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雑誌目次

雑誌文献

病院40巻12号

1981年12月発行

雑誌目次

逓信病院と共に34年 東京逓信病院院長 北原哲夫氏

著者: 高橋政祺

ページ範囲:P.1005 - P.1005

 北原哲夫先生は紳士である.端正な身嗜みと温厚な風貌は,その出自の良さを初対面の人にも感じさせるほどで,なかなかこういう内からにじみ出るような好印象を誰にでも与えるという人は少ないものである.
 先生は東京生まれで,昭和12年東京帝大医学部を卒業後,大槻外科に入られ,学位を取られた後,戦後の22年から東京逓信病院に勤務されるようになった.それからは一筋で,30年に外科部長,51年に副院長,55年に病院長と30年以上にわたって同病院で活躍して来られた.また現在,臨床外科医学会常任幹事,国際外科学会日本部会理事で,55年からは日本大学医学部の客員教授もされている.

グラフ

農民と密着した医療・予防・研究—秋田県厚生連平鹿総合病院

ページ範囲:P.1006 - P.1011

 三方を奥羽・出羽の山地に囲まれ,一方を雄物川沿いに秋田平野につらなる横手盆地は,旧くから豊かな米どころとして知られ,変転する農業政策の中にあって,一部に果樹・牧畜を採り入れつつも,今なお稲作主体の典型的な農村風景が一面に広がって見える.盆地の東南に位置する横手市は人口約4万5千,近郷近在の経済・文化の集積地として,農業的生活環境が色濃く浸透している小都市である.
 奥羽本線横手駅に間近い市街地の中にある本病院は,昭和7年産業組合法により設立,その後組合法の改組による統廃合を経て,23年秋田県厚生農業協同連合会へ移管された.30年総合病院の承認を受け,現名称に改称,40年全館増改築工事が完成,42年には,地域に密着したユニークな活動で知られる農村医学研究所を高等看護学校と併せて敷地内に建設した.更に,施設の近代化,高度医療とそれに伴う最新機器を導入するため,47年5階建新館を増築し,現在に至っている.

小特集 衛生検査所の実情と課題

衛生検査所の実態と法の改正

著者: 遠藤浩

ページ範囲:P.1013 - P.1016

 臨床検査技師,衛生検査技師等に関する法律の一部を改正する法律(以下「改正法」という)が,昨年12月6日公布され,同施行令の一部改正令及び同施行規則の一部改正省令とともに,本年3月6日から施行された.
 これにより,衛生検査所に対する法令に基づく規制は,従来に比較して格段に強化され,適正な検体の検査業務の遂行が期待されている.

新医療費と衛生検査所

著者: 鴨川茂

ページ範囲:P.1017 - P.1019

検査保険点数改定と検査所が受ける影響■
 6月1日に実施された検査保険点数の改定は検査料の低下が続くことによる民間検査センターの経営圧迫感を衝撃的に高めたことは事実で,特に,生化学検査など,自動化が進み,量的,金額的にも,民間検査センターの中枢部位を占める検査種目の点数の低減は,非常に強いショックとなっている.
 こうした影響を見る上で,まず,民間検査センターの実態を知る必要があろう.

我が国の精度管理調査と衛生検査所

著者: 木下満洲夫

ページ範囲:P.1020 - P.1026

 Levey-Jenningsがアメリカで,工業製品における品質管理の管理図法を臨床検査に導入したのが1950年,その後,自治医大の河合忠教授が1963年に我が国にその概念を紹介したので,それから既に18年を経過したことになる.今では,精度管理という言葉は,臨床検査に携わるものはもちろん,臨床検査を利用する一般開業医家においても耳馴れたものになっているが,精度管理が,いかなる手法を用いて実施されているかを知っている一般臨床医は少ない.
 精度管理には,内部精度管理と外部精度管理があり,後者には,Open方式と,Blind方式がある.そこで,主として,日本医師会の精度管理調査の各年度の報告書を基にし,他の資料を適宜加えて,精度管理調査と,衛生検査所との関連について述べてみたいと思う.

