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雑誌目次

雑誌文献

病院44巻6号

1985年06月発行

雑誌目次

特集 病院で死を迎える

病院で死を迎えることの問題点

著者: 日野原重明

ページ範囲:P.465 - P.467

人はどこで死ぬか
 病院や老人ホームその他の施設で死ぬ人と,自宅で死ぬ人の割合はどうかというと,一般に文化国家に共通して言えることは,病院または施設で死ぬ者のほうが,自宅で死ぬ者より多いということである.
 日本では,第二次世界大戦までは病院死より自宅死が多く,その傾向は地方のほうが都会以上に多かったが,戦後,病院の数が増すにつれ,病院死が多くなってきた.しかし,まだ欧米ほどではない.

死を迎える患者にどう対応するか

著者: 本多利雄 ,   石谷邦彦 ,   黒沼涼子 ,   並河正子 ,   徳永進 ,   坂口令子 ,   澤敏恵 ,   野口照義 ,   小澤美恵子 ,   斎藤芳雄 ,   南雲タカ子 ,   鈴木荘一 ,   白久かつ ,   関根真希子

ページ範囲:P.478 - P.490

ホスピスの立場から
ホスピスにおける末期癌患者の生と死
〈ドクター・サイドから〉
 日本人の死因統計によれば癌死は死亡原因の第1位であり,20数%の人が癌により死亡している.このことは多くの人々が癌に対して強い関心を持つ原因となっているが,その癌に対する人々のイメージには,不治,苦痛,恐怖などの忌むべきものが多い.そして自分自身,または自分の家族に癌という病名が与えられた時,その死と結びついたイメージは強い心の混乱をひき起こす.しかし,死がすべての人間に避けられないものである以上,人生の最終点である死を静かに迎え入れるために最善の努力をすべきであろう.
 当院においては死亡患者の90%以上は癌によるものである.これらの人生の総決算をし,死を迎えなければならない癌患者に対し,医療者としてできる限りの援助をすることを目的として我々はホスピス・ケアを行っている.

大学における「死」の教育

著者: 阿部正和

ページ範囲:P.491 - P.492

 東京慈恵会医科大学では,学生の授業時間割のどこをみても,「死」という言葉は出てこない.しかし,進学課程における医学概論の中で,また専門課程の病理学および法医学の中で,更にまた臨床実習での体験を通して,学生も教員も「死」の問題に触れざるを得ないのである.従来,医学の立場からは「死」をなるべく避けて通ろうとする傾向がなかったわけではない.しかし,今は正面からこの問題に取り組まなければならない時が到来しているといってもよいだろう.

座談会

病院で死を迎える子供たちへの対応

著者: 高橋和子 ,   西山綾子 ,   入来典 ,   徳永すま子 ,   山下文雄

ページ範囲:P.468 - P.477

 山下 最近"ヘルス・ケア"の質をよくすることが問題になっています.医療技術だとか設備といった問題に加えて,医療の場での医療従事者側の気配りや患者さんの心理面も含めて,援助の質を向上させようということです.いままでの医療ではそのような面が不十分で,患者さんが医療に対して満たされないものを持っていたことが理由のようです.
 "ヘルス・ケア"の質の向上は患者さん自身の"生命の質(quality of life)"を上げることにもなります.医療者側も,ヘルス・ケアを通して心理的喜びを増し,自分自身の人間的成熟をはかることができます.医療者が"死"という人間の最も厳粛な場面に立ち合うことも人間を大きく深くすることです.これまでの医療は"生"のサポートが中心でした."死"のサポートは,最近社会的にも注目されるようになりましたが,議論は主として大人を対象にしています.しかし,子供の医療の現場でも死の問題には毎日直面しています.そこで,この座談会では子供の"死"の問題について,皆さんと一緒に考えてみたいと思います.

グラフ

院内設備の充実を基盤に新たな地域医療へと飛翔する—山口県町立大和病院

ページ範囲:P.457 - P.462

 町立大和病院は山口県の東南部,熊毛郡大和町にある.大和町は山陽新幹線徳山駅で乗り換え,山陽本線で上ること30分,明治の元勲,初代内閣総理大臣伊藤博文公生誕の地でもあり,人口約9,100人,石城山県立自然公園を見晴らす静かな田園の町である.

