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雑誌目次

雑誌文献

病院46巻2号

1987年02月発行

雑誌目次

特集 病院におけるボランティア・ワーク

病院におけるボランティア活動の現状と問題点

著者: 牧野永城 ,   三井和子

ページ範囲:P.105 - P.108

病院はまだまだ勉強不足
病院ボランティアの始まり
 もう20年以上も前のことになるが,アメリカの病院で働いていたころ,病院内で働く中高年の婦人や若い学生などのボランティアの姿は,筆者の目に病院の存在に溶け込んで極めて自然に映ったものである.
 アメリカの病院の成立の歴史をみると,人々の手によって(By The People)でき,また運営されてきたものだけに,それなりにそれは納得できた.わが国にはそのような社会や病院の歴史的背景がない.帰国して聖路加病院に勤めるようになって数年経ったころ,ボランティア制度導入の話がちらほら出てきたときも,歴史的背景のない所にそのようなものがいったい育つだろうかと,正直言って疑問に思ったものである.当時当院の院長であった橋本寛敏先生が同じような見解をもっていてあまり積極的でなかったと聞いている(当時の総婦長の話).

当院のボランティア・ワーク

著者: 中鉢美津子 ,   長洋 ,   山本治子 ,   蜂谷貞之助 ,   高橋百合子 ,   石井美枝子 ,   衛藤幹子 ,   伊藤国彦 ,   鎮西淳子 ,   成田稔 ,   中村保 ,   中村仁一 ,   林治子

ページ範囲:P.109 - P.122

慶応大学病院におけるボランティア・ワーク
開始時の困難を乗り越え,定着した活動
ボランティア受入れを始めたころ
 当院で,ボランティアを受け入れることができたのは,1970年(昭和45年)アメリカのロスアンゼルスにおいて,国際ボランティア教育者会議が開催された時,当院の元整形外科部長岩原寅猪先生の計らいで,平松キツ子婦長が出席したことに始まる.その後,大阪で開催された第1回日本病院ボランティア大会(会長故広瀬夫佐子先生)にも同婦長が参加するなどの経過があった.
 昭和48年,東京YWCAでボランティアビュローが開設され,当院にその受入れのご依頼があり,快諾した.ところが当時は,病院の看護婦不足が深刻な問題で,当院でも労使間の激しい交渉が繰り返されており,ボランティアの導入についても一部の職員は,「看護婦不足の代替ではないか」等の疑問を持っていた.こうした拒否的なムードがあったため,その説得が必要であった.

地域医療におけるボランティア—その意味と実際

著者: 鎌田實

ページ範囲:P.123 - P.126

病院は死にかけている
現在,医療を取り巻く環境は厳しさを増して来ており,今後はますます経済的論理を最優先した医療機関の整理・再編成が進むものと思われます.また,総医療費抑制策の下で,病院・診療所経営の悪化は全国的に広がりつつあり,そのためすべての医療従事者の労働条件の悪化が顕在化して来ています.このような外的な厳しさに加えて,病院の内部では,この十数年来の近代化の嵐の中で,医療従事者の心が荒み始めているように思います.私の心が病み,働く仲間の心が傷つき始め,「病院」は死にかけています.最近,私は,次のようなことを自らに問います.『病気だけを小さな視野で見過ぎていないか.病気を抱えているトータルな人間を見失っていないか.患者を支えている家族を常に焦点に入れているか.患者の生活する地域のことを考えているか.そして患者をこのように分断するだけではなく,自分らの「病院」を近代化し,進歩させ,専門化させるなかで,自らを働く仲間から分断してはいないか.その上,個としての自分をも分断し,自らのアイデンティティを失っていないか.』
 このように,今,病院は,ひとり孤立して存在する臨死患者のように,夜の闇の中で蠢いています.

座談会

病院にボランティアは必要か

著者: 長谷川純子 ,   島田妙子 ,   丹羽直久 ,   紀伊國献三

ページ範囲:P.127 - P.134

 紀伊國 本来,病院は病を持った人にどのように奉仕できるかというところから生まれてきたわけですから,病院そのものがボランティア的なものでなければならないという主張もあるわけです.しかし,最近では病院に働く医療担当者ばかりではなくて,そのほかの方々の積極的な参加なしには,病院の機能を十分に果たせないのではないか,という反省があり,その意味でボランティア活動が見直されています.
 既に,本誌では,15年前に,「ボランティア活動」という特集をしておりますが,もう1度,いわば病院の原点とも言える"ボランティア・スピリット"を高めるにはどうしたらいいかを考えてみたいと思います.

