icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

病院59巻12号

2000年12月発行

雑誌目次

特集 病院医療—21世紀への遺産

【対談】20世紀の病院医療—21世紀に残るもの,残すべきもの

著者: 大谷藤郎 ,   紀伊國献三

ページ範囲:P.996 - P.1002

 大谷 20世紀,21世紀といいますが,日本の場合は明治維新から第二次世界大戦の敗戦までと,敗戦からこの2000年までという区切り方が歴史的,文化的にわかりやすいと私は思います.
 紀伊國 そうですね.わが国では明治7年(1874)に文部省医務局が「医制」を公布し,それが近代病院の基礎をつくったと思いますから.

—写真と解説— 病院建築〜20世紀から21世紀へ

著者: 河口豊

ページ範囲:P.1003 - P.1015

廃墟の中から再出発
 第2次世界大戦により多くの医療従事者を失い,医療施設が荒廃した敗戦直後に,日本を統治した連合軍は社会制度の近代化を進めた.「『我が国の病院の運営・管理は前近代的である』と指摘され,初めて近代病院管理に目覚め,進歩したアメリカ合衆国の病院管理の知識が導入せられるようになった.」と故吉田幸雄元病院管理研究所長は述べている1).さらに「一方,病院建築については,昭和26年頃より東京大学工学部吉武研究室を中心に研究が始まり,病院建築計画のみならず地域計画にその研究を進めて多くの業績を残すようになった.また一方,日本病院建築協会(昭29,1954),日本病院設備協会(昭28,1953)が設立され,病院管理の研究者とそれぞれの専門家の協同研究が始まったことは,さらにこの方面の進歩をうながした.」と,新しい病院管理の考え方(Dr.MacEchern)に導かれて,戦後の病院建築,病院設備が発展の緒に就いたことを振り返っている.
 同じく当時吉田らと病院管理を研究していた故守屋博(当時,国立東京第一病院管理部長,病院管理研修所主事)は「新しい病院を考えろといわれたわれわれのグループと新しい病院建築を考えようという建築家のグループが一緒になって,2階建木造のモデル設計をつくったわけです.

【資料】21世紀を目ざして—病院と医師会

著者: 武見太郎

ページ範囲:P.1016 - P.1018

れい明期の医学と病院の発生
 日本医師会は過去10年間にわたって,医学の社会的適用について科学的な検討を進めてきた.これは現状の科学的な分析と同時に,未来への資料を整理することであった.
 わが国においては,科学としての医学は大学を中心として,当時の古い社会的基盤の上にたって伸びるところまで伸びてきたと私は判断している.ことばを変えていうならば,無給医局制度のもとに日本の医学研究は異常な進歩をもたらした.これには,その社会的背景として家族制度があったことが忘れられていると思う.医局では無給であっても家族制度の中でそれらの教室員は衣食を確保することができるのであった.

【資料】日本の病院の発展

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.1019 - P.1028

病院発展の現況
 わが国の病院の戦後の発展は急速である.そして現在(昭和42年末)われわれは7500という多数の病院と96万病床(同年)——おそらく昨年末100万の大台に乗っているだろう——を有し,しかもなおかつ,年約200の病院増と4万病床の増加をみ,その衰えをみせていない.
 もうこれらの絶対数では,ソビエト,アメリカに次ぐ世界第3位の国となっている.これを人口比にしても,すでに人口10万対960病床で,アメリカ,イギリス,ドイツ,イタリアと比肩し,この急速な増加率では早晩これも凌駕するだろう(表1).

日本の病院—50年の歩み

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.1030 - P.1035

 戦後,医療の近代化に着手して50年あまりになる.この間を次のように分けることができよう.
 まず医療法の制定から国民皆保険の達成までの病院医療の復旧整備と近代化の時期,続いて東京オリンピック後の国民経済の高度成長に伴う病院建設の時期,1973年の石油危機後の不況の到来と老人医療の始まり,1981年からの行政改革と医療費抑制,そして医療法の改正,最後が介護保険の創始である.

