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雑誌目次

雑誌文献

病院45巻9号

1986年09月発行

雑誌目次

特集 情報化社会における病院—情報システムのあり方

病院経営と病院情報システム

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.721 - P.725

「記録過多症」
 「病院は記録過多症である」とは病院管理研究所でいつも「管理改善」を担当していた行政管理庁管理官某氏の批判である.行政管庁の事務書類の多いことは有名であるが,病院に入って記録の氾濫をみたとき,その比でないことに驚いたのに違いない.
 かつてある必要があって,わが病院の帳票類を一揃い集めようと,用度係に頼んだ.ところが,集め切れないというので倉庫にある診療記録だけにしたが,それでも130種以上になった.これは共通文書だけで診療科独自の様式とか,薬剤部,検査部,放射線部など部門固有のものは入っていない.また事務部の経理や医事関係様式も,電気,ボイラーなどの部門のものも入っていない.かつて事務部だけのものを集めたところ237種になった経験がある.だからおそらく病院全体では1,000種ぐらいの帳票様式はあるであろう.病院は小さくても組織・構造はあまり差はないから,どんな病院でも数百の帳票があるはずである.部外者からみればあきれるほどの記録が毎日毎日生産されているわけである.

医療情報とそのシステム化—医療サイドから

著者: 小山照夫

ページ範囲:P.726 - P.728

医療と情報処理
 医療というプロセスを考えてみるならば,そこには基本的に多くの情報処理が含まれているということができるであろう.図1は医療を情報処理の観点からモデル化したものである.このモデルでは患者に関して既に観測されている既知の情報の存在が仮定されており,この情報をもとに診断等に見られる情報評価が行われ,また次に行うべき医療の基本方針に関する意思決定が行われることとなる.更に意思決定に基づいて,投薬等の治療や処置,追加検査の実施等の具体的な行動計画が立案されることとなり,計画に従って実際の医療行為が実行されることとなる.実際に行われる医療行為の中には,簡単な処置や注射,投薬等のように患者のベッドサイドで行われるものもあるが,現在の病院システムを考えるならば,多くのものは専門の中央診療部局に対して依頼が行われ,結果を報告の形で受け取るという形で実行されるであろう.
 医療行為が実施されると,そこでは患者に関する新しい情報が観測されることとなり,これが既知の情報に追加されることにより,新しい情報処理のサイクルが始まることとなる.またこのような医療情報処理のサイクルに付随して,実行された医療行為に関する情報が病院事務部門に伝達され,一つは医事会計の基本情報として,また一つは病院内で行われる医療行為の全体を把握し,将来計画の基礎資料を準備する統計データとして活用されることになる.

外から見た病院情報—その分類と体系

著者: 前田征男

ページ範囲:P.729 - P.732

情報システムから見た"病院"の概念
 病院というものを,システム分析的に捉えたならば,その究極的な解釈では"患者を癒やすところ"というべきかもしれない.この患者という言葉は,病気になった人を客観視した言い方の側面があり冷たい感覚も合わせ持っていると考えられる.それは"患者"を単に病気に罹った人という概念で明確に整理していくと,システム分析というものは論理的に展開することになるので,"患者"を"故障した車"と同じように考えてしまうことになる.更に分析を進めて行くと,"病院"の機能は"自動車の修理工場"と同じように扱ってしまい,以後機械的に業務の機能を分割して,少しでも業務効率の良くなる病院システムを構築してしまうことになる.
 そもそも"病院"が他のシステムと根本的に異なるのは,"患者"という"人間"を対象にしており,また"人間"の生命を取り扱っていることであろう.

ここまで進んでいるシステム化

著者: 岡島光治

ページ範囲:P.733 - P.737

医療の中心は情報サービス
 入院にしろ外来にしろ,患者を診断し治療を加え,更にリハビリ処置や予防手段を講じるのが医療サービスの社会的役割である.これを情報科学の考え方で説明すると,次のようになる.
 受診者からまず情報を収集する.具体的には,問診(主訴,既往歴,家族歴,社会歴など),打・聴・触診,放射線検査,検体検査(血液,尿など),生理検査(心電図,脳波など)のすべてが,患者からの情報収集である.

システム化の事例

著者: 三宅浩之 ,   井形昭弘 ,   飯田暢子 ,   水岡慶二 ,   土谷太郎 ,   平川顕名 ,   坂東才 ,   岩原由美子 ,   神沼二真

ページ範囲:P.738 - P.755

関東逓信病院における病院情報システム
構成と対象業務概要
 現在,次世代のコンピュータシステムの構成に適合するべくシステムの再構築を進めている最中であるので,ここでは現在運用しているシステム適用範囲に限って記述する.

地域医療における情報システム

著者: 前沢政次 ,   石橋幸滋 ,   藤内修二

ページ範囲:P.756 - P.758

 現在,地域医療情報システムとして,図1に示すようなシステムが考えられている.
 本稿では,これらのうち主なものについて,その現状と問題点及び今後の展望について述べる.

