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雑誌目次

雑誌文献

病院53巻1号

1994年01月発行

雑誌目次

特集 新時代の病院像

[座談会]新時代の病院の目指すもの

著者: 岩崎榮 ,   大道久 ,   井手義雄 ,   竹内實 ,   河北博文 ,   紀伊國献三

ページ範囲:P.18 - P.24

 紀伊國 「新時代の病院像」というテーマで,本誌編集委員の率直な意見をお伺いしようと思うわけです.占い師が水晶の玉に将来の何が見えるかと言うわけです.1994年あるいはもう少し先の2000年までに何が見えるか占っていただきたい.将来の病院像というとどういうことを思われますか.

新しい医療需要と病院の整備—健康転換概念による分析

著者: 長谷川敏彦

ページ範囲:P.25 - P.31

はじめに
 いつの間にか日本は目標として来た欧米を追い抜いて世界一の健康実績を示すに至っている.最もよく使われる健康指標,平均寿命や乳児死亡はここ数年それぞれ世界最長と最低である.しかし成功は失敗の基,その実績故に世界中でそして人類史上で初めて30年後,4人に1人が65歳以上と最も多くの高齢者を抱える国となる.世界では東西冷戦構造が崩壊し,新たな体制が模索されており,日本社会も,国際化,情報化,価値観の多様化と,今大きな変動期にある.保健医療界も社会の一部であり変動を免れ得ない.疾病構造の変化によって需要が変化してゆくのは当然だが,技術の革新によって供給も変わっていかざるをえない.
 近年,途上国を対象とする公衆衛生学者や人口学者の間で提唱され始めた健康転換(Health Transition)という概念は変化する保健医療の需要と供給を分析するには極めて有用である1).健康転換は,人口転換論を下敷としており,歴史の過程では「人口・疾病構造の変化」と「保健医療体制の変化」そして「社会・経済構造の変化」と3つの変化が相互に影響しながら段階的で構造的に転換をとげることを示したシステム概念である.

病院の環境整備事業の意義と今後の展望

著者: 宮坂昌利

ページ範囲:P.32 - P.35

はじめに
 わが国の生活水準は,ウサギ小屋という椰楡に象徴されるように生活実感の伴わない経済大国であるといわれているのは事実である.しかし,長期的に見て日常生活を取り巻く環境が徐々に整備されてきていることは間違いなく,例えば,子供達にさえ冷暖房完備の個室があてがわれ,そこで様々な家電製品をリモコンで操るといった生活スタイルも相当普及していると思われる.
 これに対し,病院における療養環境はどうであろうか.一般人が病院の世話になる際,傷病による身体的な負担はもとより,精神的にも不安になるのが一般的であろう.また,国民の約75%は病院でその最期を迎えるのであり,死に直面する場所でもある.こうした施設が,患者ひいては国民のために本当に満足を与えることのできる環境を有していると言い切るだけの自信はないというのが正直なところであろう.一般人の病院に対する大まかなイメージは,リノリウムの床と消毒液の匂いと殺風景な病室といった,機能一辺倒の冷たい印象を脱却していないように思われる.

新時代の病院建築像を求めて

著者: 伊藤誠

ページ範囲:P.49 - P.57

はじめに
 景気の動向がどうあれ,まずは正月はめでたい.そこで,年の始めにふさわしい夢を描いてみたいのだが,持って生まれた性分から,これがなかなか難しい.しかし,ともあれ,日本の病院が今のままでいいとはとても思えないから,「せめてこうあってほしい」くらいの願いはある.話は少々堅くなるが,現状をできるだけ客観的に見ることから出発してみよう.

新時代の病院の経営基盤—医療法人病院の現在と未来

著者: 石井孝宜

ページ範囲:P.58 - P.62

 10年ほど前までは,医療の採算性は病院でも診療所でも大変よい時代が続いた.供給不足を前提として構築された自由開業医制,国民皆保険,出来高払の診療報酬等の医療制度により,効率を追及せずに安定した経営を行うことが可能であったと言える.
 しかしながら,現在,医療経営者にとって,経営環境はきわめて厳しい状況となっており,自己変革なしに経営を存続させることは不可能である.昨今,医療新時代に向けてさまざまな議論が行われているところであるが,病院等の施設において経営基盤をどこに求めるかという論点も悩める病院の抱える大きな問題であろう.