土の臭い,海の香りがする院長国保日高総合病院院長 古田 浩二氏

著者: 田端敏秀

ページ範囲:P.464 - P.464

 古田浩二君は私と和歌山県立医大29年卒の同期である.大学時代から現在まで,その性格は変わることなく素朴で温厚,そしてまたロマンチストでもある.最近とみに貫録がついた.それは,24年間を日高病院一筋に地域医療に捧げられた年輪のせいであろう.彼には土の臭いがする.海の香りがする.地域に根ざした医療とは,こんな人柄の中で芽生え,育つものである.
 海岸線に沿って南に長く延びる和歌山県の中央部紀中の中核病院として,名実ともに地域住民から高く評価され,年々充実されていく病院の姿を見るとき,同期生として,このうえもなくうれしくまた誇りでもある.卒業25周年誌"不朽"に彼は「滅私奉公の精神のはてが院長就任である.診療科が増加すればするほど比例して悩みも増える.肉体的には,内科のみを考えれば良いが,精神的には他科に比重を重く,そこに頭の軽業が必要となり白髪が増えるということになる」と記している.日高病院が,全診療科を設置し,かつバランスのとれた医療体系を保っているのも,彼のこのような哲学によるものであろう.

中小病院の光と影

地域中核病院の類型とその特徴

著者: 長松宜哉 ,   宮森正 ,   前沢政次

ページ範囲:P.493 - P.496

地域中核病院とは
 病院という名称はいわば総称であって,非常に広範囲の医療施設を意味する言葉である.病床数ひとつを取り上げても,20床から1,000床を越える病院まで包含しており,○○病院という名称からその病院の規模や機能を想像することはできない.
 一方,診療所の場合は有床と無床の区別はあるが,プライマリ・ケア医療機関としての機能を果たすことがその使命である.各専門領域を個々に担う診療所もあるが,そこにおいても各々の領域のプライマリ・ケア的な機能を有しているわけである.

定点観測 三宅島から

災害と家庭医

著者: 箕輪良行

ページ範囲:P.497 - P.497

〈診療活動の復旧〉
 昭和58年,三宅島大噴火から1か月半の11月21日に診療所を再開した.けれども一体これからどうなるのか.住民は他地区に分散して避難している.年寄りの多くは島外の子供たちのところへ身を寄せている.阿古地区へ戻ってプレハブの仮設住宅で生活を再開した人々は,復興計画による土木作業などに従事していて,従来から治療中の人々も診療所に来れないだろう.
 予想どおり11月,12月,昭和59年1月と患者数は激減した.3分の1から2分の1である.まあ当然といえば当然である.生活があっての医者通いである.わかっていても,数人しか受診しない日が続くと,初めのうちはがっかりした.そのうち慣れてくると,合い間に診察机で読書したりして,じっと待った.

講座 ニューメディアと病院・9

21世紀をつくるINS

著者: 岡田行雄

ページ範囲:P.498 - P.499

INS出現の背景
 電電公社(現NTT)では,すぐつく電話,全国どこへでもすぐつながる電話を目指して,5次(1期5か年)にわたる電話増設工事の結果,昭和53年度にこの目標を達成し,電話はほとんどの家庭に普及し,全国どこの地域のだれとでもダイヤル一つで,いつでも話せる身近な通信手段として,日常生活,社会活動,産業活動にはもはや欠かせない存在となっている.
 一方,今までの講座で述べてきたように,情報化社会の進展に伴い,ニューメディア,特に映像通信などの視覚型の通信が大きくクローズアップされるようになり,従来の聴覚型通信とともに,更に効率的,経済的な,そして多様化された通信サービスが求められるようになってきた.また新技術の開発によりこれらのニーズの実現が可能となり,今後ますます発展する情報化社会に対応するための高度な通信網の構築が急速に具体化することとなった.

解説 米国JCAHの病院認定マニュアルについて・12

病院の安全

著者: 大道久 ,   三宅史郎

ページ範囲:P.500 - P.501

建物と敷地の安全
 〔基本原則〕病院の構内は利用者にとって安全でなければならない.

新しい医療と厚生行政

医療従事者から「医療人」へ

著者: 厚生行政研究会

ページ範囲:P.502 - P.503

 医療を取り巻く状況が今日ほど複雑になっている時代はない.患者に適正な医療を施すことはもちろんであるが,その他の多種多様な患者のニーズにもきちんと応えていくことが必要である.また,厳しい経済情勢の中で,病院経営にも合理的な視点が求められている.このような状況の中では,医師をはじめ医療に携わる人々が,単に医療従事者として自らの仕事だけに関心を持ち,狭い視点のみにとらわれ続けることは,もはや許されないのではなかろうか.今回は,21世紀に向けて,これからの医療に携わる人々に求められる視点について考えていきたい.

