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雑誌目次

雑誌文献

病院53巻8号

1994年08月発行

雑誌目次

特集 多様化時代の病院人事

[てい談]多様化時代の病院人事

著者: 垣花勝治 ,   藤沢正清 ,   井手義雄

ページ範囲:P.704 - P.714

人件費比率をどうみるか
 病院が発展していくには 45%以下の水準が適正
 井手 病院経営の悪化が言われつづけています.厚生省などの資料を見ますと,特に病院の人件費が総収入の約50%を超えているような病院が大変多くなってきている.ところで,きょうここにお集まりの方々の病院は,病院の人件費が全国の平均よりも低い,収入に対して50%以下の病院で,経営的にうまくコントロールされている病院です.

医局制度の功罪

著者: 古川俊之

ページ範囲:P.715 - P.717

現代医療における診療装備改善問題
 感染症に対する近代医学の勝利は,免疫と抗生物質という技術革新によってもたらされた.いわば正規軍同士の戦闘の帰結が,[兵力]2×[武力の性能]の値で決まるのと同じである.しかし先進社会における成人病との戦いは,正規軍とゲリラの戦闘である.成人病は普通の市民が突如敵に変身するのと同じで,ゲリラが潜伏して奇襲をかけるようになったものである.正規軍の方は空爆などの物量投入作戦で対抗するしかない.結論的に言って政府軍はゲリラの10倍の戦闘員なら勝てるが,4倍では革命側のゲリラ必勝である.現代医学や医療に金がかかるのは,ゲリラ相手の不利な戦闘のためである.この説明から正面装備すなわち新鋭機器に対する投資の必要性が理解される.病院とは集中的な火力によって疾病と戦う場所である.よって装備が劣ればダメ病院の烙印を押されてしまう.
 そこで当然と言えば当然の指標として,何はさておき医員の質が鍵である.責任者の直感的判断で「問題医師」が少ない病院は,経営指標も必ず良好である.医師の研究発表の活発な病院もそうである.考えるまでもなく,研究活動が可能な病院は研究に必要な最新の診療設備を持っている.高度先端医療設備や新しい病院建築に惹かれるのは,受益者の患者ばかりではない.優秀な医師を集めようとしても,最新の装備がなければ何ともならない.

大学の人事と病院の人事

著者: 後藤由夫

ページ範囲:P.718 - P.722

はじめに
 医師の社会的地位が高く収入も多かった時代は終った.毎年およそ8,000名(平成6年度医師国家試験合格者)の医師が誕生し,高齢でも働きつづける医師がふえたので,医師1人当りの人口は昭和45年872人から平成4年には567名となっている.イタリー,ドイツほどではないが医師過剰気味で,免許証さえあれば引く手数多の時代もやがて終ろうとしている.一般企業では終身雇用,年功序列から期間契約雇用,職能給など被雇用者の能力・実績を重視して,企業の経営業績を最優先する人事管理へ移行する潮流がみられる.
 病院における医員の人事は特殊で閉鎖的であるが,今後も一般社会の地殻変動と無関係でありつづけるかなどについて,以下私見を述べ本特集執筆の責を果したい.また大学,病院に望ましい教員や医員にはどのような条件が求められるかについても述べることにする.もとより筆者自身は多くの欠点を持っている人間であることを充分自覚しているので,過去を振返ってかくありたかったと反省させられた事項を述べることを御了承いただきたい.

自治体病院にみる人事管理—小牧市民病院の場合

著者: 余語弘

ページ範囲:P.723 - P.730

はじめに
 一般企業では,バブル経済が崩壊する中で,企業間競争に生き残るため,懸命なリストラクチャリング,リエンジニアリングが行われ,経営を根本的に見直そうという努力がなされております.病院を取り巻く環境は年々厳しくなって来ておりますが,一般企業に比べると病院経営,特に公立病院の経営には,多くの制約があるとはいえ,人事,組織の改革はあまり進んでいないように思われます.
 公立病院は,地方公営企業法によって,不採算医療に対し,地方自治体の一般会計からの繰り入れを受け,その上で健全な病院経営を行うことが義務づけられておりますが,平成4年度の赤字病院の割合は62.7%で,平成5年度は74.6%に達すると推測されております.

職能給の導入から今日まで—東住吉森本病院での8年間の経験と運用の実際

著者: 伊藤明

ページ範囲:P.731 - P.734

 大阪市の南部に位要する当院は昭和46年に開設され,現在382床の一般病院として急性期医療を目指している.病棟は内科,外科,整形外科,脳神経外科,眼科の8病棟あり,全病棟特3類看護である.
 常勤職員数は約400名で,表1のごとくに区分されている.

