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雑誌目次

雑誌文献

病院52巻2号

1993年02月発行

雑誌目次

特集 週休2日制実行のためのポイント

労働時間短縮への流れと、国立病院における週休2日制導入の経過

著者: 丸田和夫

ページ範囲:P.108 - P.109

国家公務員の労働時間短縮への流れ
 我が国の労働時間は欧米に比べて非常に長く,生活の豊かさを実感できない要因の1つになっている.労働時間の短縮は,生活のゆとりを生み,創造的な国民生活の実現や,先進国としてよりふさわしい労働条件の確保,内需の拡大等の観点から,最も重大な課題の1つである.中でも国家公務員の労働時間を短縮していくことは,労働時間短縮への社会的機運を高めることに資するものであるため,業務の一層の効率化等を図りつつ,国民の合意を形成して,労働時間の短縮を推進することが早くから叫ばれていた.
 国家公務員全体としては,昭和56年3月に4週5休制,63年4月には4週6休制の本格実施が始まり,さらに64年1月に「行政機関の休日に関する法律」の施行による土曜閉庁方式が導入され,平成2年4月には交替制等職員の週40時間勤務制の試行が関始され,4年5月より完全週休2日制がスタートした.

なぜ週休2日制が必要なのか

著者: 山中直樹

ページ範囲:P.110 - P.113

はじめに
 人類は,文明史上での発展をとげて,人は,基本的な自由と機会均等の権利を有した.更に人それぞれの価値観に基づいてそれらの権利を等価と思う物事と交換をすることが認められている.即ち,選択権がある.以上の条件を基に,人は,社会的な存在として役割を果たしつつ,時間の使い方に選択を続けながら生きていかなければならない.
 組織も個人も,その建設的な生存のためには,①人間性の保障,②科学技術的条件,③国家,社会,経済の条件,④地球環境資源の問題以上の4点を必要条件として満足しなければならなくなった.

病院経営における労働時間短縮のポイント

著者: 長谷川武

ページ範囲:P.114 - P.117

 本稿を執筆された長谷川武先生は1月1日,ご自宅で脳出血のため倒れられ,同17日,入院先の病院にて逝去されました.本稿が絶筆となりました.
 先生のご冥福を心よりお祈りいたします.

[インタビュー]サービスの質を落とさずに労働時間の短縮をはかる法—富士屋ホテルチェーン総支配人・山口祐司氏に聞く

著者: 山口祐司 ,   黒田幸男

ページ範囲:P.133 - P.140

ホテル業界でも遅れている完全週休2日制の導入
 黒田 他の産業と同じように病院でも週休2日制問題,あるいは週労働時間の短縮といったことが労務上の重要課題になってきました.しかし,完全週休2日制をやっている病院はまだまだ10%にも満たないというのが現状です.ホテル業も病院と同様にいわゆる労働集約的産業で,1日24時間1年365日のサービスの提供が宿命づけられているわけですが,そこでの週休2日制の実態はいかがでしょうか.
 山口 ホテル旅館業界は,件数にして約8万軒前後あります.それに関連する業種をプラスすると相当の規模になりますが,直接社員として働いている人たちが約200万近いと言われています.そういうなかで,実は私どもホテル協会に加盟しているホテル——政府登録されていて,外国からの賓客を接遇しても恥ずかしくないと言われるホテルは,わずか440軒しかないのです.

データでみる週休2日制の実施状況—全国自治体病院協議会/日本看護協会/京都私立病院協会/日本赤十字社/全国厚生農業協同組合連合会/労働福祉事業団/私立医科大学病院看護部長会議

著者: 米田啓二 ,   奥村元子 ,   (社)京都私立病院協会事務長会労務部 ,   日本赤十字社事業局医療事業部企画指導課 ,   全国厚生農業協同組合連合会総務部企画管理課 ,   労働福祉事業団職員部 ,   藤枝知子

ページ範囲:P.141 - P.147

完全週休2日制と自治体病院
 病院種別,病床規模別,開設者別
 ではかなりの差が
 (社)全国自治体病院協議会では,過日平成4年6月末現在における自治体病院の完全週休2日制(週40時間制)の実施状況について調査を行った.
 調査対象病院988病院中調査表を収集した病院は707病院で収集率は71.6%であった.

