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雑誌目次

雑誌文献

病院44巻5号

1985年05月発行

雑誌目次

特集 再び問う—医師と看護婦の連携

各病院での連携の実態

著者: 北村愛子 ,   大島敏子 ,   大田すみ子 ,   古謝フミ子

ページ範囲:P.373 - P.378

車の両輪として
医療法人・協仁会小松病院(200床)
 医師と看護婦の関係は,車の両輪のようなものといわれる.患者を上手に乗せるためには,離れすぎず,くっつきすぎず,両者の力にあまり差があっても,うまく走らない.これは,お互いの役割を尊重しつつ,協力して患者のために働くという,的を射た表現だと思う.
 当院の医師と看護婦の連携は,果たしてうまくいっているのだろうか.私の担当する訪問看護活動と各医師と病棟婦長やナースたちの意見の中から,現状を探ってみたい.

本音を語れば

著者: 高山瑩 ,   本宿尚 ,   竹本吉夫 ,   伊藤研 ,   坂井靖子 ,   西元勝子 ,   横尾京子

ページ範囲:P.379 - P.387

cureとcareを繰り返すために
記録と対話
 医師と看護婦の連携をスムーズにするための第一条件はお互いの記録と対話である.診療録と看護記録が別々では,連携が十分に行われないのは当然で,医療の原点に問題点がある.
 それは,医師,看護婦の卒前・卒後教育に原因があるのか,医療上の諸規則がそうさせたのか分からないものだらけである.

診療場面における看護婦の役割と責任

著者: 中木高夫 ,   森田智恵子 ,   鎮守條子 ,   有田幸子

ページ範囲:P.388 - P.395

医師の側より共に「看護」を考える
医師は「看護」を知っているのか?
 医師が「看護」を語るとき,何を基盤にして語るのでしょうか.「看護」を語る医師の多くは,自分が経験した医療の中で見聞きした「看護」から判断して「看護」を語っているようです.それが本当に「看護」なのでしょうか.

鼎談

連携を成功させるもの

著者: 川島みどり ,   井部俊子 ,   小笠原道夫

ページ範囲:P.396 - P.403

 小笠原 さて,医師と看護婦が連携していかなければ医療は成り立たないわけですが,医療レベルが上がるにつれて,その医師と看護婦の連携がより密接になってくるか,あるいは違ったかたちになってくるか.この点,いかがでしょうか.本誌では7年前に「患者を中心とした看護婦と医師の接点」という座談会を行っています(37巻7号1978年).
 当時とは医療の質も病院の状況なども変わってきました.医師過剰時代ということで,医師数はかなり充足されてきましたが,看護婦数は非常に増えたというわけではありません.そこで,「再び問う」という形でこのテーマを掘り返して今後の病院医療の参考にしたいと考えております.

グラフ

包括医療に取り組む—公立みつぎ総合病院

ページ範囲:P.365 - P.370

 山陽新幹線三原駅から山道を越えて北へ車で約30分,三方を山に囲まれた御調町に到着する.御調町は広島県の東南部にあり人口は9千人弱,高齢者が17%と高齢化が進んでいる.公立みつぎ総合病院はこの町にある.

怪物・闘士・御意見番—岡本病院院長 岡本隆一氏

著者: 中野進

ページ範囲:P.372 - P.372

 大は政治・医療行政,小は薬の値段・税金の暗算まで,まさに怪物である.京都伏見の生れ,京都一中・京都府立医科大卒(昭和5年)後,小児科教室へ.父を手伝い,その跡を継ぐ.昭和20年応召となるが,南朝鮮行であり,4か月で復員できた.診療を再開したが,学生時代の社研・新聞部の血が騒ぎ,社会党へ入党した.早速府会議員へ出馬(昭22),まもなく左派社会党として国会議員当選(昭30)となる.目覚ましい活躍を続けたが昭和44年体調を崩し引退声明を行う.
 議会活動はあきらめたが,病院業務だけではエネルギーは余り過ぎる.5年ごとに増殖を重ねた病院は100床となり,更に宇治に236床の第2病院が誕生した.

定点観測 長崎から

地域リハビリテーション雑感

著者: 浜村明徳

ページ範囲:P.405 - P.405

 春の嵐,出勤中の歩みをとめて立ち止まるほどの突風が吹き小雨の降る今日,自室の外の廊下を"パタッ,シッ,パタッ,シッ……",あの足音はAさんのものか.こんなに風が強いのに,病院まで歩いて30分,頑張り屋の彼は今日もデイ・ケアへ通って来たようだ.
 脳卒中を中心に老人のリハビリテーションをこの病院で担当するようになって,ちょうど6年間が経過した.病棟のことや訓練室のことが一段落し,昨年から在宅患者を対象にデイ・ケアを開始している.Aさんもその1人で,長崎特有の坂と階段を歩いて毎日通院してくる.

