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雑誌目次

雑誌文献

病院64巻7号

2005年07月発行

雑誌目次

特集 スピリチュアリティと病院

巻頭言

著者: 広井良典

ページ範囲:P.533 - P.533

 「スピリチュアリティ」というテーマについて,本誌が特集を組むのは初めてのことであり,ある意味では時代の変化をよく示す特集テーマといえるかもしれない.

 「スピリチュアリティ」という言葉あるいはコンセプトは,WHOが「健康」の定義における重要な要素として検討を進めたことや,終末期ケアへの関心の高まり等といった背景から,近年では医療関連の学会や文献等においては,(分野による違いがあるものの) 一定以上に広く使われるようになっている.他方で,スピリチュアリティという言葉に対する“定訳”がなお確立しておらず,この言葉が片仮名表記のままで使われていることにも端的に示されているように,“輸入用語”にありがちなある種の座りの悪さやぎこちなさといった印象を,なお感じている人も少なくないと思われる.

健康とスピリチュアリティ―WHOでの議論から学べること

著者: 津谷喜一郎 ,   山積隆之介

ページ範囲:P.534 - P.537

「健康」を定義するのはひどく難しい.

 1990年代以降,健康観や身体観に関する議論が盛んに行われるようになった.こうした議論は個人レベル,国・地域レベル,世界レベルでなされる.この中で,WHO 憲章の前文に掲げられている健康の定義を改定しようという動きが1998年から1999年にかけてあった(表1).しかし,改定はなされなかった.ところが,これが既になされたとしばしば誤解されている.

 何が WHO を舞台として議論されたのであろうか? その背景は何であろうか?

 本稿は,WHO での議論を紹介することにより,今後の日本の病院におけるスピリチュアリティを含めたサービスについて考慮し,その向上へと寄与せんとするものである.

日本人にとってのスピリチュアリティ

著者: 鎌田東二

ページ範囲:P.538 - P.542

歌に現われた日本人の「スピリチュアリティ」

 「日本人にとってのスピリチュアリティ」とは,何よりも,生きる基盤としての自然といのちに対する畏怖・畏敬と親愛の念であり,その存在感覚であると思う.そのことを考える材料として,まず三首の歌を取り上げてみたい.


岩走る垂水の上のさ蕨の萌えいづる春になりにけるかも


田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける


敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花


 第一の歌は,『万葉集』に収められた志貴皇子の歌である.志貴皇子は天智天皇の第七皇子で,『万葉集』に六首の歌が収録されているが,いずれも秀歌として名高く愛唱されている.

スピリチュアリティへの医師の関わり―医療化を超えてナラティブ・ベイスト・メディスンへ

著者: 辻内琢也

ページ範囲:P.544 - P.548

臨床現場でしばしば耳にする次のような言葉に対して,読者諸氏はどのように感じるだろうか.

 「よく病棟でトラブルを起こすあの患者さん,やっぱり性格の問題だね」

 「あの患者さんが良くなるには,生活習慣を根本的に改める必要があるね」

 「あの患者さんはまだ自分の病気/死を受容できてないみたいだね」


 第一の言葉には,その患者を取り囲む医療者を含んだ様々な人間関係の相互作用や,病棟や病院といったシステムの複雑な問題,あるいはその個人が歩んできた長い人生の苦悩を棚上げにして,問題を「性格=パーソナリティ=人格」という個人の問題に還元してしまう危険性が隠れてはいないだろうか.

 第二の言葉には,生活習慣という個人の日常生活,広く取れば個人の人生の生き方まで含めて,患者として望ましい方向,すなわち医療者にとって管理しやすい患者像へと修正すべきだという意味がみて取れないだろうか.「自己管理=セルフコントロールの必要性」という一見良さそうな言葉の背景には,病気を個人の自己管理不足という自己責任に還元しようとする志向性が存在するのである.

 第三の言葉には,病気や死は受容されるべきものという前提がある.しかし,病気を苦しみ悶えること自体に価値はないのだろうか.病気や死に直面するということは並大抵の経験ではない.にもかかわらず,自分の死にも直面したことのないような多くの医療者が,目の前に苦悩している病者の死の受容うんぬんを口にするということは,病者への礼を欠いた言動ではないだろうか.

