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雑誌目次

雑誌文献

病院56巻1号

1997年01月発行

雑誌目次

特集 第3次医療法改正と病院

次期医療法改正が目指す今後の医療提供体制

著者: 池上直己

ページ範囲:P.18 - P.23

 第3次医療法改正の改正要綱が医療審議会の答申として平成8年6月に浅田会長より菅厚生大臣に提出された.本稿を執筆している平成8年9月時点では,政局の状況からして,いつ,どういう形で医療法改正案が国会に出されるかは予断を許さないが,改正要綱の骨子は今後大きくは変わらないであろう.そこで,本稿では第3次医療法改正の改正要綱の概要を簡単に紹介した後,改正に至った背景および検討するべき課題について解説する.

これからの病院と療養型病床群

著者: 児玉博行

ページ範囲:P.24 - P.29

 まず,表1に従って説明する.
 わが国の医療法は戦後まもない1948年(昭和23)に制定された.この時代においては,伝染病を主とする急性疾患が中心であり,これらの疾病を対象とした医療供給体制の整備がもっぱらの課題であった.1961年に導入された国民皆保険制度により医療へのアクセスもよくなり,医療ニーズは一気に喚起され,その結果,昭和40年代ごろより民間病院を中心とする医療供給体制の整備が急ピッチで進展した.一方,生活水準の向上や医学・医療技術の進歩により,乳児死亡率の低下とともに平均寿命も伸長し,高齢化社会の到来とともに成人病・慢性疾患へと疾病の構造も質的に変化してきた.このような背景をもとに医療需要も旺盛となり,増大する国民医療費が問題とされるようになり,1981年には大幅薬価引き下げによる本格的な医療費抑制策が始まった.1985年には,医療の効率的活用,医療関係施設相互の機能連携の確保などを図る観点から,医療計画が導入された.しかし,総量規制を目的としたはずの医療計画の導入であったが,駆け込み増床という現象を誘発し,逆に医療供給過剰という状態を惹起する結果となった.

医療法人制度の改正と今後の展開

著者: 太田和宏

ページ範囲:P.30 - P.34

特別医療法人の創設の意義
 特別医療法人の創設には三つの意義があると考える.第1は特別医療法人は紛れもなく公益法人であること,第2に出資持分のある医療法人が医業を存続させる決心をし,特別医療法人に組織変更をすれば,少なくとも出資持分の払戻しや相続時の課税で医療法人の存続が脅かされることはなくなること,第3に地域医療支援病院のみならず,医療・福祉両面の担い手となれる可能性が高いことである.
 医療法人が設立されたのは昭和25年で,昭和23年に制定された医療法を一部改定することにより誕生した.その創設の理由は,医療事業は非営利性ということから,商法上の会社組織によって行われることは望ましくなく,しかしまた「積極的に公益を図るものではない」という点から,民法第34条の公益法人によることも適当でないので,特別の法人格を取得する道を与え,それによって「私的医療機関の施設の発展及び事業の単位永続性の維持を図る」と説明されていた.当時,日本の医療は私益であり,医療保険事業も現在のアメリカと同じように純粋な保険事業と考えられていたので,あながちその言葉は当時としては違和感を持って感じられなかったであろう.さらに,昭和32年に公益法人の行う医療保険事業が,収益事業として法人税が課せられることとなった(法人税法施行令第5条).

これからのリハビリテーション医療

著者: 石川誠

ページ範囲:P.35 - P.40

はじめに
 現在のわが国は,急速な少子高齢化による人口構造の変化,単身者および核家族化による家族構成や家族機能の変化,そして高度経済成長の終焉により低経済成長時代へと変化し,さらに国民の価値観も多様化・高度化し,あらゆる面での変化が生じている.そこで社会構造全体にも大きな変革が求められている.すなわち護送船団方式といわれるわが国の基本的社会構造に終止符を打ち,選択の自由および自己決定を尊重した市民参加の原則を確立し,規制緩和や地方分権化の推進などにより,依存型から自立型へと変革が求められているのである.このことは社会保障制度すなわち年金・医療・福祉の各分野において特に顕著であり,公的介護保険の創設は21世紀へ向けた社会保障制度改革の第1歩であり,今後は公的介護保険の創設に伴い次々と保健・医療・福祉分野の改革がなされてくると思われる.