写真でみる 20世紀の医療技術の進歩と病院

著者: 上林茂暢

ページ範囲:P.1036 - P.1045

よるべなき人たちの収容から治療の場への一歩—20世紀初頭の病院
 産業革命で世界の工場としてスタートを切ったイギリスは,その前夜,都市化に伴い貧困層が増大するなかで,中世キリスト教の慈善活動の伝統を受けvoluntary hospital建設運動が盛んになった.ウェストミンスター病院(1719年),ガイ病院(1721年)などが相次いで登場,18世紀後半から19世紀にかけてこの動きは加速され,地方都市にも及んだ.19世紀前半には医学校を設置し,教育,研究に取り組み教育病院として発展するところも増えてきた.
 しかし蛭を用いての瀉血が治療法として姿を消したのが19世紀末だったことからもわかるように1),その内容は思弁的な中世医学の制約を脱していなかった.木製ベッドには南京虫が群がり,素人や入院患者のなかで比較的元気な者に看護がゆだねられていた.パリの伝統あるHôtel Dieu,ロンドンの新興ガイ病院をはじめ,この時期のヨーロッパの病院は大同小異だったといわれる2,3).家族の病気は主婦が世話をし,ゆとりのある階層は往診を頼み,外科的な処置すら在宅で行われた.献身的な看護がなされた施設もあったにせよ,病院はよるべなき人たちの最後の手段というイメージが強かった.

21世紀—患者(消費者)主体の医療をどう展開するか

日本病院会

著者: 中山耕作

ページ範囲:P.1046 - P.1048

 20世紀の医療技術,医療工学や遺伝子工学はまさに目覚ましい発達を遂げた.これらは今世紀がもたらした最大の産物であることは明白である.さらに医療提供体制でいうならご存じのように1961年に国民皆保険制度が制定され,そこから医療に対する需要を急速に伸ばすこととなった.本稿では21世紀にどのような課題が残り,どのように克服をしなければならないのか,また,わが国の医療はどう進むのか予想を踏まえて考えていきたいと思う.

全日本病院協会

著者: 佐々英達

ページ範囲:P.1048 - P.1049

 次世紀において患者主体の医療を展開するためには,1)皆保険の堅持,2)医療の質の向上,3)医療の効率化,4)インフォームドコンセントの徹底(診療情報の開示),5)成果を含めたそれぞれの医療施設の情報公開などを推進する必要がある.
 そこで,医療提供体制と医療保険制度について,現在の制度の問題点と今後のあり方について考察する.

日本医療福祉建築協会

著者: 栗原嘉一郎

ページ範囲:P.1049 - P.1050

病院建築の観点から見た患者主体の医療の展開
 患者主体の医療ということは,与えられる医療から選択する医療への転換を進めることであり,その場面は患者の病院生活全般に及ばなければならない.すなわち,患者を病院側が用意する一定のシステムに従わせるのではなく,米国の一部に導入されている「プラタナスモデル」(図)のように,患者を看護の枠組みの中心に置き,カルテへのアクセス,プライバシーの保ち方,部屋の明かりの調節,家族の参加度合い,食事や間食のとり方など,すべての点で患者の意志に基づく選択が尊重されるようにする必要がある.
 建築面でいえば,外来診療部などの待合いスペースのしつらえにはもっと自由な発想が欲しいし,待ち時間に移動の自由を与えるような機器システムの採用も普及してほしい,プライバシーの欠如した中待ちスペースの改善も急務であろう.

全国自治体病院協議会

著者: 小山田惠

ページ範囲:P.1050 - P.1052

 すべて医療は患者主体のものでなければならないが,特に自治体病院は地域住民が出資して住民のためにつくった病院であるので,完全に患者主体の医療でなければ存在価値はない.自治体病院にとってこの命題は常に何よりも優先する運営上の基本である.