 性格の問題,生活習慣の改善,病気の受容,このような病者を評価し判断する視点は,客観的・科学的であれと教育されてきた医療者が取りがちなパターンといえよう.この,ある種超越的な第三者的立場からみてしまうパターンは,病者の身体に対してだけでなく,心の状態,さらには生活や人生,生と死のありさまといったスピリチュアルな領域にまで拡大してしまう危険性がある.これらの言葉は,患者個人の人生史(Life History)に,第二者として共感的にコミットメントしている医療者の口からは決して出てこない言葉だと思われる.

 本稿では,スピリチュアリティに関わる医師として陥りがちな危険性をふまえ,そのうえで,それを克服する視点を提示したい.

スピリチュアリティへの看護師の関わり

著者: 林優子

ページ範囲:P.550 - P.554

人間は,体と心と精神(魂)を所有する統一体である.その体と心と精神(魂)は決して分離されるものではなく,同時性を意味する.

 臨床の場における看護の対象は,体と心と精神(魂)を所有する統一体としての個人であると捉えられる.看護は,そのような人間のクオリティ オブ ライフ(以下,QOL という)に焦点が当てられており,その QOL とは,その人が「より良い状態で生きることへの願い・喜び」であることとして考えることができる.

 その人の QOL は,その人がどんな生き方を選択し,どのように生きているかを問うものである.そしてその生き方は,その人のスピリチュアリティと大いに関係がある.

 人間は,家庭や社会の中で家族や他者とつながりを持ち,また,ある者は神仏とつながりを持って日常生活を営みながら生きている.

 人は,何かに向けて親密なつながりの感覚を持つことができると,肯定的な気持ちになれ,喜びや感謝や勇気や希望が湧き,人生に対して充足感や満足感を味わう体験をすることができる.その体験は,より一層スピリチュアリティを高めることに繋がっていくものである.

 しかし,病気や家族の死という危機状態に直面すると,人はストレスに陥り,不安,恐れ,悲嘆,怒り,無力感,疎外感,孤立感,絶望感など,様々な感情や実存的な苦しみの体験をする.それは現実の病苦を受け止められないこと,自分を取り巻く人々から遮断されること,自分にとっての有意義な仕事から遮断されること,日常生活の営みが阻害されることなどが,その人の世界の中で渦巻くことによって生じる.

 これはスピリチュアルペインを伴う病気体験である.本稿では,そのような病気を体験する患者のスピリチュアリティと看護師の関わりについて,看護の本質はヒューマンケアであるという立場に立って論じてみたいと思う.

医療現場でのスピリチュアリティ

著者: 伊藤真美

ページ範囲:P.555 - P.556

スピリチュアルケアは人が担うことができるのか

 緩和医療の中で,最期に残る課題は「スピリチュアルケア」ともいわれる.しかし,スピリチュアルケアは誰が担うことができるのか.筆者自身は,緩和医療の現場に身を置いて,スピリチュアルケアの担い手となることはできない,そしてスピリチュアルケアの専門家を目指してはいけないと思い続けてきた.

 緩和医療が,緩和医療の専門家によってしか提供されないのでは困る,スピリチュアルケアがスピリチュアルケアの専門家によってしか提供されないのでは困るという思いからでもある.緩和医療は特別な医療ではない,医療そのもの,医療の原点であると考えている.緩和医療をホスピス・緩和ケア病棟でなければ受けることができないしくみにしてはならない.

医療現場におけるスピリチュアリティ

著者: 帯津良一

ページ範囲:P.557 - P.559

嘆かわしい現状

 医療者,殊に医師とのコミュニケーションにおける不協和音を嘆く患者は相変わらず多い.その嘆きは,時に怒りに,怨嗟に変わり,医療という “場” のエネルギーを低下させている.

