吉夫 ,   小松次男 ,   長沢一男 ,   大塚暢 ,   高原敏夫 ,   杉山信夫 ,   夏見俊彦 ,   土谷太郎 ,   細田健二

ページ範囲:P.936 - P.947

入るを計って出ずるを制す
 当院は秋田市のど真ん中に位置し,病床数440床,職員490人,外来患者1日平均710人の総合病院である.
 私は,昭和42年,当院の移転新築に際し赴任した.大きなマイナスを背負っての発足であったが,丸10年ですべての欠損金を解消し,ようやくゼロからのスタート台に立つことができた.次の10年が躍進の10年と願っていたが,80年代の病院医療の展望は決してバラ色でない.むしろ70年代の積み残しのものが顕在化する一方,これまで以上に厳しい環境にさらされてきている.

発想の転換を迫られる病院経営

著者: 藤正巖

ページ範囲:P.948 - P.950

 1980年代に入り,すべての社会化されたシステムに大きな減量経営の波が襲いかかりはじめている.医療といえどもその対象から外されることはない.我が国の強力な経済成長の影であまり意識されることなく成長が続けられてきた医療経済も,1973年のオイルショック以後の経済成長の鈍化によって,いや応なしに成長をとめられる必要性が生じてきた.社会の医療に対する目は次第に医療の受療しやすさから,医療費の高さに,やがては,医療経済の仕組みそのものに対する批判へと移行しつつある.本論文は,医療経営や病院経営の枠組の外から,既にかなり高度に社会化されつつある我が国の医療の将来像について考察を加えたものであり,一つの私見に基づいたシナリオである.近未来と言われる10〜20年先の医療の姿を病院経営者は十分洞察し,対策をたてることが今後ますます必要になってくると思われ,本論文をその訓練のため批判の組上に供されれば幸いである.

教育病院こそ人間味をベス・イスラエル病院長M.T.ラブキン博士

著者: 紀伊國献三

ページ範囲:P.909 - P.909

 ハーバード大学医学部はアメリカで最も権威ある医学校と言えるが,附属病院は持っていない.ボストン近辺に5つの関連病院があり,臨床教育はそこで行われる.ベス・イスラエル病院はマサチューセッツ・ジェネラル病院(MGH)と並んでここの関連病院として世界的に名高く,Mitchel Rabkin博士はこのベス・イスラエル病院の院長(President)である.我が国にも1977年,81年と二度来訪されよく知られているが,アメリカ本国でもアメリカ医科大学協会の教育病院部会長を勤められるなど最も著名な院長の1人である.14年前36歳の若さで院長に就任して以来,BIと略称されるこの病院を,ハーバード卒の医師にも,奇病ならMGHだが,入院するならBIと言わせる病院に仕上げた腕の持ち主である.

グラフ

天草で多彩な活動を試みる—龍ヶ岳町立上天草病院

ページ範囲:P.910 - P.915

 東京羽田から空路熊本まで90分というのに空港からバスを乗り継いで更に2時間半もかかる天草龍ヶ岳町.ここに,この人口7千の町には不つり合いとも言える病院がある.道一つ隔てて海の広がる山肌にはりつくように立っている建物,この漁村ではひときわ目をひく白亜の建物が龍ヶ岳町立上天草病院である.
 昭和39年,病床のなかった上島に初めての病院として,70床,医師4人でスタートした.当時はまだ陸路が開通していなかったため,熊本市内から龍ヶ岳町へは船を利用して片道5時間の道のりだったというから,岡崎院長が強調するように確かに"へき地"であった.そのへき地の上天草病院が施設設備の充実と病院機能の向上を図る一方,40年に附属看護専門学校,44年医師会臨床検査センター及び小児喘息病棟を開設,現在9診療科,200床の地域中核病院となった.更に開設以来,経営は黒字という実績も作っている.