病院のリストラクチャリングはどう進むか

国立病院・療養所の統廃合等の現状と将来

著者: 篠塚賢藏

ページ範囲:P.36 - P.39

はじめに
 昭和20年に発足した国立病院・療養所は,終戦直後から現在に至るまで,国民医療の確保に大きな役割を果たしてきた.
 しかし,国立病院・療養所に求められる医療は時代とともに変化してきており,厚生省は,適宜,国立医療機関としての役割の在り方について検討してきた.

都立病産院運営基本指針

著者: 田中健一

ページ範囲:P.40 - P.41

 東京都衛生局では,1993年10月14日に「都立病産院運営基本指針」を策定し,公表したが,今回はこの運営基本指針の概要と,この中で触れられている都立産院等の統廃合および経営改善について紹介する.

民間病院の吸収合併の例—北大阪病院を医療法人協和会傘下に吸収して/一つの病院再建顚末記/石巻港湾病院を開設して

著者: 加納繁美 ,   有川志津雄 ,   竹川節男

ページ範囲:P.42 - P.48

 地域の私的病院として新設されてからまだ2年ばかりの浅い年月だった.北大阪病院をわが「協和会」に吸収合併して以来,早や10年が経過した.当時を思い起こせばよく頑張ったものだとつくづく思う.
 ものごとの成就には,1つには「天のとき」,2つには「地の利」,3つには「人の和」がうまくかみ合わねばならない.その原動力は,経営トップとしてのリーダーシップと体力と気力,そして限りない情熱を燃やして常に前向きの姿勢がなければならないと思う.

グラフ

健康づくりの総合施設として生まれ変わった—東京都健康プラザ「ハイジア」

ページ範囲:P.9 - P.14

土地信託制度を導入
 都立大久保病院の開設は明治12年である.大正3年に廃院になり,昭和4年に関東大震災後の帝都復興計画として再開された.
 昭和62年改築のため診療を休止,平成2年に新築工事が始まり,平成5年7月に大久保病院を含む健康プラザとして開設された.

文化功労者として顕彰された 日本赤十字社医療センター院長 織田敏次氏

著者: 山中正己 ,   八木保

ページ範囲:P.16 - P.16

 医学界の重鎮,日赤医療センター院長織田敏次先生は肝炎の感染防止対策樹立をはしめとした多年に亙る肝臓病学への貢献により平成5年文化の日,文化功労者として顕彰された.
 東大教授,東大医学部附属病院長,医学部長,国立医療センター(現:国立国際医療センター)院長を経て平成2年4月より現職にあるが,この間,臨床代謝学,肝臓,内科など,国内諸学会の他,国際内科学会の会長,さらに,日本肝臓学会理事長を歴任され,また,科学技術庁長官賞,紫綬褒賞受賞などその経歴,実績は華やかなものがある.

主張

戌から狼へ

著者:

ページ範囲:P.17 - P.17

 激動という言葉では表現できない1993年が過ぎ去った.どのような歴史にも大きく記載されるであろう1993年である.それでは新しき年1994年はどうなるのであろうか.
 病院界にとっても,医療界にとっても今年はどんな年となるのか.先行きの不透明感だけは予測される.それに伴う不安感も大きくなる.

てい談 医療の座標軸を探る・1

世紀末「時代」の医療を読む—医療費をめぐって

著者: 塙正男 ,   今井澄 ,   河北博文

ページ範囲:P.63 - P.69

 塙 私は埼玉県の西部地区に位置する鶴ケ島市で,200床弱の民間病院の理事長をしていますが,中小規模の病院は現場の仕事で,善くも悪くもいわゆる3K職場です.
 最近,行政施策を中心に医療界のなかでいろいろな動きがありますが,かなり現場とのミスマッチを生じているのではないかという感じを持っています.とくにここ10年の,制度の変革を目的にした動きはかなり現場に無理を強いていると思います.これが中小病院の質を下げることになるのではないかという危惧を持っています.

