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人
"風格"ある名古屋の江戸っ子社会保険中京病院院長 太田 裕祥氏
著者: 八坂孝1
所属機関: 1社会保険中京病院
ページ範囲:P.384 - P.384
文献購入ページに移動 先生は,大正4年,東京・日本橋で生まれた.洋傘商いのおじいさん,綿糸取引のおやじさんとうかがえば,先生の気風を察するのはたやすい.先生には,恩師・田村春吉氏がいる.当時,愛知医科大学(現・名大)皮膚泌尿器科教授の氏を,やんちゃ盛りにかかったカリエスが縁で存じあげ,氏の薫陶を受けることがなかったら,現在の自分はなかったと,先生はおっしゃる.憚らずに申しあげれば,先生は,"風格ある市井の人"である.歯に衣着せぬ舌鋒,礼儀知らずをもっとも嫌い,生返事には打擲も辞さない.直言断行は,いわば表のアイデンティティであり,その裏には,側隠の情を忍ばせ,眼光紙背の配慮があり,故に情愛が厚い.
昭和22年,名大講師の先生は,当時,名大教授を兼ねる斎藤眞病院長のきつい要請で,開設時の現病院に赴任された.同33年,膀胱腫瘍の手術を受けたが,その頃,中京病院に勤務する気持を固められ,専ら攻めの戦略で病院発展に尽くされた.特筆すべきは,全国に先駆け人工透析センターを開設し,逸早く腎移植に取り組まれたことである.全国唯一の熱傷センターを新設されたことも,ここに加えなければならない.
昭和22年,名大講師の先生は,当時,名大教授を兼ねる斎藤眞病院長のきつい要請で,開設時の現病院に赴任された.同33年,膀胱腫瘍の手術を受けたが,その頃,中京病院に勤務する気持を固められ,専ら攻めの戦略で病院発展に尽くされた.特筆すべきは,全国に先駆け人工透析センターを開設し,逸早く腎移植に取り組まれたことである.全国唯一の熱傷センターを新設されたことも,ここに加えなければならない.
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