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雑誌目次

雑誌文献

病院41巻5号

1982年05月発行

雑誌目次

特集 看護管理者教育の現状と課題

看護管理者教育の必要性

著者: 青木康子

ページ範囲:P.385 - P.388

はじめに■
 4月,どこの職場にも,ういういしい新人が配属される.挨拶まわりにオリエンテーション,不安と期待に胸をときめかせている新人達の顔,顔,顔.その昔,同じ思いを一度は経験している管理者との出会いでもある.看護界においても,真新しいユニフォームを身につけた新米看護婦の姿が,病院内のあちこちで見受けられ,その行動を追って,婦長,主任の目が忙がしく動く.職員の育成と指導は管理者の役割の一つである.その出発点が新人との出会いであり,勢い管理者の目も忙がしくなる道理である.

日本看護協会における看護管理者教育の現状と課題

著者: 松林恵子

ページ範囲:P.389 - P.392

はじめに■
 日本看護協会は,創立以来会員教育を重点事業とし,指導者層の育成には特に力を入れてきた.毎年中央で行っている教育のなかでも看護管理者教育の占める比重は大きいが,その対象となる会員数からみると年間に受講できる人はわずか0.4%である.もっと回数を増してほしいという会員の要望は強いが,残念ながらまだそれに応えることができない現状である.
 したがって,現場で看護チームの要としての重要な役割を担っている看護管理者の大部分が管理者としての教育を受ける機会もなく,不安を感じながら責任を負っているという状況だろう.そのことは次のような研修修了者の感想からも伺える.

アメリカにおける看護管理者教育

著者: 今井敬子

ページ範囲:P.393 - P.394

 看護管理者,いわゆる看護サービスにおける看護管理者の教育は,主として大学院課程で行われているが,現在,病院で看護管理を行っているナースが必ずしも大学院教育を受けた者とは限らない.それは,on the job trai-ningで経験を積むことにより管理者となった年輩のナースも多数いるからである.正規の看護管理者教育を受けずに看護管理を行う立場に立たされたナース看護管理者の直面する問題は複雑である.大学院における看護管理者教育の必修課目,例えばペンシルバニア大学のそれをみてみると次のようである.1)看護における最近の論争と問題,2)グループダイナミック入門,3)研修方法とデザイン,4)管理セミナーと実習,その一,5)管理セミナーと実習,その二,6)財政マネジメント,7)管理,8)人事管理,9)人材マネジメント等,その他最低3課目の選択課目を他学部よりとる.米国では医師及び医師でない病院管理者の教育が経済学部で盛んに行われている.同じペンシルバニア大学でもWharton Schoolでは,病院管理者の修士課程の課目は次のようである.

イギリスにおける看護管理者教育

著者: 季羽倭文子

ページ範囲:P.395 - P.398

はじめに■
 イギリスにおける看護管理者の教育は,システムの上でも,内容的にも,かなり充実しているが,その背景には,いくつかの要因があるように思われる.そのひとつは,イギリス人が現在でも社会階級(social class)を重視する考え方を持っていることに関連しているのではないかと思われる.すなわち看護管理者としてのポストにつくことは,スタッフとは異なる視線が注がれることを意味している.労働者階層(working class)ではない看護管理職は,1スタッフよりは上のsocial classに位置づけられるので,自他ともにポストにふさわしい役割期待を意識せざるを得ないのである.
 次に,イギリスの医療制度(National Health Service)の特色も,看護管理者教育を強化することに影響していることを,考えておきたい.図1のように,日本の主任看護婦に相当するレベルから,一定の地域全体を管理する看護管理者(DNO)まで,5段階のランクがある.ランクが上がるごとに責任が増すという考えのもとに,サラリーも,責任とともに上がっていくのである.しかも看護管理者の任命は,年功序列ではなく,上級看護管理職ほど,公募して選択しなければならないことになっている.公募では,一定の資格が求められるので,どのような教育的準備とキャリアを持っているかが問題にされる.

