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雑誌目次

雑誌文献

病院55巻7号

1996年07月発行

雑誌目次

特集 医療機能評価で病院はどうなる

[インタビュー]医療機能評価の問題点—池上直己慶應義塾大学教授に聞く

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.630 - P.633

 編集室 日本の医療機能評価もアメリカに遅れること50年,ようやく始まったところです.まだ運用調査の段階ですが,医療機能評価をめぐるいろいろな問題点をお伺いしたいと思います.
 評価法
 まず,評価方法の現状についておうかがいします.わが国の機能評価はアメリカを参考にしているようですが,アメリカでは初めは結果(out-come)の評価から始まり,過程(process)や構造(structure)を評価する方法に見直され,再び結果を重視するという流れであると聞いておりますが.

日本医療機能評価機構の歩みと活動

著者: 大道久

ページ範囲:P.634 - P.638

設立に向けた準備と機構
の基本的性格
 平成7年7月に,財団法人日本医療機能評価機構の設立が認可され,病院機能評価事業が開始された.昭和60年に,日本医師会と厚生省が病院機能評価に関する検討を開始してから,10年目にしてその事業化が実現したことになる.ここまでに至ったのは,関係者の長年の努力の積み重ねによるところが大きいが,その背景には医療を受ける立場からの医療の質や適切さについての関心の高まりや,客観的な情報に基づいて合理的な社会の運営を行うことを求めようとする時代の要請があるといわなければならない.
 関係団体の取り組みの状況を受けて,厚生省は平成5年から6年にかけて病院機能評価に関する検討会を設置し,医療を受ける者や保険者を含むそれぞれの立場からの意見を聞いた.同検討会における論議では,病院機能評価に期待するところが確認され,評価の視点や評価結果の扱いなどについて必ずしも意見は一致しなかったが,公益法人による第三者の評価組織を設立することでは合意をみた.

病院運営と第三者機能評価

著者: 西村昭男

ページ範囲:P.639 - P.642

 平成7年7月に日本医療機能評価機構が発足し,わが国においても医療の質の第三者評価の歩みが始まった.顧みると,羽田日本医師会会長の呼びかけによって「病院機能評価に関する研究会」が厚生省との共同事業として昭和60年に組織されてから,10年の助走を経て飛び立ち,試験飛行中ということになる.
 米国では,JCAH (後にJCAHO)が1951年(昭和26)に活動を開始している.わが国は半世紀に近い遅れである.米国は助走に40年も費やしているので,わが国の10年間の実績は,評価に値するものといえよう.この遅れを取り戻すことは容易ではないが,米国とは医療の制度や文化が異なるわが国に最も適合する評価活動に向かう重要なマイルストーンとして平成7年が歴史に刻まれるであろう.

[座談会]医療機能評価で病院はどうなる

著者: 磯部文雄 ,   星和夫 ,   木村厚 ,   紀伊國献三

ページ範囲:P.651 - P.657

医療機能評価機構は
なぜできたか
 紀伊國 「医療機能評価で病院はどうなる」というテーマで座談会を始めたいと思います.
 昨年,財団法人日本医療機能評価機構が長年の検討の末できたわけですが,なぜ医療機能評価機構がこの時期にできたのかという背景からお話しいただければと思います.

第三者医療機能評価を経験して

院長の立場から

著者: 日野頌三

ページ範囲:P.643 - P.645

 昨年5月に,いまの「第三者評価機構」に先駆けて病院の機能評価を行っていた「病院医療の質に関する研究会」,通称「質研」のサーベイを受けた.動機は「やじ馬根性」である.まわりからは,「(あんたんとこ程度の施設で)ようあんなもの受けますな」といわれたが,成績(?)は思ったほどひどくはなかった.その最大の理由は,蛮勇(筆者は“健気さ”と思ってるが)をサーベイヤーの方々が好意的に受け止めてくださったことにあろう.
 そのうえに,高齢者の慢性疾患(障害)に特化しようとしている中小病院に欠けている「機能」のいくつかは,一般病院の機能評価判定項目として採用されていなかったため,いってみれば「チェック漏れ」も起こった.この現象は一つの基準であらゆる病院の機能を比較したいという「機能評価の理想」を追求する限りの宿命である.

