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文献詳細

雑誌文献

病院5巻6号

1951年12月発行

文献概要

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「病院デー」の制定について—吉田醫官に答えて

著者: 俣野章一1

所属機関: 1天王寺病院

ページ範囲:P.38 - P.38

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 東京で厚生省吉田醫官から「病院デー」制定に際して聖徳太子の施藥療病院の開設された月日につき質問を受けました。私も聖徳太子傳統の病院に院長となり,しかも本年は丁度施藥療病院(現在天王寺病院)の再建20周年と,聖徳太子1330年の御遠忌に當りますので,出口四天王寺管長殿の御指導で多少調べて見ました事を記して見ましよう。
 さて四天王寺は用明天皇の2年大臣蘇我馬子が大連物部守屋を征するに當り,時に14歳であられた聖徳太子が四天王を祭り「今もし我に勝利を御させ給わば,四天王の御爲に寺塔を起し奉らん」。と御誓願され,戰勝後誓言通り四天王寺を建てられ(日本書記)太子傳歴には四天王寺は用明天皇2年に難波玉造に建立,推古天皇元年に改めて今の荒陵に遷されました。これでとにかく四天王寺の創立は明らかになります。併し四ヶ院の記録としては,平安朝一條天皇の寛弘4年8月1日金堂で發見された御手印縁起による外ありません。御手印縁起によりますと,四天王寺は單に佛像安置や民衆禮拜のための霊場のみでなく,廣く社會救濟の設備を具えた四ヶ院から出來ておりました。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1383

印刷版ISSN:0385-2377

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