日本医療法人協会

著者: 豊田堯

ページ範囲:P.1052 - P.1053

医療法人制度改革
 医療法人制度は,1950年5月に民間医療機関の経営の安定と永続性の確保を言的として創設された.現在,医療法人経営による病院および病床は,わが国の病院総数9,333の約55.3%,病床総数1,656,415の約46.5%を占めている.
 しかし,医療法人は公益法人でもなく,営利法人でもない,いわゆる「中間法人」という曖昧さを抱えての制度発足であったために,税制面では営利法人並に扱われるなど,改善されるべき大きな問題を多く抱えている.特に「持分の定めある社団の医療法人」への行政によるモデル定款の不備から,制度発足後半世紀を経て社員の中途退社や世代交代による遺産相続税制のため,医療機関の維持が困難になっている医療法人もみられ,医療法人制度改革が急務となっている.

日本結核病院協会

著者: 遠山正道

ページ範囲:P.1053 - P.1055

 わが国では諸外国に比し,病気やけがの軽重を問わず,ひいては老人介護まで,病院を親しみのある身近な存在としてとらえてきた.それとうらはらに,かつてほとんど誰もが身内に結核死亡者や長期療養者がいたものだが,昨今では結核病院が一般消費者にとって極めて縁の薄い存在になってしまった.
 結核は全世界で毎年800万人以上が発病し,300万人以上の命を奪っている最大の伝染病であり,1993年には,WHOが「結核非常事態宣言」を行い,1996年には「結核は復活しただけでなく,歴史的に最悪の事態である」と世界に警告した.わが国でも,いまだに毎年4万数千人が発病し,約3,000人が亡くなっていることを国民の多くは知らない.

全国公私病院連盟

著者: 竹内正也

ページ範囲:P.1055 - P.1056

 間もなく21世紀を迎えるが,この時に当たり,当連盟の足跡を振り返り,また新しい世紀への活動方針を述べる機会を得たことは喜びに耐えない.

日本医療福祉設備協会

著者: 都築正和

ページ範囲:P.1056 - P.1058

日本医療福祉設備協会の使命
 21世紀に向けたこの特集に当たり,日本医療福祉設備協会から世紀の節目に際しての見方について記してみたいと存じます.
 当協会は旧称日本病院設備協会として1963年に創立されましたが,以来病院において使用される設備などを中心としてその研究開発,普及促進,基準作成などを使命として活動を繰り広げてまいりました.活動内容は年1回の日本病院設備学会を開催すること,協会雑誌「病院設備」の発行,1974年からは学会に併設する病院設備展も大きな行事となりました.その他にも研修会,講習会などの開催,病院設備の基準作成(病院用ベッド,病院用空調設備など)とその普及活動などからなっております.

21世紀のコメディカル

診療情報管理土

著者: 霞堂直史

ページ範囲:P.1060 - P.1062

20世紀のできごと
 1.診療情報管理士協会の設立
 現在の日本診療情報管理士協会(1998年改称)は,26年前の設立から改称前までは,日本診療録管理士協会であった.当会は1974年,日本病院会通信教育課程を終了し認定された診療録管理士85名により組織され,2000年8月現在では883名の会員で構成されている.診療情報管理分野におけるわが国の専門家集団に成長するとともに,事務局の管理運用面においても昨年10月,ホームページを開設するなど会員参加により行っている.
 1996年2月には,協会員が所属する病院の診療録部門の調査結果をまとめた『診療録管理施設総覧』を発行した.本書は会員の勤務する施設相互間の情報交流に利用されるだけでなく,医療機能評価にも有益な情報を提供した.現在,第2版発行へ向け準備を進めている.

