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建築と設備・85
宗像水光会総合病院
著者: 友清貴和1
所属機関: 1鹿児島大学工学部建築学科
ページ範囲:P.448 - P.454
文献購入ページに移動 現在の「宗像水光会総合病院」の前身である「津留病院」の移転新築構想が院長と私の頭の中に漠然と浮かんできたのは,1980年代の早い頃であった.すなわち,地域医療計画とこれに続く医療法の改正が進められようとする中で,医療を取り巻く環境が大きく変わろうとする兆候が見えはじめた時期であった.
津留病院は,当時すでに300床を越え,地域の中核病院であったが,20年あまり増築を続けた結果,あちこちに無理や矛盾が出てきていた.今後,21世紀へ継続する医療の道を模索するなら,住民が健康を守りやすく心身ともに安らぎを享受する場を新しく創造する以外にない,との理念がまず生まれてきた.このためには,地域の各医療機関が連携と機能分担を図り,本来の「地域医療」を展開することが必要であるとの考えの下で,まず我々が奔走したのは,当病院の新築計画ではなく,開放型病院としての宗像医師会病院の建設であった.宗像医師会病院が建設され経営が軌道に乗り始めた1987年,やっと新しい津留病院の具体的な基本構想固めに着手した.
津留病院は,当時すでに300床を越え,地域の中核病院であったが,20年あまり増築を続けた結果,あちこちに無理や矛盾が出てきていた.今後,21世紀へ継続する医療の道を模索するなら,住民が健康を守りやすく心身ともに安らぎを享受する場を新しく創造する以外にない,との理念がまず生まれてきた.このためには,地域の各医療機関が連携と機能分担を図り,本来の「地域医療」を展開することが必要であるとの考えの下で,まず我々が奔走したのは,当病院の新築計画ではなく,開放型病院としての宗像医師会病院の建設であった.宗像医師会病院が建設され経営が軌道に乗り始めた1987年,やっと新しい津留病院の具体的な基本構想固めに着手した.
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