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雑誌目次

雑誌文献

病院66巻10号

2007年10月発行

雑誌目次

特集 病院空間とまちづくり

巻頭言

著者: 広井良典

ページ範囲:P.817 - P.817

 本号の特集では,「空間」という視点からこれからの病院のあり方を探ってみたい.空間という場合,それには2つの側面がある.1つは病院内部の空間であり,もう1つは病院を取り巻く空間,すなわち地域コミュニティや「まち」の全体である.

 大きな時代の潮流を確認してみよう.疾病構造の変化や高齢化の中で,病院は単なる治療の場ではなく,それ自体が癒しの効果をもった空間であることが求められるようになっている.患者のストレスを増幅させるような病院の内部空間では,特に慢性疾患の場合,かえって病気の悪化を招くということさえありうるだろう.

患者に魅力的な病院空間とまちづくりに魅力を与える病院

著者: 中山茂樹

ページ範囲:P.818 - P.821

健康を支える施設と病院デザイン

 病院建築は自宅で看護・介護・療養ができない人々を施設に収容し,24時間の生活管理を行うことを目的に建てられた建物であった.考えてみると老人ホームなども,住み慣れた自宅での生活を継続したいのに,介護の手が足りない,環境が高齢者の行動特性にあっていないという理由により,移り住むものであろう.こうした種類の施設が魅力的なものになりうるのだろうか.

 世の中にある“施設”と呼ばれる建築物には多くの種類があるが,学校にせよ美術館にせよ,その中で行われる行為を期待して訪問するばかりでなく,行けば楽しい,安らぎのある快適な空間が待ち受けてくれるから訪問する,という施設は多くある.しかし医療施設や福祉施設は,そもそものスタートからして分が悪い.本当は訪問したり滞在したりしたくない施設なのである.少々汚くて不便でも,腕のよい医師がおり,親切な看護師が面倒をみてくれ,高級な医療機器があると言う風評があるならば,それが病院の魅力であり,建築空間の質の良否が患者の口の端に上ることは珍しいのではなかったろうか.

癒しの空間としての病院―建築の視点から

著者: 辻野純徳

ページ範囲:P.822 - P.827

 病院の空間はすべて癒しの空間であるべきで,少なくとも患者に害を与える空間であってはならない.しかし,その姿は各時代の生活環境や医療を映し,変貌を遂げてきた.イタリア・フィレンツェのシエナ大聖堂前にあるサンタマリア・デッラ・スカラ病院を見学したことがあるが(9世紀に巡礼者や困窮者のための施設として,10世紀からは病院として15世紀まで増改築をくりかえし完成,市立病院ができるごく最近まで使われていた.大聖堂広場に面した長いファサードの一部がサンティッシマ・アンヌンツィアーリ教会(13世紀)となっている),病室はナイチンゲール病棟のようなベッド配置で,枕元に窓はなく,足元正面に窓があるだけ.お世辞にも快適と言えない.しかしその時代には,ここに入れば医療や看護が受けられる天国であったに違いない.

 大正12年倉敷中央病院の設立に際し大原孫三郎が「病院らしくない明朗な病院」づくりを命じたのは,当時の病院が病院臭さの漂う精神的な重圧のかかる場所であったためと第二代理事長大原總一郎は述べている.当時「別荘かホテルの如く」と評された,癒しの空間を持つ倉敷中央病院も,その後の増改築で第一病棟が竣工した1975年や外来棟が竣工した1981年の時代と,25~30年経った現在とでは,環境の快適性やプライバシーへの考えもより厳しく問われるようになり,かつての「ホテルのような病院」から「病院らしい病院」を求めることが必要となった.

 そこで,本稿では癒しの空間としての病院を,建築家の立場から,筆者が増改築に携わった倉敷中央病院を中心に,事例を挙げて考えてみたい.