理学療法士

著者: 奈良勲

ページ範囲:P.1062 - P.1063

 わが国に正規に理学療法という専門分野が誕生したのは,「理学療法士及び作業療法士法」が制定された1965年である.そして,翌年の1966年に理学療法士の専門職種団体としての日本理学療法士協会(以下,本会)が設立された.したがって,本会の歴史はまだ浅いが,高齢社会の到来などに伴い理学療法士の数は急増し,現在では24,000名を超えている.本誌より,標記のテーマについて依頼を受けたので,理学療法士の立場から私論を交えて論じる.

臨床検査技師

著者: 岩田進

ページ範囲:P.1063 - P.1065

20世紀の臨床検査
 戦前は,医師が主として診療の合間を利用して検査を行っていた.終戦後から1950年頃までは,検査法を習得した技師や看護婦が医師を手伝う形で検査は行われてきた.その頃の検査は尿中の蛋白,糖,ウロビリノーゲン,血液では貧血,梅毒の検査および喀痰の結核菌検査が主であった.その後検査項目や患者数が増えるにつれて,検査が医師の手から離れて検査技師の手に委ねられていった.
 1952年に全国の検査技師が大同団結し,検査技師法の成立に向けて活動を開始した.1958年運動が実を結んで「衛生検査技師法」が成立し,検査の専門職種として衛生検査技師が誕生した.

ソーシャルワーカ

著者: 髙田玲子

ページ範囲:P.1065 - P.1067

日本の医療社会事業の歩みと21世紀への課題
 1.日本医療社会事業家協会の誕生(1953年)
 1919年に泉橋慈善病院(現在の三井記念病院)に初めて婦人相談員が置かれて以来,1925年に済生会本部病院,1929年には聖路加国際病院に社会事業担当者(以下「ソーシャルワーカ」と記載)が配属された.その後間もなく第二次世界大戦に突入し,敗戦国となった日本はGHQ (連合国軍総司令部)の配下のもと,再建を行った.GHQの指導は保健所にも及び,ソーシャルワーカが配置され,その事業を医療社会事業と称し,その従事者を医療ソーシャルワーカ(medical social worker,通称「MSW」)と呼称した.
 従事者の教育は,1949年に厚生省が第1回の長期講習会を開催し,以来今日まで継続されている.受講したソーシャルワーカは次第に各地の医科大学病院,国公立病院,地域病院へと広がり,全国各地の医療機関において,患者・家族の生活相談の担当者として活躍した.

作業療法士

著者: 寺山久美子

ページ範囲:P.1067 - P.1068

20世紀の作業療法——5大ニュースを中心に
 「20世紀の作業療法」といってもわが国の場合,近代的な意味での作業療法が正式に発足したのは1966年以後である.すなわち,1963年に日本初の理学療法士・作業療法士養成校である国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院が東京都清瀬市に開設され,3年後の1966年「理学療法士及び作業療法士法」に則り,初の作業療法士国家試験合格者20名が「有資格作業療法士」となって就職して以後ということになる.同じ1966年9月25日に,この20名をもってわが国初の作業療法士職能団体である「日本作業療法士協会」(以下,協会)が結成された.したがって,20世紀の後半3分の1である34年間のみが「20世紀のわが国の作業療法」の内容ということになる.
 さて,養成校数わずか1校,20名の作業療法士をもってスタートしたわが作業療法も,今や養成校数107,有資格者数14,882名と急成長を遂げ,今後もしばらくはこの傾向は続くと思われる.なぜならば,医療職である作業療法士も,その職務の特性上保健福祉の領域での活用が介護保険制度導入を機にますます期待されているからである.