事務局長の立場から

著者: 井野節子

ページ範囲:P.645 - P.647

 私どもが,当時第三者病院機能評価団体でありました「病院医療の質に関する研究会(JHQAS)」の評価を受けたのは,平成6年の8月でした.当時まだ(財)日本医療機能評価機構は,できておりませんでした.たまたま友人の紹介で加入しましたが,入会早々サーベイのお誘いがありました.入会の条件の一つにサーベイを受けることが掲げてありましたので,当然のこととしてお引き受けしました.早々のお誘いがあったのは,恐らく私どもが,一般100床という典型的な中小病院だったからではないかと思います.私どもの病院は,姫路という中核都市の郊外に位置し,高齢者の多い地域で,内科中心に外科と整形外科と眼科を擁し,在宅医療に関しては昔の往診の風習が残った地域であっただけに10年以上も続けてきた,まさに「地域医療」を地で行く病院であります.評価を受ける決心をしたのは,経営のトップである理事長と私でした.果たして中小病院は本当に質的に大病院に比べ劣っているのだろうか?第三者の目で見てもらおうと思いました.トップとしては,自分の病院にできることは,できるだけやっているつもりでしたが,中小病院ゆえに大病院に比べてたいへん大きなハンディを負っていました.勤務医師も,職員でさえも,「おおきいことはいいことだ」という認識を持っていました.患者さん,一般市民に至っては,「何をかいわんや」でした.

評価者および診療管理者の立場から

著者: 北原光夫

ページ範囲:P.647 - P.648

 病院機能評価を診療管理の立場に立って,評価を行っているが,臨床家として働いている筆者には,評価に訪れた病院の医師がどのように医療を行っているか,どのように卒後教育を行っているか,最も興味のあるところである.しかし,現在行っている評価では,現場の医療内容そのものを把握するのはむずかしい.ここでは現状を述べ,診療部門の筆者が考えている評価について言及してみたい.

機構研修委員の立場から—医療機能評価の問題点

著者: 池澤康郎

ページ範囲:P.649 - P.650

問題はどこにあるか
 筆者は日本医療機能評価機構の中の研修委員会に日本病院会から加わっている.研修委員会の業務は評価調査員の認定である.機構の事業は巨大であり,まだ緒に就いたばかりであるが,機構の内外にいくつかの問題が残されているようである.管中豹を窺い,時にその一斑を見るに過ぎないかとも懼れるが,あえて以下にそれを略述したい.

グラフ

東三河地域の基幹病院が新築移転—豊橋市民病院

ページ範囲:P.621 - P.626

 JR東海道線豊橋駅新幹線口から国道23号線を三河湾方向に向かって約4km,豊橋市内で開発が進んでいる豊橋港周辺地域の平地に豊橋市民病院のベージュ色の9階建ての建物が見えてくる.
 豊橋市民病院の前身の豊橋慈善病院は1888年(明治21年)に創立されており,豊橋市民病院はすでに百年を超える歴史を刻んできたことになる.第二次世界大戦後の昭和26年に豊橋市民病院と改称され,爾来,豊橋市を中心とした東三河地域の医療の中心的病院として医療を提供してきた.しかし築後30余年を経過した建物は老朽化と狭隘化が目立ってきた.そこで,21世紀を視野に入れた将来的見地に立ち新築移転,新たにスタートを切った.

新しいヘルスケアのキーパーソンの一人 医療法人日鋼記念病院 西村昭男理事長

著者: 桜井靖久 ,   八木保

ページ範囲:P.628 - P.628

 北海道大学の外科からボストンへ,補助循環の研究のために留学されていた西村先生に,彼の地でお目にかかったのは1968年夏のことであった.がっしりとしてどちらかというと寡黙な先生の印象から,私は秘かに「北大のシロクマさん」というあだ名を考えていた.
 それから15年以上を経て,ある日偶然,新聞に「病院で町おこし」という室蘭市の記事を目にした.ちょうど鉄冷えで不況産業になってしまった日本製鋼所の企業内病院に赴任した先生が,その病院を,日本でも有数の病院に仕立て上げたという話である.正直いって,あの西村先生がそんな凄い経営手腕をお持ちとは露知らなかった.後にお招きを受けて日鋼記念病院を訪れたさい,不況のとき会社から独立してくれといわれた病院だが,最近は「また一緒になりましょう,といわれているんだよね」と苦笑されていた.