インタビュー

知恵を集めて様々な実験—上天草病院 岡崎禮治院長に聞く

著者: 編集室

ページ範囲:P.951 - P.955

昭和39年,人口7千の天草上島龍ヶ岳町に70床でスタートした小さな町立病院が,18年の間に小児喘息病棟,看護専門学校,健康管理センターを持つ200床の病院に成長した.都会から離れた地でありながら,最新の管理運営を導入し,様々なユニークな試みを行い,エリートたちの作る病院に負けないものにしようと頑張っている.一方,人情細やかなこの土地にふさわしい病院という線も崩していない.開院当初から,病院の方向づけをし,職員と夜を徹して飲み,語り,休みにはスポーツを共にして病院をひっぱってきた岡崎禮治院長に,設立の経過,運営の考え方と実際,将来への課題についてお話しいただいた.(グラフ頁もあわせてご覧ください)

設備機器総点検

ストレッチャー

著者: 坂倉ナミ

ページ範囲:P.957 - P.957

 本ストレッチャーは本学附属病院開設の昭和54年10月より各病棟に配置し,現在約20台が稼働してルーティンな看護業務に使用されている.したがって本ストレッチャーについて,一定の評価が得られたものと思われるので,以下使用に当たっている多くのスタッフの意見を集約し,長所ならびに短所を述べる.

講座 病院経営分析入門・8

人的体制の分析(2)

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.958 - P.959

 放射線部,検査部,理学療法部,給食部といったところは,取り扱い患者数に比例するが,厳密なものではない.正確に言えば患者数ではなくて業務量に比例するものであり,業務量は必ずしも患者数と平行するものではないからである.
 つまり病院の診療体制やレベルが違うと,患者1人あたりの業務量は大きく違ってくる.重症患者を多く扱ったり,診療機能が高いところでは,患者あたりの業務量が多くなるから,患者数の割合には職員数は多くいることになる.

医療の周辺 法律学と医療・2

地域保健医療

著者: 下山瑛二

ページ範囲:P.960 - P.961

 1.最近,「地域保健医療」の声がとみに強くなってきている.そのこと自体は非常に結構なことである.地域保健医療は,西欧では長い歴史の積み重ねの上に立って,第二次世界大戦後,ことに1960年代以降強力に唱えられだしてきたものであるが,かかる主張の底辺にも,ある程度長い間の社会的需要というものがあった.それに対して,我が国の場合には,かかる実績を必ずしも有していないため,いまだお題目の域に過ぎず,なかなかその緒につきかねる状態にあるといってもよい.
 確かに,それぞれの国にはそれぞれの異なった条件がある.したがって,西欧諸国の状態を基準にしてものごとを割り切ってしまうと,我が国の社会の歴史的発展過程を無視して,批評家的発言に終わってしまう場合が生じてくる.我が国の先覚者は,戦前においても,農村における結核対策との関連で,早くから地域保健医療的な施策を実施してきた.ただ,それらの貴重な経験も,戦後の農村における農地改革,ならびに高度成長政策に伴う過疎化現象により,また,結核の激減により,新しい社会的条件の下において新たな地域保健医療へと発展していったとはいい難い.

病院職員のための医学知識

糖尿病に関する最近の知識

著者: 平田幸正

ページ範囲:P.962 - P.963

糖尿病の成因や病型が話題となっていますが,最近の糖尿病の概念は,どのように把えられていますか,また,どのように分類されますか.
 1979年,NIHは糖尿病の新しい診断基準と分類を示しました.1980年,WHO Expert Committee on Diabe-tes Mellitusも,新しい診断基準と分類を示したため,あたかも,糖尿病の概念が変わったように理解される傾向を生じました.しかし,糖尿病の概念に対する基本的な考え方は,従来と異なるものではありません.NIHやWHOが糖尿病を変えたのではなく,古くから存在している糖尿病という病気を,現時点で,どのように把えるかということが,示されたとみてよいでしょう.インスリン作用の不足による代謝異常の代表として高血糖が把えられている疾患が,糖尿病であると言えるでしょう.また,糖尿病では,その慢性合併症として,糖尿病性細小血管症が存在するものと把えられています.