週休2日制実施に伴い就業規則をどう変えるか

著者: 酒井武

ページ範囲:P.148 - P.149

はじめに
 週休2日制の眼目は,いうまでもなく労働時間の短縮にあり,その実施態様は様々である.一般的には,例えば4週5休→4週6休→4週7休→4週8休(完全週休2日制)へと段階的に進展してきている.医療界にあっても,その多くが,ほぼ4週6休の段階から完全週休2日制へ向けて進められている現状をみると,いよいよ第2ラウンドに入ってきたとの印象である.
 そして,実務的には,それぞれの段階で試行期間を経て,実施段階へと移行していくが,実施時点ごとに,就業規則の一部改正をし,従業員への周知徹底はもちろんのこと,めんどうなことではあるが,労働基準監督署への就業規則変更の届け出の手続きを怠ることはできない.

民間病院における週休2日制、時短への取り組み

週休1日、半ドンなしから一気に完全週休2日制へ—短期入院型を目指した病院づくりで導入を決断した東住吉森本病院

著者: 浅田俊勝

ページ範囲:P.118 - P.121

完全週休2日制の導入を促したもの
 ◎時代の流れをどう受け止めるか
 社会,時代の趨勢としてこのほど労働省は「働きがいとゆとりの創造を目指して」と題する平成5年度の重点施策を発表した.そのうちの1つが労働時間短縮の推進等による生活大国の実現であり,具体的な施策として週法定労働時間の短縮が喫緊の課題となっている.すなわち現行では平成3年4月1日より44時間とされているのを「生活大国5か年計画」に沿って40時間に短縮しようというのである.このため労働省では平成5年に労働基準法の改正を行い,平成6年4月から週40時間労働を実施する予定と言われている.
 1週40時間/1日8時間=5日

経営トップの決断とリーダーシップの発揮がカギ—週労40時間制の早期導入に成功した浦添総合病院

著者: 儀間朝徳

ページ範囲:P.122 - P.125

 病院における労働時間短縮の問題は,時代の流れから避けて通れないものとして,真摯に受けとめる必要があると思います.それは,職員確保に悩む医療機関にとって労務管理の面からもまた,経営面からも大きな課題となっており,看護婦不足という現実からすれば,早期導入が人材確保の面から多少とも有利になるものと考えます.
 そこで,当病院がとった週労40時間導入の取り組みを述べさせて頂きますが,その前に病院の概要をご紹介しましょう.

完全週休2日制から4週6休制へそして再び完全週休2日制へ—牛久愛和総合病院の経験

著者: 海老原浩志

ページ範囲:P.126 - P.129

はじめに
 平成4年6月より国公立病院の週休2日制が実施され土曜日が休診となった.当院では月曜日から土曜日まで外来診療をしており,それ以前からも土曜日の外来は患者数が多く1日千人前後であったが,国公立病院の土曜日休診により更に土曜日の患者数が増えたようであった.医療機関において国公立病院と民間病院の格差の問題は今に始まったことではないが,今また国公立病院の週休2日制導入につけ,職員の待遇面においてもその格差は増々広がる一方のように思える.こうした状況の中,民間病院においても週休2日制の問題は避けて通ることの出来ない問題となってきている.そして当院においてもこの問題に対し幹部会議で何度か検討されてきたが,未だ実施に至っておらず,早急に導入案をみちびき出さねばならないというのが現状である.
 当院は経営者の代る以前は完全週休2日制を実施しており,経営不振となって経営者が交代してからは現在の4週6休制となり,今再び完全週休2日制の問題に取り組んでいるところである.以上のような経緯もまじえてこの原稿を書きすすめていきたいと考えている.

全人医療実践のための職場づくり—淀川キリスト教病院の目指すもの

著者: 柴田康宏

ページ範囲:P.130 - P.132

はじめに
 淀川キリスト教病院の歴史は,戦後間もない1950年(昭和25年)までさかのぼる.衣食住にも事欠く状態で,医療事情も極めて貧困であった当時,アメリカの合衆国長老教会のキリスト教宣教活動の一環として設立が計画され1955年(昭和30年)に診療所を開設,建築・設備を充実させ,その翌年に病院として新たに出発した病院であり,創立のこころにキリスト教精神に基づく「全人医療」を掲げている.これは,「からだとこころとたましいが一体である人間(全人)にキリストの愛をもって仕える」ということで私たちは,これを目ざして今日歩んでいる.

