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雑誌目次

雑誌文献

病院53巻7号

1994年07月発行

雑誌目次

特集 病院とPR

変革時代の病医院評判圏づくり—生活者視点からのコミュニケーション戦略

著者: 藤江俊彦

ページ範囲:P.608 - P.613

変革に対応する病医院経営とは
 いま医療機関を取り巻く環境は二重,三重の意味で冷厳なものとなってきている.それはマクロ的にはグローバルな規模での変革の流れ,またわが国経済社会の戦後はじめての長期不況,さらに医療経営に関わるさまざまな変化である.
 現在民間病院の約7割が実質赤字となっているが,医師や歯科医師の収入も伸びていない状況にある.これは医療経営独自の原因でもあろうが,これまで不景気に強いといわれていた業界が,はじめて本格的な不況の試練にさらされているとも言えるのではないだろうか.

病院の広告と院内掲示の規定はこう変わった

著者: 金澤恵美子

ページ範囲:P.614 - P.616

 社会における情報の高度化・多様化が進む今日では,情報をいかに発信し,また入手するかによって,日常生活は大きく左右され得る.医療の分野においても,情報の重要性は格段に高まっていると言えよう.患者の医療機関の選択に当たって,必要な情報を伝える役割を担う主要な要素の一つに,医療機関の広告がある.医業等に対する広告規制も,時代に対応してその在り方を変えている.
 そもそも患者が疾病から逃れたいという欲求は,一般消費者が商品を探す欲求に比べて格段に高く,ともすると容易に広告の文面に引きつけられる恐れがある.また,患者には医学的な専門的知識が一般に乏しい傾向があり,病院等の広告に大きく影響されざるを得ないという一面を持つ.このような患者の立場の弱さに着目し,医療法は医業等に関する広告規制をしている.

病院の広告と患者の受療行動

著者: 森満 ,   庄野菜穂子 ,   檜垣靖樹 ,   古賀義孝

ページ範囲:P.618 - P.621

はじめに
 医療法改正によって,1994年4月から病院内掲示と院外の広告に関する規定の一部が変わった.詳細は本誌本号の報告1)を参照していただくとして,その要点は,管理者や医師の氏名,診療日,診療時間などを院内に掲示することが義務づけられるとともに,院外では従来からの診療科名,診療日,診療時間の広告のほかに,常時診療に従事する医師名と35項目にわたる厚生大臣の定める事項2)を広告できるようになったことである.このような広告制限の見直しの理由として,患者の医療に関する知識や判断力の向上,患者からの医療に関する情報の要求の高まり,および広告の方法や広告の媒体の多様化が挙げられている.比較広告や誇大広告は禁止されているものの,このような広告できる事項の拡大は,患者が受診する病院を決める上で少なからず影響を与えることが考えられる.
 ところで,同じような種類の,かつ,同じ程度の症状を有する者であっても,しばらくの間その症状を放置する者から,直ちに医療機関を受診する者までさまざまである.何らかの症状を有する者がその症状に伴って取る行動はillness behaviourと称される3,4).日本では病い行動とも訳されているが5),ここでは受療行動という用語をその訳として使用したい.

[座談会]病院のPRと評判

著者: 神尾友和 ,   鳥羽達一郎 ,   上田寧 ,   大道久

ページ範囲:P.622 - P.628

 大道 きょうは「病院のPRと評判」というテーマで座談会をさせていただきたいと思います.
 きょうご出席の方々を紹介致します.神尾友和先生は神尾記念病院の理事長・病院長でいらっしゃいます.また,日本医療法人協会会長,全日病の常任理事です.