“癒し”としての病院の緑

著者: 浅野房世

ページ範囲:P.828 - P.832

 筆者は植物介在(園芸)療法に関して教鞭をとっている.植物介在(園芸)療法とは,患者のセラピーとして植物を用いるものである.筆者の研究室には「具体的にはどのようなものか?」「どのようなエビデンスがあるのか?」「対象者は?」などなど,多くの質問が寄せられる.それらの質問に対して,「植物介在(園芸)療法は“人間の緑を恋う本能に基づく療法”である」と本質的に答えているため,質問者はますます理解できないようである.そこで本稿では,もう少し丁寧に「人間は緑を求めているのか?」を論じ,そのうえで具体的な緑の癒しを実施した病院事例を提示し,それがどのような効果を患者,職員,近隣市民に提供したかを記述したい.

高齢期における医療と地域コミュニティ

著者: 井上由起子

ページ範囲:P.833 - P.837

 高齢になると急性期医療と高齢者ケア,双方との接点が増す.両者の提供システムは大きく異なるので,一括して地域コミュニティとの関わりを論じるのは難しく,この点を整理することから始めてみたいと思う.


選択と集中

 自宅の横に都内有数の急性期病院がある.隣に住む高齢の叔母が腕に痛みを覚えて外来を受診したところ,小一時間ほど離れた場所にある別の急性期病院を紹介され,夏の終わりに簡単な手術を行った.在宅医療に熱心なクリニックが近くに開設したこともあり,わが家は横にそびえ立つこの病院を治療目的で利用することはほとんどなくなった.けれど,接点は多い.叔母は地域活動の打ち合わせで喫茶を利用するし,院内コンビニや院内郵便局にも立ち寄る.病院主催の地域まつりは楽しみの1つでもある(写真1).また,敷地内の庭園も素晴らしい.さらに,高額ではあるがここの人間ドックはかなり魅力的だ.いずれは息子が通う地元の小学校で,医療に関する教育活動をしていただけるだろう.もちろん救急や災害の際には,すぐ駆け込めるという安心感もある.

 一方,手術をお願いした病院とのつきあいはどうなるのだろうか.たぶん,完治によって関わりはなくなる.わが家は適切な医療を受けることのみをこの病院に求めている.大都市の急性期病院における患者と病院との関係は,多かれ少なかれそういうものではないかと思う.

医療と健康のまちづくり

著者: 松永安光

ページ範囲:P.838 - P.840

人口減少時代のまちづくり

 21世紀に入って,わが国の,特に地方都市では人口減少に伴うさまざまな現象が顕著に見られるようになってきた.中でも際立っているのが中心市街地の衰退で,シャッター街の蔓延は象徴的現象として広く知られることになった.この原因として,郊外巨大ショッピングセンターとの競合が喧伝され,結果的に2006年,いわゆる「まちづくり3法」の改正が行われたと言われている.その意図するところは,これまで郊外へ向けて拡大・成長を続けようとしてきた施策のベクトルを,都心部へ向けて縮小・集中させる方向に転換させるものであった.つまり,これまでの成長幻想に終止符を打ち,現実的なコンパクト化をめざす施策がようやく採用されたのである.

 私は,これに先駆け2001年に,欧米先進諸国における都市のコンパクト化の実態調査の研究に国の科学研究費の申請をし,さいわい交付を受けることができた.その後さらにある財団から継続研究資金の補助を得て,結果的に5年間にわたる調査研究をまとめることになった.この成果は,すでに『まちづくりの新潮流―コンパクトシティ・ニューアーバニズム・アーバンビレッジ』(彰国社,2005年)として一部発表してあるが,今秋にはその続編として『地域づくりの新潮流―スローシティ・アグリツーリズモ・ネットワーク』(彰国社)を刊行する予定である.ここで研究対象とした先進諸国は必ずしも人口減少が顕著なわけではないが,国家や地方政府の財政赤字,地域格差の拡大,年齢構成の高齢化などの面ではわが国と共通する課題を抱えている.

【コンパクトシティ事例】

―青森県青森市―コンパクトシティと医療施設立地

著者: 山本恭逸

ページ範囲:P.842 - P.846

 戦後復興,さらに高度経済成長を突き進む中で,都市近郊の農地をつぶしては宅地開発を進め,市街地が拡大するという光景が全国至る所に見られた.都市の外延的拡大である.戦後日本の郊外化の推進力となったのは,なによりも人口増加という圧力であった.

