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雑誌目次

雑誌文献

病院54巻9号

1995年09月発行

雑誌目次

特集 大災害に対するリスクマネジメント

[座談会]阪神・淡路大震災の経験と今後の医療体制

著者: 宮坂雄平 ,   浅井康文 ,   磯部文雄 ,   河北博文

ページ範囲:P.830 - P.838

 河北 本年に入って阪神・淡路大地震がありました.それから人災ですが地下鉄のサリン事件もありました.本日の座談会は「阪神・淡路大震災の経験と今後の医療体制」をテーマにお話いただきたいと思います.
 この大震災が起こりましたのが平成7年1月17日ですが,その当日から,3日後,7日後,その後と分けて,どういう経験をされたのかをお話いただきたいと思います.

わが国の災害医療体制の現状と今後の展望—病院レベルの防災対策のあり方に関する考察を中心に

著者: 山本光昭

ページ範囲:P.839 - P.841

大規模災害に対する医療整備の取組み
医療体制の整備
 災害時における医療の確保は災害対策の大きな柱の1つであるが,わが国の災害対策は昭和36年制定の「災害対策基本法」1)に基づき推進されている.同法は,国,地方公共団体およびその他の公共機関を通じて必要な体制を確立し,防災計画の策定,災害予防,災害応急対策,災害復旧および防災に関する財政金融措置その他必要な災害対策の基本を定めている.特に,医療の確保については,同法に基づいて策定されている厚生省防災業務計画,各地方公共団体毎の地域防災計画の医療救護計画等によって,その体制整備が進められてきた.一方,昭和22年に制定された「災害救助法」2)は,国が地方公共団体,日本赤十字社その他の団体および国民の協力の下に,応急的に,必要な救助を行うことを定めている.同法では,一定程度の規模以上の災害が発生した場合に,災害のため救助を必要とする者に対して,都道府県知事が救助を行うこととなっており,医療機関は地域の被災者の医療救護活動や収容等について積極的に対応する責務を負うことになっている.さらに,救助の万全を期するため,常に,必要な計画の樹立,強力な救助組織の確立ならびに施設,設備等の整備に努めることとなっている.

災害に対応した医療体制—AMDAの救援医療活動

著者: 菅波茂

ページ範囲:P.842 - P.843

AMDA医療ボランティアの動き
 地震発生の1月17日の午前中,私は外来診療をしていたが,全国のAMDAの会員から電話連絡が続いた.「緊急救援のための医療チームを出したのか.」「医療チームを出すのか.出すのならぜひ参加したい.」等々.診療が終わったのが12時半頃.午後1時に医療チーム派遣を熟考することなしに決断した.副院長の津曲兼司医師と看護介護部長の和気一栄氏に,これから地震の被災地である神戸への医療チームを派遣するので参加してほしいと伝えた.両名とも即座に「行きましょう」と気持ちよく了解してくれた.両名ともルワンダ難民救援活動でザイールのゴマ,あるいはブカブでの難民キャンプ活動経験者であった.これで第一次医療チームの骨格ができた.
 第一次派遣医療チームは備前市の下野外科内科院長を団長とする6名で,午後4時に神戸に向けて2台の四輪駆動車で出発した.その日の午後11時には神戸市長田区役所5階保健所に到着して現地事務局を設置.早速巡回診療活動を開始した.

災害に対応した医療体制—日本赤十字社支援による現地病院の災害医療

著者: 上林恒雄

ページ範囲:P.844 - P.846

 そのとき,前夜からの救急診療を終えて,医局でカルテの整理をしていた露野循環器科部長は,とっさに机の下にもぐりこんだ.揺れがおさまると,廊下へのドアが開かない.1階の窓から外に脱出する.夜勤の看護婦が廊下に出たとたん,ドーンという音と共に身体が大きく振り回された.薄暗い廊下の壁をつたって人工呼吸器使用の患者のところにたどりつき,アンビューを押しているうちに大きな余震が次々と襲ってくる.ベッドから落ちた患者,腰を抜かして病室の入り口に座りこんだ患者,廊下を大声で走り回る患者,点滴台は倒れ,窓ガラスは破れ,天井に穴が開きコンクリートの塊が落ちてくる.給湯器の配管が引きちぎれ病室は水浸しになり大混乱であった.家族に「子供を頼むよ」と家を出た看護婦は機動隊の車を追いかけて便乗し病院に向かった.夜明け前の須磨海岸を毛布を被った人たちが脱出する光景が見られた.