 ――「こちらの気持ちなど全く付度せず,滔滔と検査所見について話した後,すぐに入院の手続きをしてください,だって.何これ? て気分でしたわ」

 「進行度はⅢといったところですね.手術をしなければ3か月の余命,手術をしても2年といったところでしょうか,だって.ムラムラっと怒りがこみあげてきましたよ.いくら医者だって,他人の運命を土足で踏みにじる権利があるのだろうかって.しかも人生経験の乏しい,あんな若造にいわれたことが余計腹立たしいんですよ」

 「…通院といったって,別に身体(からだ)の診察があるわけではないし,どうですか? って訊いて,採血するだけなんですよ」
 「腫瘍マーカーの値を教えてくださいといったら,素人は知らなくたっていいんだ! これですよ」

 「もう治療法はありません.緩和ケア病棟を紹介しますから行ってくださいといわれました.でもまだ早いような気がするんですよ.だって,今日だって駅からここまで歩いて来たんですよ」――

 まだまだ枚挙に遑いとまがないが,このような不協和音は,患者側は「からだ(Body)だけでなく,こころ (Mind) にもいのち(Spirit)にも目を向けてください」といっているのに医療者側は相も変わらず,からだだけに注目している.そのギャップから生まれてくるのである.「スピリチュアルケア」といい「医療におけるスピリチュアリティ」といい,何も特別なものではないのだ.医療者が患者のからだだけでなくこころにもいのちにも思いを遺るという医療の本質に立ち戻ればいいのである.そしてこのような不協和音がなくなるだけで,特効薬などなくても治療成績がぐんとアップすることはまちがいない.

医療現場でのスピリチュアリティ―急性期病院での現状と導入の必要性

著者: 与芝真彰

ページ範囲:P.560 - P.562

当院の現状

 筆者が勤務している病院は30年前に開設された.都心から電車で1時間ぐらいの東京のベッドタウンともいえる横浜市北部の医療中核病院であり,典型的な一線の急性期病院である.院内で調査したところ,年間で死亡する患者は680人を数える.

 当院の許可病床数が648であるから,年平均1ベッドに1人の患者が死亡することになる.昔は,老人はしばしば家で死んだが(私の祖母もそうであった),現在は,大半の人は病院で死ぬ.こうなると『マルテの手記』1) に書かれているパリの巨大な市民病院のように,大病院は死を作り出す一大産業であり,人の死に至る過程は製品の生産過程であり,その死は単なる製品の完成に過ぎなくなってしまう.

 その治療に当たる医師も看護師も単なる生産現場の工員となり,人の死も日常の点描となり,各個人の死にはそれぞれの人生のドラマがあるにもかかわらず,何の感動の対象でもなくなってしまう.

 さらに,現在の低医療費政策の結果,急性期大病院は在院日数を短縮せざるを得ず,安定期に入った患者は転・退院を強要される.医師数,看護師数は,米国の優良病院の1/3であり,スピリチュアリティを実践する専門職も存在しない.このため,急性期病院では,本特集のテーマであるスピリチュアリティの実践は今後ますます困難にならざるを得ない.

 さらに問題は,スピリチュアリティの概念が普及していないことで,試みに,この言葉が当院の医療現場にどのくらい浸透しているかを知る目的で,看護部の協力を得て,緊急アンケートを行った.集計総数は465名で当院看護師600名のうちの約78%であった.

 このうち,「スピリチュアリティという言葉を聞いたことがある者」291名(62.2%),「ない者」174名 (37.4%),「聞いたことがある」と答えた者のうち,内容を多少は知っている者は201名(全体の42.9%),内容を知っている者のうち,日頃実践している者は27名(5.8%)とごく少数であった.これは,現在の急性期病院では,スピリチュアリティを実践しなくても運営できることを示している.

末期癌患者へのスピリチュアルケア

著者: 沼野尚美

ページ範囲:P.563 - P.564

スピリチュアルペインへの対応が問われる時代

 32年前,筆者が高校1年生だったある日,親友が胃癌であるおじいちゃんを,久しぶりに一人で見舞いに行った話しを泣きながらしてくれた.彼女が病室でみたおじいちゃんは,ベッドの上でもがき苦しみ,初孫である彼女の姿をみて,泣いて叫んで頼んだという.「包丁を持ってきて,おじいちゃんを突き刺してくれ.お前しか頼む人がいないんだよ」と.元気だった頃のおじいちゃんは,優しくて,包容力があって素敵な方だったらしい.しかしその日,彼女は「おじいちゃんは別人のようにみえた.怖かった」と語った.彼女はおじいちゃんのそばにいることが辛くて恐ろしくて,走って帰ったというのである.これが筆者が一番最初に知った末期癌患者の姿であり,あまりにも悲惨なものとして心に残った.