建築と設備・92

山形県立日本海病院

著者: 長谷川義明

ページ範囲:P.71 - P.78

はじめに
 山形県では山形市の県立中央病院を中心に県内各地域に基幹病院を設置して県民医療の向上を図っている.庄内地域においてはこれまで県立の総合病院がなく,地域住民の強い希望が実り,新病院が設立されることとなった.山形県庄内地域は,県の日本海側に位置し,酒田市・鶴岡市を中心に33万人の診療圏人口を有している.
 日本海病院は,庄内地域の中核都市である酒田市の郊外に建設され,病床数530床・診療科目は17科目を有する総合病院で,平成5年6月に開院した.全くの新設病院のため,患者.スタッフの確保の面から,開院当初は207床でスタートし,年次計画で増床を行い平成8年に530床とする計画である.

MSWの相談窓口から

単身者と家族

著者: 加島明

ページ範囲:P.79 - P.79

「単身者」との出会い
 20歳のAさんは10階から飛び降りた.命は取りとめたが下半身麻痺が残った.Aさんは高校卒業後,上京した.ほどなく就職先になじめずに転職した.慣れない都会での単身生活で精神が破綻を来すのに1年とかからなかった.入院時には既に定職も住居さえも無くなっていた.Aさんは故郷に母と妹がいた.父は幼い頃に失踪し行方不明で,母が一家を支えてきた.仕事に家事に忙しくAさんの見舞いには一度も来たことがない.「面倒が見られない」の一言でAさんの引取りを拒否した.
 飯場で倒れ,救急車で搬送されたBさんは脳出血で意識不明の重体だった.飯場に届けてあった住所や親族の連絡先はでたらめで家族と連絡がとれなかった.安否を気遣いながら警察に身元を照会すると,数日後,前科者リストから本名・住所がわかる.連絡すると受話器を取った老婆が名前を聞くなり一方的に電話を切った.改めて掛け直すと今度は若い男性が出て「父は今まで散々家族に迷惑掛けてきた.親だと思ってない.連絡もらっても困る」.重体であることを伝えるが態度は変わらず,面会には来ないという.死んでも連絡してくれるなと言い残し電話は切れた.出棺の時,私一人で見送った.

提言

病院・診療所の質的・量的評価(物差し)について—医療関係者の質的向上と病院運営改善と患者サービス向上のため

著者: 金森仁作

ページ範囲:P.80 - P.81

 病院・診療所または医療の評価方法については,過去,現在,また国内外多くの研究者,家践家あるいは団体等からの提案や見解があり,検討がされているが,未だ確立していない.
 病院・診療所全体の評価(物差し.以下「評価」という.)と医師,歯科医師,薬剤師,看護婦(士)(含む准看護婦),診療放射線技師,臨床検査技師,栄養士,理学療法士,作業療法士,事務員,その他多くの職種毎の評価と病院・診療所の施設および機能の総合的評価について検討をしなければならない.これらの総合的評価は単純なものではない.どのような立場,例えば医療提供側の立場か,患者側の立場か,現状の医療を是認する立場かによって,あるいは誰が,何の目的で,何時の時点で,何が故に,どのように評価するかによって,また社会体制,医療制度,保険制度などにより評価項目と評価法は変わる.このため世界共通の評価法が作成しにくいことも事実で,共通の評価法が確立されていない現状である.

厚生行政展望

コーヒーブレーク拡大座談会'94—今年を占う

著者: 厚生行政研究会

ページ範囲:P.82 - P.85

医療施設近代化施設整備事業
 司会(編集室) 12月号に引続き,今年の厚生行政を展望していただきましょうか.年末はコメの自由化と病院給食の自己負担の問題でたいへんでしたが,今年の厚生行政は新しい風が吹くことを期待したいところです.
 小泉 新しい政権での初めての予算編成が行われていますが,各省庁でめりはりをつけた予算編成をしています.予算案の編成作業が年を越してしまいましたので,いつもの年末の慌しさはなかったのですが,厚生省では「エンゼルプランプレリュード」とか,「がん克服新10か年戦略」とかが出てきていますね.

