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文献概要
隠れた戦中医学史 ペニシリン秘話(最終回)
森永薬品,ペニシリン産業界から消える
著者: 落合勝一郎1
所属機関: 1学校法人東京文化学園 2財団法人聖路加国際病院
ページ範囲:P.854 - P.855
文献購入ページに移動GHQが日本に招聘したフォスター博士は昭和21年11月13日,延べ3日間のペニシリン生産講座を行っている.講演の序説で「私が米国政府から派遣されて日本に来たのは日本国民の健康水準を高めようとするためである.日本にペニシリン工業を発達させることは可能であろう.しかし,それまでには実に多数の困難がある.また,時間がかかる仕事である.私の目的はこの時間を短縮することである」として,三つのスローガンを掲げている.すなわち,①組織,②協力,③実行,である.更に「アメリカではペニシリン製造はすべて深部培養法によっている.アメリカはこのために3年間を費やした.日本では更に長い年月が必要であろう.日本のペニシリン製造を現在の表面培養から深部培養方式に改めるためには,大規模な機械設備が必要である.また,それらは特殊で複雑である.日本にはこのようなプラントの計画を担当する特殊技術者の数も米国より少ない.したがって,日本は今までの表面培養法を継続し,改善しながら生産量を高めつつ,深部培養の研究に取りかかり,数年かかってもそれに切り替えるべきであろう」と語っている.
フォスター博士の予測より早く,日本で初めて深部培養に成功したのは東洋レーヨン株式会社で,昭和22年3月13日であった.
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