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琉球弧から・3
ピンピンパタイ
著者: 天願勇
所属機関:
ページ範囲:P.279 - P.279
文献購入ページに移動□第3の人生
受精から今年の誕生日まで,私は2万日生きたことになる.沖縄で生まれ育ち,大阪で学んだ.沖縄県立中部病院での臨床研修(レジデント)を修了したのが1万日(27歳),その後,国立がんセンター,亀田総合病院などを経て沖縄に戻り,300床の総合病院を開設した日が,1万5千日(41歳)に当たる.病院が地域に定着するまでの10年間,寝食を忘れ「特色ある病院づくり」に没頭してきた.
外科医と理事長の二足の草鞋(わらじ)を履き,医療と経営のバランスを取りながら走ってきた.病院は繁盛し,医師以外の仕事で忙殺されそうになったので,50歳を期にメスを置いた.そのとき,ライフワークに選んだのが予防医であった.これまでは,限られた条件のもとで走ってきたが,これからは肩の重荷を下ろし,歩みを緩めてほんとうに好きなことを実現していきたい.
受精から今年の誕生日まで,私は2万日生きたことになる.沖縄で生まれ育ち,大阪で学んだ.沖縄県立中部病院での臨床研修(レジデント)を修了したのが1万日(27歳),その後,国立がんセンター,亀田総合病院などを経て沖縄に戻り,300床の総合病院を開設した日が,1万5千日(41歳)に当たる.病院が地域に定着するまでの10年間,寝食を忘れ「特色ある病院づくり」に没頭してきた.
外科医と理事長の二足の草鞋(わらじ)を履き,医療と経営のバランスを取りながら走ってきた.病院は繁盛し,医師以外の仕事で忙殺されそうになったので,50歳を期にメスを置いた.そのとき,ライフワークに選んだのが予防医であった.これまでは,限られた条件のもとで走ってきたが,これからは肩の重荷を下ろし,歩みを緩めてほんとうに好きなことを実現していきたい.
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