 ところがあれから32年たって,緩和医療はめざましい進歩を遂げている.21年前からホスピスという世界で仕事をしているが,痛みと症状のコントロールに関して,まだまだ課題は多くとも,近年はベッド上でのたうち回る患者の姿は,ほとんどみたことがない.患者はコントロールのおかげで,ベッド上で新聞を読もうという気持ちになれ,絵を描いている人や面会者と楽しくおしゃべりをしている人もみかける.つまり,末期状態になっても,自分らしく生活できる時間を緩和医療は提供してくれているのだ.

 しかしその反面,緩やかな静かな時間が持てるようになったということは,体がのたうち回っていた時はみつめることのできなかった内面の世界を患者はみざるをえなくなり,迫り来る自分の死や複雑な心の葛藤と向き合って,残りの日々を送らなければならなくなったということでもある.つまり緩和医療の貢献により,痛みと症状のコントロールが末期癌患者に提供しているものは,自分らしく過ごせる時間であるとともに,自分の心と向き合って生きる時間であるといえる.

 それゆえに,癌患者は生命の危機を感じる中で,心の底からの叫びを発しており,その叫びと関わってくれる医療者を今,求めている.患者の叫びや複雑な心の葛藤につき合っていく必要が,医療者に求められるようになってきたのである.

グラフ

新しい「がん医療文化の創造」を目指して 財団法人癌研究会有明病院

ページ範囲:P.521 - P.526

2005年3月1日,癌研究会附属病院は,東京湾に面した臨海副都心に位置する東京都江東区有明に移転した.

 病院の名称を「癌研有明病院」と改称.病床数を500から700に増床して,総面積は旧病院の約1.4倍という規模で新たなスタートを切った.

 約6年の準備期間を経て,ほぼ計画通りに移転を果たしたのであるが,それは,単に建物を新築し,規模を拡大しただけではない.癌研究会は有明移転について,「新しいがん医療文化の創設」のスタートであると位置づけている.

ホスピタルアート・1

始動の経緯

著者: 高橋雅子

ページ範囲:P.528 - P.528

 人の生老病死すべてに立ち会う「病院」ほど,大切な場所はないかもしれない.ならばそこは,どこよりも癒される温かな空間であってほしい,と心から願うようになった.

連載 病院改革 患者さんの期待を超越せよ!・4

CQI:Continuous Quality Improvement インターマウンテイン・ヘルス・ケアの事例から学ぶ(2)

著者: 浦島充佳

ページ範囲:P.566 - P.570

IHC 路線変更初期

 ジェームス医師が IHC (Intermountain Health Care)に赴任した1986年当初,IHC はよろず修繕屋の状態でした.ある日ジェームス医師は,TQM(Total Quality Management) の父と呼ばれるエドワード・デミング博士の講演で「質が高ければコストを下げることができる」という言葉に強く感化されます.

 ジェームス医師は早速 IHC で行われた臨床試験データをもとに検証したところ,デミング博士の主張する「質とコストの関係は事実である」ことを確認できたのです.ジェームス医師は,財務および経営部門と共同で,活動度に応じた特殊会計システムを構築し,すべての科を超えてこれを実行したのです.

ともに生きる社会のヘルスケア・システム・4

ヘルスケア・システムのマネジメント(2)

著者: 冨田信也

ページ範囲:P.572 - P.573

サービスの基本方針とマネジメント・システムの構築

 ホームヘルスケア・サービスの発想から,私たちは「ハートぱすてる」という事業を立ち上げた.事業の基本的方針は,「地域の人々のためにその住み慣れたわが家で居ながらにしてホームヘルスケア・サービスを受けることができるように,医療・看護・介護・福祉などの専門領域における優れた知識,技術の総合的な連携を図り,利用する人々が安心して,いつでも質の高いサービスを受けられるようにそのサービス提供体制を構築する」ことである(図1).

 私たちは新しいコミュニティの新しいヘルスケア・システムを構成する多様なサービスの一つひとつは,基本的には共通するマネジメント・システムで運営され,サービスの質に関するマネジメントがなされなければならないと考えている.「ハートぱすてる」という介護サービス事業は当初から,グローバル・スタンダードで利用者にわかりやすいマネジメント・システムを構築してそれを運営しようとしてきた.

