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雑誌目次

雑誌文献

病院41巻8号

1982年08月発行

雑誌目次

グラフ

全人的ケアが求められて—大阪市立弘済院附属病院

ページ範囲:P.653 - P.658

 弘済院の門を入り,少し坂を登ると左手に老人ホーム,右手に病院がある.病院玄関には事務の窓口と売店が並び,右手奥が外来部門.外来廊下には杖を持った老八や歩行川手押し車を押す人,袋を提げエプロンをかけた老人たちが待っている.ここで受診を待つ老人は一部を附いてはとんどホーム在住者である.一時期,ニュータウンの人々に病院を開放したこともあったが,現在は生活保護法による医療保護施設としての施設内診療を行っている.外来一日平均患者数338人.診療科は内科,外科,整形外科,眼科,小児科,歯科等11科.弘済院自体への入所は市の福祉事務所を通して行われているが,最近は民間老人ホームの増設の故か待機者は少なくなって来ている.
 病院地下1階は検査,手術,給食部門.検査,手術ともほとんどは院内で行われ,特殊なものは市民病院,国立循環器病センター,新千里病院と協力して,今のところ問題はない.

救急医療に全エネルギーを投入 京都第二赤十字病院院長 宇山理雄氏

著者: 谷道之

ページ範囲:P.660 - P.660

 昭和16年京都府立医科大学卒業,直ちに横田外科教室で研究に専念し,昭和26年8月京都第二赤十字病院に奉職,以後30有余年にわたる先生のすばらしい活躍が始まるのである.
 一口に言って,先生は救急医療に,その全エネルギーを投入して来られたと言ってよい.救急医療は,医療の原点であるにかかわらず,我が国では,医学教育においてすら疎外されてきたという悪条件の中で,現実に則して,第一線での取り組みはもとより,これを支えるシステム作りに情熱を燃やしてこられた.しかし,その道筋は大変なものであったようである.古玉前院長が,昭和31年に救急分院を創設するに当たって,当時外科医長であった先生は,この分院が京都市の中心地に設立されるとはいえ,本院から離れており,その運営の困難さを唱えて,その創設に強く反対されたのであるが,結局はこの救急分院長を引き受けざるを得なくなり,以後,救急医療にとりつかれる運命となった.

特別座談会

こうして作った"患者のため"の病院—一武蔵野赤十字病院新築に当たっての院内体制

著者: 丹羽直久 ,   緒方廣市 ,   国岡照子 ,   丹羽庸夫 ,   栗田理江 ,   川島喜代志 ,   畑尾正彦 ,   日下隼人 ,   川北祐幸

ページ範囲:P.661 - P.669

 川北 こちらの病院では新しい病院を建築されるに当たって非常に立派な委員会をたくさん作られて準備万端の上,病院建築に入られたと伺っております.そこで今日はその実際の内容をお聞きして,今後,病院建築をなさる方々の参考になればと考えております.
 最初に院長先生,非常にきめ細かにたくさんの委員会をお作りになられた最初の発想はどんなところにあったのか忌憚のないお話をお願いします.

小特集 第一線病院の手術室の運営

看護婦の立場からみた手術室の運営

著者: 吉田史江

ページ範囲:P.670 - P.672

 第一線病院としての使命は家庭医としての役割から高度な医療に至るまで幅広いものである.しかも大病院のように専門分化されていない中で,これらの地域住民のニードに対応していかなければならない.中でも手術室の運営については緊急性と多様性を要求される.しかしその実際においては人的条件の厳しさなどから困難な点も少なくない.今後,更に検討の必要性もあるが開院1年半の手術室運営の現状を報告する.

手術室の原価と手術料の問題

著者: 池田貞雄

ページ範囲:P.673 - P.675

 社会保険診療報酬点数の中で,特に手術料が,実際にかかった費用よりもはるかに安く決められていることは,筆者が外科医を目指して入局したとき(昭和32年),既に諸先輩の口から聞かれていた.そして手術を活発にする病院ほど赤字は増大すると言われてきた.
 昭和57年2月11日,外科系学会社会保険委員会連合が,手術料決定の参考資料として,「手術報酬に関する外保連試案」を発表した.今回のこの外保連の発表は,外科系臨床医の立場と要望を明確にし,欲求不満をある程度解消させたものと思われるが,現実の第一線医療の中で,外科手術報酬の原価として妥当であるかどうか,筆者の病院での実例と比較してみた.なお,外保連試案は昭和52年度のものであり,南大和病院のものは昭和56年度のものである.