当院におけるPRの実際

患者こそが絶対的な広告媒体である

著者: 稲田豊 ,   松崎公昭

ページ範囲:P.629 - P.631

 太田西ノ内病院は福島県の中央部,人口約32万人の郡山市にある.総病床数1,798床,職員数約2,100名を有する財団法人太田綜合病院の附属病院のひとつであり,当法人の中心的役割を担っている.当院は昭和50年内科系病院として開院していたが,平成元年9月にSRC (鉄骨鉄筋コンクリート)造り,地上7階,地下1階の第3期増改築工事を完成させ,診療科28科,病床数1,000床,既存棟と合わせ建築面積9,430m2・延床面積40,534m2の第3次救急医療を含む総合病院として本格稼働した(本誌49巻2号・51巻3号に詳細紹介).
 当法人は附属病院と関連施設がそれぞれの機能を分担し,法人全体として保健・医療・福祉を網羅する機関であり,平成2年,創立95周年を機に制定した「私たちの誓い」と同3年の法人設立40周年に際し植樹したヒポクラテスの木を拠に,医の原点に立ち返って地域医療に貢献する考えである.折しも来年は病院創立100周年という記念すべき年を迎える.

全市的,全道的に周知率を高める

著者: 大橋正實

ページ範囲:P.631 - P.632

広告・広報に対する考え方
 「病院が選択される時代」に入ったと言われて久しい.確かに選ばれるにふさわしい内容を持った病院にしたいとは医業を行う者の誰しもが思うところである.しかし,選択の可否の前にまず,その選択枝の1つにエントリーされなければならない.つまり存在が知られている必要がある訳である.私の病院は開院8年目を歩んでいる耳鼻咽喉科の単科専門病院であるが,この病院の存在そのものが知られている比率は,きわめて低いと考えている.各世帯別の当院の近隣地区での周知率は約30%,札幌市全市で15%,全道で5%弱ではないかと私は推測している.したがって当院の広告・広報の第1の目的は,全市的,全道的な周知率を高めることにある.第2の目的は,広くマスメディアを利用して広告を行うことにより,当院で行っている医療に対する社会的責任を職員一同が自覚して,より良い医療を行おうという意志を喚起することにあると考えている.

「友の会」を通してロコミでPR

著者: 瀬戸𣳾士

ページ範囲:P.632 - P.633

 病院のPRを考える場合まずどうやって存在を知ってもらうかが始めで,次にどのような医療内容を行っているのか,わかっていただくことが次であろう.1955年(昭和30年)中通診療所として私自身が一人で医業を開始してから現在までを述べてみたい.
 初期はそんな大きな力をもっていなかったので,地方新聞に人並みに広告も出したりしたが,新聞の記事になることを考えて,社会部の記者とコンタクトを保って取材してもらうよう努めた.これは現在も続けている(ことに秋田は秋田魁新報一社のみが地方紙で,ほとんどの家庭がこれを購読している).例えば交通事故で肝破裂の患者が搬送された.当時血液センターもなく,広く供血者をラジオ放送で募り,一命をとりとめた等は良い例である.最近は,学会・研究会などでのトピックを中心に取材してもらっている.

患者サービスを基本にしてPR活動

著者: 千田勝義

ページ範囲:P.633 - P.635

 地域医療を目指す病院の使命は可能な限り多くの患者さんの治療を行うことにあると思います.どんなに優秀な医師,看護婦等の職員がいても,またどんなにすばらしい病院施設を有しても,さらにはどんなに最新の高度医療機器を導入しても,地域の多くの人々の治療に貢献していなければ病院としての使命を果たしていないことになるでしょう.また多くの患者さんを診療することにより,高度な医療への展開にもつながり,このことは現在の厳しい医療環境下において病院の運営(経営)上,大変に重要なことです.
 それでは地域の多くの人々に病院を利用してもらうためにはどういう方法が必要なのでしょうか.それは必然的に患者サービスを徹底することで解決していくものと考えます.患者サービスの方法については,厚生省の患者サービスの在り方の中にも示されている通り,積極的な情報提供,地域との関わりが重視されております.

地道な努力に尽きる

著者: 椎貝達夫

ページ範囲:P.635 - P.636

 当院は病床数391床,外来患者数1日1,100人の茨城県最南端に位置する地域中核病院で,県厚生連立である.小生が院長に就任した9年前,13億円余あった累積赤字は昨年解消した.ここ2年間,患者数の伸びは止まっているが,それまでに5〜10%の成長を続けてきた.このような発展の理由は医師の質が高いなどの好条件に恵まれていることもあるが,広い意味でのPRの効果も見過ごせない.以下幾つかの項目別に当院のPRについて述べる.

