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地域中核病院としての可能性を模索する—黒部市民病院の歩みとこれからの課題
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ページ範囲:P.99 - P.104
文献購入ページに移動桜井町国保直営組合立下新川厚生病院として1948年(昭和23年)に病床数72床で開院,市制施行に伴い1954年には国保黒部厚生病院と名称を変更している.その当時の診療科目は,設立時の内科,外科,耳鼻咽喉科の3科に小児科,産婦人科,皮膚泌尿器科,眼科を加えた7科で,病床数は一般病棟118床,結核病棟72床の規模であった.その後も病院の拡充は続き1969年末に総合病院の認定を受け,76年(昭和51年)4月1日には現在の名称である黒部市民病院に改称された.増床は86年に伝染14床を加えた計405床の規模で一段落したが,医療の質的充実に向けての投資は続けられ90年には高度医療棟,集中治療棟が完成,さらに高齢化へのニーズに応えて付帯事業である老人保健施設「カリエール」(50床)も同年開設され,今日に至っている.
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