主張

なぜ病院に自主性が芽生えないのか

著者:

ページ範囲:P.629 - P.629

 公的介護保険制度の関連法案として医療法の改正が行われようとしている.本年4月の末には医療審議会の基本問題検討委員会から「今後の医療提供体制のあり方について」の意見書が出された.この意見書は1)医療提供体制の現状と今後のあり方,2)医療施設機能の体系化,3)要介護者に対応した医療提供体制,4)医療法人のあり方,5)患者の立場・選択を尊重した医療提供のあり方,6)その他,の6部から成っている.この医療法改正に関して常々感じていることは,なぜ法律によってこれらのように規定されなければならないのか,言い換えれば,医療を提供している立場がいかに自主的に地域医療の展開を目指そうとしていないかである.
 医療や福祉はその地域の特性によって影響されることが多々あり,全国一律の政策ではそれぞれの地域のニーズに対応することはなかなか難しいことが多い.もちろん,国家の政策は基本的な事項のみを提示し,あとは地域医療計画の2次医療圏ごとに,任意的記載事項の中に盛り込まれるべき地域の実情に適したあり方が検討され,実行されればよいはずであるが,実態はそれからほど遠い状態である.

医療の質の評価と改善 組織・運営・戦略におけるトータル・クォリティー・1

患者満足から広義のCSへ

著者: 今中雄一

ページ範囲:P.658 - P.662

新しい医療管理の展望とトータル・クオリティー
 昨今,医療内容や医療施設に関する情報への社会の欲求が高まり,高価な医療技術の発展や高齢化社会により消費に拍車のかかる医療資源の有限性が強調され,医療経営が困難化するなどで,医療の評価や情報開示などの変革が外部より迫られる環境となった.一方,医療界内部からも,医療やサービスの提供における組織運営を,旧来の非組織的なものからより近代的・合理的なものへ発展させようという気運が国内外で高まってきた.
 日本は,製造業など一般産業界ではその品質管理の手法と文化の確立において世界をリードしたが,その品質管理手法と組織運営は,医療界においては性質の違いゆえにかあまねく活かされることはなかった.わが国の品質管理手法が海外で研究され各地の実情に合わせて展開される中で,より現場に展開されやすい形で医療にも適用が始まるようになった.その流れの中で発展した組織運営に関する重要な概念を“トータル・クオリティー”と呼ぶ.これはtotal quality management (いわゆるTQM)の概念に類似するが,管理する/管理されるという意味合いを避けるためにここではあえてman-agementの語を除いた.

病院進化論・3

矮小種からの進化はあるか

著者: 古川俊之

ページ範囲:P.663 - P.667

 日本も社会資本の蓄積が進み,一応表面上は豊かになった.しかし病院への投資努力は極めて乏しい.現代人は日常は病院に関係がない.友人や身内の入院の時ぐらいしか訪ねる機会がない.ところが,自分がいよいよ死ぬ番になると,狭く暗く騒がしい病院で最期を迎えなければならない.後悔しても手遅れである.
 さて現代日本の病院のありさまはいかに? どの病院も受診者は混雑し,待ち時間は長い.入院期間も先進国では異常に長い.どちらも最大の原因は狭隘な面積と少ない職員数である.日本で心臓移植に反対する医師の論拠は,病室の無菌性や清潔度が先端医療にふさわしくないこと,支援スタッフが質,量ともに決定的に乏しいことである.特に支援スタッフの数は,アメリカと日本では6倍もの差がある.先端医療には人的,物的な資源を集中しなければならないのに,インフラストラクチャーが整備されていないのである.その意味では単に矮小種のみならず,成長不全というべき点も種々ある.後述する清潔・不潔のゾーニングから,ベッドセンターがないなどは重要な欠陥であり,暴言を弄すると奇形種である.突然変異は進化の源であるが,欠陥種は絶滅への一方通行の運命にある.

連載 アーキテクチャー 保健・医療・福祉 第21回

国立病院東京災害医療センター

著者: 伊豆倉真

ページ範囲:P.668 - P.674

施設設定・位置づけ
 旧国立立川病院と旧王子病院の統合により新設された国立病院東京災害医療センターは,南関東地域における広域災害医療の基幹施設として整備され,関東大震災級の地震に対しても病院機能が維持できるよう十分な耐震性能と防火性能を有している.
 敷地は,昭和52年に米軍基地が全面返還され,その後整備された立川広域防災基地内に位置し,同基地内には「立川広域防災基地計画標準」に基づき,東京都災害対策本部予備施設・立川警察・食糧庁倉庫・防災要員宿舎などが整備され,国営昭和記念公園が隣接している.

