文献詳細
病院の少子化対策
文献概要
はじめに
筆者が倉敷中央病院小児科の責任者となったのは昭和49年(1974年)である.その頃の岡山県の年間出生数は,まだ増加傾向にあった(図1).ところが,1975年の30,102人をピークに1993年には18,348人にまで減少した.18年間に約4割(39%)も減少したことになる.この20年間の当科運営上の対策は2つに分かれる.前半の対策は,基幹病院の小児科として高度医療を目指すこと,後半は,その上に少子化時代に要請される医療を加味すること,であった.
筆者が倉敷中央病院小児科の責任者となったのは昭和49年(1974年)である.その頃の岡山県の年間出生数は,まだ増加傾向にあった(図1).ところが,1975年の30,102人をピークに1993年には18,348人にまで減少した.18年間に約4割(39%)も減少したことになる.この20年間の当科運営上の対策は2つに分かれる.前半の対策は,基幹病院の小児科として高度医療を目指すこと,後半は,その上に少子化時代に要請される医療を加味すること,であった.
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