グラフ

愛と技術が支える総合医療を目指す—特定医療法人明陽会成田記念病院

ページ範囲:P.599 - P.604

成田記念病院の沿革
 東京から東海道新幹線で西に向かう.浜名湖を過ぎ愛知県に入るとすぐに豊橋である.豊橋市は愛知県では名古屋市に次いで人口の多い,第2の都市である.内陸は農業,市の中心部や三河湾臨海部は工業で成り立っている町である.豊橋駅から徒歩1分の至便の地にあるのが成田記念病院である.電車から8階建ての赤茶色の病院が見える.
 その名前から,東京国際空港のある成田市にある病院と勘違いされる方が多いが,病院名は昭和22年に当地に診療所を開設した院長成田竹蔵氏に由来している.

第49回全国国立病院療養所総合医学会会長をつとめる 国立長崎中央病院院長 寺本成美氏

著者: 廣田典祥 ,   八木保

ページ範囲:P.606 - P.606

 昨年,寺本先生の還暦のお祝に出席した際,長崎大学医学部脳神経外科の同門の先生が寺本先生の人物評価として「まるで氷山の様だ」と言われた.我々が見ている先生は,海面上の姿であって,実は海面下に隠れた部分が非常に大さく付さ合えば付き合うほど大きさが分かる,という意味であった.
 先生の経歴は実に多彩である.昭和33年,長崎大学医学部卒業,大学院卒業後ただちに東京医科歯科大学神経生理へ国内留学,40年文部省在外研究員として米国ロチェスター大学脳研究所,ECFMG(外国人医師試験,米国)を取得後は同大学医学部神経内科,ニューヨーク医科大学脳神経外科クリニカル・フェロー,昭和46年国立大村病院脳神経外科医長,52年鹿児島大学脳神経外科助教授,57年国立長崎中央病院副院長,58年同院長に就任.中でも,一躍名声をかち得られたのは,平成2年「中東の湾岸戦争」のとき,日本医療団先遺隊のチームリーダーとして,率先して国際貢献を行われたことである.そして,いまや国立長崎中央病院を全国有数の病院として確固たる基盤を築かれたと言ってもよい.

主張

地域の中の病院

著者:

ページ範囲:P.607 - P.607

 地域医療という言葉がよく使われるが,その意味するところは一定でなく,使う人により様々な意味をもつようである.おそらく最大公約数的には,地域社会の人々が必要とする医療を地域の中で受けるということであろう.
 病院が,果たして地域医療のどの部分を担うのかについても明確ではない.平成6年4月の診療報酬改定は,いわゆる,かかりつけ医の機能を重視したが,診療所ばかりではなく,200床未満の病院にもその機能を認めたことが大きな特徴であった.なぜ200床なのかについても明らかな説明がされていないが,おそらく我が国の医療機関の歴史的発展過程から言って,ほぼ200床までの病院の外来はいわゆるプライマリケアを担っている場合が多いということであろう.果たして,200床という病床規模がその施設の機能を規定するものかに関しては,今後の検討が必要であろう.

MSWの相談窓口から

悩める金銭管理—求められる専門的対応

著者: 森山正治

ページ範囲:P.637 - P.637

こたえぬ妻子
 杖をついたA氏71歳が相談室を訪れたのは,脳腫瘍の治療目的で入院する直前の今年1月半ばのことだった.東京で商売をしていたA氏には妻と2人の男の子がいたが,妻子は昭和40年頃にA氏の放蕩のせいで家を出た.籍は抜いておらず,放置されている.大阪に移ったA氏は他の事業を始め婚外子を一人もうけたが,現在まで顔を合わせたことがない.事業に失敗し10年前より当病院近くの繁華街に転居し,少々の蓄えと年金でひとり暮らしをしている.
 主な相談は,手術をする場合に同意人が必要であること,ねたきりになった場合の援助(家賃を払うなど)者がいないこと,そして死亡したときの後始末のことだった.筆者は,同意人には細々と手紙のやりとりをしているらしい外子に依頼すること,ある程度の金銭管理は筆者で対応できること,また万一のことを考えて妻子の住所地を筆者の側で探すなど提案した.その後状況は急展開し,放射線治療に入って意識障害が現れ,筆者はあわてて戸籍の附票をとりよせた.危篤状態に陥り妻子に電話を入れたが,「亡くなったら考えます」という返事.外子も婚外子であるがゆえ動きづらく,なかなか来院してくれない状態が続く.