病院経営の新しい指標

病院競争下における経営意思決定への分布関数分析の導入と利用法

著者: 関田康慶

ページ範囲:P.676 - P.680

 病院経営が“冬の時代”,“氷河期”といわれて久しいが,最近の現状をみると,病院数は減少し続け,倒産が増加している.医療施設調査1)によれば,1992年に病院数1万を割って以来,減少の一途を辿っており,この傾向は100床以上の病院にもみられ,広範囲の病床規模に及んでいるのが特徴である.
 平均在院日数は減少傾向を保ち1,2),病院機能の急性期化が緩やかに進行している様子がうかがわれる.これは医療保険上の誘導効果による影響と思われるが,病床数の減少,在宅医療の進展,老人保健施設の併設や増加,医療機関および福祉施設との連携などの進展がその背景にある.

厚生行政展望

「薬害エイズ」問題について

著者: 厚生行政研究会

ページ範囲:P.682 - P.683

罪と罰
 昨今,厚生省に勤務している職員やその家族は肩身が狭い思いをしている.くる日もくる日もわずかな残業手当でお国のために深夜まで働いたあげくに,世間からは「悪い奴ら」みたいな評価しかされないのではやりきれない.それでも彼らは,公務員としての職責を全うするため,日々黙々と働いている.欧米型国家とは異なり,この日本の発展を支えてきたのは,「健全な」議会制民主主義でもなく,「中立公正な」世論(マスコミ)でもなく,綿密かつ周到な行政を司ってきた官僚なのだ,という自負こそが,彼らの滅私奉公精神の原動力なのである.
 「薬害エイズ」問題で焦点のひとつとなっているのは昭和58年から60年にかけての行政判断の是非である.相反する決定に伴うそれぞれのリスクに対して行政判断と行政責任はいかにあるべきか,という論点は重要なテーマであり,この機会に十分に掘り下げるべきところであるが,残念ながら世間の関心は,「真相」解明という名のもとでの製薬メーカーと官僚と政治家との癒着構造の追跡ばかりに向けられている.それはそれでマスコミに任せておくとして,厚生行政のやぶにらみ論評を10年以上もやってきた厚生行政研究会としては,冷静にこの問題を論評してみたい.なお,この問題は,官僚の信頼を著しく失墜させた某省の不祥事とは質的に異なる問題である.

病院管理フォーラム

[薬剤師の新たな業務]薬剤管理指導業務—(2)実践編

著者: 赤瀬朋秀 ,   岡崎憲代

ページ範囲:P.684 - P.685

 先月号で紹介したように北里大学病院薬剤部では6名の病棟専任薬剤師および3名の兼任薬剤師が薬剤管理指導業務を担当している.現在,薬剤管理指導業務を実施している病棟は15病棟(18診療科)に及んでおり,指導患者数は月平均450名に達している.
 今回は薬剤管理指導業務の実践編として,血液内科および眼科における業務内容について紹介する.

[病院図書室]病院管理者からみた病院図書室

著者: 白方誠彌

ページ範囲:P.686 - P.687

はじめに
 最近の医療の流れは,大きく二つの点で考えねばならなくなったと思う.第1はコンピュータを含めた急速な技術革新が次々と医療の分野に導入され,それが直ちに診断・治療の機器の開発に応用されていることである.このことは,医学の具体的応用の現場での目をみはる進歩であると言えよう.これに医療従事者がいかに対応しうるか,その理解と完全な使用能力が問われている.
 第2は,医療制度の大きな変革である.高度経済成長を遂げた日本において,一般国民は,健康と豊かな生活を誰しもが希求しているのが現状である.この場合,当然ながら医療と福祉との充実が必要となってくるが,これを公的な保障として行うとすれば,効率よい制度のもとでの対応が必要となる.厚生省は,このことに対して第1次医療法改正(1985年),次いで第2次医療法改正(1992年)と制度改革に取り組みつつある.今後の日本の医療は,診療機能別にまとめるという方向で進みつつあり,病院機能の分化,在宅医療の方向を明確に打ち出している.

癒しの環境

ほっとするトイレ環境

著者: 星和夫

ページ範囲:P.688 - P.689

 わが病院のトイレが果たして用を足しながら「ほっとする環境」なのか,ましてや「癒しの環境」といえるか否か,いささか首をひねりながらも筆を進める.