 私たちは事業開発の初期に ISO9001の品質マネジメント・システムを参考にした.その動機は ISO 規格のマネジメント・システムの重要な意味が「顧客」の側に視点をおいたマネジメント・システムのモデルにあったことによる.このマネジメント・システムは極端ないい方をすると会社組織の側には視点をおいていない.大切な目的は組織の中に顧客の視点を確立することである.組織の誰もがこのマネジメント・システムの「要求事項」を知って行動しなければならない.ISO のマネジメント・システム発祥の地,欧州には「顧客の視座」をマネジメント・システムの「モデル」にできるという歴史的信念があったから今日の EU のような新しいコミュニティ構想が持てるのだと筆者は考えている.

 ハートぱすてるのマネジメント・システムはフィールドでその効果・効率について実証された内容である.これをヘルスケア・システムの一つのコンポーネントとしてこの単位を動かす基本的なマネジメント・システムとすると,ヘルスケア・システムを構成する,どのコンポーネントにおいても同じ基本となるマネジメント・システムが稼動されるべきであり,そのことが利用者にとっても,ヘルスケア・システムの運営する人にとっても,また第三者的視点においてその内容を評価する人にとっても簡明でわかりやすい仕組みとなる.ヘルスケア・システムをマネジメントすることは,そこに人材が育ってゆくことでもある.人を管理するのではなく,システムをマネジメントすることでそのシステムにかかわる人材が育成される構図ができあがるのである(図2).

 これらのヘルスケア・システムのマネジメントは行政が担当すべきと考えられていたが,透明性のあるマネジメント・システムが構築されておれば民間企業組織がこれをマネジメントすることも十分にあり得ることである.鉄道運行は国家的事業として鉄道省がこれをマネジメントしていたが,時代が変われば株式会社がこれをマネジメントしているのが今日である.郵政事業においても同じである.大事なことは,利用者がもっとも満たされる形で公正なサービスが受けられることである.誰にもわかりやすいサービス・システムを構成する諸々の事業プロセスを明瞭にしてゆくことが求められる.ヘルスケア・システムはそのようなサービス・プロセスをネットワークされてでき上がっている.効果的・効率的にそのネットワークをマネジメントする力量がある組織が担うべきである.株式会社の形態をとる組織がコミュニティのヘルスケア・システムをマネジメントしてはいけない理由など全くない.営利組織とか非営利組織といって組織を区分するが,利益を計画しない組織は腐敗し,イノベーションを怠る宿命にある.利益を確保するとは未来に対する費用を確保することでもある.組織には自らのイノベーションと顧客を市場に創るマーケティングこそがその使命である.組織が自己目的化する官僚組織の欠点を新しいコミュニティにおいては克服してゆかねばならないと考える.

病院ファイナンスの現状・11

―間接金融(6)長期資金調達 4―病院の担保

著者: 福永肇

ページ範囲:P.576 - P.580

 「担保」・「保証」は病院資金調達での大切な知識です.しかし担保・保証の解説書は法律書と銀行実務書の一部以外では書店でみかけませんし,それらを手にとると難解な法律用語が並んでいます.また病院で日常的に発生する取引ではなく,病院は担保・保証分野への理解は浅いままだと思います.この連載では担保・保証を法律条文の解釈ではなく実務的な病院経営の視点からみてみましょう.


銀行借入では,なぜ担保が必要となるのですか

 銀行から融資を受ける場合には担保提供が前提条件になっています.銀行が担保を徴ちょう求きゅうする目的は,利息徴求や貸付金回収が不可能との事態になった場合に担保処分により貸付元本,利息,違約金などを回収し債権保全をするためです.

 しかし担保処分には弁護士,登記費用等の金銭コストや事務コストがかかります.また,処分を急ぐ場合には足許をみられて低い売却価格になるかも知れません.銀行は貸付金の回収に対して担保には絶対的な信頼を置いていません.そもそも当初から担保処分の可能性がある融資案件は銀行内融資審査が通らないでしょう.