精神保健福祉士

著者: 門屋充郎

ページ範囲:P.1068 - P.1070

20世紀の精神保健分野
 日本における精神保健政策は,19世紀末の1900年に制定された精神病者監護法から始まった.今年は精神衛生法施行50周年であり,世紀末共々精神保健福祉も大きな節目の年である.
 20世紀の精神保健福祉は総じていえば隔離と保護,社会防衛政策優位の世紀であった.患者軽視,福祉施策の無策,一貫して精神病となった国民の不幸は,他の疾病の比ではなく,精神医療とて医療総体の中で差別を受け続けた世紀であった.不幸は精神医療,精神保健・福祉総体が社会から軽視され続けたという現実であり,その中で処遇された精神障害者は最も不幸であり,援助専門職も社会的役割の犠牲を背負ってきた世紀といえよう.しかし20世紀末の数年間において精神保健福祉法が成立し改正され,障害者プランが示され,欧米に遅れること20〜30年とはいえ,脱施設化と脱中心化は21世紀の中核的課題となり,人間の自由と平等の保障は人権思想の高まりとともにノーマライゼーション社会の構築へと向かいつつある.

診療放射線技師

著者: 熊谷和正

ページ範囲:P.1070 - P.1071

20世紀の診療放射線分野
 X線が発見されたのは20世紀直前のことである.発見間もない20世紀初頭から,X線の物理的性質や生物効果を応用した技術が他分野に先駆けて医療に取り入れられた.そして,100年の間にX線を含む放射線は医療に不可欠なものとなった.この発展の経緯の中で,わが国ではX線集団検診による結核の罹患者発見への成果は特筆されるべきものである.このことが,医療での放射線の活用価値の実証とその後の利用技術の急激な発展を動機付けたといえる.集団検診とともに医療でのX線利用が普及するに従って,その生物学的危険性を鑑み,本邦唯一の医療放射線専門職種である診療エックス線技師(後に,診療放射線技師と改称)が法的裏付けをもって国家資格として誕生した.
 放射線の医療への利用技術は,電子工学技術の発達とともに,高度な形態へと発展し続けた.その中で,エポックメイキングなできごとがX線CTの開発であった.その画期性は,人体の輪切り画像が得られることではなく,この種の装置にコンピュータを使ったことでもない.輪切り画像を得るX線装置はCT出現以前から存在していたのである.X線CT開発以前は,感光性フィルムへのX線の直接投射という形で,人体内部の画像を得てきた.

臨床心理士

著者: 大塚義孝

ページ範囲:P.1072 - P.1073

 近代心理学は物理学に示された19世紀以降の長足の進歩に触発されて,哲学の認識論から派生し発展した.近代科学として心理学も100年以上の歴史を経て今日に至っている.しかし奇妙なことに医療の世界でストレートに心理学が関与する事実は,極めて希薄であった.とりわけ日本では,その傾向が強かった.あえて上げるならば1905年にフランスの心理学者ビネー(Binet J,1857-1911)が,内科医シイモンと協力して世界で最初に考案した知能検査を発表したことである.これは今日の心理臨床家の心理測定技法の原点的業務ともなるものの創出であった.わが国ではアメリカと同時期の1908年(明治41年)に,既に東京大学の精神科教授三宅鉱一によって翻訳紹介されている.しかし残念ながら心理学会では無関心で,医学と臨床心理学の出会いというにはほど遠いものであった.
 ことほど左様に,大ざっぱにいえば第二次世界大戦が終結する1945年まで,心理学界がまさに臨床心理学的実践家として医療界にコミットすることはほとんどなかった.ただ一つ注目すべきことは,アカデミックな埒外で,欧米業界も含め,精神科医療の異端ともいえる心理学的理解と治療技法の発明と発見を成就したフロイト(FreudS,1856-1939)の精神分析学の実践活動が始まったことである.

視能訓練士

著者: 原澤佳代子

ページ範囲:P.1073 - P.1074

20世紀の医療について視能訓練分野でのできごとトップ5点
 1.視能訓練士法制定と国家試験実施
 1945年(昭和20年)後半から乳幼児眼疾患のニーズに対して,両眼視機能を重視した近代斜視学が導入された.社会における眼科医療体系の変遷に伴い,視能訓練の必要性が唱えられた.1957年(昭和32年)以来,視能訓練士(orthoptist)の職種の制度化が検討された.1971年(昭和46年)5月14日視能訓練士法が成立し,同年第1回国家試験が施行された.2000年現在,有資格者は4,267名となる.