「医療施設近代化施設整備事業」による病院の建て替え

上飯田第二病院

著者: 森正樹

ページ範囲:P.690 - P.691

 私どもの医療法人愛生会上飯田第二病院は平成6年度の医療施設近代化施設整備事業に基づき病院建て替えの補助を受け,現在は許可病床90床(基準看護特2類45床,療養型病床45床)で運用されているが,医療法人愛生会に所属する施設群の一つという性格上,当会の全体像を含めて報告する.
 医療法人愛生会は昭和26年の発足以来,名古屋市北区上飯田周辺に基盤を置いているが,周囲には市バスのターミナルや私鉄終点の駅があり交通の便がよく,それに合わせて公団や市営の住宅も多数存在するなど,診療圏としては恵まれた位置にある.

訪問看護ステーション 実践レポート—北から南から

川崎幸病院の在宅医療を基盤に2年目から黒字に—さいわい訪問看護ステーション

著者: 清崎由美子

ページ範囲:P.692 - P.695

ステーション開設の動機
 川崎市は,人口117万人の政令指定都市で,現在の高齢化率は10%である.その中でも,幸区は人口13万8千人,高齢化率12.3%と川崎市7区中2番目に老人の多い区である.このような地域の中核的な病院として,川崎幸病院(以下,幸病院と略)がある.救急医療を行う一方,往診・訪問看護・介護相談など在宅医療においても中心的な役割を担ってきた.
 この幸病院における十数年に及ぶ地域活動をベースに,1993年8月「さいわい訪問看護ステーション」が開設された.設立の動機は幸病院だけでなく,広く他の医療機関の患者にも訪問看護や在宅ケアを提供する必要性が生じてきたことである.また,幸病院の課題である「病診連携」が,ステーションというワンクッションがあることでスムーズになるという目的からである.

精神保健福祉法と病院の対応・4

チーム医療とマンパワー

著者: 三村孝一

ページ範囲:P.696 - P.700

 概論で仙波1)が述べたように,精神衛生法から精神保健法へ,そしてその一部改正,見直し,さらに平成7年の精神保健福祉法への衣替えと精神医療の基盤となる法律は目まぐるしくドラスティックに変化し続けている.私たち臨床の現場にいるものにとっては,その変化に戸惑い,なかなか追いつけないのが偽わらざる現実であろう.私たちは,精神保健法制定時に精神医療の医学モデルと法律モデルという二つのモデルを学習し,法の趣旨である精神障害者の人権の尊重と社会復帰の促進という2本柱の重要性について再認識させられた.そして今回の精神保健福祉法の制定に当たって,福祉モデルに対応し精神障害者の福祉の充実に努力することが求められている.障害者,特に精神障害者に対しての偏見と差別がいまだに根強く,国民への啓発活動も遅々として進まないわが国の現状の中で,法の趣旨に則って精神医療や看護を実践するためには,精神科医自身の意識改革と自助努力が必要であるが,同時に国自体の精神医療についてのさらなる抜本的な対策が求められよう.これからの私たちの取り組みとしては,以前から主張されている入院中心主義的な精神医療からの脱却(長期入院患者の社会参加,社会復帰の促進)と地域精神医療への積極的なかかわり(外来医療の充実,社会の中でノーマライゼーションを進めるための受け皿の整備)の二つが最も大きな課題として挙げられる.

データファイル

平成7年6月病院運営実態分析調査の概要・2

著者: 全国公私病院連盟

ページ範囲:P.703 - P.706

*この調査は,全国公私病院連盟が毎年6月に実施している調査
(弊誌55巻5号502頁より続く)

医学ごよみ

7月—July 文月

著者: 木村專太郎

ページ範囲:P.707 - P.707

□19日 放射免疫検定法の開発
 ホルモン定量などの“radioim-munoassay”法を開発し,1977年ノーベル医学生理学賞を受賞したヤロー(Rosalyn S Yalow,1921〜?)が,米国ニューヨーク市で生まれた日である.
 彼女は18歳のとき,原子爆弾を開発したフェルミ(Enrico Fermi,1901〜1954)の講演をコロンビア大学で聞き,核分裂で発生する放射性同位元素が,医学など平和的に利用され得ることを知り,将来,物理学者になりたいと思った.彼女はニューヨーク市立ハンター女子大学で物理学を学び,とくに原子物理学に興味を抱いていた.1941年イリノイ州大学工学部に入学した.1943年に同じ大学院生であったアーロン・ヤローと結婚し,1945年博士課程を終了した.二人はニューヨークに戻り,彼女はブロンクスのベテランズ病院のラジオアイソトープ研究室に就職し,生化学の仕事に就いた.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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