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雑誌目次

雑誌文献

病院45巻5号

1986年05月発行

雑誌目次

特集 看護のトップマネージメント

これからの看護のトップマネージメント—看護の立場から

著者: 森表つや子 ,   門田邦代

ページ範囲:P.378 - P.381

 老齢化社会の到来による医療保障制度の見直し,科学の進歩に伴う医療費の高騰化,人間尊重思想に基づく患者意識の変革等により今や医療社会は大変革の時期を迎えている.人間尊重の思想に基づく患者本位の医療はどうあるべきかを考える時,多くの医療従事者の中で常に病人を全人格的に受け止め,ベッドサイドで患者が満足できるように援助していく役割を担う看護職の活動状況がクローズアップされてくる.
 我々看護職の社会ではこの時期を迎える以前から病人に視点をあて,いかに病人の欲求をつかみ,いかに欲求を満たしていくかを探求し続けてきた.

これからの看護のトップマネージメント—病院管理の立場から

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.382 - P.385

 トップマネージメントという言葉は,通常,最高経営層について言われるが,更に,そこで決定された経営の基本方針を全体組織を通じて執行する全体管理層を含める場合もある.他方,この言葉は,そこでの最高責任者としての人を指すほか,その組織あるいは機能を指すなどいろいろに使われる.本稿では,今回の特集の趣旨に沿い,主として,「看護部門をマネージメントする組織の責任者」ということで問題を考察することにする.とすれば,結局,総婦長あるいは看護部長と呼ばれる人(以下後者に呼称を統一する)のあり方,任務,働きといったことについて,今後どうあるべきかを考えてみればよいことになろう.
 ただし,トップマネージメントの問題は,もともと,組織を前提とする問題であるから,単に看護部門内部のマネージメントにとどまらず,病院という経営体の全体組織との関連でも検討する必要があることは言うまでもない.そうなると,看護部門あるいは看護部長の全体組織上の位置あるいは任務といった問題についても当然考えてみなければならない.しかし,現在わが国の病院では,この点について事柄は必ずしも明確ではなく,今後の問題としては,ここにも大きな課題があることを忘れてはならない.そこで,まずこの問題から考察に入ることにする.

看護のトップマネージャーとして私の目指し実践していること

著者: 阿部寿満子 ,   三輪清子 ,   篠原照子 ,   長谷川美津子 ,   内田卿子 ,   寺島敏子 ,   細矢あさ子 ,   出垣冴子

ページ範囲:P.386 - P.397

時代の要請に応えて,看護婦の質的向上に努力
 当病院の運営方針は,診療を通じて医学の教育と研究を行うことと,地域における救急医療を受け持つこと,更に看護婦などの医療従事者教育を行うことである.このように病院は多目的を有していることと,目的そのものが,重要かつ高度であるため,看護部の責任も重大である.しかし,当病院の看護部の実態は必ずしも十分であるとは言えない.そこで,看護部長は実態を正しく把握し,病院の機能が果たせるよう努力しなければならない.

何を期待して看護部長を選んだか

著者: 小張一峰 ,   桜井修 ,   安田宏 ,   岩渕勉 ,   澤田俊一郎 ,   蒲池真澄

ページ範囲:P.398 - P.406

病院長との間の相互の信頼感を期待できる
 雑文の寄稿を時々頼まれるが,このような注文を受けたのは初めてである.相手は身近に現存する人物であるということが,まず問題である.そのご当人に期待したり,あるいは批判めいたことも記すかもしれないこの小文が,ご本人の目に触れることは間違いないし,彼女の周辺の看護婦諸姉に格好の話題を提供するであろうことも,目に見えるようである.それを思うと,筆はなかなか進まない.
 そこである日,看護部長本人に,こんな原稿を頼まれて困っている,と話した.彼女は,何を書かれるかというような不安を全く感じる様子もなく,ぜひお書きなさい,と言わんばかりに私を励ましてくれた.私はこの時,いささか牽強付会的ではあるが,病院長との間の相互の信頼感を期待できる看護部長を選んだのだ,ということをこの難文の抽象的結論とすることを思い浮かんだのだった.