 市街地拡大の推進力となったもう1つの要因は,モータリゼーションの普及である.といっても,これは地方圏での話で,大都市圏では鉄道会社による新線建設と沿線開発とが同時に行われてきた.このことはまた,公共交通の水準が大都市圏と地方圏とでは大きく異なることにもつながった.

―山形県鶴岡市―旧市立荘内病院移転に伴う土地利用施策

著者: 今野昭博

ページ範囲:P.847 - P.849

 鶴岡市立荘内病院(写真1)は,平成15年7月に中心市街地のわずか400mしか離れていない場所に,まちなか移転した.これは鶴岡市の政策である「中心市街地への都市機能集積」,いわゆる「コンパクトシティの取り組み」の一環である.


市立病院まちなか移転の考え方

 平成3年の市議会荘内病院建設等特別委員会で,市民の声を受け大型駐車場を完備した新病院の郊外移転要望が協議されたが,①高齢通院者の交通利便性の配慮,②公共機能は中心市街地に集積し,まちの活性化を担う,という考えがまとめられた.もちろん,新病院移転に関しては,建設費用等を比較した財政調査(表)を行い,まちなか移転が郊外移転より僅差の5億6800万円(2.7%)事業費が増加する結果となったが,最終的にまちなか移転を選択したのである.この根底には,「今ある都市機能は外には出さない」,「新しく作る都市機能はまちなかに」,「郊外に出た都市機能はまちなかに」という市の政策理念があった.後に,本事例が今般の「まちづくり三法」見直しの,国土交通省「都市機能まちなか立地支援策」に繋がったと考えている.

―長野県飯田市―商都から生都へ

著者: 粂原和代

ページ範囲:P.850 - P.852

 飯田市(人口10万7,000人)は長野県の南部に位置し,南アルプスと中央アルプスに挟まれた「伊那谷」の中心都市であり,周辺14町村が1つの生活圏域を形成している独立した生活圏域である.

 市域の中ほどを流れる天竜川の平地部から,河岸段丘,山裾に広がる農地,そして山地深く集落が入り込み,変化に富んだ地形は四季折々の自然景観が美しい.城下町として栄え,江戸から明治の時代は信州第一の経済都市・商都でもあった.水引などの伝統工芸をはじめ地場産品と海産物等の交易も盛んで,生産地・商都の機能として繁栄したが,その後,近代産業の発達とともに道路,鉄道の遅れた当地は次第に取り残されることとなった.1980年代に入り,東京~名古屋間の中央自動車道路が開通し,相前後してモータリゼーションをはじめとする近代化の荒波を受けることになった.

 産業面では,農業(果樹,野菜,畜産等),工業(電気精密電子等の近代工業と水引工芸,食品等の地場産業)に加え商業と,農・工・商バランスの取れた地域である.

 また,文化面では多様な伝承文化に加え,29回を数えるわが国最大規模の「人形劇フェスティバル」,19回を重ねる「アフィニス夏の音楽祭」があり,昭和22年に中心市街地の大半を焼失した大火からの復興シンボルとして街の中心で育てられているりんご並木(写真1)とともに,「人形劇の街」「りんご並木の街」として全国に名を知られている.

グラフ

家庭的な温もりのなか最高の医術を 受け継がれてゆく創立の精神―財団法人 倉敷中央病院

ページ範囲:P.805 - P.808

家庭的な温もりと最高の医術

 大正12(1923)年6月創立.創立者である倉敷紡績社長の大原孫三郎氏は,「(患者の)治療本位」「病院くさくない明るい病院」「東洋一の理想的な病院」という3つの設計理念を打ち出した.赤瓦に白い壁,緑の温室をもつ当院の開院を,当時の中国民報は「病院の芸術化―別荘かホテルの如く病院に在るの感なし」と紹介している.

