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雑誌目次

雑誌文献

病院42巻12号

1983年12月発行

雑誌目次

特集 第一線医療と医師の研修

長崎県における「地域医療」の研修体制—特に長崎県離島医師養成のための研修体制の現況

著者: 岩崎栄

ページ範囲:P.1025 - P.1028

 基本的には,第一線医療を担う医師であろうと,大病院での医師であろうと,その医師の研修において変わり得ようはずがない.
 強いて言えば,むしろ,第一線医療でこそ,より幅広い医療(学)の知識や技術が必要である上に,地域の医療ニーズに合った専門的知識,技術が要求される.そして,より人間性豊かな全人的医療のできる人間的態度を身につけておくことが何よりも必要なのである.

自治医科大卒業生の卒後初期研修

著者: 箕輪良行 ,   宮森正 ,   細田瑳一

ページ範囲:P.1029 - P.1033

 へき地医療に携わる医師の養成を通して地域医療の充実を目指すべく設立された自治医科大学は,642人の卒業生を送り出し,そのうちの26.3%に当たる167人が自治省等の定義するへき地の第一線診療所などに勤務し,226人(35.6%)が初期研修中である.初期研修期間は原則として2年間(一部,3年間の自治体もある)であり,その後,診療所などに勤務している.したがって卒後初期に経験も不十分と思われる青年医師が,相談相手や指導医となる先輩医師から独立して第一線医療を担うことになるため,卒後2年間の初期研修は極めて重要である.住民に安全で,良質で,継続的な地域医療を提供する若手医師の養成が本学の卒後初期研修の日的である.
 自治医大卒業生は卒後,出身の都道府県に戻り研修する.研修病院は厚生省が指定する臨床研修病院を原則とし,各自治体で1ないし数か所となっている.この中には沖縄県立中部病院,千葉県の国保旭中央病院,静岡県立中央病院などの過去に研修実績のあるものも含めて,58か所の公的病院と12か所の大学病院が含まれている.

ある民間病院—柳原病院—の卒後研修

著者: 鈴木篤 ,   宮崎康

ページ範囲:P.1034 - P.1037

 大学病院や研修指定病院での卒後研修に対し,第一線医療機関での研修を考えるとき,それは単一には論じられず,地域中核大型病院での研修から民間中小病院での研修に至るまで,その内容は多様であると思われる.その中で,柳原病院における研修を語る意味は,二人の医師が支えていた東京・下町の小さな病院に,卒直後の医師が参加し,相互協力により手作りの研修を模索し,21名の医局を作り上げてきた中小民間病院卒後研修の一つのあり方を示すものとして位置付けられるであろう.

ある公立病院—諏訪中央病院—の医師の確保と研修

著者: 今井澄

ページ範囲:P.1038 - P.1042

 地域医療に携わる医師は,残念なことに従来の研修システムの中からはほとんど育ってこない.医学医術が高度化し,専門分化が進むに従って,ますますその傾向は強まりそうである.
 したがって,第一線病院は地域医療に携わる医師を自前で育てなければならない.もっとも,そのことは地域医療の性質からして当然のこととも言えるのであって,決して嘆くには当たらないことなのである.

川崎医大病院総合診療部の研修体制

著者: 山田治 ,   平野寛

ページ範囲:P.1043 - P.1048

 最近,「プライマリ・ケア」はいわば一種の流行語のような感じを受ける.なんでもかんでもプライマリ・ケアと呼ばれ,その意味するものは各人各様ですべてニュアンスが異なっている.しかしプライマリ・ケアという名称が日本で使用されるようになり約10年が経過し,その内容も初期の混乱状態から徐々に統一されてきているように思われる,川崎医大ではプライマリ・ケアを実践する医師を養成する部門として新しい診療科の創設を検討した結果,総合診療部(大学の講座としては総合臨床医学)という名称が与えられた.1980年秋に総合診療部を新設し,1981年4月から実際的な診療活動を開始した.このように総合診療部は極めて歴史の浅い診療科であるが,他の大学にない独創性を有する部門と考えている.そこで,この総合診療部開設の背景,その特質及び研修体制をご紹介しよう.