「週休2日制」看護からの発言

看護管理者は不勉強で怠慢か—勤務体制を硬直化させているのは

著者: 高橋美智

ページ範囲:P.150 - P.155

「小さな引越」から院全看護」へ
 入院が,「小さな引越」と呼ばれるほど大事であった時代はだんだん遠ざかりかすんできた.しかし,さかのぼって数えてみると,いまだ半世紀たらずしか過ぎていない.
 だから,思いおこせばいくつかの風景が浮かんでくる.祖父の下腿骨々折治療のための入院に付きそう祖母にくっついて病院住まいをした時のことも,まだはっきりと覚えている.まさに「小さな引越」であった.鍋,釜,七輪.米,みそ,しょうゆ.床敷ござにふとん.ねまきにタオル.茶わんにおはし等々.そして,タスキがけをしてうちわで七輪の火をあおいでいた祖母.夜にはベッドの下にござ,ふとんを敷いてもぐり込む.昭和15,6年,私が7つ,8つの頃の夏休みのことである.その頃,私は看護婦になるなどとは思ってもいなかったし,むろん,家族の身体的,精神的,経済的負担についてなど考える力も,思いやる力ももってはいなかった.ただただ日常と異なる生活がおもしろく,はしゃいてとび廻っていたという記憶が残っている.

看護部が主体性をもって取り組むために

著者: 門田邦代

ページ範囲:P.156 - P.158

はじめに
 社会情勢の変化の波が医療界にも押し寄せてきて週休2日制推進へ向けての発言が盛んです.日本看護協会による1991年10月の調査では,完全週休2日制をとる病院は6%,「何らかの週休2日制」をとる病院は70%であるといっています.
 病院が変革の波にあらわれる時,病院職員の2/3以上を占める看護職員が変革を受け入れるか否かで成否が異なってきます.「4週6休制の成功は看護部がすんなり受け入れてくれたからだ」とある病院の事務長さんが言われているのも大いにうなづけるところです.従って看護部の代表者である看護部長(総婦長)は決断していく時の過程で何を調査し,どのようにもっていけば看護部の利益を損うことなく全体と歩調を合わせて改革していけるか,対応策を常に考えておく必要があります.

グラフ

地域中核病院としての可能性を模索する—黒部市民病院の歩みとこれからの課題

ページ範囲:P.99 - P.104

 黒部と言えば黒部峡谷あるいは,アーチ式で有名な黒四ダムを思い起こされる方が多いのではなかろうか.富山駅から黒部駅までJR北陸線で約30分,鉄道は日本海沿いの平野の中をゆっくりと走ってゆく.遠景の山並みは低い雲に覆われ,期待していた立山連峰の眺望はお預けとなってしまった.窓外を流れていくのはひたすらのどかな田園風景.富山平野の予想外の広さを教えられた気がした.黒部市民病院も立山がすぐ背後に迫るロケーションを想像していたのだが,着いたところは小都市の街中にある落ちついたたたずまいの病院であった.
 桜井町国保直営組合立下新川厚生病院として1948年(昭和23年)に病床数72床で開院,市制施行に伴い1954年には国保黒部厚生病院と名称を変更している.その当時の診療科目は,設立時の内科,外科,耳鼻咽喉科の3科に小児科,産婦人科,皮膚泌尿器科,眼科を加えた7科で,病床数は一般病棟118床,結核病棟72床の規模であった.その後も病院の拡充は続き1969年末に総合病院の認定を受け,76年(昭和51年)4月1日には現在の名称である黒部市民病院に改称された.増床は86年に伝染14床を加えた計405床の規模で一段落したが,医療の質的充実に向けての投資は続けられ90年には高度医療棟,集中治療棟が完成,さらに高齢化へのニーズに応えて付帯事業である老人保健施設「カリエール」(50床)も同年開設され,今日に至っている.

東大病院看護部長から東大教授に—東京大学医学部看護学科教授 小島通代さん

著者: 三島濟一 ,   石井義治

ページ範囲:P.106 - P.106

 私にとって小島通代さんとの出会いは昭和60年10月,東大医学部長室で白衣姿の小島さんに学位記を手渡した時で,学位論文の素晴らしさには深い感銘を受けた.すなわち,多くの神経疾患患者の看護を担当しながら,意識状態,排尿能力などの生活力の回復を,科学的手法で詳細に分析してあり,非常に新鮮で,重要な結果が出されていたからである.
 昭和61年当時,山中學東大病院長から後任看護部長について相談された時,小島さんのような人が来てくれれば,東大病院も変わると進言した.山中院長の交渉で,まさか来てはくれないと思ったのに受諾の返事がもらえたので,本当に喜びあったのもつい昨日のように思われる.