 孫三郎氏は,孤児院設立運営に生涯を捧げた石井十次氏に多大な影響を受けた.「社会から得た財はすべて社会に還す」を信念に,大原社会問題研究所,大原農業研究所,倉敷労働科学研究所など,数多くの社会的事業を興し,そのいずれもが名前や形を変えつつも現在まで受け継がれている.そして社会問題解決の基礎は健康にあるという考えと,流行性感冒が蔓延した際の地域医療の不備をみかねて「家庭的な温もりのなか最高の医術を一般に提供する病院」を目指して当院を開設した.

連載 ヘルスケア環境の色彩・照明・10

照明5 患者視点でつくる光環境

著者: 手塚昌宏

ページ範囲:P.810 - P.811

安らぎと開放感を与える病室の照明

 病室は入院患者が最も長時間いる空間であることは間違いない.患者が病院のアメニティを考える際に,病室環境は関心の高い項目である.そして,病室の快適性を考える際に患者が最も高い関心をもっているのが光環境であることを再認識しなくてはならない.

 まず大切なのは,自然光がどのように病室に入ってくるかである.不快なまぶしさや熱感を感じさせない自然光が,それぞれのベッドに入ることが望ましいのは言うまでもない.多床室の場合,廊下側は自然光の入り方が悪くなる.したがって,質のよい全般照明が各病床に対してまず必要になる.以前イギリスのPFI最大級という病院の建設現場を視察した時,その病室の天井には照明器具がなく,天井への間接照明と患者の手元への光が一体になったブラケットが壁に付いていた.「患者の視点で考えた場合,必然的に天井が優しく明るいこのような照明になった」と設計者が説明していたことを思い出す.病室に対するこのような照明の考え方は,現在,国内でも海外でも同じである.

医療ソーシャルワーカーの働きを検証する・17

退院援助と受診受療援助

著者: 大垣京子

ページ範囲:P.854 - P.857

 医療の機能分化が進むにつれて医療ソーシャルワーカー(以下,MSW)の業務は,連携を行うための退院援助が主になってきている.病院は,医療を含めた生活支援を行うことで,はじめて地域の人々の信頼を得られる.人々の生活には,保健・医療の問題だけではなく,経済的問題や家族調整などの社会心理的問題が絡み合って存在するために,このような病院は,MSWが福祉と保健・医療の橋渡しを行うことで,人々の信頼を得ることができる.今回,二つの事例を報告し,地域医療の中核病院におけるMSWの役割について述べる.

職場のメンタルヘルス・7

経営をめぐる院長の悩み

著者: 武藤清栄 ,   村上章子

ページ範囲:P.858 - P.863

医療費の微増とそれどころではない現場の事情

 厚生労働省は,2006年4月の改定で医療機関に支払う診療報酬を過去最大の3.16%引き下げたにもかかわらず,2006年度の医療費が32兆4,000億円で,前年度よりも約400億円増えたことを明らかにした.これは,医療を必要としている高齢者などの数が増え,調剤費が嵩んだためである.小泉政権以降の改革路線は,医療の領域では確実に壁にぶち当たっている.

 一方医療の現場は,相変わらず医師不足や看護師不足に悩まされている.厚生労働省の諮問機関である「中央社会保険医療協議会(以下,中医協)」は,診療報酬の2008年度改定での主な検討項目を発表した.具体策としては,①開業医の夜間診療や往診の報酬を引き上げ,勤務医の過重労働の負担を軽減すること.②産科,小児科の診療報酬を手厚くすること.③医師の労力を減らすためにカルテ管理等の事務作業を代行するスタッフも,診療報酬の評価対象にすること.④地域の中小病院が緊急入院や短期入院の患者を受け入れやすくするために,診療報酬の算定を考え直すこと.そして,これらの病院が地域医療のネットワークの中核になることなどを打ち出す予定である.