民間中小病院の医師研修の課題

著者: 内藤賢一

ページ範囲:P.1049 - P.1052

民間中小病院の医師の研修■
 標題についての意見を問われてまず困ったことは「中小病院」とは何かということである.日常使用しているはずであるが改めて考えると明確な規定はない.医療法第1条に「病院とは医師又は歯科医師が公衆又は特定多数人のための医業又は歯科医業をなす場所であって,患者20人以上の収容施設を有するものをいう.病院は,傷病者が科学的で且つ適正な診療を受けることができる便宜を与えることを主たる目的として組織され,且つ,運営されるものでなければならない.」とある。その目的遂行のため相当程度の医療施設を有しなければならないし,人員,施設の内容は省令で定められている.また,医療法第22条では,総合病院には検査施設をはじめ,解剖室,図書室,研究室などの施設を有することを規定している.
 要するに,病院とは20人以上の入院患者を収容する設備があり,定められた規模を充足しているものであり,それが診療科目が多くなれば総合病院と呼ぶことができるのであって,大,中,小病院の区別はない.

紹介

自治医科大学「地域家庭診療センター」

著者: 宮森正

ページ範囲:P.1033 - P.1033

自治医大におけるプライマリ・ケア教育と研究
 自治医人卒業医師が初期研修を終えて赴任するのは,それまで教育を受けた大学病院や研修病院とは全く性格の異なる第一線の地域医療機関で,医師1名に若干の事務,看護職といったへき地診療所や医師2〜3人のへき地病院が多い.卒業生はここで一種のカルチャー・ショックに見舞われるという.それは,へき地,離島の地理的環境というよりは,研修病院とは全く違った医療環境に直面せざるを得ないからである.それまで頭では理解していたプライマリ・ケアの重要性を切実に体で感じ,初期研修での不足事項,全科にわたる知識技術,慢性疾患のケア,救急医療,患者コンプライアンス,コストマインド,医師患者関係などの重要性を肌で知ることとなる.医療の専門分化の中でともすれば見失いがちなことだが,へき地医療という"源点"では再認識を迫られるのである.
 こうした問題を,へき地医療を担当する自治医大の教育,研究に反映するために地域医療学部門が設置されているが,その臨床外来部門として,今年6月開所したのが[地域家庭診療センター」である.これは大学における学部教育,卒後研修,生涯教育の中で,へき地の地域医療活動を教育,研究できる部門が必要,との考え方から開設された地域指向型のプライマリ・ヘルス・ケアを目指す無床の全科診療所である.

東京慈恵会医科大学「生涯教育センター」

著者: 編集室

ページ範囲:P.1052 - P.1052

医師の生涯研修の場の提供
 医師の生涯教育は重要な課題であると言われているが,その具体的な方法や教材,施設などについて十分な検討がされておらず,まだ模索の段階と言えよう.
 東京慈恵会医科大学ではかねてから「医師としての研修・教育は生涯にある」として,医師の生涯教育の重要性を強調,生涯教育委員会を設置し,①慈恵大卒業者への知識及び技術の伝達,②同窓会支部や医師会の研修会・講演会などへの講師の派遣,③同窓の医師を対象としたテレフォンサービス(昭和52年に開始.日程表を組み教授,助教授,講師ら約60人が担当医師として電話で質疑や相談に応える),④紹介医に対する患者の病状の報告,⑤同窓会新聞を通じて新しい情報を伝達,⑥図書館における医学情報の提供,などを推進してきた.

グラフ

老人ケアに多彩なメニュー—アメリカの老人ケアを見て

ページ範囲:P.1017 - P.1022

 83年4月から3か月間,アメリカ各地で老人医療・ケアの実際を見聞して来た.アメリカは日本と同じ資本主義国で,医学・医療に関する諸事情も似たところが多い.79年に,スコットランドのグラスゴーに滞在し,イギリスのオーソドックスな老人医療・ケアを学んだが,医療国営ともいえる英国のやり方は日本にそぐわない点もあるのでアメリカの事情を調べたいと思ったのが訪米の動機である.
 訪問先は図に示した22都市で,各地の老年学研究センターや病院老年科はじめ,各種ナーシングホーム(NH),高齢者対象の居住施設など,見て来たことをまとめると以下の諸項目である.

現実に即応できる川島看護学を生み出す東京看護学セミナー 川島みどりさん

著者: べっしょちえこ

ページ範囲:P.1024 - P.1024

 ご多分にもれず看護界も肩書き万能の世界である.だからこそ,大学の教授でもなければ有名病院の総婦長でもないこの入が,ときおり胡乱な目で見られながらも,全国いたるところにおびただしい信奉者をもっているということは刮目に値する.
 この人の看護論は概してわかりやすい.カンタンなことをわざわざ難しくして見せたりしないからだ.ほぼ二十年にわたって彼女が主宰してきた東京看護学セミナーでは,現場から持ち寄った生々しい事例が,テーマ別にとことん検討された,なにしろ二十年の長さである.取り上げた事例の数も大したものに違いない,こうして築き上げた川島看護学には,だからそのへんに散見する理.論のための理論とちがって現実に即応できる強さがある.そんなところが,実際に働く人々には信頼できる指標として評価されたのだろう.