職能給導入に向けて準備を進める—聖路加国際病院

著者: 渡辺明良

ページ範囲:P.735 - P.738

はじめに
 病院という業界においては,給与費の対収入比率が50%を越えることが珍しくなくなっている.これは病院が労働集約産業であり,人的サービスの提供が病院業務の中で重要な意味をもつことを示していることは周知の通りである.
 ところが,職員の能力開発や動機づけや処遇の公平化などがシステムとして機能している病院はどのくらいあるのだろうか.少なくとも当院では職種毎に独自で教育システムを作っているところはあるにせよ,従来病院全体としてこれらがシステム的に運用されてはいなかった.

個を伸ばす人事と組織づくりに取り組む—原三信病院

著者: 平祐二

ページ範囲:P.739 - P.742

はじめに
 現在の医療を取り巻く環境は,急速に変化しつつある.未だに例を見ない高齢化社会の到来,疾病構造の変化,さらには医療ニーズの多様化といった対応に急を要する問題が次々と出現してきている.一方,病院経営の観点から見ても据置きに近い医療費・薬価差益の圧縮などと医療費抑制政策が続き,これに加えて病床利用率の低下や,医療原価の上昇と相まって,病院の健全経営はますます困難になりつつある.もともと,医療は労働集約型産業であり,人件費の経費率は他の産業界には例を見ないほど高率である.このような状況下で病院を運営していくには,従来にも増して「ヒトと組織のマネージメント」の重要性が高まってきた.
 当院では以上のような現状を踏まえ,数年前から「ヒトと組織のマネージメント」に取り組んできた.これは,組織の活性化自体を直接的な目的とするのではなく,結果として活性化につながるとの考えである.つまり,職員一人ひとりの意欲を高め,能力を引き出し,これを伸ばすことが「ヒトのマネージメント」の中心と考えるからである.さらにいえば,職員の一人ひとりが自らの自発的な意志で活動することを最重要課題としている.また「組織のマネージメント」では,それぞれの能力を高めた者がその能力を生き生きと発揮できる環境を整えていくことに主眼を置いている.

系列病院の各職種の参加を得て職能資格制度を導入—医療法人若弘会

著者: 前田弘 ,   川合弘毅

ページ範囲:P.743 - P.747

導入の目的
 現在病院経営における人事管理・賃金管理上の諸問題として,従来の終身雇用制度や年功序列重視の人事(賃金)体系の弊害が指摘されている.すなわち,これらが原因となり,職員の労働意欲の刺激機能が低下し人事の停滞を引き起こしているのではないかという指摘である.当法人も例外ではなく,昭和63年系列病院職員数が600人を越え,より組織的かつ整合性のある人事管理が必要となった.
 参考までに現在の医療法人若弘会の概要を表1に示した.

中小病院苦闘の小史—医療法人啓信会における医師人事

著者: 中野進 ,   中野昌彦

ページ範囲:P.748 - P.750

 戦争後,食うや食わずの時代は,まともに医療のことなど考えられる状態ではなかった.それでも病気は存在した.もっとも現今とは異なり,貧困さが基盤にあるものが多かった.栄養失調,発疹チフスなどの層染症,貧血等々.だが,その王者はやはり結核であった.しかし,社会の安定,経済の復興,さらに抗結核薬の発明により,結核は1950年代に入るとその王座を奪われ,結核療養所は陰りをみせ,空床が目立ちはじめた.精神科疾患が向精神薬の発明もあり,社会からの隔離により治療へと転じ,次第に日の当たる場所となり,病床は結核にとって変わるようになった.この転換が,一段落したとき,経済成長がはじまり併行して自動車の増加,そして交通事故の激増へとつながる.このことは外科系救急病院の叢生期を暗示した.消化器外科医であった私はこれらの社会的背景のもとで,外傷の診療に興味を持ちはじめ,その途へと進んだ.その頃に生まれたのが京都四条病院であった(後述).
 10年たち,交通事故の増加は一段落し,内科系救急や時間外診療が社会的関心を呼びはじめた.狂乱物価,オイルショック,経済低成長を経験し,高齢化時代への突入となり,老年医学が浮上してきた.都心部は過疎化し,住民の効外への移行がはじまった.その時期に,私の関心とともに誕生したのが京都きづ川病院である.まもなく,政府の医療費抑制政策がはじまり,この2つの病院も苦難の途を歩みはじめた.