グラフ

創立70周年を迎え,高層化し,診療機能の充実を図る—東京医科大学病院

ページ範囲:P.97 - P.102

 高層ビルの群立する新宿新都心の一角に,昨年4月,東京医科大学の新病院が開院した.本大学は,大正5年(1916)に開設されたとのことで,ちょうど創立70周年を迎えたことになる.旧病院を働かせながらの工事で,同じ敷地内の駐車場と看護婦宿舎を整理して建設された新病院は,土地の有効利用を図るため18階建てに高層化し,面積も旧病院に比しほぼ倍の広さが得られ,延べ72,400m2となった.
 新病院構想の立案に際しては,病院完成時に運営の担い手となる40代を中心とした中堅職員から委員を出し,その意見を吸い上げる形で計画を練ったという.内外の紆余曲折を乗り越えて完成した本院は,高層化,大規模病院のトータルコンピュータシステムの導入,救命救急部の新設など,関心を寄せられる面も多い.大まかに現状を紹介したい.

じん肺診療一途に30年—珪肺労災病院院長 千代谷慶三氏

著者: 滝沢敬夫

ページ範囲:P.104 - P.104

 千代谷先生は私の1年先輩であり,医局では同じ釜の飯を食った仲である.青森中学4修で陸軍士官学校(58期)に進み,終戦当時は弱冠20歳で陸軍少尉であったというから秀才であったに違いないが,一見,茫洋として,むしろ大人の風格であった.通称"千代さん"の愛称で親しまれたが,酒は滅法つよく,斗酒なお辞することがなかった.
 そんな千代さんが真に彼の本領を発揮するようになったのは,恩師,中村隆教授によって珪肺労災病院へ引き抜かれてからであり,40歳にして労災病院院長の要職は,それだけでも破格の人事であった.しかも珪肺労災病院は労働省の有する唯一のじん肺専門病院(昭和24年開設)であり,その病院長は我が国におけるじん肺診療の最高権威と目されるわけだから,当時の御苦労は並大抵ではなかったと推察される.隠忍自重,これを克服されたのは,誰にでも好かれる先生の人柄と持ち前の粘り腰によるものであろう.

寄稿

中規模病院手術部の設計とその運営

著者: 桜井修

ページ範囲:P.135 - P.138

 宝塚市立病院は,20万都市の中核医療機関の目的をもって,昭和59年5月に新築,開設された.その概要は本誌(第45巻第7号,1986)にも掲載されたが,各科のバランスのとれた,効率のよい病院を基本構想として持ったため,中央診療部門の充実に努めたが,特に手術部に関しては筆者の関心が深かったこともあって,設計段階から意欲的に新しい平面図を考え,開設後もその構造を生かした運営を試みて来た.
 開院以来,2年半を経過したので,ここに設計上の留意点と運営の状況をまとめてみたい.

医療・病院管理用語ミニ辞典

—病院経営—診療圏,受診圏,医療圏/—診断機器—MRI

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.139 - P.139

 病院あるいは診療所という医療サービスの供給地点を中心とした利用患者の地域範囲を診療圏という.外来患者と入院患者とでは分布状況が違うので,外来診療圏,入院診療圏と分けることができる.
 診療圏の形状は円型ではなく,道路,鉄道など交通路線に従って伸びた星形となる.大規模病院ほど,また専門性の高い病院,診療所ほど診療圏は広く,小規模病院や専門性のない一般診療所のそれは狭い.

厚生行政フォーラム

診療報酬支払制度の見直し

著者: 厚生行政研究会

ページ範囲:P.140 - P.141

 昭和59年は健康保険法改正,60年は医療法改正,61年は老人保健法改正が行われ,そして今年は精神保健法の改正案が国会に提出される予定である.毎年,めまぐるしく変化してゆく医療制度により,病院は望むと望まざるとにかかわらずその変化に対応してゆかねばならない.老人保健法についても今回は成立しないだろうとたかをくくって準備をしなかった病院の担当者は,年末年始,準備に大童だったようである.
 そこで,我々は今年,今後数年のうちに変化してゆくことになるであろう医療問題等にスポットをあてることにする.テーマとしては,医療のミニマム・リクワイアメント,老人保健施設,地域医療計画,病院の広告規制,在宅医療,医療産業自由化,病院の機能評価,MSWの制度化等を予定しているが,今回は診療報酬支払制度を取り上げることにする.

事務長のNow & Know

私的病院における事務長その経営参画への道(その2)

著者: 大江唯之

ページ範囲:P.142 - P.144

4.事務長の管理的資質
 管理の種類としては財務管理(資金管理)・患者管理(マーケッティング管理)・収入管理(レセプト・その他の管理)・人事管理(人づくり)・材料管理(仕入れ管理・在庫管理)といったことがあげられますが,事務長の資質として一番大切なことは,部下に対していかに「権限と責任」を委譲できるかでしょう.私は,事務長の管理は重点管理であり,言い換えれば扇の要だけを管理していれば良いと思います.そして,組織を通して,管理→点検を繰り返しながら,末端までその影響力を及ぼすことが大切で,それが組織管理の原点です.
 そこで,その重点管理のあらましを述べてみます.