ケーススタディ 共に考える病院運営の盲点

カルテ入手をタネにしたゆすり

ページ範囲:P.504 - P.505

[事例]
 私はある総合病院の事務長である.
 病院の開設以来順調な発展を遂げ,10年目に総合病院の認可を受けて以来,段階的な増床過程を経て現在約400床,30周年記念日を目前に控えた日の出来ごとである.

請求もれ防止対策

診療報酬請求もれ対策のポイント

著者: 縣伴武

ページ範囲:P.506 - P.508

 今年も健康保険の診療報酬点数が3月1日から改正された.改正の内容は入院医療の安定的供給の確保と病院機能の評価,プライマリ・ケアの推進,新医療技術の導入と指導重視の医療,技術料重視の医療の推進などが要点となって,平均3.3%のアップとなっている.一方,薬価基準の引き下げも同時に行われ,改定率は平均マイナス6.0%で,総医療費ベースで1.2%のアップということである.現在,病院は医療の近代化を進めるために医療機器などの整備を行わなければならず,また毎年行われる人件費の改善などのため,経営は危機に直面している.このような経営悪化の中で,請求もれ対策は病院収支の健全化への大きな課題である.
 そこで,医師が診察をし,それぞれの医療行為を行い,医事課員が料金算定をし,患者の一部負担金の受領および保険請求が行われるまでの経路を考え,請求もれの発生要因がどこにあるのかを考察してみたい.

統計のページ

人口・経済と医療の長期展望(1)—「人口・経済・医療モデルに基づく長期展望—フェイII」中間報告書(日本大学人口研究所,昭和59年度日本医師会委託調査研究)より

著者: 小川直宏 ,   佐藤貴一郎

ページ範囲:P.509 - P.511

1.長期・総合モデルによる分析
 今後わが国が迎える高齢化社会の中で医療保障のあり方は国民的関心事のひとつであるが,保健,医療に関わる資源配分の問題は社会,経済システムの埓外にはあり得ず,長期的,総合的な視点からの選択が必要となる.本稿では,そうした問題意識に基づき,人口,経済,医療における各要因の相互依存関係を解明する目的で構築されたモデルを用いた21世紀第1・四半期(2025年)に至るまでの推計結果を紹介する.モデルの構造の概要を図1に示す.

時評

「払い過ぎ分を患者に還付」の不合理

著者: 熊谷義也

ページ範囲:P.512 - P.512

 本年5月1日付の朝日新聞によれば,厚生省は,健康保険請求で減額された医療費分の患者の自己負担額は,支払いを受けた医療機関から,支払った患者へ返すように指導するという.

新病院建築・90

つるい養生邑病院の設計

著者: 野口和子

ページ範囲:P.513 - P.518

邑の核としての精神病院
 1984年9月,創設者,故宮田国男先生の壮大なる構想(後掲:「養生邑通信」抜粋)に基づき,第一号の施設として,つるい養生邑病院は開設された.
 鶴居村はその名の通り、丹頂鶴の生息地としても有名であり、自然環境に恵まれた人口約2,700人の酪農の村である.養生邑の敷地は,村の中心から少し外れた丘陵地にあり,南には小川と牧場のかなたに釧路湿原を望み,北には遙か雄阿寒岳を仰ぐ丘の上にある.この広大なる敷地の中で,南側・西側の谷を見降ろし,最も眺望の良い位置を選んで,病院の建物は計画された.

精神病院わが病院づくり

精神病院の内からの切開を試みて

著者: 芳賀幸彦

ページ範囲:P.519 - P.523

 東春病院は昭和34年に設立された.春日井市は名古屋の北に隣接し,横に長いひょうたん状のベッドタウンである.北東部には巨大なアパートが建ちならぶ「高蔵寺ニュータウン」があり,西南部には小牧市,名古屋市北部に接した旧市街がある.当初の予想に反して,ニュータウンよりもこの旧市街のほうに人口の増加が著しくみられる.東春病院はこの春日井の中にあって,小牧線「春日井駅」と中央線「勝川駅」を結ぶ線上にある.昭和34年頃の病院は全くの田んぼの真ん中にあり,のどかな風景の中の「精神病院」であった.20年の歳月は周りをしだいに市街化し,やや雑然とした宅地と田んぼの混在した状態を形づくっている.20年の年輪は設立当初の木造病棟を極端に老朽化させ,その後建てた鉄筋コンクリートの病棟をも,重苦しく,汚なく,いかにも収容所といった印象を与える暗い建物に変えていた.それでも,入院患者は270人以上に膨れ上がっていた.7年前の東春病院の姿である.