災害に対応した医療体制—これからの災害医療

著者: 堀進悟 ,   相川直樹

ページ範囲:P.847 - P.849

はじめに
 1995年は波乱の年である.1月から6月(本稿執筆中)までに,すでに阪神大震災および地下鉄サリン事件と,タイプの異なる2つの集団災害が発生した.前者は自然災害であり,後者は類例のない毒ガスによる社会的犯罪であったが,共に大都市を直撃し,大きな社会的影響を及ぼすと共に,緊急時の医療対応を必要とした.我々も前者では神戸への救援医療チーム派遣により,後者では死亡1人を含む115人の被曝患者診療により集団災害を目の当たりにする機会を得た1).これらの経験は,救急医療を担う我々に,将来に有りうべき集団災害への対応について,何をなすべきか考える機会を与えた.本稿では,これらの経験を踏まえ,1)行政区分を越えた災害医療ネットワークの整備,および,2)医学教育における災害医療・教育の推進,の2点を提言したい.

緊急マニュアル作成の指針

著者: 内藤誠二

ページ範囲:P.850 - P.853

はじめに
 1995年1月17日午前5時46分に起きた兵庫県南部地震はマグニチュード7.2を示し,大都市圏で起きたことも重なり大規模な被害を引き起こした.まさか関西で大地震がという油断と,予想を越える被害から強い印象を与え,災害時におけるライフラインに対する考え方,被災直後の国家レベルから個人レベルにおける緊急対応策,ボランティアのあり方等災害に対する危機管理を認識させるものであった.
 また連日の報道の中で,病院が被災者でありながら入院患者という人命を預かり,かつ被災直後においては第一線の救急医療の担い手となっている現状を見るにあたり,万一,自分達自身が災害にあった場合を考えると院長としての責任を感じざるをえなかった.

手術部,ICU・CCUにおける設備機器および医療ガス供給設備の被害状況とその対応

著者: 増田貞満

ページ範囲:P.854 - P.859

はじめに
 阪神大震災が発生して半年以上が過ぎ,今でも避難所生活を余儀なく続けておられる方々のニュースを聞くたびに,1日も早い復旧を祈らずにはいられない.
 今回の大震災で被害を受けられた医療施設の実情を克明に把握することにより,より安全で震災に強い医療施設として改善すると共に,これからの震災に強い医療施設作りの参考にすることも大変重要なことであるとの認識に立ち,当社で特に関係の深い医療ガスおよび医用電気供給システムと,手術部,ICU等の環境の範囲について,被害の実態と当社なりの考察を加えて報告させて戴くこととした.

国立病院東京災害医療センターの構想

著者: 岩崎康孝

ページ範囲:P.860 - P.863

はじめに
 国立病院東京災害医療センター(病院長:西法正氏)が平成7年7月1日,東京都立川市に開院した.
 これまで日本の医療の世界では,いくつかの例外を除き,あまり脚光を浴びたことのない「災害医療」という言葉を,その名に冠した病院が開設されたのはきわめて画期的なことである.

アメリカにおける災害医療システム—FEMA(連邦緊急管理庁)とNDMS(国家災害医療システム)

著者: 赤木真寿美 ,   喜多悦子

ページ範囲:P.864 - P.870

FEMAの基本機能と緊急・災害保健・医療対応
 FEMA (連邦緊急管理庁)は,緊急時や戦争時の緊急対応を総合的に企画・調整・運用する連邦機関として設置され,関係各省庁,地方政府機関に加えて民間部門の協力も得て機能する組織である.
 FAMAの活動の基本となっているのは,災害救助および緊急援助法(The Robert T.Stafford Disaster Reliefand Emergency Assistance Act)と,これに基づいて策定された「連邦災害対応計画(The Federal Response Plan)」である.

グラフ

「住民が主人公」の医療—岐阜県・国民健康保険上矢作病院

ページ範囲:P.821 - P.826

▽創立20周年を迎えて
 国保上矢作病院は今年(1995年)6月で創立20周年を迎えた.6月3日に「上矢作病院の明日への提言」のテーマで記念シンポジウムがもたれた.このシンポジウムではフロアの参加者からも盛んに意見が出され活発な討論が交わされたという.地域の人々の病院や健康問題に対する意識の高揚が読み取れたという.
 厚生連佐久総合病院に勤務していていた大島紀玖夫院長が上矢作病院に赴任したのが20年前.上矢作町出身の大島院長が赴任するまで,町の関係者の佐久総合病院詣でが5年ほど続いたという.それまでの上矢作町の医療は,病気になっても「我慢と手遅れとあきらめ」といった状況であった.「近くに入院できるところがあったら命を落とさなかったのに」,「医者に脈をとってもらって死にたい」という住民の強い思いにより,昭和50年6月1日に19床の有床診療所が誕生した.