 こうした背景には,2004年度に医学部での卒後臨床研修が必修になったのをきっかけに,地方の医学部卒業生が大都市に流れる傾向が強まり,医師が地元に留まらなくなったこと,また病院での過酷な勤務条件やそれによる医療事故,訴訟などのリスクを回避するために,病院を辞めて診療所を開業する医師が増えたことなどが挙げられる.その結果は,過疎地の病院の増加,少子化の影響や経営難,過重労働などによる小児科医や産婦人科医の減少となり,病院によっては診療科を閉鎖したり,産科や小児科の取り扱いを休止したりする動きが出てきた.

鉄郎おじさんの町から病院や医療を見つめたら…・1【新連載】

患者は医者をかえられても医者は患者をかえられない

著者: 鉄郎

ページ範囲:P.864 - P.865

 ネバーギブアップで治療に挑戦する時代から,どこで治療を打ち切るかを考える時期に入ってきた.それを進めるカギは,治療を受ける側である市民の判断だ.そうは言っても,年間死亡者数の8割以上が病院のベッドで最期を迎える今日の状態では,私たち市民はその尺度をどこに置けばいいかわからない.急変が起きた場合,心臓マッサージか延命措置か,と聞かれても判断の尺度を持たない.死の臨床を知らないからだ.この連載では「フレンチドレッシング(対話)」をコンセプトに,「医と民との役割分担」を問いかけていきたい.その原点にあるのは,個人的なことだが,「妻の死,その在宅での看取り」である.

病院管理フォーラム ■医療経営と可視化・1

可視化の考え方

著者: 真野俊樹

ページ範囲:P.866 - P.868

 「医療経営の内容が不透明である」従来から言われてきた点である.今回の連載では,済生会宇都宮病院,済生会吹田病院,福井県済生会病院,済生会新潟第二病院の参加協力4病院における,平成17年度(平成17年4月1日から平成18年3月31日)の財務諸表を含む各種数値情報,役職別階層ならびにDPCデータ(様式1),および平成17年7月から平成18年3月の急性心筋梗塞に関する臨床指標数値データを基にして,可視化の具体例について連載形式で紹介したい.

 今回はその第1回目であるので,可視化というものの考え方を紹介したいと思う.

■医事法・6

医療水準と医療慣行

著者: 植木哲

ページ範囲:P.869 - P.871

●慣行と注意義務

 今日の社会(近代社会)は,人に法的責任を課する前提として,加害者や債務者に帰責の根拠を必要とします.したがって,被告に民事責任を負わせるためには,加害者に過失(注意義務違反)のあること,債務者に責めに帰すべき事由(債務不履行)があることが必要です.

 帰責の基準が刑罰法規や行政法規として事前に決められていれば明確ですが(道路交通法など),一般にこのような直接の規定は少ないのです.このため,過失や帰責事由をめぐっては当事者間で争われることになり,裁判所において法の解釈の問題として処理されることになります.

 われわれは事故の防止や事務処理等において,常に新しいことを試みることは意外と少なく,多くは過去の経験や実績に基づき,一定の措置を慣行(習慣)とすることが多いと思います.こうした慣行や習慣は,注意義務違反や帰責事由とどのように関係するのでしょうか.

 一般に,事故防止に役立つ設備・装置等が一般化していない場合,慣行に従って行われた行為は注意義務違反と評価されるのか,また,事務処理等において簡略化した措置が広く用いられている時,慣行通りに行ったことが事故防止の注意義務を怠ったことになるのかが争われます(山田卓生「注意義務と慣行」判例タイムズ441号32頁,1981年7月15日).今回はこれを医療慣行に即して議論することにしましょう.

医療動向フォーラム ■DPCの今後を予測する・3

DPC病棟と非DPC病棟の棲み分けや診療報酬のあり方(1)―10年後の3つのシナリオ

著者: 高橋泰

ページ範囲:P.872 - P.873

●日本DPC協議会の基本スタンス

 現在多くの医療関係者は,「DPC病院≒急性期医療を担う病院」として国が急性期医療を担う病院を選別し始めていると感じ,「DPCに参入しなければ,将来的に急性期医療を行えなくなるかもしれない」という漠然とした不安を抱いている.その結果,2007年度のDPC準備病院の募集において国が当初DPC病院と想定した「地域の基幹となる急性期病院」に該当しないと思われる多くの病院が,準備不十分のまま調査への参加を表明したようだ.

