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特集 スピリチュアリティと病院
スピリチュアリティへの医師の関わり―医療化を超えてナラティブ・ベイスト・メディスンへ
著者: 辻内琢也1
所属機関: 1早稲田大学人間科学学術院
ページ範囲:P.544 - P.548
文献購入ページに移動「よく病棟でトラブルを起こすあの患者さん,やっぱり性格の問題だね」
「あの患者さんが良くなるには,生活習慣を根本的に改める必要があるね」
「あの患者さんはまだ自分の病気/死を受容できてないみたいだね」
第一の言葉には,その患者を取り囲む医療者を含んだ様々な人間関係の相互作用や,病棟や病院といったシステムの複雑な問題,あるいはその個人が歩んできた長い人生の苦悩を棚上げにして,問題を「性格=パーソナリティ=人格」という個人の問題に還元してしまう危険性が隠れてはいないだろうか.
第二の言葉には,生活習慣という個人の日常生活,広く取れば個人の人生の生き方まで含めて,患者として望ましい方向,すなわち医療者にとって管理しやすい患者像へと修正すべきだという意味がみて取れないだろうか.「自己管理=セルフコントロールの必要性」という一見良さそうな言葉の背景には,病気を個人の自己管理不足という自己責任に還元しようとする志向性が存在するのである.
第三の言葉には,病気や死は受容されるべきものという前提がある.しかし,病気を苦しみ悶えること自体に価値はないのだろうか.病気や死に直面するということは並大抵の経験ではない.にもかかわらず,自分の死にも直面したことのないような多くの医療者が,目の前に苦悩している病者の死の受容うんぬんを口にするということは,病者への礼を欠いた言動ではないだろうか.
性格の問題,生活習慣の改善,病気の受容,このような病者を評価し判断する視点は,客観的・科学的であれと教育されてきた医療者が取りがちなパターンといえよう.この,ある種超越的な第三者的立場からみてしまうパターンは,病者の身体に対してだけでなく,心の状態,さらには生活や人生,生と死のありさまといったスピリチュアルな領域にまで拡大してしまう危険性がある.これらの言葉は,患者個人の人生史(Life History)に,第二者として共感的にコミットメントしている医療者の口からは決して出てこない言葉だと思われる.
本稿では,スピリチュアリティに関わる医師として陥りがちな危険性をふまえ,そのうえで,それを克服する視点を提示したい.
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