衛生検査所選択と利用の経験

著者: 杉山育男 ,   松永清輝 ,   浦田伸一 ,   平尾紘一 ,   大林弘幸 ,   片平宏 ,   横田文吉 ,   平沢政人

ページ範囲:P.1027 - P.1038

過大な値引き業者の除外は賢明の策
1.衛生検査所利用の要因
 衛生検査所の利用(以下外注)は,情報化医療の落とし子であると言っても過言ではないと思っている.すなわち,医学の専門化が進むにつれて専門医療が行われ,これに伴い各種の検査が急激に増加し,特殊検査と呼ばれる検査が数多く行われるようになり,自施設の検査部(科,室)内だけでは,すべての検査を行うことができなくなって,①検体数が少なくて採算が合わない検査(以下不採算検査),②特殊設備を必要とする検査(以下要設備検査),③検査量に見合う検査従事者がいない(以下手不足)ために外注するようになったと考えたい.
 国立病院を対象とした肝機能検査に関する実態調査を行った中で,外注について調査したが,その結果は表1のとおりで,日常一般に行われている検査項目は,外注が増えれば実施率の低下傾向を示し,要設備検査のうちHBs抗原検査(RIA)は外注率57%に対し実施率が21%あり,不実施率は9%であった.また試薬入手困難なHBe抗原・抗体検査は,外注率77%に対し実施率は7%とはなはだ低率を示していた.ALP, LDHアイソザイムの外注率はそれぞれ66%,58%で比較的高いが,実施率も22%,36%で約1/4〜1/3の施設で行っていることが分かった.

インタビュー

小野田敏郎佼成病院名誉院長に聞く—戦後の病院界の歴史と歩む

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.1039 - P.1043

 石原小野田先生は,戦後,東京警察病院や佼成病院の近代化に尽くされ,その間,日本病院協会から日本病院会への転換にも尽力され,日本の病院管理学の発展に貢献してこられました.
 この8月に定年で佼成病院院長を退かれましたので,今日は,先生の来し方を振り返っていただき,次代の方々に参考になるお話をうかがいたいと思います.

海外の医療

米国における看護研究の実情

著者: 今井敬子

ページ範囲:P.1044 - P.1046

 看護はまだプロフェッションではないと言明する看護婦がいる.その人はDr.Schleicher(1981)で,彼女の見解によると,看護はプロフェッションとして独特な知識の本体,教育過程,独立性と同僚のコントロールの発展に欠け,社会サービスとして重要な役割を果たしているという立証がなく,職業的コミットメントに欠けているという.「病院の官僚制度,強い医師によるコントロール,看護プロフェッションとしての強い主張に欠け,ステレオタイプの女性の役割を受け継ぎ,学問と研究に乏しいことがプロフェッションとしての発展を妨げている」という批判はだれもがよく聞く引用文である.米国における看護が世界的には発展していると見なされてはいても,国内における看護のプロフェッションの発展の段階,特に知識の本体についてはSchleicherの声明に同感している無言の看護婦がたくさんいる.こうした職業的な弱さを認めた上で,それに対抗して米国においては看護研究熱は強い.
 看護の学問としての確立及び発展の動きは,1949年,厚生省に看護課が設立されてから始まったと言ってよい.厚生省の資料によると1956〜76年の20年間に政府は看護研究資金として約4,000万ドルを961の研究に融資した(1976).国家の援助は研究ばかりにとどまらず,看護研究をする人を教育するためにも施された.

民間病院の経営と管理

これからの民間病院経営

著者: 穴沢咊光

ページ範囲:P.1047 - P.1048

 ここ数か月間の医療界の動きは,数年前からかねて危惧されていたことが,いよいよ現実問題となって姿を現してきたものであり,極めて深刻に受け止めている.すなわち国民総生産というパイの成長は急激に鈍化し,それに伴って医療費という「パイの切り身」も急速には拡大しなくなった.一方,医療過剰時代を見越した病院間の設備投資競争は過当競争の傾向を示し始め,高度医療に必要な高額医療機器を購入設置できる大病院と,そうでない中小病院との間に医療の質的較差を生じつつあり,それが一部で言われている「患者の開業医ばなれと大病院集中」の大きな要因となりつつある.
 中小病院の生きる途は,なんとか成長して大病院の仲間入りをするか,それとも慢性疾患中心の病院として生き延びるか,である.前者はよほどの好条件に恵まれた場合にのみ可能であり,後者も,十全会事件を契機として,患者の在院日数の短縮が当局によって打ち出され,これが今回の医療費改定にも反映しているので,容易ではなくなってきている.これに加え,目下厚生省が企てている医療法改正案にみられるように,官僚主導型の地域医療整備計画の根回しが着々進行しており,例えば,官設民営の特別養護老人ホーム,成人病センターなどのように民間病院と明らかに機能的に競合するような施設の設置計画が進められている.