夢と信念、自由な気風で職員を牽引—深谷赤十字病院前院長のユニークな人事

著者: 高木紹夫

ページ範囲:P.751 - P.753

 僕は2年前,定年制により当院を退職,40余年にわたる深谷赤十字病院生活および22年に及ぶ院長生活を終えた.医学書院からの依頼は,病院長としての僕に対してのものであったが,目下の名誉院長兼最高顧問という役職からおわかりのように,“現役”ではないことを予めお断りしておかなければらない.
 したがって,本稿は現院長の許可を得,彼の「高木先生の流れを踏襲している」という言葉を信じての文章である.とは言っても,2人の性格,物事に対する考え方・処し方の違いは歴然としていて,必ずしも僕の時代とは同一ではないこともまた確かである.と同時に,僕の文は常に散文的であり,論文的ではないこともご承知おき願いたい.

グラフ

「患者さん優先の医療」を合言葉に21世紀の病院を提案—新築された東芝病院新1号館

ページ範囲:P.695 - P.700

 1964年(昭和39年)に開設された東芝中央病院が昨年4月新築竣工,名称も東芝病院と簡素化され東芝グループの医療センターとしての新たなスタートが切られた.東芝病院が(株)東芝の直営病院として東芝中央病院の名称で開設されたのは1964年(昭和39年),東京オリンピックが開かれた年である.この頃は戦後の経済成長期の真っただ中,1961年(昭和36年)に国民皆保険が達成されてから医療機関も急増していった時期だ.しかし,医療施設調査を見ると,このような医療界全体の発展傾向とは逆行するように企業立病院は減少し続けている.
 1965年(昭和40年)には,全国の病院数5,922施設,病院病床数873,652床の中で,企業立病院は195施設(全病院数の3.3%),その病床数は19,382床(全病院病床数の2.2%)であった.それが1992年(平成4年)には,病院数は9,963施設,病院病床数は1,686,696床へと急拡大を遂げたのと対照的に,企業立病院数は83施設に(全病院数の0.8%),同じく病院病床数も16,889床(全病院病床数の1%)へと著しい減少傾向を示している.

多能な高橋さんに期待 日本看護協会中央ナースセンターセンター長に就任した前東京医科歯科大学医学部附属病院看護部長—高橋美智さん

著者: 鈴木章夫

ページ範囲:P.702 - P.702

 誠に不思議な魅力の持ち主である.一緒に働いたことのある人は,学歴,年齢の高若を問わず,彼女と一緒に働きたがる.したがって我か大学の看護婦さんの慢性欠乏状態は,彼女の赴任と共に解消された.それと同時に他大学からも我か付属病院に看護婦さんを一定期間研修に送ってくれるようになり,看護部の質,量共に改善したのは驚きである.「お宅の看護婦さんはイキイキとして,親切で良くなりましたね」とある病院の院長から言われた.病院長を替えても,その大学病院の意識改革はなかなか行われないが,看護部長を替えると,看護婦さんの意識が直ちに変わると云われていることをまざまざと見せつけられた感じがした.これは勿論,単に高橋部長の患者に対する真の人間愛からだけてはなく,それを如何に率先して自ら実践出来,自然に手本を示し得るかによるものであると考える.
 彼女の在任中,医科新棟か完成した.これは地上17階,地下4階で,病院建築としては日本はおろか,恐らく世界でも最高層の地上80メートルを越える建築であり,スタッフステーションは云うに及ばず,病棟配置,搬送システムからToiletに至るまで,適切なアドバイスがあった.また,旧棟から新棟に患者を移転する民族の大移動も,彼女の陣頭指揮でつつがなく終わり,平成4年4月1日には定刻通り開院に漕ぎ着けることが出来た.

主張

医師いう資格

著者:

ページ範囲:P.703 - P.703

 日本の社会は諸外国に比べ,社会的にも,経済的にも多くの点で人間同志の格差が小さい国であると言える.これは,歴史的にみても,特に明治以後,“同じということ”を前提にして社会文化が創られてきたことによるものであろう.生活面で様々な多様性が生じてきたと言われているにも拘らず,日本人以外の人々から日本人を見れば,肉体的にも,精神的にも同様で,均一的に感じられるのではなかろうか.多くの日本人は似た風貌であり,集団として行動することなども良い例と言えよう.
 しかし,日本人の内部には人間であるからして限りない欲望が個々には存在していることは当然でありながら,他人と自らを比較した時,その同一性のもとに妬み,僻みという感情が優先することも多い.一方,日本人の精神的教育では徳を大切にし,誇りを持ち,恥を知り,潔く行動することが示されてきたことも事実である.