グラフ

診療・教育・研究を近代的管理により統合する—台湾・財団法人長庚紀念医院

ページ範囲:P.713 - P.718

 東南アジアで韓国とともに経済的に急成長している台湾の医療についてはほとんど紹介されていない.
 本誌で紹介する財団法人長庚紀念医院は台湾の企業グループのトップであるFormosa Plasticsグループの王永慶会長が開設した病院である.すなわち,企業で得た利潤を国民に還元しようという趣旨である(現在,貧困者のためには基金が創設され,年間1万人以上,約250万ドル以上が補助支給されている).本院は台湾の医療供給体制に大きなインパクトを与える活動をしている民間の超大規模病院である.その運営理念は診療サービス,教育,研究を統合化し,優れた医療を患者に提供しようというものである.そのために,近代的経営管理の手法を導入したユニークな経営管理を行っている.

第25回全国自治体病院学会会長熊本市民病院院長 広田 耕三氏

著者: 主藤裕祥

ページ範囲:P.720 - P.720

 「患者さんに喜んでもらえる病院,職員が楽しく働ける病院」.先生が院長就任以来モットーにしてこられた言葉である.
 先生は昭和44年に整形外科部長として赴任され,特に股関節外科を専門に担当されてきた.その後,副院長として大任を果たされた.昭和58年院長に就任されるや,医師会,官公立病院,医療行政機関とのネットワーク作成に着手され,そのリーダー役として活躍中である.院内にあっては,高度医療の推進,教育研修病院の認可,癌診療の充実,新生児医療センター,臨床病理室の新設など,わずか2年余にして,名実ともに県下随—の中核病院に育て上げられた.実に驚くべき手腕である.「これからの自治体病院は地域住民と共に歩む病院でなければならず,住民サイドに立つ医療を展開してゆく必要がある」.これが先生の持論である.

病院給食の変貌

病院給食から病院フードサービスへ

著者: 最勝寺重芳

ページ範囲:P.759 - P.763

 健康保険本人の医療費10%の自己負担制は,病院経営者側に大きな危機感となって浸透した.それは病院の倒産が相次いだというニュースのせいばかりでなく,構造的にも関連産業をも含めた医療業界のベースダウンが予測されたからにほかならない.
 しかしながら,一方病院の増改築や新築増床も行われている.これは企業的発想に基づく営業の観点から求められる病院の変身方向と考えられるし,更に病院経営は技術・サービスの開拓あるいは向上とともに体質改善の時代を迎えた証左とも言えるのである.

新しい医療と厚生行政

レセプト様式簡素化の動き

著者: 厚生行政研究会

ページ範囲:P.764 - P.765

 現在,医療機関で使用されている診療報酬明細書(レセプト)の様式は,社保,国保,老人,退職者用等で合計22種類あるが,甲・乙別々なので全体では44種類ある.レセプトは手書きを前提にして作られているため電算化が進んできている現在,様々な問題が出てきている.パソコンと共に育った私たち若者にとって,このレセプトなるものは電算処理には適さない誠に不合理なものである.特に診療報酬の改正が行われた時,必ずといっていいくらいにレセプトの様式も変更されるため,電算化を行っている医療機関では1か月程度の短期間のうちにプログラム等の変更を行わなければならない.また月々の請求においても,プリントアウトする時に22種類の用紙をその都度取り替えなければならない.これは大変な手間であるし,電算化のメリットが生かされていない.しかし,レセプト様式が電算処理に適していないにもかかわらず,医療事務の電算化は急速に進行している.最近のレセプト請求状況を見てみると,支払基金の調べで全医療機関の19.1%,レセプト件数の35.6%が電算化されている(昭和60年5月診療分について).ここ数年の実績を片対数表で見ると,ほぼ直線的増加をしており,指数的傾向で普及していることが分かる(図).このままの速度が続くかは疑問だが,昭和65年前後には約半数の医療機関がレセプトを電算化することになる.従ってレセプトを電算処理に適したものに変えることは急務である.

隠れた戦中医学史 ペニシリン秘話

戦後のペニシリン工業の復興

著者: 落合勝一郎

ページ範囲:P.766 - P.767

 長い戦争が終わった.昭和6年に始まった満州事変から実に15年ぶりに戦争のない平和な朝を迎えたことになる.しかし,戦争の傷跡は大きく,主要都市はほとんど潰滅し,戦争を支え,日本経済を支えた多くの工場も稼働できないまでに打撃を受け,悲惨な状態であった.国民も心身ともにぼろぼろになって一時は茫然自失,なすすべを忘れた感があった.このような日本全体が虚脱状態にあった中から,また新しくペニシリン事業が芽を吹き出した,戦時中,稲垣さんたちがペニシリン委員会という名のオーケストラのタクトを振った成果が,さわやかな音色のペニシリンという薬を生き返らせたのであった.
 ペニシリン工業が,日本を再建する役割を担った平和産業のトップバッターとして,医業,薬業界のみならず,全産業界に喝をいれ,復興の原動力となって大きくクローズアップされて,エネルギッシュな生産活動を開始し出したのである.これはまさに,戦後再び生き返った日本の産業を語る上で特に強調できる事柄であった.