看護のトップマネージメントの組織はどうあるべきか

著者: 大田すみ子

ページ範囲:P.407 - P.409

 病院における看護部組織のあり方は,設置主体,病院組織のそれまでの歴史,病院長や看護部長の考え方,各部門間の力関係,看護部門のもつ能力などによって,様々な形態を示している.国立大学医学部附属病院の看護部が,文部省令に認められたのは昭和51年で,足並みをそろえたはずの大学病院においてすら,10年経過した今なお,それぞれ異なった組織形態で運営されている.
 昭和47年に看護部に看護婦長として入った私は,看護部の組織づくりの気運の高まる渦中で,どうあるのが望ましいのかを,当時の総看護婦長,副総看護婦長と共に模索した体験があり,当時の意義づけを想起しながら現行組織とその運営や機能のあり方を,今回のテーマに合せて振り返ってみたい.

教育で看護のトップマネージャーは育てられるか

著者: 大谷昌美

ページ範囲:P.410 - P.413

 私に与えられたテーマは標題のとおりであるが,私の歩いてきた40年の看護職歴を振り返ると,これでいいのだろうか,これで間違いないのだろうか,という自問自答の連続であったように思う.私は昭和58年3月末,長い職業生活を退いたが,看護学校の講師や日本看護協会神奈川県支部長,社団法人神奈川県看護協会会長などの仕事で結構忙しく,第一線を退いた実感がないまま現在に至っている.
 標題について論理的に記述することは難しいが,私の体験を通し感じていることを整理しながら述べたいと思う.

グラフ

総合健診部門と診療部門とを連携—長崎県立成人病センター多良見病院

ページ範囲:P.361 - P.366

 老人保健法の施行以来,自治体—市町村レベルでの保健活動への取り組みが試行されている.また,これまで診療を主体としてきた医療機関,医師をはじめとした医療従事者が保健活動にいかに関心を示し,どう取り組んでいくかは大きな課題であろう.
 長崎県ではこの流れの中で,診療部門と健康づくりのための健診部門との有機的連携のもとに運営する新病院を構想,一つのモデル的病院として昭和58年4月に,長崎県立成人病センター多良見病院を開設した.

日本赤十字看護大学初代学部長に就任した 樋口康子さん

著者: 小林清子

ページ範囲:P.368 - P.368

 樋口康子先生が日本赤十字女子専門学校(現在の日本赤十字看護大学)を卒業し,日赤中央病院(現在の日赤医療センター)の看護婦としてスタートしたのは昭和30年である.その後,フルーブライト留学生として米国に約2年学び,帰国後も日赤中央病院に勤務,更に日赤幹部看護婦研修所に1年間勉強し,日赤中央女子短期大学(現在の日本赤十字看護大学)で教職についた.昭和39年再び勉学のためにボストン大学,コロンビア大学で学び博士号を取得され,仕事と研究とを続けられていたが,日本赤十字社に請われて帰国したのが昭和53年であった.
 看護職につかれてから現在まで31年を数えるが,米国滞在が16年の長きにわたるので,私は,帰国直後の先生の行動は,滞米生活が色濃く投影していると思われたため,人間関係がうまくゆくか否かに一抹の危惧を抱いていた.ところが,あに図らんや,英語はほとんど口にせず,接遇はもの柔らかく控え目で,顕示的な態度は全くみられず,たちまち人々の中に融け込まれたことは,大きな驚きであった.しかし半面,内に秘めた情熱とことを成し遂げる粘り強さは格別で,大学設立準備のためのこの1年間は,先生が中心の一人として仕事を進めていたが,先生は日曜日はほとんどなく,平日は早朝から夜更けまで努力を重ねられて,誠に頭の下がる思いがした.