お知らせ

日本看護歴史学会の設立と入会のお誘い

ページ範囲:P.144 - P.144

設立の趣旨および活動内容
 看護史は,従来ともすれば狭義のものとして考えられ,取り扱われて来ましたが,より広い視野に立ち,様々な分野を考究することにより,新たな方向性と可能性を追求することを目指し,日本看護歴史学会を設立いたしました.
 具体的な活動としては,年1回の総会および関連行事(講演,特別講義,研究報告会,親睦会)を開催し,機関誌の発行を行うとともに,分科会活動を推進することを予定しております.

事例から見た査定減防止対策

再審査請求のポイント(2)—抗生物質等の長期大量使用には詳細な使用経過説明を

著者: ,   ,   ,  

ページ範囲:P.145 - P.147

 A本例は昭和60年1月分の入院事例です.患者さんは泌尿器科に入院の84歳の男性で,病名は脳血栓,膀胱炎,腎盂腎炎,褥創(多発性),敗血症,心不全です.
 総点数は111,962点,具体的な診療内容に関しては別掲の症状詳記をご参照下さい.

院内管理—最近の話題

最近の薬剤管理1.—服薬指導

著者: 中原保裕

ページ範囲:P.148 - P.149

 薬剤師の業務というとすぐに「調剤」という言葉が浮かんでくると思います.したがって病院関係者の人でさえ,「薬剤師に何を期待しますか」という質問をされても,なかなか適切な答えが浮かんでこないことと思います.では,薬剤師自身に対して同様の質問をしたらどうでしょうか.いろいろな答えが予想されますが,基本的にはクリニカルファーマシーとか薬物血中濃度測定とか病棟活動とか医薬品情報といった言葉が発せられることでしょう.確かに薬剤師の学会等での話題はそのようなテーマが中心となっているのですが,では実際の医療の場でそれらが実践されているのかと申しますと,残念ながら答えは"very few"ということにならざるを得ないでしょう.それには大きく分けて二つの理由が薬剤師側にあると思うのです.
 まず第1に薬剤師自身がそれらのことを患者志向の立場から真に理解していないこと,第2に薬剤師の行動や活動が医療の主役である一般国民に目を向けていないこと,です.

統計のページ

看護従事者実態調査から(1)—属性について

著者: 奥村元子

ページ範囲:P.150 - P.152

 社団法人日本看護協会は保健婦・助産婦・看護婦(士)・准看護婦(士)からなる職能団体で,昭和61年10月末の会員数は29万人にのぼる.本会では昭和40年以来4年ごとに会員の属性・勤務状況等についてその実態を調査しているが,このほど昭和60年10月に実施した第6回会員実態調査の報告書がまとまった.今回調査では,全会員から無作為抽出により9,235名に調査票を郵送し,うち4,541名から有効回答を得た(回収率49.2%).そこで,今回から4回にわたり,この調査結果から主なデータについて,報告する.なお,報告書は『日本看護協会調査研究報告No. 24』(日本看護協会出版会)として刊行されており,詳細については当報告書を参照されたい.

建築と設備 第10回

社会保険神戸中央病院

著者: 織田哲 ,   飯島庸司

ページ範囲:P.153 - P.158

■生まれかわった病院
 昭和61年4月,新しい病院の診療が始まった.六甲山地の4月はまだ風も冷たく,とりわけこの地一番の高台に建つ当院の周辺は,ニュータウンのゆえもあって幾分寒々とした風景であった.しかし,地域の期待を担い,病院にとっても38年目の再出発という思いが軽い興奮となり,院内に満ち溢れていた.
 当院は昭和23年,当時の生田区(現在の中央区)中山手通に開院している.木造2階建5診療科,45床の規模である.33年には総合病院の承認を受け,38年に11診療科,402床の規模となって現在の基礎がほぼ固まった.こうした変遷が物語るように,当院の医療活動は確実な実績を残しつつ,地域と密着して発展を続けて来た.一方,建物の狭隘老朽化は著しく,数度の整備で敷地を一巡した回廊式の建物は,医療上,管理上,何かと不都合を生じていたが,現地での再整備は法的制約から,規模的に無理と判断され移転の方向で検討が進められてきた.移転新築は当院のこうした状況と神戸市の医療行政がうまく噛み合った結果であり,単なる再整備というより,市の医療行政のネットワークに基づく新しい診療圏への移転として今後の活躍が注目される.