主張

人材の集まる病院づくり

著者:

ページ範囲:P.107 - P.107

 真の豊かさを実感できる社会とはどのような社会であるのか.各個人が自分自身の生き甲斐を追求しながらも,心も物も豊かな社会生活を創造していけるような社会を築いていくためには,国民の社会生活には何が本当に必要なものであるのかを見極め,国際的にも日本の文化や,国家としての主張を明確にしていくことが重要である.
 地球環境保全の立場から世界的規模での産業・経済のリストラクチャリングが課題となっている.個人生活の面では現在のような不必要な物やサービスは排除され,ライフスタイルの大幅な変化が必要とされるであろうが,これは決して国民に清貧だけの生活を強いることではない.

建築と設備・82

厚生中央病院

著者: 古川謙一 ,   村田幸一 ,   内田昌文 ,   菅家忠佐 ,   塩崎静雄

ページ範囲:P.159 - P.164

はじめに
 時代とともに,たえずその姿を変えてゆく首都・東京.ここ,恵比寿地区でもまた,「山の手・情報文化都市」として,水と緑の街造りが進められている.この地区の再開発計画の先陣を切って,平成4年6月,厚生中央病院が装いも新たにオープンした.

トピックス

24時間体制の保育施設が発足—倉敷市・倉敷中央病院内の企業委託型保育園

著者: 編集室

ページ範囲:P.165 - P.167

 幼い子どもを持つ看護婦さんたちが夜間でも安心して病院で働き続けられるように,24時間子どもを預かる保育施設が岡山県倉敷市の倉敷中央病院内に開設され,1月9日,その開園式が催された.
 開園式には,北場勉厚生省児童家庭局児童手当課長,高原亮治岡山県環境保健部長,渡辺行雄倉敷市長らをはじめ倉敷中央病院の三宅院長,三和保育園園長,その他の関係者が,全国初の試みに対して大きな期待を持って列席した.

MSWの相談窓口から

パリアティブケアにおけるMSW

著者: 田村里子

ページ範囲:P.168 - P.168

 1990年,WHOは「Cancer painrelief and palliative care」の中で,「“palliative care”(緩和ケア)は,病気の治癒をめざした治癒がもはや有効でなくなった患者に対する積極的な全人的ケア(total care)である.痛みやその他の病状コントロール,精神的,社会的,そして魂の問題への援助が緩和ケアの主要な課題である.緩和ケアの目標は,患者とその家族のためにできる限り可能な最高のquality of lifeを達成することにある」と定義している.
 つまり,パリアティブケアは,患者をホリスティックな存在として認識することが前提となる.パリアティブケアの3つの柱は,①徹底した苦痛症状の緩和,②心理ケア,③家族のケア,ともいわれる.そしてその達成のためには,多職種の医療チームからなるチームアプローチが,有効かつ不可欠とされる.

看護業務改善事例集

現場での自主性を重んじた業務改善の成果

著者: 畠中智代

ページ範囲:P.169 - P.171

 当院は昭和37年に開設された社会福祉法人立の総合病院である.開設当初は114床であったが,数回にわたり増床してきている.昭和57年には定床664床で看護部職員は458名であった.昭和63年に定床744となり,看護部職員は567名となった.平成4年11月1日現在の患者数および看護部職員数等のデータは表の通りである.看護体制はチームナーシングを基本としてのプライマリーナーシングを採用している.

病院経営Q&A・14

公式組織と非公式組織

著者: 川渕孝一

ページ範囲:P.172 - P.175

Q 「うちの病院の中には,公式の組織以外に非公式の集団がいくつか存在している.この非公式な集団は病院の方針に対して,絶えず批判的で苦労している.まだ労働組合を作るまでには至っていないが,このグループをどうしたら根絶できるだろうか」

厚生行政展望

第3次医療法改正の危機

著者: 厚生行政研究会

ページ範囲:P.176 - P.177

 昨年の医療法改正は,既にして次回(第3次)の改正を前提にして成立した.その課題については,本誌昨年12月号でも特集されているし,我々も前号の拡大座談会'93(pp.70-74)で指摘している.今回は,プライマリーケアを切り口に,その問題点を探究してみたい.