MSWの相談窓口から 老いの行く末・1

未整備な介護態勢と“家族の絆”

著者: 川端庸貴

ページ範囲:P.754 - P.754

縁側の風景
 夕陽を受けながら,老夫婦が縁側で昔話に花を咲かせ,辻褄の合わない話を楽しんでいる.近くの公園では子供たちが,“老いの行く末”を案じることなく,無邪気に遊びに熱中している.
 そんな光景がみられなくなった.

特別寄稿

戦後精神医療を語る・2

著者: 計見一雄 ,   佐藤壹三

ページ範囲:P.755 - P.760

終戦直後の日本の難民—「水子のうた」
 今,世界中でたくさんの難民が発生しています.ユーゴスラビア,ボスニアで,エスニック・クレンジングのために排除したい民族の女性を収容してレイプ・センターを設けたというショッキングな事件も報道されました.その集団レイプによって妊娠した赤ん坊を掻爬手術によって中絶すべきではないとローマ法王が声明を出したり,その反論もありました.
 間奏曲的に,終戦直後という時代を知り得る貴重な資料を紹介します.今日の世界を眺めると,50年前の事実が必ずしも過去の出来事ではなく,今日にも明日にも恐らく発生するのではないかと思われます.

建築と設備・98

南欧とオランダの医療施設—日本病院建築協会第14回海外病院視察団報告

著者: 河口豊

ページ範囲:P.761 - P.766

南欧とオランダ
 1993年9月10日出国し,同月24日帰国の14日間,27人の視察団であった.訪問都市(図1)の南欧は,西洋医学発祥の地ギリシャ,それを受けたローマは,その後の暗黒の中世ではアラビア医学の発展に地位を譲るが,医学の中心地であり,サレルノ医学校からのイタリア医学はルネッサンスを経て欧州大陸へ広がった.またマドリッドも中心都市であった.しかし近代に入り,中部欧州大陸,英国,米国へと主役の座は移り,今日では医学的にも施設的にも先進国とはあまり認識されていない.
 一方,量から質への転換が迫られている我が国において,質の中味を考える時に米国や北欧の施設もさることながら,もう少し風土や文化との関わりで考えたい.「日本と欧米先進国の医療施設の違い,それは面積と人手である」の改善もさることながら,もっと独自性があってよいのではないか.さらに広くは医療・福祉に対する考え方の違いもある.医療法でうたっているように「病院は傷病者が科学的でかつ適切な診療を受ける」場であることは言を待たない.しかし医学は科学であるが,医療は医学の社会的適用といえ,まさに文化といえよう.

事務長の業務を考える・8

週休2日制の実施に向けて

著者: 萩田強

ページ範囲:P.767 - P.767

 労働基準法の改正によって,時短が一層明確に示されたことに伴い,週休2日制がさらに推進されるようになってきている.
 当院では,昨年7月に従来の月2回の変則交替週休2日制から,開業方式による月4回の交替週休2日制(必ずしも連休とはならないが,数の上ではほぼ完全週休2日制に近い)を実施した.私の経験した事務長の業務の一端として,実施までの過程を辿りながら述べてみる.

厚生行政展望

医師需給と卒後臨床研修

著者: 厚生行政研究会

ページ範囲:P.768 - P.769

はじめに
 平成6年3月の医学部卒業生は8,284人で,9,255人が医師国家試験を受験し,86.2%が合格,7,982人の医師が誕生した.平成4年12月31日現在,219,704人の医師が登録されている.今回は医師需給と医師の質の向上について検討を行う.

老健Now・10

老健施設のサービス内容を問う

著者: 小山秀夫

ページ範囲:P.770 - P.771

 今年4月1日に引き続き,10月1日より実施の老健施設療養費の改定内容が公表された.老健施設の看護・介護は,現在,入所者3.6人対1人となっているが,3対1以上で個別看護・介護計画の策定を行った場合,現行より3万5千2百円アップの27万円とすることになった.また,来年4月1日から,定員超過の入所者や医師,看護・介護職員の員数が満たない施設の入所者に対する基本施設療養費の額が70%に減額されることになった。このことは,制度本格実施から満5年を過ぎ6年目を迎えた老健施設自体の汚点であり,あまりにも残念である.なぜならば,多くの人々の努力で,ここまで成長した老健施設で定員超遇や職員不足といったアンフェアーが行われていることを意味するからである.老健施設は,老人ケアの試金石として制度化され,最低限のルールを守り,ケアの質の向上をめざすことを制度の趣旨に反映させてきたのであり,単に数が多くなったのであるから,劣悪な施設も出てくるといって見逃すことはできない.