田舎にも良質な医療を—読売医療功労賞を受賞 広島県・加計国病院 岸明宏院長

著者: 吉見昭宏 ,   八木保

ページ範囲:P.828 - P.828

 岸先生は,酒を汲み交わすたびに,田舎の人たちにも良質な医療を受けられるようにし,生活支援の医療を視点においてゆきたい,といつも熱っぽく語られます.私もその感化を受けた一人です.
 先生はその信念どおりに,田舎の小病院(赴任当時は外科医1名,内科医1名)を郡内の地域包括医療の拠点となるまでに発展させられました.このご功労により,先般,読売医療功労賞を受賞されましたが,多くの郡民により「郡民の宝」と賞賛され,盛大な祝賀会が催されました.

主張

病院の改革は人事の採用から

著者:

ページ範囲:P.829 - P.829

 「超氷河期」の本年度の就職戦線もそろそろ終盤戦となった.昨年と同様に本年もまた女子学生の就職への道は閉ざされたままであり,大きな社会的な問題となっている.バブル崩壊後のわが国経済は,政府の各種政策の対応にもかかわらず低迷を続けている.また,近年の政治の混迷,急激なる円高,株価の低落は,企業の投資意欲を極端に先細らせている.企業の収益確保のためのリストラは,人員の合理化をはじめとしたあらゆる分野に及んでおり,不況に強い病院においても企業の人間ドックの受診者の減少傾向は,これらの一つの現象であると思われる.
 さて,病院の「就職戦線」はどうであろうか.多くの病院においては,やっと採用試験等の準備を開始した段階であろう.本年度もまた慢性的な看護婦不足で病院の採用担当者を悩ませているのではなかろうか.新看護体系の実施に伴う病院間の激しい看護婦採用合戦は,現在の一般企業の就職戦線と比較すると驚くべき状態である.日々の新聞紙上の求人広告欄における医療機関よりの広告の多さには呆れ返る程である.

特別企画

〔座談会〕阪神・淡路大震災下における神戸市立西市民病院看護婦の活動

著者: 荒牧礼子 ,   石山ルミ子 ,   呉島富子 ,   中瀬克己 ,   吉田直子 ,   渡部幸代 ,   多田羅浩三

ページ範囲:P.871 - P.877

 多田羅 改めて申し上げるまでもありませんが,今回の阪神・淡路大震災は未曾有の被害をもたらしました.今日はその中で医療機関として壊滅的被害を被った神戸市立西市民病院の看護婦さんに,震災当時の活躍ぶりとその後の活動について,限られた時間内ですが,お話しいただきます.
 西市民病院の5階病棟の崩壊は新聞などで報じられましたが,地震が起こったときにどこでどう対処されたのでしょうか.まず,1月17日の早朝,渡部さんはどうされたのですか.

訪問看護ステーション 実践レポート—北から南から

大震災に遭って—日本赤十字社神戸訪問看護ステーションからの報告

著者: 武市和子

ページ範囲:P.878 - P.882

 [編集室から] 当欄への執筆を武市さん宛に依頼した直後の1月17日早朝,直下型の烈震が神戸市と淡路島を中心とする地域を襲った.その後,時を追うごとに,この地震が稀にみる規模のものであることが明らかにされていく.原稿の執筆の可否どころか本人の安否さえ気づかわれる状況だった.恐る恐るFAXで様子を尋ねてみようと決心したのは1週間ぐらい経ってからだった.「回線が混み合っている」との電話局からのメッセージに何度か撥ねつけられながら送信操作を繰り返すうちに,うまくタイミングが合ったのか文書が器械に吸い込まれていった.その翌日,武市さんからの元気な声が受話器の向こうから聞こえてきた.訪問先の安否の確認に神戸市内を東奔西走されているとのこと.ほっとすると同時に,無理を押して貴重な体験を文章化してもらったのが今回の原稿である.
 震災から3カ月が経過しようとしている.熱しやすく,冷めやすいのが我々日本人の常なのか,新たに起きた地下鉄サリン事件の熱気に押しやられ,阪神大震災がもたらした衝撃は人々の記憶から急速に薄れつつあるように見える.そんな中で本稿は,当事者たちにとっての“震災体験”が,まだまだ始まったばかりであることを示してくれている.

MSWの相談窓口から

地図にない街(地区)の病院・その1

著者: 奥村晴彦

ページ範囲:P.883 - P.883

地図にない街(地区)
 大阪西成“あいりん地区”は通称“釜ヶ崎”と呼ばれ,東京の山谷,横浜の寿町とともに日本の三大日雇い労働者街の頂点として,日本経済を底辺で支えてきたところである.しかし,世間では労働者の健全な街というより,ダーティーな印象が強く,商業地域に指定されているが,ドヤ(簡易宿泊所)が中心で昼間から道端で寝ていたり酒盛りをしている光景もよく見受けられる.
 1961年8月に起こった暴動を契機に地区対策が実施され,1966年に大阪府・大阪市・府警本部の三者連絡協議会でイメージアップのため地区名を歴史的名称でない“あいりん”とし,1970年にあいりん総合センターが竣工され,公共職業安定所と西成労働福祉センターおよび大阪社会医療センター付属病院も設立されたわけである.“あいりん”とは隣人を愛するという意味から“愛隣”となったと言われている.