副院長考・2

病院の理念を身をもって示すプレーイングマネージャーとして—医療法人病院の立場から

著者: 安田隆義

ページ範囲:P.178 - P.179

外科系診療部長との兼任で15年
 昭和52年,当院に赴任して昭和53年副院長に就任,以来15年経過した.この間病院の激動期,急成長期にあたり無我夢中で過ごしてきた.第一線の外科医として外科の中心として働くことに生きがいを感じてきたことと,それを許してくれた環境にあまえて特別副院長らしい役割を演じてきたとも思われないが,この機会にいかにあるべきか反省を交えて考えてみたい.
 副院長は病院長の補佐役としてその意図を汲み,院内各部署の意思統一を図り場合によっては小委員会を結成,素案を作成,最高意思決定機関に答申する,または実行機関の責任者となるなどの役割を演ずることが多いと思われる.勿論その時々の問題にもよるであろうし,どの程度信頼されているかにもよるであろうが,私の場合はそのような使われ方をしてきたように思っている.その際病院長の基本的な考え方,望まれている手順,思考の構築密度,許されている権限の範囲などを十分把握する必要がある.しかも仕事の経過を適当な段階で報告し必要であれば微調整を加える必要があろう.

病院管理フォーラム

[診療録管理]管理スペースの確保と管理業務

著者: 木村明

ページ範囲:P.180 - P.181

管理室の構成
 診療録管理部門には事務室,閲覧室,収納書庫および休憩室,更衣室などが必要である.
 事務室の規模と構成は担当事務により異なる.入院診療録係,外来診療録係,検査記録係はそれぞれの機能により配置される.その業務は記録の点検,情報の電算入力であるから,部屋の採光・照明に注意する必要がある.業務環境整備は能率向上に欠かせない条件である.更に,今後の業務進展を考え,電算用配線のための配管,電源および搬送機器端末設置スペース等についても考慮すべきである.

[臨床工学技士]血液透析Ⅱ—拡大する臨床工学技士の役割

著者: 江良和雄

ページ範囲:P.182 - P.183

 前回,わが国における血液浄化療法の現況と問題点について述べたが,今回は総論的に血液浄化療法がどのような変貌を遂げつつあるか,また,その業務に関わる臨床工学技士(透析技師)の業務内容と周辺的な環境の問題点を堀り下げて述べてみたい.

[放射線]検査の後に「どうだったでしょうか」

著者: 宮内兼義

ページ範囲:P.184 - P.184

「言わぬが花」というわけではないけれど……
 毎日の,業務をこなしていると検査終了時に患者さんからよく尋ねられる.「何かありましたか」「どうだったでしょうか」.検査が終われば直ぐにでも結果が聞きたいのは,患者ならば誰しものことであろう.こう尋ねられたときに決まり文句のように「まだ写真が出来ていないんですよ.夕方には,検査結果をお回し致しますので結果は先生のほうから聞いて下さい」と,検査中CRTに写し出された病巣を頭に浮かべながら,申し訳なさそうに答える.
 最近の技師教育では,医師が行う診断のための読影とはその目的は異なるが,検査精度の向上を目的とした読影が出来なければならないとされ,良い検査を求める技師は,進んで読影の勉強をしている.検査の終了時には,だいたいの検査結果が頭に入っており,行った検査について正常か異常かを指摘することは,それほど困難ではない.しかし,技師としては患者に対して診断につながるようなことは言ってはいけないし,そのような状況から安全に逃れるために検査結果が出ていないということにして,その場をとりつくろうのである.

麻酔医が往く・2

がん終末期医療と麻酔医

著者: 後明郁男

ページ範囲:P.185 - P.185

 麻酔科とがん終末期ケアの接点がどこにあるかと疑問に思う向きには,麻酔の本質を考えていただければ良い.
 普通の人にとって,入院して全身麻酔で手術を受けるという経験は,驚天動地のものである.当然,不安は大きい.手術が上手くいくか,という不安の他,麻酔はちゃんと効くだろうか,手術の最中に麻酔が切れたらどうなるんだろう,そもそも麻酔から永遠に醒めないことだってあるかもしれないぞ,えーいもうまな板の上の鯉だ.いや待てよ,まな板の鯉は切り刻まれてそのまま死んでしまうんだ,それはたまらん.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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