シリーズ病院経営

働く者の立場に立つ病院経営—代々木病院の実践

著者: 伊藤一良

ページ範囲:P.524 - P.527

 代々木病院(院長:吉田利男,東大卒)は現在ベッド273床(公称),外来は一日平均約560人で,都心(渋谷区千駄ケ谷)にある中規模中核病院であり,渋谷区内では日赤医療センターに次ぐ救急告示病院(救急車搬入月平均122台)として,一次,二次救急,緊急手術と急性疾患の救命医療を担っている(職員:医師約45名,計310名).また,都内では数少ない被爆者認定病院として被爆者医療を行い,障害者の更生医療指定病院であり,リハビリテーション施設認定によるリハビリ医療(ベッド35床)を行っているほか,開放病棟(ベッド32床)による精神科医療も行っている.
 その診療科は,一般内科,循環器,消化器,呼吸器,理学診療科,透析療法科,代謝科,小児科,外科,整形外科,眼科,皮膚科,耳鼻咽喉科,精神科,麻酔科,臨床病理科など約16科で,臨床病理認定病院,眼科研修指定病院として,また初期研修病院としての実績と装備をもっている.この被爆者医療とリハビリ医療については,NHKテレビでも紹介され,前者は今年1月,被爆40周年を迎えての代々木病院での被爆患者の会合の状況が,また後者は同じく3月に,"クローズアップ"「寝たきりからの脱出」として"脳卒中一週間のリハビリ"の状況が放映されている.

民間病院を見る,聞く,語る・26

PPCを実践し公的病院の役割も果たす,事業所内病院の独立成功例—茨城県・日鉱記念病院

著者: 上杉憲和 ,   緑川安二郎 ,   一条勝夫

ページ範囲:P.528 - P.534

 鉱山の町として知られる日立市.海に面するこの町のほとんどすべてが鉱業の盛衰と歩みを共にしてきた.日本鉱業の事業所内病院として発展した日鉱記念病院も事業縮小に伴い51年まず経営面を分離,そして56年医療法人病院として一人立ちした.上杉院長の温厚な人柄にリードされ,市内中心地に移転した当院のモットーは「心」.
(日鉱記念病院〒317茨城県日立市神峰町2-12-8)

ひとこと

医学の進歩と専門化に思う

著者: 清水正章

ページ範囲:P.535 - P.535

 このところ,日々報道されるバイオテクノロジーの進歩の著しさに,私は驚嘆を越えてときには恐怖に似たものさえ感じる.この調子でゆけば,中国古代の伝説にもある医薬の祖,人身牛頭の神農氏が再来したり,人間の不幸を予言する人頭牛身もどきが出現しないでもなく,それはあたかも現代科学の最高頭脳を集めて,第三の火である原子の火を発明した人間が,一方でその利便を亨受しながらも,一方でその恐怖におののきつつ,今日を生きているのと同じ状況になりそうだからである.遺伝子操作も恐ろしいのである.それはまだ遺伝子の組み替えによって,新しい形のものに作り変えただけの段階で,生命そのものの創造ではないから,この研究もここいらで止まってほしいと思う.
 これは,人間の生命を守ることを任務とする医師としては,矛盾した考えかもしれないが,私は何百歳になっても死ねないような姿を想像してみるとき,むしろそれは悲惨でさえあると思えてならないからである.限りある生命だからこそ,それをいとおしみ守りぬき,そして個々の生命がもつ可能性を限界一杯発揮し,やがて惜しまれながら安らかな眠りに入る.それこそ人間の真の幸せではなかろうか.そうであれば私も,その可能性を追求するために健康でありたいし,また他の人もそうであるように,私は医師として,その務めを果たし,忠実にお手伝いすることが,今日を生き,今日を働く意味だと信じている.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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