健康変革の世界的潮流と日本「医療供給体制」の今後—介護保険創設と医療法改正をめぐって

著者: 長谷川敏彦

ページ範囲:P.41 - P.47

今,地球をなめる燎原の火,「健康変革」
 健康変革(health care reformあるいはhealth sector reform,まれにhealth reform)という怪物が世界を俳徊している.
 健康変革とは保健医療界全体のシステム的改革を意味し,その第1波は,1970年代後半から80年代初頭にかけて先進国に広がった.各種の医療費対策,病床・機器の規制,平均在院日数対策など,種々の方策が展開され,日本でも需要対策を中心に直接,医療費に介入する方策が進められた.中でも米国では,私的保険管理医療システム(HMO)や病院への公的保険支払法(DRG)など供給対策と需要対策とを統合した新たな方策を世界に先駆けて創り出した.

〔座談会〕第3次医療法改正で病院はどう変わるか

著者: 関山昌人 ,   戸金隆三 ,   西島英利 ,   北條慶一 ,   河北博文

ページ範囲:P.48 - P.55

 河北 新年号の特集ということでなるべく明るい夢を語っていただこうと思います.
 医療法改正は,当初,介護保険法案の関連法案として上程される予定でしたし,おそらく今後も国会ではそういう議論がされると思いますが,それだけではないと思います.例えば医療保険審議会の中で医療提供のあり方が議論されていますから,医療法改正を避けては通れないと思います.また,医療保険全体の改変議論にしても,単に財政の行き詰まりという発想のみではなく,21世紀初頭の,20年〜30年間を見越して医療提供体制のあり方を議論してほしいと思います.そのような状況のもとで,第3次医療法改正がどういう方向にいくのかを踏まえて,病院の今後のお話をうかがいたいと思います.[編集部注:医療法の一部を改正する法律案は11月29日に第139回臨時国会に提出]

グラフ

新しい医学教育の流れに取り組む—佐賀医科大学附属病院総合診療部・救急部

ページ範囲:P.9 - P.14

国立大学最初の総合診療部
 佐賀医科大学附属病院は1981年に開院したが,各地に新設された医科大学のなかでも,全国に先駆けて特徴的な総合診療部を開設し,現在に至っている.これは細分化する専門化の弊害を払拭し,新しい時代の臨床医—「総合的な視野に立った医師」の育成を目指したもの.
 総合診療部は現在,川崎医科大,京都大等々15大学に設置され,その機能や役割は大学により若干異なるが,ここでの医師育成への期待は高まっている.また,総合診療部,総合外来をうたう病院も増加し,患者の訴えに応えようという機運が高まっているといえよう.

第47回日本病院学会学会長を務める 武蔵野赤十字病院院長 高橋勝三氏

著者: 紀伊國献三 ,   八木保

ページ範囲:P.16 - P.16

 1997年6月12,13日の両日,「病院が変わる—明るい病院の未来像」を主題として,第47回日本病院学会が高橋勝三先生を会長として開催される.昨年来,医療福祉の世界には暗さが広がったが,今年こそは明るい病院を実現しなければならない.
 高橋勝三先生は外科医であり,1966年から実に30年間武蔵野赤十字病院の中心であり,日本病院会の副会長など要職を歴任されている.先生はフランスでの2回にわたる留学を通じて国際的に通用する病院医療の実践に努力を続けられ,フランスとの医学の交流の業績によって,1986年にメリット勲章も受けられている.

主張

高齢化社会と社会保障改革のビジョン

著者:

ページ範囲:P.17 - P.17

 新しい年になった.21世紀の幕開け,つまり2001年まであと4年であり,もはや「21世紀には…」といった言い回しは少々陳腐の感がある.気の早い人は,そろそろ「“22世紀”の日本は…」という言い方を始めるかも知れない.
 確かに,1970年代ごろから「21世紀には」という議論は既にあったわけだから,現在の「21世紀」論は,あまりに近いものなりすぎて,逆に視野狭窄になりかけているのかも知れない.枕詞になった感のある「高齢化がいったんピークを迎える2025年」を超えて,22世紀に入り口あたりを見はるかす議論を,そろそろ始めても良いころなのかも知れない.そうしたタイムスパンで高齢化や社会保障の問題をみていくと,これまでもうひと回り長いタームで論じられてきた地球環境問題との関連も見えてき,経済社会との関係を含めた,よりトータルな議論の地平が開けていくだろう.それとも,今生きている世代が皆いなくなっているような時代のことについては誰も本気で議論しようとしないだろうか?