学会から—第33回日本病院学会(9月8日・浜松市)

パネルディスカッション「ホスピスは日本に定着するか」

著者: 編集室

ページ範囲:P.1042 - P.1042

 我が国初の聖隷ホスピス所在の浜松に因んで,パネルディスカッション「ホスピスは日本に定着するか」が紀伊國献三筑波大学社会医学系教授の司会の下,水野肇医事評論家,原義雄聖隷三方原病院聖隷ホスピス所長,末舛恵一国立がんセンター副院長,柏木哲夫淀川キリスト教病院副院長,岡安大仁日本大学医学部教授の5氏のパネラーを迎えて,進められた.
 各パネラーとも日本と欧米との宗教観の違い,医療システムの違いをあげ,日本独自のホスピスを模索していけば定着するであろうという方向だった.

病院と地域活動 インタビュー

大和医療福祉センターの運営とその課題・2

著者: 黒岩卓夫 ,   権平達二郎 ,   斎藤芳雄

ページ範囲:P.1053 - P.1056

■具体的活動—特に老人と小児をめぐって
 本誌センターでは,地域活動として健康座談会や検診活動を精力的にされていますが,最近,特に問題になっている老人の医療一これは保健の問題も含めて,具体的にどのような活動をされているか,簡単にご紹介下さい.
 黒岩 一つは在宅療養をサポートするということで「地域看護部」があることでしょうね.これは,京都の堀川病院の方式をほぼ踏襲しているわけです.その中心は訪問看護と間欠入院ですが,容態が悪くなれば入院させ,よくなればなるべく早く在宅するようにするということをスイッチしながら,できるだけ在宅で老人をケアしたいということです.それと関連して定期往診です.ドクターが定期的に回って歩くという形で,老人の在宅のケアをしている.

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機器短報

ページ範囲:P.1057 - P.1057

滅菌バッグ
 スリーエム薬品(電話03-709-8271)はオートクレープ滅菌とE.O.ガス滅菌の両方に使用できる「ステリデュアル」滅菌バッグ11種類を発売した.
 「ステリデュアル」滅菌バッグは毛立ちのほとんどない特殊な北欧紙と二重構造の着色透明プラスティックフィルムから成っている.このため被滅菌物が視認でき,滅菌後の使用や保管に便利.ケミカルインジケータはオートクレープ滅菌用とE.O.ガス滅菌用の両方が青とピンクで印刷されており,2種類の滅菌バッグを用意する必要がない.

「病院」第42巻総目次

ページ範囲:P. - P.

講座 「修正病院会計準則」について・9

損益計算書科目の修正

著者: 針谷達志

ページ範囲:P.1058 - P.1059

 前回は損益計算書の区分,当期業績主義と包括主義および当期業績主義による損益計算書と包括主義による損益計算書などについて説明した.今回は医業損益計算区分の科目の修正について特徴的なものを取り上げてみたい.
 (注)医業損益計算区分の全科目については,この講座の第6回に掲載したので参照されたい.

病院職員の基礎知識 診療科の知識

歯科

著者: 酒泉和夫

ページ範囲:P.1060 - P.1060

 歯科の歴史BC1800年ころ古代バビロニア時代の粘土板に歯痛療法が記され,BC1700年ごろのエジプトのパピルスには歯痛療法と歯肉出」血に対する療法が述べられており,これが記録として残る最古のものであろう.BC1000年ごろの中国の医書が京都・仁和寺にあり,ここには歯痛に対する塗布薬・内服薬の記載がある.BC377年死亡の医学の祖ヒポクラテスの記録には歯学についての記載は少量で,紀元0年ごろ書かれたCelsusのDe Medicinaという本には歯の治療に関係したことが多数載っている.中世は比較的医学が進歩した時代で,15世紀の口腔清掃十か条は,今日のものと大差がないほどである.
 日本の歯科事情は15世紀のころ,皇室医・丹波康頼が歯科専門医となり,これが歯科医の始まりであろうと思われる.法的に医師・歯科医師の制度が決まったのは1906年で,その翌年学校が創立された.

医療制度の知識

我が国における公衆衛生活動とその行政機構(3)

著者: 土居眞 ,   北川定謙 ,   藤崎清道 ,   矢野周作

ページ範囲:P.1061 - P.1061

2.老人保健
 地域における老人保健対策は,昭和38年の老人福祉法の制定以降,福祉行政の中で進められてきたが,昭和57年8月に制定された老人保健法により,医療と保健対策が公衆衛生行政の中に新たに位置づけられた.
 老人保健法は,健やかに老いるために,予防から治療,リハビリテーションまでの一貫した保健サービスを,市町村が主体となって実施しようとするものであり,昭和58年2月より実施されている.