病院管理フォーラム

[病院の委託業務]病院の委託業務についての問題点

著者: 塚田慎吾

ページ範囲:P.86 - P.87

 現代社会はあらゆる面において日進月歩を続けており,医療においても21世紀に向けて一層の進歩発展をしている.
 その反面,最近の病院を取り巻く情勢は厳しいものがあり,良い医療を提供すると同時に,経営基盤の確立を求められている.

[医療事務]診療報酬請求事務従事者の資質向上に向けて

著者: 中山耕作 ,   松本洋一

ページ範囲:P.88 - P.88

 病院の事務といえば,医事関係事務を指すといわれるくらい病院にとって医事関係業務は,その病院の経済を左右しかねない重要な業務といわれて来た.現在では,病院経営の切迫とともに経営指針のあり方にまで影響を与える情報の宝庫であることが,いまさらながら認識され医事業務は保険請求だけの時代から,経営全体に係わる業務と認識されつつある.このような時代に,医事業務は,①受付業務②保険請求,③経営統計業務,④病歴に関する業務,に専門分化する傾向にある.

事務長の業務を考える・1

病院の収支採算と組織効率

著者: 頼本節雄

ページ範囲:P.89 - P.89

病院の収支採算を図る苦労
 「病院冬の時代」と言われて久しいが,超高齢化社会の現実化と医療費抑制政策の推進が不可避とすれば,今後もこの北風は止むことなしと考えるべきであろう.これから3回に亘って事務長の業務について述べてみたい.
 当院は昭和48年から57年にかけて基本施設すなわち病棟・外来施設・中央施設のすべてについて100億円を大きく上回る投資を行い,ほぼ今日の姿に近いものになったのであるが,57・58年度決算は1〜3億円の赤字となった.これは第一次石油ショック以前の設計と見積が貫けなくなり,超インフレに伴うコストアップが診療報酬アップを上回るのみならず,金利・償却費負担が今までになく過大となった結果であった.

動き出した療養型病床群・1

全床移行型施設—農協共済別府リハビリテーション・センター

著者: 山本喜昭

ページ範囲:P.90 - P.91

はじめに
 当センターは昭和48年4月に開設された.発足当時は病院50床,重度身体障害者更生援護施設50床であったが,現在では病院82床,重度身体障害者更生援護施設80床,重度身体障害者授産施設50床となり,病院でのリハビリ治療後には,意欲のある人達はこれらの更生施設ないし授産施設での訓練を経て,社会復帰が可能である.このようにリハビリ治療から社会復帰までの一貫した機能を備えたリハビリ施設である.
 これは全国共済農業協同組合会が昭和41年自賠責保険を取り扱うにあたり,将来益金が出たら自動車事故の後遺症患者に対するリハビリ施設を開設するようにとの国会よりの要望に答えたもので,昭和48年に中伊豆と別府にリハビリ施設が開設している.

国際化と病院 私たちの病院での取り組み

開設以来国際医療協力を推進—愛知国際病院の活動

著者: 川原啓美

ページ範囲:P.92 - P.94

当院の設立
 当病院は隣接の財団法人・アジア保健研修所(AHI)とともに,1981年(昭和56年)3月開設された.当初は個人病院であり,1987年(昭和62年)3月,医療法人財団立となり,今日に至っている.一般病床62,内科,外科,小児科,整形外科,理学診療科の診療に携わる小病院である(写真1).
 開設の目的の一つは国際医療協力であった.前述のAHIはアジア諸国の中堅医療保健ワーカーを招き,短期研修を行うために設立された.これは,筆者をはじめ,アジア諸国で保健・開発に関わっていた数名の者が,途上国でより永続的な医療協力を行うには,その国の保健ワーカー,その中でも地域保健・開発に携わる中堅指導者たちを強化しなければならない,という見地から開始した研修事業である.当愛知国際病院は地域医療の一翼を担うとともに,このAHIの関連病院として,国際協力に大きなウエイトを置く施設として始められたのである.

医学ごよみ

1月—January 睦月

著者: 木村專太郎

ページ範囲:P.95 - P.95

 今月から,その月に関連する著名な医学者の誕生日や死亡日,その他医学の歴史上でのイベントについて「医学ごよみ」というタイトルで綴っていくことにする.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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