 また,銀行は担保があるとの事由で融資申出を許諾することもありません.返済源資と返済方法が明確でないものは融資の対象にはなりません.担保至上主義の姿勢に対しては,銀行も企業も国民もバブル経済崩壊後に高い授業料を払って学んでおります.その後,銀行は確固たる債権保全を経営基軸としており,現在は担保至上主義ではなく担保第一主義といえるでしょう.長期資金調達にとって担保は必要条件ですが十分条件ではないといえます.

 銀行は担保徴求が与える「借入金を返済しよう」という心理的効果も期待しています.例えば換金性の低い不動産,担保評価対象外である市街化調整区域の土地,すでに多額の先順位抵当権が設定されており処分しても貸付金の回収は見込まれない不動産に対してでも抵当権を設定することもあります.これらの場合には担保を経済的価値としてみているのではなく,病院に対して “万一の場合には資産を抑える” という心理的効果を付与しているといえます.

 病院の長期借入での希望期間は10年間を超える場合も多いでしょう.10年の間には診療報酬点数や医療制度がどのように変化するのか,そして個々の病院経営がそれからどのような影響を受けるのかは予測不可能です.加えて,社会,経済,財政,金利水準,担保価値,人口構成,医療技術など,病院を取り巻く環境も変化していくでしょう.現在の経営者が十年後も元気で経営を行っているかも不明です.長期事業計画立案で医療利益や資金返済計画を正確に予測することは病院にとっても銀行にとっても本来は不可能なのです.また天災や医療訴訟などの潜在リスクも別にあります.リスクに対してはしっかりとした債権保全をしておく,という姿勢が金融業の基本です.

 銀行は病院の長期事業計画を信用していないから担保を取るのではなく,信用しているからこそ事業に融資するのでしょう.事業で返済する自信と決意があれば,その証拠として担保を出して欲しいというのが銀行の論理のようです.

Q&Aで学ぶ医療訴訟・7

医療水準とは

著者: 田邉昇

ページ範囲:P.582 - P.583

Q 地方の個人病院を開設する開業医ですが,心筋症の患者の治療がうまくいかずに死亡してしまいました.大学と同じくらいのレベルの治療をしなければ責任を取らされるのでしょうか.


A 医療機関の立地や性格などによって要求されるレベルは異なります.しかし,場合によっては転医の義務が発生する場合があります.

バンコク病院見聞記・4(最終回)

タイ公衆衛生省MoPHを訪ねて

著者: 金沢梢

ページ範囲:P.585 - P.587

前回までの連載では,私たちのゼミナールで訪問した,バンコクの株式会社立病院や国立マヒドン大学附属熱帯病病院等について紹介してきました.今月号では,タイの公衆衛生省 (MoPH:Ministry of Public Health) について,ご報告させていただきます.MoPH は日本の「厚生労働省」の厚生部門に該当する官庁です.


タイ公衆衛生省 MoPH を訪ねて

 バンコク中心部のホテルからタクシーで高速道路を北へ走ることおよそ30分,左手に真っ白な建物群がみえてきました.高速道路から降りて少し行くと,大きなゲートが立ちはだかり,それをくぐると,市内の喧騒とはかけ離れた,広大な大学キャンパスのような景色が広がっていました.美しい緑の芝生の中に,高速道路から見えた白亜の大きな建物が点在しており,そのすべてが MoPH の建物です.

 私たちはその中の一つ,疾病管理局(Department of Disease Control)の建物の前で車を降りました.8階建ての建物は北館が疾病管理部,南館が非疾病管理部だけで使われており,前者はマラリア,デング熱,フィラリアの感染症を中心に,後者は心臓発作,タバコ問題,ガン予防,ドラッグ防止,交通事故などを担当しています.

 建物の中に入ると,玄関ホールに掲げられた国王の写真が目に留まります.建物の中は,外の暑さとは一変して,開放的な建築構造のため心地良い風が通り抜けていきます.中庭に出ると各階すべてのテラス一面にブーゲンビリアの花が美しく咲いているのがみえます.