統計のページ

病院経営の実態・5

著者: 森福省一

ページ範囲:P.964 - P.965

患者1人1日当たり収入(つづき)
2)一般病院における患者1人1日当たり診療収入による病院の分布
 表16に,患者1人1日当たり診療収入階級別の病院分布を入院外来別に示した.また,図5に,全診療科の病院分布を入院外来別に図示した.
 全診療科の入院における患者1人1日当たり診療収入は14,650円であるが,病院分布について見ると,16,000円以上が最も多く25.5%を占め,14,000〜15,999円(20.4%),12,000〜13,999円(18.4%)などがこれに次いでいる.平均診療収入が14,650円であり,図5に示したような分布状況であることにかんがみ,収入階級区分の再検討を行い,より全般の状況,特に16,000円以上で一括したものを,更に細区分する必要があろう.

病院管理の工夫

医事課窓口職員の質的向上への一工夫

著者: 関根茂

ページ範囲:P.968 - P.969

 病院事務職,その事務職の中でも直接患者と接する我々医事課窓口職員の役割は非常に大きく,窓口担当者の在り方一つで,患者の病院への信頼度を左右すると同時に,それらは運営面にまで影響すると言っても過言ではないと思う.
 このように,窓口職員に課せられた任務は大きく,その任務を遂行するためには,窓口職員としての種々な資格要件が必要となってくると思われる.この資格要件の具備と当係の問題点,在り方等を考え,どうしたら素晴しい窓口ができるか,どうしたら職員のレベルアップにつながるかを検討し実行した約1年の経過を報告したいと思う.

宮川医院の管理に学ぶ・1

診療録管理の工夫

著者: 宮川和幸

ページ範囲:P.966 - P.967

 プライマリ・ケアということが,しきりに言われるようになって久しい.医療技術の進歩も目覚しく,医療に関する情報の半減期は5年とも3年とも言われている.医療技術の進歩に伴い必然的に診療の細分化が行われる傾向となり,高度にこの技術の恩恵を受ける一方で,臓器とか疾患とかという観点からとらえられ,患者サイドからは病人全体として扱ってもらえないという大きな不満が絶えずつきまとう.まして大病院などでシステムの中で扱われるため,人間疎外があって,医療を受ける立場では,シックリいっていない感じは否めない.もちろん全部の病院でそうであるというわけではないが,よほどの工夫が病院自体になければ,このシックリいっていない実感は克服できそうもない.
 Cureではなくてcareが求められ,医療従事者もそのことは知っていながら,なかなか実行できないのが現状である.

事務長訪問

財団法人神経研究所附属晴和病院 中尾巌事務長

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.971 - P.971

 昭和26年11月,50床をもって開院した当時のことが,やはり一番印象に残っていると言われる.
 設立に至るまでの経緯は,「瓢箪から駒が出た」ようなものであった.東大病院の福利施設"好仁会"の嘱託をしていた中尾さんは,同僚の佐竹本七さんと,ある時こんな話を交した.「おい,俺達も四十になったなあ,何かやろうよ,産婦人科の病院はどうだろう.」といっても,資金もなければ病院経営の経験もないお二人にとって,これといった見込みがあるわけではなかった.産婦人科がその後精神科に変更されたのは,精神科医局員であった春原千秋医師(現中央鉄道病院医長)の勧めによるものであったが,話は笠松章講師(現神経研究所所長)を通して,東大精神科を主宰されていた内村祐之先生の元にまで達した.

新 病院建築・47

箕面市立病院の設計

著者: 福田朝生 ,   松本豊寿

ページ範囲:P.973 - P.979

 紅葉と滝でよく知られる箕面市は,大阪府における衛星都市の一つとして西は池田市,東は茨木市,南は豊中,吹田両市に接する緑豊かな街であり,古くから住宅地として開けた土地である.近年は大阪府においても人口のドーナツ化現象がすすみ,箕面市も最近10年間に人口が急増した.しかし,周辺市町村を含めたこの地域は医師数,病床数ともに大阪府平均値よりはるかに低く,一方人口増による医療需要が増大しているのが現状である.しかも隣接市はそれぞれ市立病院をもって地元の需要に対応しているのに対し,箕面市では今日まで市立病院がなく,市民は一般開業医もしくは隣接市の病院を利用しており,市立病院の建設は市民の積年の念願とされていた.
 建設計画は昭和46年から進められ基本計画が昭和53年5月に策定された.建設用地は図1に示すように箕面市の南部丘陵地を造成し,その内の約34,000m2があてられた.