手術室の機器の整備—離島へき地診療所での救急医療への対処

著者: 瀬戸上健二郎

ページ範囲:P.676 - P.678

 離島へき地の医療を考えてみると,今までは医療の確保(医師の確保)が最大の課題であった.そのため医療の質の面はなおざりにされ,特に救急医療は多くの離島へき地で今でも未解決のままになっている.
 医師は確保できても救急医療ができず,多くの悲劇が繰り返されてきた.本村でも,腸閉塞の患者が船で運ばれる途中死亡した話や急性虫垂炎で死亡した話など,離島医療の悲話は多い.

手術室の汚染防止対策

著者: 小林寛伊

ページ範囲:P.679 - P.681

 術後感染症を防止するためには,術中,術後を通しての基本的無菌操作が最も重要な点であろう.手術室での汚染防止においては,まず手術そのものに起因する汚染を防止することが第一であるが,同時に,患者を取り巻く周囲からの汚染防止も大切である.特に患者が感染に対する抵抗性の弱い条件を有する易感染性患者compro-mised patientである場合には,通常は感染源としてあまり問題にならないような微生物,つまり日和見菌opportunistic pathogenに対しても注意が払われなければならない.
 ここで述べる汚染防止対策は,すべての施設で直ちに実行し得るものではないかもしれないが,可能な範囲で少しずつ対策を実現して行くための道しるべとなれば幸いである.

病院精神医療の展開

病院精神医療チームにおける医師の役割

著者: 吉松和哉

ページ範囲:P.682 - P.685

 近年,病院精神医療は治療共同体的病棟運営のなされることが望ましいと言われている.これまでにも病院精神医療の三本柱として,よく身体療法,精神療法,生活療法が唱えられてきたが,共同体的治療ということになると,今まで以上により一層,多数職種のスタッフによるチーム医療が必要になってくる.そしてこの方向は間違いなく正しいであろう.しかし,同時に病院精神医療はそれだけむつかしい課題を負うようになったとも言える.古い収容的(custodial)な精神病院ではなく,治療共同体的病院であるということになると,医師中心だけではことはうまく運ばず,正にチーム医療こそ治療共同体的病棟運営の中心となってくるからである.そしてこれにまつわるいくつかの問題点が浮かび上がってくる.そこで以下,「病院精神医療チームにおける医師の役割」という主題に沿って,その問題点を挙げ,これをめぐって考察を加えていきたいと思う.

リハビリテーション院内から地域へ

疫学からみた地域リハビリテーションのニーズ

著者: 柴田博

ページ範囲:P.686 - P.689

 与えられたテーマはまことに今目的である.竹内ら1)によると,リハビリテーションは"人間の病気や障害によって破綻した生活を再建する医療"と定義される.とすれば,もはや,リハビリテーション(以下リハと略す)活動は,施設内では不十分であり,地域活動の必然性が増してくる.活動を展開するにはニーズを知らなければならない.しかし,これまで,疫学が主として追及してきた方向は,病気の危険因子を解明してそれを一次予防に役立てることであった.障害者の実態を知ることは,これまでの疫学の主流とはなっていない.個々の疾患の有病率や発生率を調査することは疫学の基本的な任務であるが,それが直接,リハのニーズを知ろうという視点から行われているとは限らない.したがって,筆者も,与えられたテーマに十分答える資料を提供できるわけではないことをまずお断わりしておく.
 一方,障害者の実態を知るために疫学が果たすべき役割は,今後,増大していくであろう.本論は,今後の研究に向けての前提となる事柄を整理し,筆者なりの立脚点を探ることを目的としている.

老人医療と福祉の課題

MSWの立場からみた老人の退院

著者: 磯部雅子 ,   中山いづみ

ページ範囲:P.690 - P.695

第一線総合病院からの退院
 当院は地域における基幹病院として機能することを志向している急性期の患者を中心に扱う私的総合病院である.ベッド数358床,診療科数11科に附属診療所(人工透析)を有し,一日平均外来患者数約1,000人程度である,利用者の診療圏は当該区からが80%,残りも隣接区からであり,病院の周辺住民が利用することが多い地域性の高い病院である.そして,周辺地域は古くからの個人住宅,アパートが多く住民に高齢者の割合が高いことが顕著と言われている.昭和56年10月23日現在,当院入院患者の年齢構成では60歳以上が55%であり,そのうち70歳台が25%であるという結果が出たが,これら利用者の高齢化は年々増加の一途をたどっている.
 このように老齢人口の多い地域に位置し,総合病院として機能している当院では,様々な"現代の老人問題"を見ることがある.

