文献詳細
文献概要
特集 医療ビッグバンと公私の役割を考える
ビツグバン下の医療提供体制
著者: 八代尚宏1
所属機関: 1上智大学国際関係研究所
ページ範囲:P.992 - P.995
文献購入ページに移動日本経済社会の構造変化
1990年代の日本の経済社会は,大きな構造改革の時期に直面している.1980年代までの日本では,高い所得の伸びが当然の前提であり,「不況」とは経済成長率が3%台を割り込むことに過ぎなかった.しかし,当初,1980年代末のバブル景気の反動に過ぎないと見られていた1990年代初めの経済活動の落ち込みは,単なる景気循環によるものではなく,中期的な成長減速であったことが,最近では認識されるようになった.これはちょうど,1970年代半ばに経済成長率が10%台から4%台に屈折したことの再現であり,今後の日本経済は平均して1〜2%の低い成長率に適応していかなければならない(図1).
こうした日本の経済成長減速の大きな要因として,米国など先進国水準へのキャッチアップがある.国民の平均的な所得水準を示す指標として,1人当たりGDP (国内総生産)を見ると,すでに1980年代には米国を大きく上回る水準に達していた(図2).戦後の日本の経済発展の原動力が,豊かな米国の生活水準へのキャッチアップを目標としていたとすれば,それはすでに達成されたといえる.
1990年代の日本の経済社会は,大きな構造改革の時期に直面している.1980年代までの日本では,高い所得の伸びが当然の前提であり,「不況」とは経済成長率が3%台を割り込むことに過ぎなかった.しかし,当初,1980年代末のバブル景気の反動に過ぎないと見られていた1990年代初めの経済活動の落ち込みは,単なる景気循環によるものではなく,中期的な成長減速であったことが,最近では認識されるようになった.これはちょうど,1970年代半ばに経済成長率が10%台から4%台に屈折したことの再現であり,今後の日本経済は平均して1〜2%の低い成長率に適応していかなければならない(図1).
こうした日本の経済成長減速の大きな要因として,米国など先進国水準へのキャッチアップがある.国民の平均的な所得水準を示す指標として,1人当たりGDP (国内総生産)を見ると,すでに1980年代には米国を大きく上回る水準に達していた(図2).戦後の日本の経済発展の原動力が,豊かな米国の生活水準へのキャッチアップを目標としていたとすれば,それはすでに達成されたといえる.
掲載誌情報