今日の視点 座談会

「精神衛生法改正」をめぐる問題点

著者: 道下忠蔵 ,   山本恭正 ,   新美育文 ,   仙波恒雄

ページ範囲:P.369 - P.377

 昭和59年3月の宇都宮病院事件を契機に精神医療のあり方が問われ,また国際的な患者の人権擁護運動とも絡んで,今,精神衛生法改正への動きが急ピッチで進んでいる.
 世界中の批判の的となった同意入院の問題をはじめ,社会復帰体制に至るまで,確かにわが国の精神衛生法には不備な点が多々見られる.そこで今回は,基本的問題から個々の具体的問題までをピック・アップしていただき,国の施策を含めてどう改善していくべきかお話し願う.

新しい医療と厚生行政

医療における「民活」(上)

著者: 厚生行政研究会

ページ範囲:P.414 - P.415

 現在の流行の一つに「民活」がある.バスに乗り遅れまいとの習性からか,医療の世界でも「民活」がささやかれている.しかし,医療における「民活」とはいったい何なのか.ダム建設や道路建設のような公共事業とは違い,もともと医療においては民間医療機関が一つの大きな柱として日本の医療を支えてきていたのではなかったか.そうすると,「民活」とは,例えば国立病院の民営化とか,単に国が金のない分を民間に肩代わりさせようとしているだけなのではないのか.このように,「民活」とは,特に医療においては言葉だけが一人歩きをしているとの感が深く,その内容について共通の認識が形成されるに至っていない.そこで,今回は「医療における民活」を様々な側面からとらえ,その実態を明らかにしてみたい.

統計のページ

国民の医療要求(7)

著者: 日野秀逸

ページ範囲:P.416 - P.418

5.医療政策への評価と要望(1)
 国民が,国や自治体が行ってきた医療政策をどのように評価しているか,という論点は,国民の医療要求を考えるうえで必要なものである.もし,これまでの医療政策の展開に対して満足であれば,これからの医療要求は小さなものとなるであろうし,逆も成り立つ.
 保健医療施策への全体的評価を示す素材として,経済企画庁国民生活局が3年ごとに実施している『国民生活選好度調査』を取りあげる.昭和59年度の調査は「国民生活政策の立案あるいは政策実施の際の判断材料とするため,国民がどのような事柄を重要と考え,それがどれだけ充足されているか,どの程度政策に期待しているか,などを調査することを目的」7)として実施された.

院内管理—最近の話題

診療材料(含ディスポ)の使用管理

著者: 増本正明

ページ範囲:P.419 - P.421

 物品管理の中で,物を補給する方法に通常二つの方法がある.請求補給方式と推進補給方式である.請求補給とは,使用する側から(病棟等)必要な物品を請求して受取りに行くか,または補給を受ける方法である.推進補給とは,補給等を担当する側から(用度・中材等)使用者側に対し,所要量等を算定して,直接配給して回る方法である.
 どちらの方法にも長短それぞれあって,一概に良否を判断することはできないが,少なくとも常時使用する物品等で,月間の所要量に大きな変動がなく,しかも消耗品であるものについては,推進補給方式が望ましいと考える.

患者からみた病院

病院と薬

著者: 不破良三

ページ範囲:P.422 - P.422

 私の知人で肝硬変と診断され,過去に度々入退院を繰り返したが,現在は小康を得て通院で治療している人がいる.問題は病院から知人に渡される薬のことで,その薬剤の種類と量の多さに驚かされたものだ.1回の服薬量として,水薬も含めて実に7種類もある.内容もカプセルあり,粉末あり,錠剤ありでバラエティに富んでいるし,色も様々で,ツートンカラーもあり,美しくもあるが,反面毒々しい不気味さも感じる.聞いた話ではあるが,お年寄りや目の悪い患者の間違いを防ぐために色付きにしてあるという.ホンマかいなと思う.
 「仮りに1日分を小皿に盛ってみなはれ,見るだけで食欲はなくなるし,吐気さえしまっせ」と知人は笑う.我々肝疾患患者がこのような多量の薬を飲んで果たして大丈夫かいな?という疑問のほうが,治るんだと思う気持ちより先行してしまうという.