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機器短報

ページ範囲:P.1049 - P.1049

医療用オフィスコンピュータ2題
 立石電機(電話03-436-7199)は,窓口会計業務を行いながらレセプト発行のためのデータ作成が自動的にできる「OMRON医療窓口端末機790—MP 1」を発売した.
 特徴は,①レセプト発行に必要なデータを自動的に収集し,このデータをバッチ伝送あるいはカセット・テープに収めて計算センターへ送ると,漢字レセプトが作成できる,②見やすいページング方式キーボードで操作が簡単,また種々の加算点数/加算係数を機械に記憶させて自動計算できるので,オペレータの登録時の負担や手間が大幅に軽減できる,③保険ごとの診療患者数,初診数,点数合計,一部負担金合計,自費合計,未収金合計,入金・出金合計などが日報,月報として入手できる,④必要に応じ明細領収書,合計領収書が発行できる,⑤使用薬剤リストが作成でき,在庫管理,合理的な購入計画を実現できる,⑥保険点数や薬価の変更に容易に対応できる,など.<価格は128万円>

「病院」第40巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

講座 病院経営分析入門・9

医業損益の分析

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.1050 - P.1051

 病院勘定科目の構成については,すでに周知のことと考えるので,説明は省略する.
 病院の経営状況を表す損益計算書の分析がこの項の内容である.

医療の周辺 法律学と医療・3

病院の設置・管理と法

著者: 下山瑛二

ページ範囲:P.1052 - P.1053

 1.前回号で「地域保健医療」の問題に触れた.このような地域保健医療の体系を組み立てるのに当たっては,病院というものが重要な役割を演ずることは言うまでもない.しかし,現在の病院の地位づけは必ずしも明確でなく,また,地域保健医療の構想の中で提示されている病院システムのごときものも,現在の病院状況の中へ,どのようにして組み込まれ得るのかは,はっきりしていない.
 医療関係者ならだれでも知っておられることと思うが,アメリカの病院総数約7,100のうち私立病院(病床約20以上)が885であり,西ドイツでは総数約3,400のうち私立病院は約29%であり,イギリスにおいては,ナショナル・ヘルス・サービス(NHS)の関係で総数約2,650のうち私立病院はない.これに比し,我が国の場合には,総数約8,500のうち私立病院が約6,100,実に72%弱に及んでいる(昭和53年度).これらの事情は,歴史的にみれば,我が国の近代化過程と密接にからんでおり,私立病院の果たしてきた役割というものも決して軽視することはできない.しかし,このような発展過程は,同時に現在の保健医療体制に一定のヒズミをもたらしてきていることも無視し得ない.新聞の報ずるところによれば,過疎地の無医村克服のためには,当然に公的性格の病院に依存せざるを得なくなる.

病院職員のための医学知識

中性子治療

著者: 橋本省三

ページ範囲:P.1054 - P.1055

中性子を照射する治療は今までの方法と,どのように違うのでしょうか.
 今までの放射線治療は,X線表在・深部治療,高エネルギーX線と電子線(直線加速器やベータトロンによる),ガンマ線を照射するテレコバルトなどで,日本全国では医療機関の0.9%に設置され,約700台の装置が活躍しています.
 これらの放射線は低LET (linearenergy transfer)放射線と言って,物質の中を通り抜けるときに生ずるエネルギーが少ないものであると定義されています.したがって癌を照射するときには十分な線量を照射しないと癌細胞が死にません.つまり生物学的効果比率(relative biologi-cal effectiveness, RBE)が低い放射線です.そして十分な酸素が供給されている癌細胞だと効きがよいけれども,大きい腫瘍の中心にあるような酸素が少ない環境で生きのびている癌細胞には効きが悪い,すなわち酸素効果(oxygen enhancementratio, OER)が大きい放射線であるということがその特徴であります.したがって照射の効果のあるものは放射線感受性の高い,小さい,血流の多いような癌に限られるという,ある限界をもっています.

