文献詳細
文献概要
いま,小児専門病院・小児科部門の運営は・8
静岡県立こども病院
著者: 北條博厚1
所属機関: 1静岡県立こども病院
ページ範囲:P.848 - P.850
文献購入ページに移動●病院の沿革ならびに地域的背景
1973年1月,医療問題懇談会が知事の諮問に対して「県中部に小児専門病院を新設することが妥当」と答申した結果を受けて本院の開設が決定された.全国でもこども病院の数は少なかった当時である.先進の国立小児病院や神奈川,兵庫のこども病院を参考にして,ベッド数200床の独立型小児専門病院として建設する計画が進められ,1977年4月に開院の運びになった.小児専門病院としては全国で6番目であった.当時はもとより現在も,静岡県で紹介予約制度を敷いている病院はほとんどなく,開院当初は果たして患者さんがどれくらい来るか心配であったが,幸いなことに県民および地域の医療機関の理解を得て,小児の専門病院として,また地域における小児疾患の最終病院として評価を得て現在に至っている.
1995年の静岡県の人口は373万人,出生数は35,345人,乳児死亡率は4.3である.第1次ベビーブームの1948年の出生数は83,065人(乳児死亡率53.4),本院開院の1977年は53,117人(同8.0)であった.少産少死の傾向は本県の場合もはっきりと統計上の数字の上に現れている.
1973年1月,医療問題懇談会が知事の諮問に対して「県中部に小児専門病院を新設することが妥当」と答申した結果を受けて本院の開設が決定された.全国でもこども病院の数は少なかった当時である.先進の国立小児病院や神奈川,兵庫のこども病院を参考にして,ベッド数200床の独立型小児専門病院として建設する計画が進められ,1977年4月に開院の運びになった.小児専門病院としては全国で6番目であった.当時はもとより現在も,静岡県で紹介予約制度を敷いている病院はほとんどなく,開院当初は果たして患者さんがどれくらい来るか心配であったが,幸いなことに県民および地域の医療機関の理解を得て,小児の専門病院として,また地域における小児疾患の最終病院として評価を得て現在に至っている.
1995年の静岡県の人口は373万人,出生数は35,345人,乳児死亡率は4.3である.第1次ベビーブームの1948年の出生数は83,065人(乳児死亡率53.4),本院開院の1977年は53,117人(同8.0)であった.少産少死の傾向は本県の場合もはっきりと統計上の数字の上に現れている.
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