定点観測 仙台市から

医師会病院とオープン・システム

著者: 望月福治

ページ範囲:P.424 - P.424

 ある日,当病院を訪れた視察団の間から,「もっと現場の生の意見を聞かれなくちゃあ駄目だよ」という声を聞いたことがある.
 すべてに目を通しているわけではないので確かなことはいえないが,医師会病院の記事は,医師会関係者側からのものは多いが,常勤医やパラメディカルサイドからのレポートは意外に少ないように思われる.

建築と設備 第1回

愛媛県立今治病院

著者: 松浦一

ページ範囲:P.425 - P.430

 愛媛県は,現在地域の中核病院としての役割を持つ六つの病院の運営を行っている.医療サービスを通して,常に県民福祉の増進を図るため,公共性と企業としての経済性を追求しながら医療内容の充実を図るという方針のもとに,老朽化し,狭隘で本来の役割を果たせない施設の再整備を順次進めて来た.

病院運営の変化 ここ10年余病院はどう変わったか

病院の装備の変遷

著者: 川北祐幸

ページ範囲:P.431 - P.434

 病院の社会に対する使命は,今も昔も変わったわけではない.特に患者に対し速やかに正しい診断を行い,それに基づいて最も適した治療を行うことは最重要なことである.
 しかし,今日の医療サービスは,病院が中心であっても,包括医療あるいは地域医療が要請されていて,点から面へと展開しつつある.

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機器短報

ページ範囲:P.434 - P.434

人工観葉植物
 東洋リビング販売(電話03-833-0614)では人工観葉植物「アート・グリーン」を発売した.
 アート・グリーンは特殊加工の自然木(本物)と精巧なポリエステル製の葉を組み合わせた人工観葉植物で,手間のかかる観葉植物を身近に楽しめるようにしたグリーンインテリア.特徴は①面倒な水やりや消毒などは不要で手間がかからない,②虫がつかず,土を使っていないので衛生的,③半永久的に使用できる,など.種類は1.5〜2.4mものベンジャミン,バーチなど10タイプ23種類,小鉢類は8タイプ12種類.

海外医療事情

デューク大学家庭医科・臨床研修プログラムについて

著者: 田中熟

ページ範囲:P.435 - P.438

沿革
 1972年(昭和47年)7月,ダーラム郡総合病院経営下のワッツ病院の協力により,デューク大学医学部地域健康科学科の中に,家庭医科プログラムが新設された.今日地域及び家庭医科に属している.設立当初レジデントの定員は,1年生4名,2年生2名であったが,過去13年間に家庭医科による医療サービス及び広汎な教育資源が,地域住民の間で多大の評価を受けるようになり,その規模は劇的に拡大した.現在,指導教官として常勤医師18名が定員となり,種々の関連学科(内科,小児科,外科,産婦人科)の専門医も加わってグループ医制がとられている.レジデントの定員も今日総計39名となり,研究生のプログラムが若干名追加された.
 1978年(昭和53年)には,従来の小規模な4つの外来棟及び事務棟が統合され,23,000平方フィート(2,136.8m2)の家庭医科センターが,ダーラム郡総合病院に隣接して新設された.これにより,レジデントのローテーション並びに患者ケアの継続が容易に行えるようになった.

時評

民主的手続きによる医療計画策定を

著者: 姉崎正平

ページ範囲:P.439 - P.439

 厚生省の医療政策の展開が,直接的医療費抑制策から,医療供給制度の合理化におよんできたことは既に本欄(本年3月号)で指摘した.医療供給制度合理化の中心は昨1985(昭和60)年12月末に成立した医療法改正による地域医療計画の策定である.
 その計画案は各都道府県ごとに今年の6月ごろまでに作られることになっている.その骨子は都道府県域を3次医療圏とし,それが複数の2次医療圏から構成されることになる.2次医療圏は原則として,入院医療を扱い,3次はその上の極めて高次の入院医療であり,1次は診療を中心とする外来医療である.1次医療に関しては今回の医療計画には入っていないが,政府は,再度医療法を改正して家庭医制度を導入し,プライマリー・ケアのシステム化に熱意を示しているので,やがては1次医療の合理化も日程にのぼるかと思われる.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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