ニュース

全国自治体病院協議会諸橋会長を再選,副会長に鶴丸,後藤,竹内の三氏

著者: 森泰樹 ,   石原信吾

ページ範囲:P.696 - P.696

 戦後順調に運んで来た病院経営が今日ほど窮状に陥ったことはない.今まで訳の分からぬ強引な手法で厚生行政をひん曲げて来た旧医師会長に対する役人たちの積年のうらみつらみが結集したものと思われる.そして更に第二臨調による締め付けである.全国の医療従事者が今日ほど危機感に溢れたことはかつてないことである.このことが全員一致で諸橋会長を再選させたものであろう.彼を措いてこの厳しい情勢を一体誰が突破できるであろうか.14年間は長いかもしれないが,これはこの情勢下会員の凝集した悲願である.
 こんな時,彼を補佐する副会長も一新された.まず南から佐賀県立病院好生館長の鶴丸広長氏である.天保5年の創立で,長崎に来たシーボルトの指導で日本で始めて種痘を行った歴史ある病院の後継者である.毎日10粁のジョギングを怠らない体力と彫りの深い彼の風貌は全くシーボルトの再来を思わせるに十分である.兵庫県立尼崎病院長後藤保郎氏は昔の長距離ランナーである.その精力をもって今日公立病院としては珍しい東洋医学と取り組んでいる.第三の副会長は福島県いわき市立常盤病院長の竹内正也氏である。前者と同じくマラソンの走者であり,また剣道の達人でもある.

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機器短報

ページ範囲:P.697 - P.697

バイオクリーンICUユニット
 日本エアーテック(電話03-4031731)は,バイオクリーンICUユニットの販売を開始した.
 本ユニットは,小形・軽量で,据付けが容易(半日).特徴は,①清浄度がクラス1,000,②本体はアルミフレームで軽量,③照度コントロールが可能,④周囲が透明ビニールで開放的,⑤感染症を防止,⑥低騒音(53ホーン),⑦少ない消費電力(400W),⑧ビニールにパイプホールがついている,など.<価格は180万円(医療ガス配管は除く)>

講座 病院経営分析入門・17

生産性の分析(6)

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.698 - P.699

原材料生産性
 指標については前回に示した通りである.ほかに,最近出て来たものとして,特定治療器材がある.これは購入価格の1/10を点数とすることになっているので,収益イコール費用となる.したがって収益化効率といった比率は意味がないことになるが,実際には相当の記録もれ請求もれがあるので,収益を調べ,これに対応する期間の消費量を対比すれば,請求もれのチェックが可能である.

バイオエシックスと医療

8.バイオエシックスの思想と文化(その1)—ヒポクラテスへの訣別

著者: 木村利人

ページ範囲:P.700 - P.701

 今回から3回にわたって,バイオエシックスの思想と文化の問題を医療とのかかわりの中で考えてみたいと思います.
 まず取り上げたいのは,今から2,000年以上も前にギリシャの哲学者ヒポクラテスによって唱えられたという「誓い」についてのバイオエシックスの視座からのアプローチです.

病院職員のための医学知識

胆石症診療の進歩

著者: 大菅俊明

ページ範囲:P.702 - P.703

胆石は古くからの病気でありながら,最近また注目されている理由はどのようなことでしょうか.
 胆石はエジプトや中国のミイラからも発見されるとおり,人類が始まって以来の病気です.昔は胆石自体を魔除けに使ったりしていましたし,また癪と呼ばれる激しい腹痛の発作の原因になることも知られていました.胆石は胆嚢炎を伴ったり,腹痛発作を起こしたり,日常もっとも頻繁にみられる消化器疾患の一つでした.しかし疼痛に対して優れた鎮痛剤,胆嚢炎のような炎症に対しては抗生物質,更に胆嚢ごとに胆石を摘出してしまう手術療法が完成されるに至って,胆石症という病気は致命的でなくなりました.その結果,今日ではもうそれほど恐くない病気として考えられるようになり,患者側も医師側の関心も薄れていた状態でした.
 ところが最近再び胆石症に対する関心が高まってきました.その理由は大きく言うと次のようになります.まず胆石がなぜ起きるかということがこの10年くらいの間に急速に分かってきたこと,最近胆石が増加していること,日本人の胆石の種類に変化がきていること,手術をしないで胆石を溶解する治療法が開発されたことなどであります.