これからの看護管理者には何が必要か

著者: 早川かつ

ページ範囲:P.399 - P.402

はじめに■
 看護管理とは,「看護の対象への看護サービスを間接的にささえる一連の仕事を行う過程である」と波多野梗子先生1)は述べておられる.また昭和36年のWHOの看護管理ゼミナールでの定義2)によると,それは極めて広い範囲のものを含んでおり,それまで狭い意味で看護管理と呼ばれてきた病院の中での看護管理だけではなく,国のレベル,都道府県のレベル,更に保健婦活動や看護教育もこのなかに含まれることになっている.したがって管理の仕事を受け持つ人にはそれらのレベルによって,それぞれの担当者がいるわけである.病院で一般に管理者と呼ばれる人々には,看護部門内の総責任者である総婦長,病棟の管理を行っている婦長あるいは病棟婦長,もっと一人ひとりの看護婦と結びついている主任看護婦がある,これらの看護管理者はその種類によって,持っている仕事の内容と責任の程度は異なることはいうまでもないが,この場合共通なことは,看護サービスの目的を達成するための仕事のすすめ方として管理的機能が用いられるということである.よい仕事をするためには,その仕事に従事する人々の質がよくなければならないし,また仕事というものはただすればよいというのではなくて,合理的効果的に成果を挙げなくてはならない.

看護大学大学院における管理教育

著者: 荒井蝶子

ページ範囲:P.403 - P.406

大学院における看護管理教育の始まりとその大要■
 昭和54年に千葉大学看護学部に,そして翌55年に聖路加看護大学に,修士課程の大学院が発足した.それぞれ2年間の学習過程であるが,その教科内容にはかなりの差異があり,それぞれ特徴のある大学院の理念のもとに,千葉では第1回生が昭和56年3月に,そして聖路加では,本年3月に第1回生を送り出したのである.
 カリキュラム全体との関連や,コース単元の違いなど,全く別々の設定条件の中で,看護管理の学習は,昭和55年10月から両方の大学院において並行した形で始まったのである.

座談会

看護管理者教育の現状と課題

著者: 大川喜代子 ,   清水嘉与子 ,   辛島佐代子 ,   黒田幸男 ,   大倉透 ,   三宅史郎

ページ範囲:P.408 - P.415

量の問題から質の問題へ
 三宅(司会) 戦後,看護婦問題,あるいは看護対策問題というと,昭和30年代から病床数の伸びが速かったために看護婦の量的な問題が顕在化していたわけですが,最近はすでに看護婦さんの質的な問題ということも言われるようになっております.
 皆さん方の病院でごらんになると分かりますが,病院の中でいちばん多い職員というのは看護婦さんで,総婦長さんを筆頭に婦長さん,主任さんという方がいらっしゃるのですけれども,そういう方たちがどういう教育を受けてきたか,あるいはどういうふうに婦長さんや総婦長さんになったかということも問題となってきていると思います.1979年,日本病院会で,看護管理者教育の必要性に関する研究というレポートが出されましたが,全国の200床以上の病院の婦長さんへのアンケートで,婦長になる前に看護管理者のための講習を受けた人は2.1%しかいないんです.婦長になってからも受講は18.8%.現場の実践部隊の婦長さんが看護管理者のための教育を受けていないということを見てびっくりしたわけでございます.

アンケート

看護管理の現場から—病院看護部長アンケート

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.416 - P.418

 編集室では,看護管理の最高責任者の立場にある看護部長(名称は,病院によって総婦長,公立では看護課長とも呼ばれる)の方々に,下記のような簡単なアンケートを行った.目的は,病院現場において,今一番問題となっていること,必要性を感じていることについて,看護管理者の生まの声をお聞きすることにあった.したがって掲載に当たっては匿名とすることを予めご通知した.
 アンケートの対象は,地域別,経営主体別に全国37病院を選んだが,問題の性格上,看護部員数の多い比較的大きな病院を対象とした.その結果,回答を寄せられたのは18病院(49.6%)で,その地域,経営主体,病床数,看護部人員数の概要は左の表のごとくである.