国際化と病院 私たちの病院での取り組み

外国人患者の来院がもたらしたもの—アジア・アフリカ目を向けはじめたみさと健和病院の職員たち

著者: 庄司道子

ページ範囲:P.772 - P.773

 三郷市は埼玉県の東南部,東京・千葉に隣接する人口13万人の近郊都市.住民の平均年齢が34歳という人口急増の若い街で,所々に田園風景を残しながらも中小の町工場が沢山あり,経済成長期には労働力不足から外国人労働者を吸い寄せてきた.当市の登録外国人は'92年1,022人,'93年1,195人,本年1,351人(各5月)と年ごとにほぼ200人の増加である.
 しかし,私たちの病院を訪れる外国人患者のほとんどは観光ビザ・偽造ビザで就労している非公認労働者であることから推しても実際の数はこの数倍にのぼると考えられる.

動き出した療養型病床群・7

大型施設でリストラクチャリングの一環として導入した—リハビリテーションセンター鹿教湯病院

著者: 市川英彦

ページ範囲:P.774 - P.776

はじめに
 私たちは,いただいたテーマに値するかどうか大いに迷いがあり,なかなか筆が持てなかった.ことに当初,ケアミックス導入は,経営の危機を乗り切るために止むを得ないことと受け止めていた.「不安であり,不満でもある.しかし導入以外に生き残る道はない」と多くの職員が考えていた.全く受身的であり,被害者的ですらあった.私たちは見通しをしっかり持って取り組んだのではなかった.このことが最も気になり,原稿依頼をお引き受けした自分の軽挙を悔むことしきりであった.しかし一方,ケアミックスに取り組んだ今日までの職員一同の努力の中で,次のような好ましい変化が現れた.
 1)職員,ことに看護スタッフと患者さんの距離が確実に近くなったこと.

医学ごよみ

8月—August 葉月

著者: 木村專太郎

ページ範囲:P.777 - P.777

□1日 マサチュセッツ総合病院の創設者
 米国のハーヴァード大学外科教授ウォーレン(John Collins Warren,1778〜1856)が,ボストンで生まれた日である.彼は1846年10月16日にマサチュセッツ総合病院(Massa-chusetts General Hospital)で,歯科医モートン(William TG Mor-ton,1819〜1868)が行った歴史的なエーテル麻酔のもとに12歳の男の子アボット(Gilbert Abbot)の下顎部の腫瘍を摘出した高名な外科医である.
 彼の父(John Warren,1752〜1815)は合衆国の独立戦争で活躍した外科医で,ハーヴァード大学医学部の創設に尽力し,1782年初代外科学教授に就任している.息子のジョン・コリンズは父から医学を学び,ハーヴァード大学で医学を修めた.さらに1799年から3か年間,英国のロンドンおよびエジンバラ,フランスのパリに留学して研鑽を積んだ.帰国後,父とともにボストンで開業しながらハーヴァード大学で父の講義を手伝った.そして1809年には同大学の外科学の教授に就任し,さらに父の死後の1815年に主任教授となった.また,1821年に開院したマサチュセッツ総合病院の設立に大いに貢献した.

病院管理フォーラム

[病院の委託業務]建物管理業務

著者: 塚田慎吾

ページ範囲:P.778 - P.779

建物管理業務
 建物管理業務は,いわば病院のハードの面を管理することで,今まで述べてきたいわゆるソフト面とは異なっているが,患者にとって建物管理の良し悪しは病院の第一印象を決定することから言えば,いずれもおざなりには出来ない問題である.
 この業務は歴史が古いので,業者の数はかなりに上るものと思われる.それだけに競争も激しく,業者の選定は難しいと言われている.

[病院関連サービス]聖路加サービスセンターの事業(2)—売店運営[その2]

著者: 石山稔

ページ範囲:P.780 - P.781

 売店運営については,直営方式と委託方式があります.
 聖路加サービスセンターでは,直営方式をとっています.スタッフが商品の仕入れ,在庫管理,経理処理等を行います.顧客のニーズを反映した品ぞろえを心掛け,良い商品仕入れ先と運営の効率化により収益の増大を図っています.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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