講座 ニューメディアと病院・8

ニューメディアの実際(3)

著者: 岡田行雄

ページ範囲:P.406 - P.407

 前回に引き続きニューメディアの代表例について紹介する.

解説 米国JCAHの病院認定マニュアルについて・11

外来・救急部門

著者: 大道久 ,   三宅史郎

ページ範囲:P.408 - P.409

外来部門
 〔基本原則〕外来部門においては,安全かつ効率的で,質の高い医療が実施されなければならない.

新しい医療と厚生行政

科学技術の発達と医療

著者: 厚生行政研究会

ページ範囲:P.410 - P.411

 21世紀に向かって科学技術は驚くべき速さで進歩している.第五世代コンピュータ,ニューメディア,ファインセラミックス,バイオテクノロジー,耳なれない先端技術の数々が,私たちの生活を大きく変えようとしている.
 医療の中の技術も変わっている.昔のように聴診器,打腱器,舌圧子で済む時代ではなくなっている.ファイバースコープ,超音波,CTスキャン等いろいろな機器が患者に侵襲を与えず,より簡易に有効な医療を供給できるようになっている.医療機器を始めとする技術の進歩が医療の姿を変えてゆくことについては既に3月号で紹介したが,今回はその他の新しい技術で,医療に大きな影響を与える可能性のあるものについて考えていきたい.

ケーススタディ 共に考える病院運営の盲点

経済的問題へのMSWのかかわり方

ページ範囲:P.412 - P.413

〔事例〕
 Kさん(女性・63歳)は,2月に雪で転倒し救急車で搬送された.右大腿部骨折の診断で観血手術が施行され,その1週間後には歩行訓練(右非荷重両松葉杖歩行)が開始された.しかし,変形性膝関節症の既往症を持ち,急性肺炎を併発したこともあって,歩行訓練がはかどらず入院が長引いて,4か月後に松葉杖歩行で退院した.
 国民健康保険で医療費の3割負担があるうえ個室希望であったために,1か月の請求額が30万円になる月もあった.月2回に分けて請求する病院の支払いが遅れがちになり始めた3月末に,会計からの要請があって初めてMSWがKさん夫妻に面接した.

統計のページ

新しい推計方法によるアメリカの「1983年国民保健費用」

著者: 二木立

ページ範囲:P.414 - P.415

 アメリカはフランスなどと並んでマクロな医療費統計が最も整備されている国であり,1929年以来,毎年「国民保健費用(National health expenditures)」(歴年)が発表されている.
 今回紹介する「1983年国民保健費用」では私保険支払い分と患者支払い分の医療費の推計方法が変更・改善されている.また,この新しい方法による国民保健費用の再推計が1965年にまで溯って行われている.

請求もれ防止対策

請求もれ発生に関する一考察

著者: 徳永貴士

ページ範囲:P.416 - P.418

 国民総医療費抑制策の一環として,老人保健法の制定,健康保険法改訂の措置が講じられ,更に今年は医療法の改正が実施されようとしていることは周知のとおりである.医療機関にとってはますます経営危機に陥りやすい状況となっている.
 過去の診療報酬改正,薬価引下げの状況をみると,表のような経緯がみられる.2桁台の医療費引上げはここ10年間行われていない.一方,薬価の引下げは毎年のごとく実施されており,従前のような薬価差益などといった言葉は,最近ではほとんど耳にする機会がなくなった.

ひとこと

患者さんのプライバシーと芸術

著者: 下司孝之

ページ範囲:P.419 - P.419

 私たちの病院は街中の内科的一般病院.しかし実際には精神・神経科の通院患者さんを抱える鍵のない病院です.入院患者自治会・患者OB会などがあってそちらの世話をする中で,手に余る事例が持ち込まれることもあります.