現代病院長論

地域、住民に目を開き病院運営に生かす

著者: 今井澄

ページ範囲:P.638 - P.643

 諏訪中央病院は標高約800mの八ヶ岳連峰の麓,人口約5万人の茅野市の郊外にあります.昭和61年に現在地に新築移転しました.病床数200の総合病院で,5階建て延べ床面積は1万1,000m2で,敷地は1万8千坪ほどです.自治体病院では1床当たり55m2が基準(当時)ですので,ほぼそれを満たしている平均的病院です.現在,90床の特別養護老人ホームを隣接地に建設中で,別の場所にある養護老人ホームも移転してくる予定です.2年前に50床の老人保健施設をつくりました(注).
 新築に当たり,3階建て以下の低層にしようと考えました.神戸市立中央市民病院では,患者が急変すると5分以内でスタッフが駆け付けられる構造だと聞いていました.機能的には高層がいいかとも思いましたが,肉体的に非常に辛く精神的に不安定な状態で入院している患者さんたちが,都会の病院ならともかく,田舎で普段は地べたにはいつくばるような生活をしているのに,寝室のベッドから空しか見えないようでは患者さんの入院環境という意味でも,防災上もよくないのではないか,と疑問を持ちました.そこで,機能的には落ちるけれども低層化したほうが患者さんにとっていいのではないかと考えたのです.

特別寄稿

地域保健福祉計画における公立病院の役割と使命

著者: 森俊介

ページ範囲:P.644 - P.650

はじめに
 上記のテーマで書くように依頼を受けたが,公立病院といっても,その規模,地域での役割,等さまざまであるため,一般論として述べることはきわめて困難であると考える.そこで私たちの琴海町における本計画と町立病院の役割と使命について述べて,その責を果たしたいと思う.

戦後精神医療を語る・1

著者: 計見一雄 ,   岡上和雄

ページ範囲:P.651 - P.656

戦後と,精神医療と
 「戦後」,「精神医療」なる言葉がもう共通の意味では通じにくくなってきています.戦後? どの戦争?湾岸? それともヴェトナム?
 精神医療? 精神科医療の意味ですか?

医学教育の変遷と総合診療

著者: 柏原貞夫

ページ範囲:P.657 - P.661

 医師の教育は大学医学部の教育と深い関連があることは当然で,ここではその関連性について考察し,次いで総合診療を中心に卒後教育の将来像について展望してみたい.

建築と設備・97

東京都健康プラザ「ハイジア」

著者: 三谷恭一

ページ範囲:P.662 - P.667

東京都健康プラザ「ハイジア」とは
 日本は,現在急速な高齢化社会を迎え,医療を取り巻く問題も複雑化している.このような背景のもと,東京都が進めようとしている健康推進事業の一環として,東京都健康プラザ「ハイジア」は計画された.
 「健康プラザ」は,健康づくりを総合的に推進する中核拠点となることを目指しており,「都民の健康づくりの支援」「研究開発,人材育成等の健康づくり事業のバックアップ」「健康プラザを中心とした健康づくり事業の官民連携の促進」等,包括的保健医療機能を体系的に完備した複合施設を目指している.また,計画地が東京都庁舎の東,名だたる歓楽街,歌舞伎町に隣接していることもあり,環境整備,地域の活性化の核としての使命も担っている.

研究と報告

物品管理の盲点—注射薬の定数配置と保険請求について

著者: 松山文治

ページ範囲:P.668 - P.671

はじめに
 近年,物品管理システムが,①診療現場看護婦の業務軽減,②在庫数量・金額の軽減,③適時発注などをうたい文句にして,次第に普及してきた.
 物品管理は病棟・外来の医薬品から医療消耗品までを対象にしているが,その考え方の基本は物品のSPDと呼ばれるように,適正在庫と適時配送・補充システムの構築である.