統計のページ

統計から見た医療(3)—診療機器と特殊診療施設の状況

著者: 小松仁

ページ範囲:P.768 - P.769

 前回に引き続き昭和59年の「医療施設調査」より,特殊診療施設の状況について解説してゆきたい.前回と同様に「医療施設調査」(静態)は,昭和56年の調査と若干調査項目が異なるので,比較できるもののみ比較する.

院内管理—最近の話題

病院外来をどう考えるか(2)—神戸中央市民病院外来運営の課題

著者: 尾形誠宏

ページ範囲:P.770 - P.771

□将来の病院外来はどうあるべきか
 前号において,病院の外来をどのように運営するかについて,病院外来の運営理念,救急外来のあり方,患者サービスの向上等について述べたが,本号では,我々の病院の外来の将来像を考えながら,一般論としての将来の病院外来を考えてみる.

建築と設備 第5回

大阪府済生会中津病院

著者: 伊藤誠

ページ範囲:P.773 - P.779

■建設の経過
 中津病院は1916年済生会大阪府病院として北区中崎町に創設された.現在地(北区芝田)に移設されたのは1935年で,建設費には地元の資産家嘉門長蔵氏からの寄付金100万円が当てられた.設計は中村与資平(1905年東京帝国大学工科大学卒)で,地下1階・地上3階の建築は小規模ながら密度高く味わい深いデザインである.しかし,第2次大戦を含む歳月の経過に施設の老朽化・狭隘化が目立つようになり,その上,以前からの高架の阪急電鉄に加えて,これも高架の自動車専用道路が病院の前面を遮ることになり,環境としては必ずしも好ましい条件の所ではなくなってしまった.
 現院長豊島正忠先生は1969年の就任早々から,新しい用地を千里ニュータウンの近くに求め,そこに病院・看護学校・職員宿舎と併設の整肢学院および乳児院を移す新しい医療福祉センター構想をたて,精力的に多方面との折衝を重ねられたが,諸般の事情から約10年にしてこの構想は断念しなければならないことになった.現在地での整備計画が開始されたのは1977年の暮からである.この場所には,大阪駅から近い(徒歩約10分),地下鉄の駅がすぐそばにある,永年培った固有の診療圏をもっている,など先にあげた欠点を補って余りある利点が数えられるから,方針変更にもそれなりの意義はある.

精神病院わが病院づくり

患者の自由を擁護し,地域精神医療への展開を目指す—藍里病院

著者: 石村栄作

ページ範囲:P.780 - P.784

病院の概要
 藍里病院は徳島県のほぼ中央部,四国三郎吉野川の北岸,水と太陽と緑に恵まれたのどかな田園地帯にあります.徳島市と四つの町に隣接し,国鉄徳島駅から車で30分,徳島大学医学部から15分ほどの距離です.
 病院のすぐ南には旧吉野川,更にその南に吉野川が流れていて,静かで新鮮な空気,岸辺の草花,魚釣り,シジミ採りなど四季折々の自然が楽しめます.

連載 変化する病気のすがたを読む・2

病気のすがたの成り立ち

著者: 倉科周介

ページ範囲:P.785 - P.789

1.なぜ昭和ひとけたか
 昭和ひとけた生まれと俗にいわれるのは,1925年から1935年ころの期間に生まれた世代のことである.なぜかこの世代の男子に特殊な死亡パターンがあることを説明したのが前回である.
 なぜこのような現象が起こったのか.経年的に時代をさかのぼって観察すれば,この世代の生涯を通じて,その特殊性が連続しているのがわかる.だからといって,出生コホートの特性が原因だ,コホート効果(co-hort effect)だといっても,それではこの現象が発生する原因やメカニズムの説明にはならない.原因がわからないことには対策も立てようがないのは確かである.当節の細菌感染症のように抗生物質で一件落着というわけには,肝硬変も糖尿病も,まして悪性腫瘍などは,行くはずがないからだ.ただし原因やメカニズムがわかっても,対策はないということだってザラにある.このことは忘れてはならない.わからなければ対策が立たないとは医学者がよく口にするセリフだが,ではわかったら対策が立てられますかと反問されたらグウの音も出なくなる.そういうその場凌ぎの出まかせは言ってはならないし,期待してもいけない.細菌の代謝経路がキッチリとわかったからペニシリンやストレプトマイシンが発見されたのではないことを思い出しておこう.

ルポ&インタビュー 病院アレコレ見聞録

再三の転換を経て,地域に根づく結核保養所—千葉県・九十九里ホーム病院

著者: 大谷猛 ,   井上峰夫 ,   編集室

ページ範囲:P.790 - P.794

 九十九里浜をはるかに望む松林の丘の上に建てられた九十九里ホーム病院は,昨年創立50周年を迎えた.英国婦人宣教師によって作られ,千葉県の結核医療のパイオニアともいうべきこの病院は結核の減少とともに一般病院に,更に老人医療福祉施設へと時代の波の中で生き続けてきた.
 現在許可ベッド数189床(結核40),職員122人,外来1日患者数160人,診療科は内科,呼吸器科,整形外科.病院のほかにショートステイ,入浴サービスも行う特別養護老人ホーム(定員100)を併設し,また市から養護老人ホーム(定員50)の運営を委託されている.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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