病院精神医療の展開

精神病院における医師—看護職関係—看護職の自主性をめぐって

著者: 宗像恒次

ページ範囲:P.980 - P.982

 精神病院に限らず,日ごろ看護職が医師に持つイメージには,特定のものがある.精神病院の看護職研修1)の際,看護職が医師に対して持つマイナスのイメージを聞いて取ると次のようなものがあった.「いばっている」,「頼りない」,「自分が一番偉いと思っている」,「きちっとした指示をくれない」,「医師らしくない医師がいる」,「患者のことがよく分かっていない」等々.もちろん,このようなイメージを一般病院の看護職も共通して持っているだろう.
 ところで,このようなマイナスのイメージの中には,看護職自身が医師とのかかわりにおいて,心理的に防衛せざるを得ない自己葛藤をみることができる.このような看護職の心理的経験や医師の心理的経験を素材にして,主として看護職の側から医師と看護職の関係をとらえ,看護職自身の主体性の中で,その関係の改善を導く糸を明らかにしてみたい.

リハビリテーション・その現状

脳血管疾患専門病院におけるリハビリテーション活動

著者: 荒木五郎

ページ範囲:P.983 - P.985

 脳血管疾患専門病院におけるリハビリテーション活動がどのように行われているか,その現状を述べることが本稿の主題と考える.当脳血管研究所美原記念病院の特徴として挙げられることは,急性期脳卒中患者に対する救急治療と慢性期脳卒中患者のリハビリテーションの両面の医療体系をもっているということである.言い換えれば急性期から慢性期に至る一貫した医療を行うという点でユニークな病院と言えよう,したがって,リハビリテーションの重点は,おのずから,急性期の患者をいかに,早く歩行訓練まで持っていくかに置かれてくる.そのため社会復帰,職業復帰への訓練は,やはり二次的な問題となってくるのはやむを得ないと思う.

海外の医療

米国における看護婦不足と病院看護

著者: 今井敬子

ページ範囲:P.987 - P.990

看護婦不足の現状
 レーガン大統領の政策では,1981年には,看護婦数は国民の看護サービスの要求に対して十分な数に到達するという見解を示しており,看護教育援助資金を減額した.米国統計局の資料では確かに,1950年代の働く看護婦数250(人口100,000に対して)が,81年には約500と約2倍に増加を示し,約100万人以上の看護婦が現在働いている(1,112,000名,1978年)ということになっている.
 ところが看護婦の不足(特に病院看護)は1940年代のそれと同様,深刻であると今年の5月28日にはCBS放送局がトピックとして1時間にわたり「Nurse,Whereare you?」と題してペンシルバニア大学病院における看護の実体を中継し,ナースへのインタビューで看護大学卒業者のナース,ジャン・メイソンがハイライトを浴び全国の聴取者より同情的反響を受けた.

民間病院の経営と管理

産婦人科小病院・有床診療所経営の現状と将来

著者: 北井徳蔵

ページ範囲:P.991 - P.993

 数年前から産婦人科医業の将来は灰色である,特に産婦人科診療所は斜陽化傾向にあると論議されてきた.産婦人科に限らず,すべての診療科の診療内容は,医学の進歩,経済状態,社会情勢,あるいは国民のニードによって変化するものである.
 特に産科においては出生数を中心にした人口動態に大きく左右される.厚生省人口動態統計によれば,出生数の戦後のピークは昭和22年で出生数267万,出生率人口千対34.3であったが,逐年減少し,昭和54年では164万で出生率14.2と半減している.更に斜陽化の三悪として,助産婦等の産科要員の不足と医事紛争,医療事故の発生増加が挙げられる.日本医師会の発表によれば,産婦人科の医療事故は毎年1位か2位である.これらの要素を踏まえながら,将来に向かっての打開策についても述べてみたい.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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