 1階のエレベーターホールには,マラリアの原虫を運ぶハマダラ蚊(Anopheles)の巨大な模型が二体置かれていました.白黒のボディに毛がボソボソと生えており,長い口針がニョキッとみえます.コイツがマラリアを運んでくるのかと思うとゾッとします.守衛のお兄さんは,突然ドヤドヤと入ってきて,代わるがわるに蚊の模型の前で記念撮影をする騒がしい外国人グループの乱入には何もいわずに,モゾモゾとはにかんでいました.

アーキテクチャー 保健・医療・福祉 第127回

財団法人日本心臓血圧研究振興会附属 榊原記念病院

著者: 高木義寛

ページ範囲:P.588 - P.594

移転に至る経緯と概要

 榊原記念病院は,1977年,故 榊原 仟しげる博士の循環器医療における功績を記念して,渋谷区代々木の地に設立された.その後四半世紀を経て患者数の増加に伴い,施設が手狭になってきていた折,府中市の『調布基地跡地利用計画』により,幾重もの審査を経て,誘致された.府中に移転し,2003年12月,320床の病院として新たにスタートした.

 ●病院の性格

 大きく三つの特色がある.①循環器の専門病院として国際的に高い水準の病院.②地域医療においてゲートキーパーとしての役割を果たす(循環器以外の患者も受け入れ,一次対応をしたうえで,連携する病院に紹介する).③災害時医療支援病院として災害時に3日間,インフラの破壊に対しても医療を遂行できる能力を持つ.

 なお,「循環器の救急患者に対しては,365日24時間救急対応(3次救急)を行う」という大方針がある.

 ●施設概要

 病床数は320床(循環器専門病床:250床,一般病床:70床)となっている.

 施設構成は 〔1階〕 には,外来診察,画像診断,救急,心臓リハビリテーション,および厨房,中央倉庫等の管理,サービス部門を配置した.

 〔2階〕 は手術室4室(各室約70m2),ICU20床,カテーテル室3室(将来用に1室追加可能),CCU12床,準 CCU18床を設けた.手術室から ICU へ(外科系),カテーテルから CCU へ(内科系)という具合に緊密に連携し得るゾーニングとした.両ゾーンの中央にスペースに余裕のある患者家族待合を配置した.

 〔3階〕 は管理部門とし,医師,看護師,事務系職員が一つのオープンルームで業務を遂行する「スタッフセンター」,循環器専門領域の研究交流の場である「榊原ホール(300席収容)」,全館に網羅された POF(プラスチック光ファイバー)の中心「情報サーバー室」等を配した.〔4・5階〕 が病棟で,4階は循環器成人(38床),総合救急(30床)を中心に4看護単位,5階は小児 ICU(22床)循環器小児(32床)等4看護単位からなる.〔6階〕 は専修医宿舎(47室)になっている.

 構造は RC(鉄筋コンクリート)造6階建で免震構造になっている.他にエネルギーセンターが別棟としてある.

リレーエッセイ 医療の現場から

共に考え,共に歩む

著者: 岡崎渉

ページ範囲:P.597 - P.597

「どうも色々とお世話になりました.おかげでさまで良くなりました」と笑顔で作業療法を卒業される患者さんを見送ることは,とてもうれしいものである.ただ,その 〔おかげさま〕 というのは,患者さんが 〔自分のおかげ〕 ということも多分にあるということに気づく方は意外と少ないのではないだろうか.状態が良くなったのは,つらい時期を経ながらも,患者さんがもともと持っている自分の力で良くなった部分がとても大きいのではないかと思う.もちろん医師や看護師,その他のスタッフの果たす役割を抜きに考えることはできないのではあるが.

 私は総合病院に勤務する精神科の作業療法士であり,主にうつ病,そううつ病の患者さんを対象とするリハビリテーションに携わっている.患者さんの生活の再構築を支えていくのが作業療法士としての役割であるのだが,患者さんに世話を焼き過ぎるようなことがあれば,それはスタッフの自己満足にしか過ぎない.患者さんが自分で考えたり,自分でできることまでスタッフが手伝うとすれば,それは患者さんの自立する力を奪い取っているといえる.患者さんの自立に向けた援助を行う際,リハビリテーションは場合によっては厳しい場になることもある.そのような時も患者さんのそばにいて,ともに考え,ともに歩みながら,患者さんが行く方向を誤らないように,より良い方向に進めるよう良いコーチでありたいと思う.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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