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文献概要
千代谷先生は私の1年先輩であり,医局では同じ釜の飯を食った仲である.青森中学4修で陸軍士官学校(58期)に進み,終戦当時は弱冠20歳で陸軍少尉であったというから秀才であったに違いないが,一見,茫洋として,むしろ大人の風格であった.通称"千代さん"の愛称で親しまれたが,酒は滅法つよく,斗酒なお辞することがなかった.
そんな千代さんが真に彼の本領を発揮するようになったのは,恩師,中村隆教授によって珪肺労災病院へ引き抜かれてからであり,40歳にして労災病院院長の要職は,それだけでも破格の人事であった.しかも珪肺労災病院は労働省の有する唯一のじん肺専門病院(昭和24年開設)であり,その病院長は我が国におけるじん肺診療の最高権威と目されるわけだから,当時の御苦労は並大抵ではなかったと推察される.隠忍自重,これを克服されたのは,誰にでも好かれる先生の人柄と持ち前の粘り腰によるものであろう.
そんな千代さんが真に彼の本領を発揮するようになったのは,恩師,中村隆教授によって珪肺労災病院へ引き抜かれてからであり,40歳にして労災病院院長の要職は,それだけでも破格の人事であった.しかも珪肺労災病院は労働省の有する唯一のじん肺専門病院(昭和24年開設)であり,その病院長は我が国におけるじん肺診療の最高権威と目されるわけだから,当時の御苦労は並大抵ではなかったと推察される.隠忍自重,これを克服されたのは,誰にでも好かれる先生の人柄と持ち前の粘り腰によるものであろう.
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