統計のページ

病院経営の実態・6

著者: 森福省一

ページ範囲:P.1056 - P.1057

病院職員の業務量など(つづき)
2)薬剤部門職員1人1日当たり調剤件数
 表18に,標記の件数による病院分布と平均調剤件数を示した.
 全病院の薬剤部門職員1人1日当たり調剤件数は61件となっている.一般病院は,全病院の平均と同様で61件であるが,精神病院は52件とやや少なく,結核病院は60件で,全病院平均とほぼ同様である.

病院管理の工夫

MSWの地域医療活動への取り組み

著者: 宮下ひろみ

ページ範囲:P.1058 - P.1059

 4年間の教育を終え,内科病院の医療ソーシャルワーカーとして,その第一歩を踏み出そうとしたとき,職場に対する大きな希望と期待を抱いた反面,言いようもない不安に駆り立てられたことを覚えている.それは,職場にスーパーバイザーがいない実情や,"身分法"制定が定まっていない状況で,どのような方法をもってすれば,MSWの業務内容を明確にし得るのか,また封建的と言われる医療の場で,他のスタッフがどれだけ我々の職務を理解しているのか,という思いや,更には,大学教育における医療社会事業に関するカリキュラムの不完全さ(それは,決してMSWを養成するものではなかった)などがその背景にあったように思う.

心と身体の調和を目指して—心身症外来とMSW

著者: 高田玲子

ページ範囲:P.1060 - P.1061

 "先生,最近はどうも意欲がわかなくて,思考力が低下し,以前の自分のような感じでなくて,毎日出勤するのがおっくうで"という会社員や,"毎朝登校しようと支度をするんですが,いざ家を出ようとすると吐き気がしたり,お腹がいたくて学校に行くのが心配で,結局学校へ行けないんです"という女子高校生,"色々医療機関でみてもらったんですが,いっこうによくならなくて,首や肩に痛みがとれなくて仕事にならないんです"と訴える休職中の公務員などが当相談室に増えている.これらの症状を持つ一連の人々は,各外来や入院患者に数多くみられ,その対応として昭和53年より院内の精神科医と神経内科医が中心となり「心身症外来」を開くに至り,メディカルソーシャルワーカー(以下MSWと略す)も医師の指導と協力のもとにこの外来に参加することになった.これらの人々は,我々の外来に出会うまでに色々な科—上記の例で言えば精神科や消化器内科,神経内科など—を受診し,諸検査の結果,器質的に問題がないにもかかわらず不定愁訴を繰り返している一群である.
 この外来は,従来の器質的疾患を主流としていた当院の医療を横断的にとらえ,ニードのある患者はどこからでも依頼されるようにした.

事務長訪問

白十字会東京白十字病院 武内昶篤事務長

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.1062 - P.1062

 「降って湧いたような話で,まさか自分が事務長になろうとは思ってもみませんでした.ですから,事務長とは何ぞや,ときかれてもよく分からないし,事務長がやれるのかと言われても困ってしまう.私は"はぐれワーカー"ですから…….」
 東京白十字病院武内昶篤事務長は,病院医療に大きな転換が迫られていると言われるこの多難な時期に,前事務長が白十字会本部へ昇格転出されたに伴い,本年9月に事務長職に就かれた.