看護業務改善事例集

新任看護部長のもとでの業務改善とその評価—マネージメントに焦点を当てて

著者: 嶋森好子

ページ範囲:P.672 - P.677

私はなぜ業務改善に取り組んだか
 私は看護学校を卒業後,臨床の看護婦,看護学校の教員,職能団体である看護協会の卒後教育担当者を経験したのち,臨床にもどり主任・婦長として10年間働き,再び教員を経て現在の職に就いた.まわりの期待と自分自身の希望により様々な立場の看護婦として働く機会を得たわけだが,このことが私に自分の仕事を見る時の独特の視点を育てたのではないかと考える.
 例えば,臨床と教育,その教育の場も基礎と卒後という2つの立場で働いた経験は,私にどの場で働くときも,自分が身を置いていない場から,今自分が置かれている立場とそこでの働きを批判または評価しようとする.具体的には,基礎教育で学生を指導する時「果たしてこの指導で現場の看護婦として働くときの基礎となる教育になるだろうか」という評価の目となり,また,現場でスタッフと何かを決めるとき「果たしてこれが,学校で学生に指導してきた看護の原理に則っているのだろうか」という評価の目になる.

動き出した療養型病床群・6

全国で初めて特例許可老人病院から全病棟を療養型に転換—医療法人豊慈会釧路北病院

著者: 豊増省三

ページ範囲:P.678 - P.681

 北海道の東端の人口わずか20万人の地方郡市にある,それも開設後まだ4年にも満たない釧路北病院が,全国で初めて老人特例を返上し,また全国で初めて入院医療管理料算定(介護力強化)病院から,しかも全棟療養型病床群への転換を果たしました.
 その後の状況を眺めてみますと,転換病院はいわゆるケアミックスが主流で,当院のようなケースはあまり類をみないようですが,療養型病床群の1つの例として参考にしていただければ幸甚です.

厚生行政展望

「21世紀福祉ビジョン」における医療政策

著者: 厚生行政研究会

ページ範囲:P.682 - P.683

はじめに
 3月28日に厚生省の高齢社会福祉ビジョン懇談会が発表した「21世紀福祉ビジョン」は,4月の診療報酬点数改定と重なったことと,福祉が中心であることから,多くの医療関係者から見過ごされていた.しかし,このビジョンの中には今後の厚生省の医療政策を占う重要なキーワードが含まれているので今回はこのビジョンを検討する.

事務長の業務を考える・7

民間小病院の事務長の業務あれこれ

著者: 萩田強

ページ範囲:P.684 - P.684

 私は他産業で勤務したこともなく,また今勤務している病院以外の医療機関で仕事をした経験もない.いわば井の中の蛙である.幸い,院長から外の空気に触れることについて,積極的な勧奨と理解を得て,機会あるごとに,病院団体の会合や,病院関係の勉強会,ときには他の業界の人たちとの集まりなどにも参加してきたことは,小病院の事務長にとって大きな力になっていると思う.
 民間小病院だけではなく,経営主体や規模などの異なった病院の院長,事務長や婦長ともお会いして,最近のテンポの速い,医療をめぐる環境の変化に対する情報を吸収することも,事務長の大事な業務の一つである.

医学ごよみ

7月—July 文月

著者: 木村専太郎

ページ範囲:P.685 - P.685

□9日 鷗外忌
 文豪森鷗外(林太郎)は文久2年(1862)1月19日に島根県の津和野に生まれた.東京大学医学部卒業後,明治17年(1884)にドイツに留学し,帰国後,陸軍医学校,陸軍大学教官をへて明治40年に陸軍軍医総監に就任した.当時,陸軍と海軍で猛威を振るっていた脚気に対して,薩摩出身の海軍医務局長高木兼寛(1849〜1920,後に軍医総監,成医会講習所,後の東京慈恵会医科大学を創設)は,麦飯を主体にした治療法により好成績をおさめ,明治18年までには海軍から脚気を絶滅させた.しかし,陸軍はその高木の治療法に批判的で,明治38年の日露戦争では多くの陸軍将兵が脚気で死亡している.
 明治21年(1888),ドイツ留学から帰国後,鷗外は訳詩集『於母影』を発表し『しらがみ草紙』を創刊した.明治23年(1890)に「うたかたの記」と最近映画化された「舞姫」を発表し,文壇の第一線に立った.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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