栄養士・管理栄養士

著者: 立川倶子

ページ範囲:P.1074 - P.1076

 日本における病院食の歴史は遠く天平時代に遡り,光明皇后による施薬院がその始まりとされている.近年では1869年イギリスのウイリアム・ウイリスを院長として迎えた薩摩藩医学校附属病院では開設当初から病院食を提供していた.その後,1924年に慶應義塾大学医学部食養研究所を設置,1933年東京大学医学部附属病院特別調理室新設など,当時のビタミン研究と結核治療を背景に食事療法の萌芽期ともいえる時代を経て,病院食は治療の一環として重視されるようになった.表の病院食の軌跡から重点項目を述べ,次世紀への展望について考えてみたい.

言語聴覚士

著者: 藤田郁代

ページ範囲:P.1076 - P.1078

言語聴覚士の歴史
 2度にもわたる世界的規模の戦争を経験した20世紀は破壊から再生へと向かい,冷戦構造という対立を経て新たな協調を生み出す努力をしてきた時代であったといえよう.言語聴覚士(speech-language-hearing therapist;ST)という専門職種が生まれたのは20世紀であり,その誕生と歩んできた歴史はこのような時代背景と無関係ではない.言語聴覚障害に対処する学問分野として言語病理学(Speech-Language-Pathology)が誕生したのは20世紀初頭の米国においてであり,そこでは主に戦争による傷病兵の言語機能回復と社会復帰を目指して言語治療が始まった.
 米国では早くも1925年にはSTの協会としてASHA (American Speech-Language-Hearing Association)が誕生し,現在98,000人の会員を抱えるまでになっている.これに対し,わが国のSTは特異的な歴史を経て,今世紀最後の2000年になってようやく有資格STによって「日本言語聴覚士協会」が設立されるに至った.

臨床工学技士

著者: 川崎忠行

ページ範囲:P.1078 - P.1079

 20世紀後期に医療の高度化と多様化により概念形成された「チーム医療」の一員の中で,最も新しい医療専門職が臨床工学技士である.
 この臨床工学技士は,人の呼吸,代謝,循環などの生命を直接司る主要機能を機器装置で代行する生命維持管理装置を代表とする医療機器の操作と保守点検を行う専門医療職である.そしてこれらの工学と医学の融和により常に進化する機器による治療領域を担当するため,極めて広範囲な知識と技能が要求される.また臨床工学技士法は,機器・装置の専門家のみならず,保健婦助産婦看護婦法の一部を解除して,医療補助行為ができることとし,縦割り的な業務分担志向から治療の合理化を図った機能を優先した制度であり,臨床工学技士は21世紀の医療を考慮し整備されたマンパワーであるといえる.

21世紀の医療制度と医療行政を展望する

著者: 伊藤雅治

ページ範囲:P.1080 - P.1089

 現在,わが国の医療制度は大きな転換期にあり,介護をはじめとする関連分野を含め,医療制度をどのように改革していくのか,その方向性は必ずしもはっきりしませんが,当面の課題である第4次医療法改正をはじめいろいろな課題について,考え方をお話しいたします.
 日本の医療制度の改革を含め今後の医療を展望するに当たり,まず,戦後50年の医療制度の変遷を概観します.

【座談会】21世紀への病院医療の遺産

著者: 井手義雄 ,   大道久 ,   河北博文 ,   竹内實 ,   広井良典 ,   池上直己

ページ範囲:P.1090 - P.1097

 池上(司会) いよいよ20世紀も最後の特集号ですので,今回は編集委員の皆様にお集まりいただき,20世紀の病院医療におけるできごとを振り返り,21世紀の展望を語っていただきたいと思います.

--------------------

「病院」 第59巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?