両刃の剣 川崎医科大学学長 柴田進氏

著者: 山下貢司

ページ範囲:P.377 - P.377

 机に向かって執筆中の先生には全くスキがない.声をかけるのもいささか躊躇せざるを得ない.『おっ,先生,どうした』と緊張転じて慈眼と共に話が始まる.今なお時と場合によってはかつての厳しさを髣髴とさせるものがある.先生には二つの面がある.修身の典型ともみられる真摯と正直,これを取り去れば学問の厳しさのみが残る面と,本業を離れると温情あふれる庶民的な面である.
 そもそも,私の先生との出会いは山口県立医大勤務の25年前にさかのぼる.私は病理の助手であり,先生は臨床病理の主任教授で,血液化学スペクトルの応用のもと,病態の分析を極めて客観的に行われ,若い医師たちの敬意の的であった.講義等も精力的で,簡単明瞭にして理路整然,説得力に富んだ話し口を,当時の私たちは柴田節と称し魅了されていたものである.その後大学の国立移管に際し,臨床病理学教室の存続に関して迂余曲折があり,互いに良き理解者であり互いに高い評価も惜しまなかった現在の川崎理事長のもとに移られ,共に御苦労の末,理想の医学教育を実現する大学を創設された.これが本学と聞いている.8年前私は再び,先生と共にここで学ぶようになったわけである.

グラフ

完全オープンシステムの医師会病院—徳山医師会病院を訪ねて

ページ範囲:P.378 - P.383

 この医師会病院は本誌で一度紹介したことがある(Vol.31, No,9).あれからちょうど10年,新館落成を機に再度訪ねてみた.
 朝の開院後間もない時刻,院内は外来診療を行っていないので,患者の混雑はみられない.が,すでにコンピュータの端末機の並んだ医事課や検査センターなどでは大勢の職員が忙し気である.ところが廊下にも病棟にも医師の姿を見かけない.胃カメラ室と超音波診断室にやっと検査に余念のない医師の姿を見出した.しかしこれらの比較的若い医師たちは,山口大などから派遣されて来たコンサルタントドクターで,この病院の医師たちではない.

病院精神医療の展開

精神衛生センターと精神病院

著者: 保科泰弘 ,   鈴木昭 ,   山川かほる

ページ範囲:P.420 - P.424

■精神衛生センターの誕生,発足の時代的背景
 西洋文明の導入,同化,いわゆる文明開化の歩み,迷信の打破,科学的合理主義の台頭,そして健康思想から公衆衛生思想へと発展してきた歴史の中で,その折々の節目に数多くの業績成果が見られてきたが,最近の出来事としては結核対策のみごとな結実が挙げられよう.公衆衛生関係者,保健所,各市町村,それぞれの意欲的な取組みと努力が地域住民の偏見,拒絶の壁を乗り越えて,癆痎時代の絶望自棄の淵から明るい療養への希望と回復への自信を高め,社会的認知を得て巨大な成果の結実を見たのである.
 精神衛生関係者はその成果に敬意を表するとともに,巨大なエネルギー(予算,人的資源そして関連機関,相互の連携など)を投入することの大切さを痛感し,次は精神障害者対策,精神衛生活動の出番かと大きな夢を抱いたものである.不運なことに,各地に頻発した公害対策の時機と重なり,結核対策への巨大なエネルギーは,各方面に分散されざるを得なかった.

設備機器総点検

ウォール・ケア・ユニット

著者: 小林道子

ページ範囲:P.425 - P.425

 55年末に完成した当院の建設に当たり絶えず確認し合ってきた基本理念の土台になったのは,"患者の居住性を考える"ことであった.その一つにウォール・ケア・ユニットの導入がある.
 ウォール・ケア・ユニットは各ベッドの床頭側の天井から床まで,ベッドを中心に片側のL型ユニットと他方のR型ユニットとを合わせたもので,従来の床頭台のイメージを一新し病室全体がゴージャスな雰囲気となった.このユニットは市販のものを当院用にアレンジしたものである.

講座 病院経営分析入門・14

生産性の分析(3)

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.426 - P.427

付加価値
 生産者の作り出した商品の純価値を調べるには,その販売価額の中から,生産に当たってほかの産業から買入れた資材なりサービスなりの価額を控除しなければならない.
 例えば投薬料収益が得られたとしても,そのもとになった購入薬品の価額や,調剤で費やした光熱水料や各種の消耗品費を控除しなくてはならない.またこのような原材料費のほかに,調剤部門の建物器械器具の費用つまり減価償却費も除く必要がある.つまり投薬料収益を挙げるに当たっては,薬屋やほかの業者の物なりサービスなりの生産物を使用し消費しているのであるから,この分の価額は病院の収益から差引かなければならないわけである.