統計のページ

医用電子機器輸出入の動向・2

著者: 高島史路

ページ範囲:P.704 - P.705

輸入機器の導入状況
 医用電子機器の輸入実態に関しては,従来から資料が少ないが,機械振興協会経済研究所と日本電子機械工業会による昭和56年4月の「80年代福祉関連機器産業のあり方に関する基礎調査研究」の報告書にその詳細が報告されている.今回はその一部を引用し解説する(詳細は同報告書を一読されたい).
 同報告書は需要動向,技術動向,安全性信頼性に関する調査研究の3部より構成され,需要動向は主に海外の生産動態と日本が輸入する機器について調査されている.輸入動態に関しては,369施設の病院を対象としたアンケート調査によるもので,これを経営主体的,病床規模的などに分類し,その導入状況の調査を行っている.

病院管理の工夫

人工透析部門におけるソーシャルワーカーの役割

著者: 遠藤三保子

ページ範囲:P.706 - P.707

 人工透析療法は,すばらしい発展を遂げ,長期化安定化してきています.しかし,いくら医療が充実しても,人間が病に侵されて生活することは厳しく,透析患者は,その厳しさと不安を,日常的に,治療と一般社会生活との往復をしている中で痛感しています.MSWは,その不安に応え,治療と社会生活とのパイプ役をすることが大きな役割となります.
 一般的に「障害を持って生活すること」,「目に見えない障害であること」は,障害受容を困難にして適応のバランスを欠きます.そして,病気は気力との闘いですが,透析患者はその気力もなかなか充実しません.MSWは,患者を精神的・身体的・社会環境的にとらえることで,障害受容をスムーズにし,病気に打ち勝つ動機づけもしてゆきます.

病院薬局における薬剤投与の工夫

著者: 市木誠

ページ範囲:P.708 - P.709

 病院薬剤師の業務は,医薬品の安全性と有効性を確保するための適切な管理業務をはじめ,調剤・製剤・医薬品試験・医薬品情報管理など多岐にわたり,最近では薬物の投与計画に関与するため,血中濃度測定などを実施している薬剤部も漸増している.
 これらの業務のなかで,調剤が最も人手を要し,薬剤業務全体の約半分を占めており,また薬物療法が治療の主役をなしているため,患者に薬の使用法について正しく理解してもらい,指示通りに服用してもらうことが,薬剤師の重要な業務の一つになっている.

事務長訪問

井上病院 田中 熈 事務長

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.710 - P.710

 田中さんには,昨年6月号「患者の動態を知る」の詳細なデータを始め数回執筆をいただいた.お会いすると,文面の几帳面さとはひと味違う寛潤で明るい事務長さんである.
 井上病院は昭和39年33床でオープン.当時は一面田甫が広がり,雨の日駅を降りると長靴に履きかえ,病院まで10分足らずの泥道を歩いた風景が,公団など大団地が次々と建ち,畔道が賑かな商店街に変り,各団地へバスが頻繁に通う,典型的な東京近郊の新興住宅地へと瞬く間に変貌を遂げた.新しい住民とともに歩み成長した井上病院は,現在80床,外来1日約300人,医師20人(含非常勤),職員60人,近辺に公立や大学病院を持たない住民の健康を担っている.といっても,重装備の中核病院のようなものものしさはなく,重症者は院長出身校の順天堂大病院や越ケ谷市立病院と緊密な連携を持ち,いわば中間病院の役割を果たす.

随想=私の出会った患者

死に直面したカトリック信者

著者: 村田清

ページ範囲:P.711 - P.711

 私が大学から地方の病院へ初めて赴任したのは昭和24年で,食料,燃料,衣類などは簡単に手に入らないころであった.その病院の職員に熱心なカトリックの信者のAさんがいた.着任直後より私の妻は,雪の多い冬を越すための食料や燃料の買い方,貯蔵の方法,また闇米を買う経路などをAさんの奥さんから教えていただいたおかげで,早く落ち着くことができた.その後も親しくお付き合いしていたために,Aさんの家庭のことがよく分かり,ご夫婦ともに熱心なカトリック信者で,貧しい人や困った人のために献身的に面倒を見ていることを,妻から聞かされて感心していたのである.
 今でも忘れないのは,私の家にもよく来た,ぼろ布や新聞紙などを買いに来る「くず屋」のおばさんのお産が近づいたと聞かされて,衣類や綿布の手に入らないときなので,自分の家のもので「おしめ」や産衣を作って,お産のときはそれを持って母子の面倒をみに行ったことである.自分の家にも手の掛かる小さい子どももいるのに,困っている人のために世間体など気にせず,自分の仕事と考えて,喜んで世話をするご夫婦には,町内の人も皆一目も二目もおいていたのである.