北海道私的病院協会主催「病院経営改善支援事業」より・3 パネルディスカッション

診療報酬改定をめぐって—討論

著者: 糸氏英吉 ,   宮坂雄平 ,   菅谷忍 ,   下田智久 ,   尾嵜新平 ,   西澤寛俊 ,   大橋正實

ページ範囲:P.56 - P.61

 西澤 それではこれからディスカッションに入ります.
 基調講演で糸氏先生の「病院をめぐる今後の医療政策」,宮坂先生の「21世紀の病院経営」,そして菅谷先生,下田課長,尾嵜課長にお話しいただきました.それぞれの先生方のお話は短時間でしたが,その内容は非常に多岐にわたり濃いものでした.議論をどこに絞るべきか多少迷っておりますが,まず,今回の改定の細部の問題点および今後の診療報酬体系の方向について討議したいと思います.

連載 病院主導の保健・医療・福祉複合体の実証的研究・3

第1報 その2 医療機関を「母体」とする特別養護老人ホームの全国調査

著者: 二木立

ページ範囲:P.62 - P.68

〔前号より続く〕
 4.医療機関を「母体」とする特別養護老人ホームの「母体」の詳細と定員
 表4は,医療機関を「母体」とする特別養護老人ホームの「母体」の詳細と定員を示したものである.
 先述したように,医療機関を母体とする特別養護老人ホームの「母体」は,①病院を開設している社会福祉法人(済生会・日赤を含む)開設,②他の病院「母体」,③診療所「母体」,④医師会「母体」の4種類に大別した.なお,医師会はすべて地区医師会であり,都道府県医師会が「母体」となっている施設はなかった.

アーキテクチャー 保健・医療・福祉 第27回

市立長浜病院

著者: 伊藤誠

ページ範囲:P.81 - P.86

長浜病院の歩み
 市立長浜病院は第二次世界大戦の末期(1944年)わずか19床の私立病院を買収して発足したが,戦後の着実な発展に伴い1959年市の中心部八幡東町に新築移転し,病床数221床の総合病院となった.以来,年々増築・改修を繰り返し,1968年には415床を擁する大病院にまで成長した.しかし,当然の結果として,棟々が迷路のようにひしめき,特に早い時期に建設された部門の老朽化が目立つようになった.
 1987年消防法の改正を機に施設の全面的な見直しを迫られることになったが,病院の中に具体的な動きが始まったのは1989年もだいぶ進んでからのことだったようだ.私が設計のお手伝いを仰せつかって作業に着手したのは1990年の初めころである.検討は,現地での増改築という方針に沿って進められ,ほぼ1年半で465床(50床増)の基本計画をまとめた.

病院管理フォーラム

[薬剤師の新たな業務]救命救急センター業務と中毒情報

著者: 沼里友紀 ,   村上祐美子 ,   近藤留美子 ,   厚田幸一郎 ,   島田慈彦

ページ範囲:P.70 - P.71

 救命救急(以下救急)センターのスタッフときいて薬剤師を連想する方は少ないのではないだろうか.北里大学病院救命救急センターでは,10年前から薬剤師が常駐している.関東では現在約10施設において薬剤師が救急センター業務に参加しており,そして今も増加の傾向にある.表1に当院の救急センターの概要を示す.救急センター内に薬剤師が定着するには多くの試行錯誤が必要であった.しかし,実際に出向してみると薬剤師の特性が活かされる場所であるということがわかり,また,周りのスタッフにも理解されつつある.今回は救急での薬剤業務のなかで中毒にかかわる業務を例に挙げて紹介させていただく.

院内倫理委員会・1

鹿児島市立病院

著者: 武弘道

ページ範囲:P.72 - P.73

当院に倫理委員会が設置された背景
 鹿児島市立病院はベッド数681床,1日の外来患者数1,400人で九州の自治体病院では最も大きい病院である.当院の特色としては救命救急センターと周産期医療センターの充実がある.この両者の活動は九州の病院ではトップ3の中に入っているのである.
 当院において倫理委員会の設置の要望がでたのもまずこの2部門からであった.人口170万人の鹿児島県で唯一の救命救急センターである私たちの病院には離島を含めた南北600キロの県下全域から重症の救急患者が運び込まれる.救急車で搬入される症例だけでも年間3,400件に上る.この中で倫理的に最も問題になるのがエホバの証人の人々への救急医療である.一方,わが国で1番目と2番目の五つ子を無事に育て上げたことで有名になった産婦人科部門では,未熟児医療に関する諸問題や体外受精をはじめとする生殖医療の臨床導入の問題が,倫理委員会での討議を必要とするようになってきた.発足して3年弱の若い委員会であるが,概要を紹介する.