バイオエシックスと医療

5.バイオエシックスの考え方(その2)— 1)情報の共有

著者: 木村利人

ページ範囲:P.428 - P.429

 バイオエシックスは「生命」,「医療」に関する事柄について,当事者と関係者の「人権」を尊重する立場から,ある一定のプロセスや安全確保のためのシステムづくりに貢献してきました.この場合,生物・医科学研究や臨床の現場,更に直接に利害関係を持つコミュニティ(諸施設の建造などに関連して)の中で,研究の対象となる人,患者,地域住民などと専門家との間に,どれだけ正しい情報が共有されているかが重要なポイントです(Informed Consentの論理の展開がPublic InformedConsentという形で,医療の分野からDNA産業などの先端科学技術研究と地域住民の対応へと援用されていった.これについてはSouthernCalifornia Law Review, Vol.51,No.6, 1978参照).
 医療における患者と医師の関係のコンテキストで言えば,診断についての医学的情報が正しく当事者(近親者を含む場合もある)に伝えられ,理解されなければなりません(本誌41巻1号「バイオエシックスと医療」参照).それは,当然のこととして「医療の論理」とは全く異なった構造を持つ患者の「価値観」や「倫理意識」についての情報が医療従事者と共有されているかどうかが,「医療行為」それ自体にもある意味で大きな影響を与えるからです.

病院職員のための医学知識

NMR・CTとはどんなもの

著者: 舘野之男

ページ範囲:P.430 - P.431

NMR・CTとはどのような原理に基づくどのような機械ですか
 NMR・CTはCTという名がついていますが,今盛んに使われているX線CTとは原理的に全く違ったものですし,また,これからの映像技術として注目を集めているポジトロンCTやシングルポトン・エミッションCTとも全然違ったものです.
 NMRというのは今までの医療界では全くなじみのないものであったので,ここでその原理についてやや詳しく説明しましょう.

統計のページ

医療施設統計・3

著者: 福島匡昭 ,   藤崎清道

ページ範囲:P.432 - P.433

医療施設の利用状況
 全国の病院・診療所で1日に取り扱う外来,入院を併せた患者数を人口10万対で示したのが受療率である.その経年的傾向を図14に示したが,昭和30年代から40年代前半にかけては健康保険制度の普及と向上とに伴って受療率が急速に高くなってきている.その後の受療率は石油ショックなど社会的変動の影響を受けつつも全体としては微増の傾向をたどっている.昭和30年当時と比べると現在の受療率は2倍以上となっており,国民の医療施設利用頻度がこの間に2倍以上となったことを示している.1日の取扱い患者のうち外来患者がその85.8%を占めており,入院は14.2%である.
 病院における入院の状況は表6に示すとおりである.1日平均在院患者数は,昭和30年の約40万人から昭和55年には107万人へと2.5倍に増加してきている.これを病院の種類別に見ると,精神病院と一般病院での在院患者数の増加が著しいが,これは精神病床と一般病床を利用する患者数が増加し,伝染病床,結核病床,らい病床を利用する患者数が減少しているためであり,国民の疾病状況の変化を反映している.

病院管理の工夫

透析時間を利用した授業

著者: 吉住昭

ページ範囲:P.434 - P.435

 昭和53年末の集計で,654名の小児が透析を受け,学習の空白が推察されている.そこから抜け出せたのは,腎移植に成功した144名だけではあるまいか.
 私たちは透析時間を利用して授業を行い,学習の空白を埋める努力を重ねている.

北病院の運営管理

著者: 山本良夫

ページ範囲:P.436 - P.437

住民運動で生まれた病院—住民立病院—
 当院は昭和49年11月,東京北区の東十条という過密な都市の中に,地域住民と労働者,医療従事者の健康を守り,よい医療を目指す統一運動の力で設立され,8年目に入っている.当時は政府の高度経済成長政策,新全国総合開発計画などにより,労働と生活がきびしくなり,生活環境の破壊もその極に達して,公害病,労災職業病,ストレスによる成人病(糖尿病,脳卒中,心臓病)・がん・精神障害などが急増している時期であり,また,救急のたらい回し事件なども連日のように報道されていた.一方,北区の住民は工場の悪臭をなくす運動,建築公害,新幹線公害反対運動,老人医療費無料化と検診の充実,乳幼児医療費無料化や医療を良くする会の活動などを展開し,健康を守り,病気を未然に防止することの意義を深く理解する運動の歴史を積み重ねてきていた.
 19年間にわたり,住民と共にこのような諸運動の先頭に立って闘ってきた住田幸治院長は,広く区民に対し,日進月歩の医学の成果を反映し,疾病構造の変化に対応し,なによりも患者の立場に立つ水準の高い総合的・人間的医療を実践する区民の医療センターとしての総合病院設立運動の呼びかけを行った.土地も金もなく,ただ構想だけがみんなの智恵の結晶としてある"幻の病院"は,院長の呼びかけに応え,支持する人々の連鎖的運動の広がりにより,日々現実的なものとなっていった.