パネルディスカッション 21世紀の医療を目指して・3

21世紀の医療を目指す—医療提供者の立場より

著者: 河北博文

ページ範囲:P.884 - P.887

 今日は,医療を提供する立場から,今後の社会の変化を踏まえどのように対応したらよいかを考えたいと思います.
 1989年にベルリンの壁が崩れて以来,イデオロギーが問題とならなくなり,ロシアのチェチェンでみられるように民族間の闘争が生まれてきました.これと同様のことが医療界にも起こっています.

21世紀の病院像—研究者の立場より

著者: 紀伊國献三

ページ範囲:P.888 - P.890

 神奈川県の病院管理研修会で「日本の病院医療の将来」というテーマで話したことをレジュメにまとめました.私が申し上げたいことをこのレポートで述べておりますので,後ほどお読みいただければと思います.また,『病院』誌の1995年1月号で,介護問題についてかなり突っ込んだ議論がされております.これもぜひお読みください.
 配付しました資料のうち「平成5年医療施設,病院報告の概要旨」(本誌1995年1月号100頁参照)を見ると,病院病床が初めて減っています.最近,病院数は減少傾向にありましたが,病床数が減ったのは,新しい時代の到来を象徴しているようです.規模別でも,100床以下の病院が2.5%減少し,全体の構成のなかで少しずつ平均病床は増えています.

医療技術革新の展望とこれからの医療政策—ヒト遺伝子研究の意味するもの

遺伝子技術と生命倫理問題

著者: 広井良典

ページ範囲:P.891 - P.895

政策としての生命倫理(承前)
④分子生物学の医療への「進出」—研究規制と臨床のクロス
 「日本におけるDNA研究は,医学研究からではなく,大学の分子生物学者のグループから始まった.このことは.一般には不思議とは思われないかもしれない.しかし,現在の日本のDNA研究に関する問題の多くは,ここから生まれている.」
 これまで60年代のアメリカにおける新薬臨床試験や人を対象とする臨床研究をめぐる制度改革,これを契機とした70年代以降の主として生命倫理的な観点からの「国家委員会」等の政策対応,さらに医療テクノロジー・アセスメントの展開と,それまで「ブラックボックス」の中に置かれていた医療の中身ないし質についての公共的なチェックが拡大してきた流れを見てきた.

連載 アーキテクチャー 保健・医療・福祉 第11回

建設コスト分析

著者: 小菅哲

ページ範囲:P.896 - P.901

はじめに
 建設コストとは,一体何なのでしようか?
 病院建築に限らず,すべての建築において,今まであらゆる所でこの疑問が生じてきました.ましてや一度でも建築主という立場を味わった人は,必ずやこの疑問を抱いたことでありましょう.ある建築主が病院を建てたいと思い,建設業者に設計と工事を依頼をしました.設計が終わって建設業者から見積書が提出されました.予算には合っていますが,それが高いのか安いのかさっぱりわかりません.また他の建築主が自宅を建てようと思い,友人の設計事務所にこれを依頼しました.設計が終わり,建築主は建設業者から見積りをとりました.設計事務所がこれをチェックしてはくれましたが,なぜか金額だけには釈然としない気持ちが残ります.

データ・ファイル

中央社会保険医療協議会審査,指導・監査小委員会報告書—(保険診療における審査,指導・監査の在り方について)/震災時における医療対策に関する緊急提言

ページ範囲:P.902 - P.906

1.審査,指導・監査小委員会の設置の目的(略)
 2.検討の経緯(一部略)主な検討事項は,次のとおりである.

医学ごよみ

9月—September 長月

著者: 木村專太郎

ページ範囲:P.907 - P.907

□3日 有機物の微量分析法を考案
 現在,左右の腎機能を検査するための比重を測定する方法をプレーグル(Pregl)・テストと呼ぶが,このプレーグル(Fritz Pregl,1869〜1930)の誕生日である.
 彼はオーストリアのライバッハ(Laibach,現在のユーゴスラビアのLjublijana)に生まれグラーツ(Graz)大学医学部を卒業後,生理学を専攻したが,臨床では眼科学を専攻している.生理学とともに当時,医学界で脚光を浴びつつあった化学に興味を抱き1年間ドイツに留学,有名な化学者の門を叩き,その中でも有名なフィッシャー(Emil Fi—sher,1852〜1919)のもとで有機化学を学び,貴重な経験をした.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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