随想

私の医学とゴムひも

著者: 見元良平

ページ範囲:P.1063 - P.1063

 健康とは,病気とは,医学とはなど何ひとつ分からず,医学は神の創造に仕える芸術だと教えられ思い込んで,他になんの才能もないままに,医師になってしまった.
 大学を終わると間もなく軍隊に召集され,満州より南支に至る軍旅の年月,戦闘,捕虜収容所などの体験は,私の医学の基礎を形成するとともに進歩をもたらしてくれた.零下30度の酷寒と35度を超す炎暑,氷雪と長雨,乾燥と湿潤など異なり変化する気候風土に対する人体の反応,戦闘中の緊張の続く日々の人人,行軍に疲れ果て小さい紙片さえも取り去り棄てる行動,捕虜収容所の飢餓状況下の心身の状況など,動物実験では何も教えてくれないものを知ることができた.軍隊生活のおかげで,机上や紙上でなくプライマリケア,健康であるということはどんなことであるかということを感じ取り,マラリヤ,アメーバ赤痢罹患などで更に教えられたのである.

新 病院建築・48

両津市保健医療センターの設計

著者: 岡田新一

ページ範囲:P.1065 - P.1071

はじめに
 両津市保健医療センターの中核である両津市民病院は,前身を両津病院と称し,個人病院を佐渡厚生連が引き受け,昭和27年診療所として発足し,昭和29年に40床の病院として再発足したものである.その後昭和30年の大火で焼失したが,昭和32年に86床(一般42床,結核44床)の市立両津病院として再建され,昭和36年には106床(一般78床,結核28床)に増床し,佐渡東部地域唯一の病院として重要な役割を果たしてきた.
 しかし,最近のめざましい医療の進歩に対し,施設の老朽化が激しく,また設備的にも不十分で,市民に対し良好な近代医療を提供することが困難になりつつあった.ここにおいて,市当局は昭和51年3月病院改築について病院運営委員会へ諮問し,昭和52年9月に答申を受け,市議会に特別委員会を設置し市立病院の全面改築を行うことを決定した.

リハビリテーション・その現状 対談

リハビリテーション・ユニットの運営

著者: 三島博信 ,   大田仁史

ページ範囲:P.1072 - P.1079

 大田 私が三島先生に初めてお会いしたのは,昭和41年ころで,東京の高円寺にある伊藤病院にいたときです.伊藤病院は,民間病院ですが,救急の整形外科病院としてリハビリテーションまでやろうという理念でオープンした病院で,当時,経営的に果たしてやっていけるかどうかという大きな問題をかかえていたわけです.
 そのころ,私は医学的なことしか考えておりませんでしたが,北海道の洞爺協会病院へ三島先生をお訪ねしうかがったお話が,今になると一つ一つ心にしみてきています.その後,東京医科歯科大,伊豆逓信病院とそれぞれ特徴のある病院を経験してきました.一般のリハビリテーション医療に長く携わっていますと,またいろいろ反省したり,こうあって欲しいという願望もわいてまいります.

病院精神医療の展開

イギリスの精神病院再訪

著者: 金子嗣郎

ページ範囲:P.1080 - P.1083

 1981年6月末から7月初めにスウェーデンの首都ストックホルムで開催された第3回Biological Psychiatry学会に出席,新しい睡眠誘導剤について発表した後,オスロ,ベルゲンを経由してイギリスに渡った.
 イギリス訪問は,1972,1974,1977年に次いで4回目である.1974年のイギリス滞在はかなり長く,そのときイギリス精神医療サービス,精神病院の実態について学び知ったことは,本誌の1976年1〜12月まで「イギリス精神医療の旅」として連載した.1977年訪問の後も「イギリス再訪」ということで報告したいと思ったが機会がなく,今回,イギリスでいくつかの懐かしい病院を訪れ,懐かしい人々とも会えたので,それらの病院の活動について今回得たインフォーメンションを中心に書いてみたいと思う.

ニュース

「信頼される医療」などを討議—第20回全国自治体病院学会

著者: 編集室

ページ範囲:P.1083 - P.1083

 第20回全国自治体病院学会(学会長・中畠健新潟県立吉田病院院長)が,去る10月22,23日の両日,新潟市の新潟県民会館他で開催された.今回は,「患者はこんな病院職員を望んでいる」及び「親しまれ信頼される医療を求めて」の2題のシンポジウム,3題の特別講演のほか,7分科会でシンポジウム,講演,一般演題の発表などが行われた.また本学会初の試みとして,病院紹介「大和町における地域包括医療の試み」及び「公衆衛生活動と遠隔診診」と題して,二つの病院から実践報告がされた.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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