ケーススタディ・人の管理

職場閉鎖で心理員を専門外に配転した例

ページ範囲:P.1062 - P.1063

〔事例〕
 専門職の配置転換についてはとかく問題があるもので,ナースを事務に配置転換して理由はどうあろうと,裁判で負けている例などをよく耳にするものである.
 当院では小児保健室といって,小児の健康管理・育児指導を,ドクター中心に看護婦・栄養士・心理員,それに事務員がチームを作って行い,臨床の小児科とは独立した業務を行っていた.ところがリーダーである医師が退職することになり,後任の医師も探していたのだがなかなか見つからない.結局小児保健室は閉鎖せざるを得ないという方針が固まった.しかし問題は看護婦,栄養士,事務員の配置先はあるものの,4名の心理員の配転先はないのである.しかもこの4名は「あなたは心理員として心理判定やカウンセリングなどを中心にした健康管理,育児指導の仕事をしていただきます」といって雇い入れた専門職なのである.院内どこを探しても心理員を必要とする職場はなく,しかも解雇するわけにはいかないのである.

事務長のページ・病院の運営管理

医療危機に対し戦略,戦術の展開を

著者: 世良博

ページ範囲:P.1064 - P.1065

病院開設から法人化まで
 総合病院多根病院は西大阪の中心的病院として昭和24年10月に開設(木造洋館建で患者収容定員は21名),診療を開始した.昭和25年に,現在の基準看護,基準給食制の前身である完全看護,完全給食制度が発足したが,当院は直ちに承認申請を行い,実施に踏み切った.一方,診療時間は平日,土曜日とも午前9時〜午後4時,午後6時半〜9時まで夜間診療を組み入れた.この体制は10年間ほど続いた.商店街を近くに控えているせいか,昼間は買物かごを下げた奥さん方が多く,夜は夜で10時ごろまで診療するのもしばしばだった.
 3年目を迎えて地域周辺の人々の信望も得て,患者数も漸増の傾向を示した.国民皆保険制度の前ということもあって,自由診療の患者数が保険診療を大きく上回っていた.昭和28年に60床に増床,昭和30年に法人設立が認可された.「医療法人きっこう会多根病院」が誕生したのである.

統計のページ

昭和57年医療施設調査・病院報告の概況(1)—(厚生省大臣官房統計情報部,昭和58年10月)

ページ範囲:P.1066 - P.1067

 厚生省は昭和57年の「医療施設調査・病院報告の概況」を去る10月にまとめた.以下,その概要を掲載する.

税務QアンドA

理事昇格の退職金

著者: 森久雄

ページ範囲:P.1068 - P.1068

 問 当病院は医療法人です.一昨年,事務長を理事にしました.そして,本年,経営管理上の権限を大幅に委譲して,常務理事に昇格させたいと思っています.
 それで,一昨年,理事になるときに,在職10年間の使用人時代の退職金を出しておりませんでしたし,今回,常務理事になれば使用人兼務役員の事務長でもなくなるので,この機会に次のような退職金を支給したいと考えております.

インタビュー

名古屋第一赤十字病院准看護婦—井料 妙子さん

著者: 井料妙子 ,   本誌編集室

ページ範囲:P.1069 - P.1069

 一時,准看護制度廃止が声高に語られたことがあった.しかし,その後見るべき進展もなく,以前に比べ,正看の比率が多くなっただけで,准看制度は存続している.中学卒業後働きながら資格をとり,現在,勤務のかたわら東海地区准看護婦の集いの世話役もする井料さんに,今,病院内で准看はどのような働きをし,何を考えているかお聞きしてみた.一現在の職場での看護婦・准看護婦の構成はどうなっていますか.
 井料 病院全体としては約5分の1が准看です.ただし私が働いている産科病棟は,看護婦兼助産婦が12人,看護婦が3人,准看3人,補助者2人,クラーク1人です.

