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医療効率の良い中規模病院を目指して—兵庫県・宝塚市立病院
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ページ範囲:P.537 - P.542
文献購入ページに移動 宝塚歌劇団所在地として,昔から聞き慣れた地名の一つであった宝塚,しかし実際の街については,おぼろげな輪郭さえ描けぬままに大阪から30分,宝塚に着いてみると,そこはここ十数年で人口が4〜5倍に膨れ上がったという住宅地が六甲中腹にまで広がっていた.およそ19万という人口に対して,当院開院までは公立病院はなく,2〜3の私立病院だけだったというから,住民はもちろん市あるいは医師会からも病院設立の要望が大きかったことは容易に想像がつく.
この要望に応えるべく建設されたのが宝塚市立病院である.当院の位置づけは地域医師会と後送の兵庫医大との中間で2次病院として機能すること.したがって,兵庫医大の人的・技術的支援を受けて計画・建設され,駅から車で10分,足の便には問題もあった武庫川沿いの瀟洒な建物でスタートを切ったのは昭和59年5月であった.
この要望に応えるべく建設されたのが宝塚市立病院である.当院の位置づけは地域医師会と後送の兵庫医大との中間で2次病院として機能すること.したがって,兵庫医大の人的・技術的支援を受けて計画・建設され,駅から車で10分,足の便には問題もあった武庫川沿いの瀟洒な建物でスタートを切ったのは昭和59年5月であった.
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