 一方,DPCに参入していないが,一般病床を継続して運営したいと考えている医療機関も,日本の医療提供体制の今後の展望が不鮮明であり,不安を感じている.国は早期に,少子高齢化社会を睨んだ10年後,20年後の医療提供体制のビジョンを医療機関に提示すべきだろうが,医療提供者側も国や社会に対して,医療機関側が将来的な望ましいと思われる医療提供体制のビジョンを提案することも大切であろう.

 このような時代背景を踏まえ,今回日本DPC協議会は政策提言部会〔部会長:松木高雪新日鉄室蘭総合病院副院長〕を立ち上げ,「DPCのあるべき姿への提言」を作成した.今回の提言の基本姿勢は,医療の質を保ち,医療の効率化,透明化を推進するという国が目指す政策の推進に貢献するものであるが,実施された場合,他の選択肢が実施される場合より現場の混乱が少ないDPCの改定案を提言するということである.

■「患者さま」を考える・後

脱「患者さま」に向けて

著者: 松尾佳津子 ,   田原孝

ページ範囲:P.874 - P.875

●〈姓+さま〉という呼び方

1.「患者さま」は誤解から?

 「患者さま」ということばの問題を論じる際,峻別すべき観点は,「患者」という語に付ける敬称を議論したいのか,「患者の固有名詞」につける敬称を議論したいのか,という点だ.

 前回に論じたように,筆者は「患者さま」という語の存在に懐疑的な立場であるが,そもそもこの「患者さま」ということばが,誤解によって医療従事者に意識され始めたのではないかという,次のような指摘はたいへん説得力がある.


「患者様」という表現は,1990年代後半に,民間病院で始まり,「医療もサービス業」という経営コンサルタントらの意見もあって徐々に拡大.2001年に厚生労働省が指針で,「患者の呼称は,原則として姓(名)に『様』を付ける」ことを当時の国立病院に求めたことで一気に広まったようだ.

アーキテクチャー 保健・医療・福祉 第153回

名古屋セントラル病院

著者: 相川裕行

ページ範囲:P.876 - P.881

 昭和27年に建設されたJR東海総合病院は,老朽施設の更新として新築移転が計画され,「名古屋セントラル病院」という全く新しい病院として生まれ変わった.プロジェクトを始めるに際し,コンセプトとして掲げられたのは,3大成人病(心疾患・脳血管疾患・癌)の治療と予防医学の充実を軸にした高度先進医療の提供と,全室個室による療養空間の充実であった.また,安全性と利便性の高さを兼ね備えるために,免震構造とライフラインの多重化による災害時の安全性の確保と,電子カルテシステムの全面採用による院内情報の電子化が計画された.

 建築計画を進めるに当たっては,高度な機能を効率よく建築的に納めるとともに,新病院の理念である「患者さまの立場にたった,安心で,快適な,まごころのこもったサービスの提供」に基づき,患者中心の建築空間の実現に向けて,発注者と設計者が議論を重ね,アイデアの積み上げを行った.

リレーエッセイ 医療の現場から

入院患者のコンサルタントを―合併症患者のために

著者: 矢野俊之

ページ範囲:P.883 - P.883

私の病院歴

 糖尿病のために私は20年以上,病院での検査と治療を受けている.この間三度の教育入院を経験し,ある大学病院の女性教授から「三度も教育入院するなんて,ダメな人ね」と宣告された.その通りで,強固な意思と実践力を欠いた人間だと自ら認めている.

 そのような克己心のない患者への天の見せしめなのか,一昨年舌がんになり,半年間に二度の入院と手術を二つの大学病院で経験することになった.最初のA大学病院の手術が不十分であったらしく,リンパ節転移を来したので,別のB大学病院で放射線治療と再手術を受け,計100日間入院した.以前の軽い脳梗塞による入院と合わせてこれまで六度の入院生活を経験し,健康保険に大きな負担をかけてきた一人である.舌がんのほうは退院して,今のところ幸いにも異常はない.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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