事務長訪問

東京都・佐々病院 千葉諭事務長

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.438 - P.438

 「民間の50〜150床規模の病院の事務長というのは公的あるいは大病院の事務長に比べて身分の確立がなく,待遇が悪い.何でも屋として使われる反面,一つ失敗すると辞表を書かなければならないところにいつも立たされている.去年の医療費改定以来,経営が苦しくなって,最近,随分長い間働いていた事務長が辞めたという話をよく聞きますよ.ただし,ここでいう事務長とは,いわゆる院長と姻戚関係のないフリーな事務長のことで,フリーな事務長は10年以上勤続が3%と言われるとおり,病院が使い捨てするんですね」と人材がいないと言われるけれど,病院の側に能力を期待するだけで,育てようという雰囲気がないことを憂う千葉さんは,佐々病院勤続20年という稀少な存在で,かつ,私立病院事務長協会の世話役を7年も務めてきた.
 「長い間頑張っている事務長は精神的にも肉体的にもとてもタフです」とのことだが,千葉さんもその点には大分自信があるらしい.しかし,佐々病院に入ったのは,大学を出て結核に罹り3年ばかり療養した後,楽だと思って選んだというが,さて,入ってみると,病院とは大変な職場で,普通の5割増しの仕事をしなければならなかった.37年に勤めて,45年に事務長になるまでの8年間,「事務の仕事はもちろんボイラー,電気,衛生管理,防火管理はライセンスを取りながらやった.

随想

医療に生きる喜び

著者: 岡山清

ページ範囲:P.439 - P.439

 先日テレビの寸劇で,我々の商売は,お金を払ってもらえば「有り難うございます.」とお礼を述べるが,お医者にはお金を払って「有り難うございます.」とこちらからお礼を言う.こんな有り難い商売はない.自分も医者になっていればよかった,というくだりがあった.年齢(よわい)六十を過ぎてみてやっと自分はドクターになってよかったと泌泌(しみじみ)思うこのごろである.毎日だれからか,「お世話になりました.ほんとに助かりました.」あるいは「あのときはほんとうにお世話様になりまして,おかげ様で元気にしております.」とお礼を言われて,はてだれだったかなと,すっかり顔を忘れていることがしばしばであるが,こんなにまで感謝されて自分は「幸せだなあ」と感じ,ドクターであることの幸せに感謝するのは年のせいであろうか.その幸せだと感ずる心がますます病に悩める人を一人でも多く助けてあげたいと駑馬(どば)に鞭打って勉強に励むわけであるが,硬化した頭には新しい知識がなかなか入らないし,入っても直ぐ右から左へと抜けて行ってしまう.しかし勘だけは,若いときに比べると物すごく鋭くなり,理学的診断と検査の裏付けが,よく一致するようになった.したがって他医から紹介された患者でも,ほとんど予後がよくて,お返しすることができるようになった.