時評

医療行政のヒズミと病者の排斥

著者: 塙正男

ページ範囲:P.420 - P.420

 3月下旬の新聞には,事件の判決の記事が多い.甲府の筋短縮症事件の判決では,国は責任ないということであったが,新聞論調,NHKテレビニュースでは一般人の抗議の声が満ち満ちていた.製薬会社は有責とのことであった.医師の責任については余り批難の声が上がらない.事件の性質は違うが,宇都宮病院事件の判決(「朝日新聞」3月26日夕刊)には,国が入り込む余地は全くなかったようだ.とにかく石川院長に実刑判決——見出しは「患者の人権無視—営利第一主義を断罪」と一面トップである.
 昨年の本誌9月号でこの事件に触れたので,少していねいにその反響を読んでみると,日本精神病院協会副会長及び栃木県精神衛生協会のコメントは「この事件で明らかになった精神医療の課題を克服し,世の信頼と医の権威の回復に努める」,「これを機に全員が姿勢をただし,気分を一新して,精神医療に取り組んでいく」というもので,身内としてはこれしか言いようがないのがよく分かるが,こうした建て前だけを繰り返すことの無意味さは読者にはまる見えであろう.問題はちょっと違うのではないかと思って次のコメントを読む.ルモンド紙(仏)の東京支局長の話である.

新病院建築・89

香川県立丸亀病院の設計

著者: 河口豊

ページ範囲:P.421 - P.426

丸亀病院の沿革と移転新築
 当病院は1948年日本医療団より県へ移管され,一般病院として運営されていたが,序々に精神病床を増し,1968年に精神343床,結核10床の前病院の姿となった.
 前敷地は丸亀駅より徒歩10分強,周辺を住宅,商店,工場に囲われるという病院へのアプローチや社会復帰活動には絶好の恵まれた環境にあった.しかし,その反面市街地であるために敷地は狭く(36m2/床),四周は公道のため拡張は不可能であった.また,建築延面積も24m2/床と狭隘のうえ,木造診療棟もあり改築の時期であったが,敷地が狭く難しかった.

病院運営の変化 ここ10年余病院はどう変わったか

保険請求内容及び審査の動向(1)

著者: 名尾良憲

ページ範囲:P.427 - P.430

 東京都社会保険診療報酬請求書審査委員会における診療報酬請求書審査結果を中心として,過去約10年間の統計的資料から,請求内容と審査の動向について述べる.
 統計上では,一般診療科と専門科に分けてある.後者は耳鼻科,眼科,産婦人科,精神科,皮膚科,泌尿器科,整形外科である.ここでは一般診療科について解説する.

シリーズ病院経営 病院経営の改善インタビュー

地域ニーズの先取りと人の和を得て経営改善へ—富山県厚生連滑川病院

著者: 石原信吾 ,   小川忠邦 ,   刑部侃 ,   野徳エミ子 ,   島和雄 ,   秋元敏夫

ページ範囲:P.432 - P.439

 石原私が以前こちらに伺ったのは57年の2月ですから,もう3年前になります.その当時の経営状況は,毎年恒常的に欠損金が出ており,累積赤字もかなりありました.その原因としては,富山県では富山市が行政,経済,文化の中心地で,通勤,通学,購買などもそこに集中し,医療についても非常に巨大な供給地であるわけです.滑川市からは30分前後で行けますし,患者にしても富山市のほうに流れてしまうため,当院の患者の利用度はどうしても低くならざるを得ないという印象を受けました.
 更にもう一つの原因として,医師の確保難があったと思います.滑川病院の医師の供給源は金沢大学ですが,金沢からは非常に離れており,しかも列車は富山市でみんな止まってしまうので,こちらは急に不便になるわけです.そういう二重の位置的ハンディキャップが重なっていた上に,建物や医療機械設備も整備が十分でなかったとか,いろいろな原因があったのだと思います.

病院と地域活動

水島協同病院における保健活動—保健委員とともに

著者: 浅野純生 ,   前律夫

ページ範囲:P.440 - P.443

 倉敷市は昭和42年に旧倉敷市,児島市,玉島市が合併してできた広域都市で,人口42万の岡山県第2の都市になった.旧倉敷市は倉敷地区と水島地区に分かれ,水島地区はほぼ二等辺三角形をなし,東は低いがほぼ無人の丘陵地帯,西は高梁川,南は瀬戸内海とほぼ画然と囲まれ,この瀬戸内海沿いに水島コンビナートがある.
 豊かな自然に恵まれ,農業と漁業に支えられてきたが,昭和33年頃から始まった水島コンビナート建設は,昭和39年新産業都市の指定とともに急速に進んだ.そして現在,水島地区の人口は9万で,コンビナート人口は2万5千と言われている.

資料

医療施設からの訪問看護実態調査—対象者と看護内容—日本看護協会調査研究報告

著者: 岩下清子

ページ範囲:P.444 - P.447

調査の概要
 調査の目的 医療施設による訪問看護を受けている患者がどのような病状で,どのような内容と頻度の訪問看護の支えがあって,在宅療養が可能になっているかを明らかにし,社会保険診療における訪問看護料(一般診療)新設,及び継続看護指導料(老人保健)の枠の拡大を求めるための資料とする.
調査の時期 昭和59年9月

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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