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きびしい日本の医療環境の課題に挑む 国立医療・病院管理研究所所長に就任された 松田朗氏
著者: 平良専純1 八木保
所属機関: 1国際協力事業団医療協力部
ページ範囲:P.16 - P.16
文献購入ページに移動 松田先生は昭和39年岐阜県立医科大学卒業後,公衆衛生を志し厚生行政の第一線機関である保健所にお勤めになりました.昭和46年厚生省に入られてからは省内の主要部局はもちろん,外務省,科学技術庁,静岡県,環境庁(大気保全局長)にも出向され,実に幅広い行政経験を積まれております.これまでの先生の御業績等のほんの一端を述べさせていたださますと,「市町村保健センター構想」の具体化,「アクティブ80ヘルスプラン」の策定・推進,「国立長寿医療研究センター」創設等々があります.特に私の印象に残っておりますのは,科学技術庁時代に「組換DNAの実験指針」の策定,「P4実験施設」の創設に尽力され,我が国における遺伝子組換研究を世界のトップレベルまで導く基礎をつくりあげた行政手腕であります.
また,昭和50年前後,厚生省の医系行政官不足は深刻を極めており,当時医系技官の人事担当補佐の任にあった先生は,医師確保に東奔西走され,その御苦労が今日の医系技官の充実につながっています.役人の人事異動は当たり前ですが,与えられたポストで全力投球を続けてこられた姿勢に私のみならず多くの後輩達が暗黙の教示を受けているはずてす.
また,昭和50年前後,厚生省の医系行政官不足は深刻を極めており,当時医系技官の人事担当補佐の任にあった先生は,医師確保に東奔西走され,その御苦労が今日の医系技官の充実につながっています.役人の人事異動は当たり前ですが,与えられたポストで全力投球を続けてこられた姿勢に私のみならず多くの後輩達が暗黙の教示を受けているはずてす.
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