新 病院建築・56 座談会

武蔵野赤十字病院の建築をめぐって

著者: 辻野純徳 ,   小滝一正 ,   河口豊 ,   伊藤誠

ページ範囲:P.713 - P.720

 伊藤(司会) 武蔵野赤十字病院の大規模な改築工事が最近終わったということで,方々から注目されているようですが,きょうはその設計をめぐっていろいろお話を伺いたいと思います.
 この病院は,昭和24年にわずか50床で出発したのですが,初代院長の神崎三益先生はじめ皆様方の大変な努力で今日の大病院までに育て上げられたのです.特にわれわれ病院建築にかかわるものにとっては非常になじみの深い病院でして,例えば,吉武泰水先生が昭和26年にこの武蔵野赤十字病院と国立東京第一病院において病棟看護婦のタイムスタディをやっておられます.病院建築の研究における初めての調査でした.そういう意味で,ここは戦後の病院建築研究発祥の病院であるといってもいいと思います.それは,新しい病院管理の実践者であった神崎三益先生がここの院長をしておられたということと,国立東京第一病院のほうは,守屋博先生が管理部長をしておられたということで,病院の建築計画と新しい病院管理とが両者相携えてスタートすることになったのです.正に記念すべき病院です.そういうことで,その後も私どもはここで何度も調査をさせていただいたり,あるいは病院の方々にいろいろお教えをいただいて,今日にいたっております.

中小規模病院の運営

中小国保病院の使命と現実

著者: 山口昇

ページ範囲:P.721 - P.725

国保直診の使命
 戦後,国民皆保険に伴って全国各地に国保直診が開設された.その設立目的は地域住民の健康管理,保健予防活動から治療,更にリハビリテーション(以下リハビリと略す),社会復帰までをも含むいわゆる包括医療をすすめることである.この包括医療を地域に実践することが直診の使命であると言えよう.「地域医療」という言葉が使われ出してから久しいが,元来,地域医療とは地域に包括医療を実践することであろう.中でも中小国保直診は,開設当初よりプライマリー・ケアの担い手として地域の中に根をおろしてきた.大分県東国東広域病院の籾井院長は「プライマリー・ケアとは単なる初期医療の意味ではなく,最も重要な基本医療のことであり,それにはプライマリー・ヘルスケアとプライマリー・メディカルケアの二つがある.しかもこれらを総合した"地域ケア"が今後の医療の主軸をなすであろうが,そのリーダー役が可能な最短距離にあるのが国保直診である.」と述べている.また,昭和55年徳島市で開催された第20回国保地域医療学会でも「国保診療施設とプライマリー・ケア」と題してシンポジウムが行われた.このときも国保直診はプライマリー・ケアを地域にいかに実践していくか,種々の面から検討,論議された.いずれにしても,中小国保直診がプライマリー・ケアの担い手であることには変わりはないと言えるのではなかろうか.

民間病院を見る,聞く,語る・6

大学と同じレベルの医療を—大学関連病院になり急成長した香川県・回生病院

著者: 松浦俊子 ,   藤原憲和 ,   細田健二

ページ範囲:P.726 - P.730

 昭和62年に完成の予定される本州四国連絡橋児島・坂出ルートの四国側入口に当たる坂出市は,古くは塩田の町として,現在は塩田埋立て地帯を利用した工業都市として栄えている.人口7万.この坂出市に26床で誕生した回生病院は松浦俊子理事長により開設され,現在552床(内精神190),職員395名の総合病院に成長した.診療面では四国四県で初めて脳外科を開設,52年には日本で2台目の全身用CT導入,また老人精神病棟を設け,リハビリ施設も充実している.子どものように大事に病院を育ててきたと語る松浦理事長にお話を伺った.

寄稿

小都市における小児病院の条件

著者: 松村長生

ページ範囲:P.731 - P.734

 近年学問の進歩に伴い,欧米に遅れること100年にして,日本においても,小児医療を大病院の片隅で行うことに批判があり,専門小児病院が,国立小児病院をはじめ,日本全域に10施設以上設立されてきた.しかし小児病院は「金食い虫」であり,検討しなければならない部分が大きいと中村1)は述べ,他方設立条件に関しては尾村らが1974年に当時設置された小児病院連絡協議会にて討議された構想を示している2,3).これによると人口250万に200〜300床の小児病院1か所を設立することが適当となっている.
 他方,医学は高度の発展を遂げ,専門医制度の導入,研修病院の指定などが取り入れられ,一定の制約,または病院の条件によりランク付けがなされつつある4,5).また,今回,小児総合医療施設連絡協議会において小児病院の条件について再検討がなされつつある.そこで,小都市に存在する当小児病院を考えながら小児病院の条件について考察した.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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