新 病院建築・53

倉敷中央病院の設計

著者: 辻野純徳

ページ範囲:P.441 - P.450

病院の沿革
 倉敷中央病院は1923年(大正12年)6月2日,その主要部の完成をもって開院(83床),同年8月第8病舎(隔離),翌13年に4,5,6,7病舎を完成して220床の総合病院となり,15年には研究室(製剤・化学・病理・細菌・生理・図書)の完成で延10,187m2(46.3m2/床)の偉容を備えて,その当初計画を完了した.
 本院設立の背景には設立者大原孫三郎と岡山孤児院長石井十次との親交があり,それにより高められた人道主義の証でもあった.「余がこの資産を与えられたのは余の為にあらず,世界の為である.余はその世界に与えられた金を以て,神の御心に依り働く者である」と1902年の日記に記した大原は,倉紡社長に就任(1906)するやすぐ,それまでの飯場的な工場寄宿舎を改め家族的な分散寄宿舎とし,1914年には大原奨農会農業研究所(現岡山大学農業生物研究所)を小作人への地主の責務として設立した.石井十次没後,その事業を承け継いだ大原は,1917年その一つ当時カンテキ裏と呼ばれた大阪愛染橋附近の貧困者救済事業を石井記念愛染園と改め従来の夜学校(教育),託児所(就働のため—現愛染橋保育所)の活動に,診療所(現・付属愛染橋病院)を加えた.

老人医療と福祉の課題

老人保健医療と福祉のシステム化

著者: 磯典理

ページ範囲:P.451 - P.455

老人保健医療及び福祉の現状と方向■
 我が国における今後10年,20年における人口老齢化の速度は,先進国においてさえ経験したことのないほど急速なものであることが予想される.加えて1975年以降,経済成長の鈍化に伴って国の財政状況が悪くなり,福祉の分野に対して,ニードに応じて資源配分を増やすことが難しくなってきた.そこで乏しい資源配分をより有効に働かせるためにも総合化と効率化が強く叫ばれている.更に世界的な動向として人間の健康を直接医療だけに結び付けず,生活,住居,家族関係,地域社会等を踏まえて保健医療福祉の活動をシステム化しようという方向になってきている.
 病弱老人や寝たきり老人を考える場合,純粋な医療技術適用の分野と生活機能に対する介護ケアが常に混合重層して,いずれを主,いずれを従とするかの基準はないが,我が国では医療に関する保障が先行する型で進んできた.その結果,昭和55年度で総医療費が12兆円と第一次産業の生産高と同じにまで伸びて国の予算を圧迫するようになってきた.

リハビリテーション院内から地域へ

地域療育活動とMSWの役割

著者: 平光八郎

ページ範囲:P.456 - P.459

 病院における医療ソーシャルワーカー(以下「MSW」という)は,一般的に,医療スタッフの中での社会福祉的役割と機能を担った職種として理解されているが,いまだに身分法もなく,実態としても曖昧であることは否定できない.肢体不自由児施設においては,これが児童福祉法による「児童福祉施設」であると同時に,医療法による「病院」の全面適用施設であることからも,後者による医療スタッフの他,前者による福祉スタッフとしての「児童指導員及び保母」を位置づけている.そして,その任務と機能は「児童が日常の起居の間に,当該肢体不自由児施設を退所した後,できる限り社会に適応するようにこれを行わなければならない」(児童福祉施設最低基準第93条)として,収容児童に対する集団的及び個別的な生活指導=ケースワークを規定している.
 このように肢体不自由児施設におけるMSWは,その発足当初から児童指導員及び保母のスタッフが担ってきたところであるが,近年,これらのスタッフから更にMSWとして独立分化してきている傾向も事実である.

中小規模病院の運営

医療関係職(パラメディカル・スタッフ)の働きと中小病院

著者: 岡田玲一郎

ページ範囲:P.460 - P.462

 主題の原稿の依頼を受けて,筆者は気の重いものを感じた.それは,例えばH県にみるように,いわゆる「レントゲン学校」のない地域の民間病院を主とした中小病院にあっては,現実にはナースにレントゲン撮影をさせたり,無資格者をしてレントゲン撮影させている多くの例をみるからである.更に,PT (理学療法士)の不足は全国的であり,O県においては初任給が50万円であったり,K県においては30万円であるなどという現実を知るからである.
 一方,栄養士や薬剤師は,ほとんどの地域で過剰であり,その賃金も対看護婦を対象とすれば低落の一途をとっている.したがって,一概にパラメディカル・スタッフと言っても,その職種によって病院内で占めるウェイトがかなり異なってくるということである.現実的に言って,薬剤師や栄養士が退職するのに際しては,さして慰留しない病院にあっても,レントゲン技師やPTが退職を申し出た場合には,その充足に困難を来すので強く慰留する場合が多いのである.殊に,昨年6月の診療報酬の改定以来,PTの需要は高まるばかりで,いまや完全に売手市場と言ってよいであろう.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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