シリーズ・病院経営

病院経営戦略論序説(7)—北里大学病院の経営戦略—北里大学病院坂上正道院長インタビュー

著者: 田中滋 ,   坂上正道

ページ範囲:P.159 - P.164

経営戦略と戦術
 田中病院経営を有効かつ効率的に行うためには,戦略と戦術の2面からのアプローチがともに不可欠な要件と考えられます.戦略志向だけ,あるいは戦術的管理だけという病院は(両方ともない場合よりはましとしても),近代的組織とは呼び難いのではないでしょうか.そこで,はじめに医業における経営戦略と戦術の相対的な位置づけを,簡単な図を使って確認したいと思います.
 上位概念たる経営戦略は三つの要素によって規定されます.まず第1に,年々の出来事を超え,環境を超越して経営指導層が抱く,「何を果たしたいか」という存在の根本目的があげられます.病院でいえば,その組織に固有の使命,あるいは開設者の理念がそれに当たります.

連載 変化する病気のすがたを読む・6

知識のすがたを考える

著者: 倉科周介

ページ範囲:P.165 - P.169

1.知識の構造
 ここ数回,かなり肩の凝る話を続けてしまった.くだけた話題をはさむのも芸のうちだと分かってはいるが,木に竹を継いだようなことになっても,かえって体裁が悪かろう.だからたたみかけるようにして先を急ぐ.居直り強盗か押売りの手口みたいで気がひけるが,早手回しにお許しを願っておく.
 本題に入ろう.

ニュース

「済生学舎百十年記念祭」開かれる—日医大・日医大同窓会共催で

ページ範囲:P.169 - P.169

 済生学舎百十年記念祭が日本医科大学及び日本医科大学同窓会の共催で,昨年の11月30日,東京・東京商工会議所ホールで開催された.
 式典はまず主催者が挨拶,続いて来賓の祝辞が行われた.来賓として羽田春兔日本医師会会長,太田邦夫日本医学会会長らが,「建学の精神を忘れることなく医学を実践されることを祈念する」,「私学の伝統を強く継承されたい」などと祝辞を述べた.

精神病院わが病院づくり

100年後を考えた病院づくり—旭山病院の開設と経過

著者: 石橋幹雄

ページ範囲:P.170 - P.173

旭山病院の母体
 旭山病院は昭和55年に開設された精神科を主体とした420床の病院である.
 経営は医療法人北仁会であるが,法人の母体となったのは昭和9年に小樽市に創設された石橋病院である.私が石橋病院に勤務するようになったのは昭和42年からで,院長は日本精神病院協会の会長を務めた石橋猛雄であった.20床から30床ほどの病棟が十数か所に分散していて,その病棟の2階に院長も看護の人たちも居住していて,そこに若い職員が通勤してきた.中央詰所というのがあって,そこだけは三交代制を取っていたが,各病棟は経験のある責任者の看護婦(看護士)が毎日24時間勤務の状態になっていた.

定点観測 鹿児島県・野田町から

15年を振り返って

著者: 松下文雄

ページ範囲:P.174 - P.174

 野田町立病院に勤務して15年になる.この間,試行錯誤を繰り返しながら,どうやら近代的病院への脱皮ができつつある.ここで一応過去を振り返ってみるのも,また意義があるものと思う.
 外科医として手術に対するある程度の自信ができ,また消化器診断のためのX線検査,内視鏡検査を四十の手習いで覚えたところで,独力で消化器癌の早期発見,手術,更にその後のフォローアップ,社会復帰と,一貫した治療を夢みて,15年間住みなれた水俣市立病院を巣立ち,当院に赴任したのが43歳の昭和47年5月であった.まず住民の理解を得ることが第1と考え,議会に出席し,着任の挨拶と同時に,胃癌の早期発見が終生のテーマであることを力説した.次いで開業医に対し,内視鏡検査に主力を置いた診療であることを説明し,理解を求め,両者の関係の円滑化を図った.

時評

アルコール依存症の呪縛

著者: 小野重五郎

ページ範囲:P.175 - P.175

 アルコール依存症(以下「ア症」と略す)ほど,現代医学の診断・治療の方法論,医療機関の運営,健保制度など要するにおしなべての現代医療の弱点をみごとに衝いている疾病はないのではないか.
 早期診断は迷惑がられ拒否されるので早期の治療は存在しない.アルコール消費量は著しく伸び,ア症が著増していることは間違いないが,これに対応する医療体制の拡充はみられない.ここではマーケットの原則が機能していないのである.それだけではなくア症に対する医療機関の側のガードはより固くなっているようにさえみえる.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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