文献詳細
人
文献概要
浅野は東京大学医学部の同級生である.我々のクラスは高等学校の教育は2年で,しかも無試験で東大に入れてもらった唯一(多分)のクラスである.入学して,5か月余の軍医速成教育も終戦で終り,9月からは再び正規の授業が始まった.翌年,学部対抗レガッタの再開ということで,一高の理科端艇部で漕いでいた小笠原(元・河北総合病院長)に誘われ,何も遊ぶことのなかった仲間が集まってエイトの練習を始めた.彼とはそれ以来の付き合いである.ボートの仲間は他のスポーツ仲間以上に親しくなる.家が近かったせいもあり,浅野とは正に心の友となった.彼の家は当時,東京渋谷でキリスト教会をやっており,父上は高名な神学者であった.そんなためか彼も一寸バタ臭いところがあり,戦後,着る物に苦労した時代にも,アメリカ放出物資の上着などを着こなしていた記憶がある.彼は今でも仲々の洒落者である.
第二外科に入局してから,心臓外科の草分け的仕事をし,一番早く新潟大学の教授になり,我々を驚かせた.ボート時代はそんなに手先が器用だとは思わなかつたのに,人間とは判らぬものである.
第二外科に入局してから,心臓外科の草分け的仕事をし,一番早く新潟大学の教授になり,我々を驚かせた.ボート時代はそんなに手先が器用だとは思わなかつたのに,人間とは判らぬものである.
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