癒しの環境

安心できる入院説明

著者: 新居昭紀

ページ範囲:P.74 - P.75

 初めての入院を迎えて,それがどんな社会的身分の人であろうと,多少の医学的知識や教養のある人であろうと,一切合切身ぐるみ剥がされてまな板の鯉になったような心境になってしまい,これから事態がどう展開するのかわからない恐れと不安で満たされない患者さんは,まずいないのではないでしょうか.
 病院が巨大化すればするほど,設備が豪壮,豪華ホテルなみになればなるほど,むしろ患者さんへの圧迫感が増していくように思われます.巨大なホールと迷路のような回廊,どこへ行けばよいのかわからない無数の窓口など,玄関をくぐった途端,患者さん自身の無力感は増し,ますます途方にくれてしまうにちがいありません.ここでつっけんどんで気難しい職員にぶつかってしまうと,患者さんのこの気持ちはそのまま入院生活に引き継がれ,医師や看護婦の一挙手一投足に気を使い,一切苦情をいわず,ひたすら忍従し,退院を待つといったことになりかねません.

「医療施設近代化施設整備事業」による病院の建て替え

井上記念病院

著者: 花岡和明

ページ範囲:P.76 - P.77

 当院は1993年度患者環境改善施設整備事業の助成を得て病棟を全面的に建て替えた.その経緯を報告し意見を添えて読者の参考に供する.

いま,小児専門病院・小児科部門の運営は・1

埼玉県立小児医療センター

著者: 赤司俊二

ページ範囲:P.78 - P.80

 昭和40年代の人口の急激な増加に伴う出生率の高まりを背景に,小児の疾病構造の変化に対応すべく小児のための特殊・専門医療機関の必要性が高まってきました.そのような状況のもとで,ほぼ10年近くの検討・計画を経て,埼玉県立小児医療センターは1983年(昭和58)4月にベッド数189床でオープンしました.その後,翌年250床,1985年に300床に増床しています.

医療の質の評価と改善 組織・運営・戦略におけるトータル・クォリティー・5

病院の顧客(customer)の再考

著者: 今中雄一

ページ範囲:P.87 - P.91

病院の顧客
 病院の顧客(customer,サービスの受け手)は患者やその家族だけではない.長期的視野でもって病院が存続し反映していく際には,主として以下のような顧客(customer)が存在する.
 1)患者と家族

ナースステーション考・6

武蔵野赤十字病院

著者: 筧淳夫 ,   鶴田恵子

ページ範囲:P.92 - P.94

武蔵野赤十字病院の概要
 武蔵野赤十字病院は東京の住宅地,武蔵野市に位置しており,現在の建物は地域の医療から救命救急医療までを担う病院として,1981年に全面改築されて建っている.病院のポリシーのひとつとして,「本当の患者中心であること」が掲げられており,「人間本位」の精神のひとつの具体例として,Patient Oriented Musashino Red Crossの頭文字をアレンジしたパンジー,オレンジ,マーガレット,ローズ,クローバーを病棟の名前としている.ちなみに,この全面改築においては病棟委員会をはじめとして,26の建設委員会が組織され,それらの委員会に参加した病院職員は100%を越えていること,また設計完了までに設計事務所が主催した打ち合わせが200回を上回っていることなどから考えて,現場職員の意見が反映された施設づくりがなされていることが推察される.

医学ごよみ

1月—January 睦月

著者: 木村專太郎

ページ範囲:P.95 - P.95

□12日 ガス(gas)の命名者
 この日はギリシア神話の混沌を意味する“caos”(カオス)という言葉から,気体を意味する“gas”という言葉をつくったヘルモント(Johan-nes Batista Van Helmont,1577〜1644)が,ベルギーのブリュッセルに生まれた日である.
 彼は若いときに哲学と化学を学び1599年に医学博士の称号を受けた.しかし,医学書から学んだ自分の知識に不満を持ち,1600年から1604年の5年問にスイス,イタリー,フランス,そして英国に留学し,医学の知識と技術を修業した.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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