定点観測

—岐阜県・白川村から—へき地中核病院とともに

著者: 石山俊次

ページ範囲:P.1070 - P.1070

 飛騨白川村診療所に赴任して4度目の冬が来た.赴任したのはちょうど「56豪雪」と呼ばれた大雪の年に当たっていて,最高積雪5m,冬季総積雪量27mという信じられないような豪雪の歓迎を受けた.その後2年間は割合おだやかな冬が続いてきている.来春には後輩にバトンタッチをして村を去ることになっており,なんとなく落ち着かない最後の冬である.「歓送の豪雪」があるかもしれない…….
 大学卒業後,へき地の診療所へ行ったら「なんでも屋の医者」に徹しようと考え,2年間の県立病院での研修ではほとんどすべての科をローテイトした.毎週2〜3日は救急当直もした.ある程度は自信を持ってのへき地赴任であった.しかしながら,いざたった一人で診療を始めてみると,毎日,毎日「これでいいのか」と自問自答の繰り返しであった.毎日様々な疾患を前にして,すぐにでも生命にかかわるような例は別にしても,その経過を診ていると,「重大な疾患を見落としていないか」,「もっとよい治療法はないか」,「特殊な検査や処置が必要ではないか」などという疑問が常にある.1日40〜50人の外来患者であるが,少なくともそのうち10人はそんな患者であった.考えてみると研修医のころは各科で経験豊富な医師が指導医として疑問に答えてくれていたのである.

—石川県・能登島から—老人に学ぶ

著者: 原健二

ページ範囲:P.1071 - P.1071

 能登半島の真ん中より少し北,竜が大きく開けた口の中の珠のような形の能登島の診療所に赴任して早半年たちました.大学を卒業して4年日.まだまだ未熟な私ですが,何でも自分でやらなければならない境遇に置かれて,泣いたり,笑ったり,毎日がんばっております.
 能登島は周囲約70km,人口約4,300人.昨年3月までは本土と1日数便のフェリーでつながれただけの離島だったのですが,昨年の4月に念願の橋が架かりようやく陸続きとなりました.昨年は日木海側最大(?)の水族館が完成し,周囲には関連施設として臨海公園ができました.今年は天皇陛下が行幸されたり,全国実業団相撲大会が開催されたりで,島の歴史の上でスポットライトを浴びたような1年です.

新 病院建築・72

部門別設計(4)—手術部門について

著者: 小林寛伊 ,   都築正和

ページ範囲:P.1073 - P.1077

はじめに
 病院設計,特にその中でも手術部の設計は,使用目的の多様性と手術医学の進歩とにより,多くの興味ある課題を提供している.これまでにも,病院建築の専門家が種々の論文や著書を発表しているが,ここでは現場に携わる外科医の立場から見た手術部設計に言及してみたい.

老人医療と福祉の課題 インタビュー

社会化を図るアメリカの老人ケア—アメリカの老人ケアを見て

著者: 青木信雄

ページ範囲:P.1078 - P.1083

 —アメリカのどの辺を見ていらっしゃったのですか.
 青木最初,ワシントンから入って,東海岸を回り,それから中西部,中南部を見て,西海岸まで回りました.それぞれ1か月間くらいずつ,22都市で合計118か所の施設見学と研究者訪問をしたことになります.

病院精神医療の展開

精神科診療所の医療と医療経済

著者: 朝井榮

ページ範囲:P.1084 - P.1087

 昭和44年7月より小さな精神科クリニックを開業している筆者にとって,読者に納得していただける文章を報告する自信はなかったが,日本精神神経科診療所医会(以下,日精診と略)の健保問題委員会でまとめたアンケート結果もあり,また日ごろ,入院などでいろいろお世話になっている精神病院及び他科の病院の先生方に,個人的な外来精神科医の声を直接聞いていただきたく,あえて駄文を発表することにした.
 我々精神科開業医と精神病院の関係は他科よりずっと密接であり,精神病の急性期や興奮時など,どうしても入院加療が必要となり,いくつかの精神病院には常にお世話になっている.他県でも同様と考えるが,兵庫県では精神病院の先生方と精神科開業医(以下,兵精診と略)が連携を保ちながら,保険診療の問題,保健所その他,県の精神衛生に関する問題などをいろいろ話し合い,兵庫県精神医療をより良くするために協力をしている.

民間病院を見る,聞く,語る・15

奉仕の心を心とし,かつ経営基盤の確立を—宮城県・医療法人本多友愛会仙南病院

著者: 本多徳児 ,   本誌編集室

ページ範囲:P.1088 - P.1092

 仙南病院は仙台から南へ宮城県南部の純農村地帯,人口3万5千の角田市にある.この角田市には公的病院がなく3つの民間病院がこの地域の医療を提供している.特に大正9年,現院長の父君正由氏によって開業され,同法人傘下に仙南中央病院(精神科,200床,柴田町在)をも擁する仙南病院は,戦後の結核全盛時代から,この地の健康保持・増進に貢献してきた.しかし,これからの厳しい時代にマンネリを打破して,活力をひき出していけるだろうかという危惧もあるようだ.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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