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人
医学教育,病院建設に関心を持つ輸血学の先駆者 国立立川病院院長 鳥居有人氏
著者: 山下九三夫12
所属機関: 1新東洋医学綜合研究所 2国立病院医療センター
ページ範囲:P.200 - P.200
文献購入ページに移動 人の名前をよく覚えるのは名将の器の条件であるという.昭和19年,軍医学校乙種学生として全国から集まった300名の青年将校の学生長となり,その後同期生の会(仁簡会)の会長を現在まで40年間務めているのは,その特技によるところが大である.
昭和20年,最初に赴任した国立東京第一病院において専門科を定める時,内科医長に意見を求め,「頭が良いと思うなら内科を選べ」と勧められたのにあえて外科を選んだアイロニーの持ち主でもある.左利きのため,両手でメスを器用に操るという先天の利も,外科の道を志した理由の一つかもしれない.大正11年生まれで,既に還暦を過ぎた現在も,手術の腕は一向に衰えていない.
昭和20年,最初に赴任した国立東京第一病院において専門科を定める時,内科医長に意見を求め,「頭が良いと思うなら内科を選べ」と勧められたのにあえて外科を選んだアイロニーの持ち主でもある.左利きのため,両手でメスを器用に操るという先天の利も,外科の道を志した理由の一つかもしれない.大正11年生まれで,既に還暦を過ぎた現在も,手術の腕は一向に衰えていない.
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