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文献詳細

雑誌文献

病院69巻4号

2010年04月発行

文献概要

特集 医療の拡大がもたらす社会の厚生―医療費亡国論再考 【論文集】適切な医療の拡大がもたらす社会の厚生

医療を産業として捉えること

著者: 藤本康二1

所属機関: 1経済産業省 商務情報政策局 サービス産業課

ページ範囲:P.275 - P.279

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■経済とは何か

 経済とは何か.人間が生きていくうえで,ロビンソン・クルーソーのようにすべてを自給自足的に行っていくことは可能かもしれない.しかし,生きていくための仕事を分業することで,個々の人間がより効率的に人生を過ごせる可能性がある.分業方式では,何がその社会で分業に値する仕事であるかが重要になる.それは時代,地域により異なるだろう.極論すると,北国では大切な雪下ろしは南国ではおよそ分業の対象にならない.医療が社会に不可欠な技術であるということは論を俟たないとしても,その技術が社会に提供するサービスの内容は,社会とともに変化すると考えられる.医療が社会の中で,いかなる分業を担うのかということである.

 「日本の医療が崩壊しつつある」「現場の過酷さ」等々の報道が目を引くが,一体何が本質的に問題なのだろうか.様々な産業の発展や後退,個別の産業界の実情を参考にしつつ,日本の医療を上記のような経済活動の分業の1つではないかという視点から眺めてみたい.医療が社会のコストセンターであるという考え方は,本来は存在しないほうがよいというスタートの議論である.よく笑い話的に言われることに,日本人は温泉も含め風呂が大好きだが,米国人は風呂と食事はできればさっさと済ませてしまいたい,いわゆる生活のコストセンターと考えるという文化の相違がある.もちろん,背景には気候風土の相違等があるのだが,米国人の考え方では温泉旅館などは存在し得ないだろう.産業,すなわち分業の1つとして考えるか,社会のコストとして捉えるかは,もしかしたら心の問題かもしれない.しかし,社会の皆がどのような心持ちで医療に接するのかは,医療を取り巻く諸制度,患者や消費者の態度が医療の行く末に大きな影響があるように思う.東西ドイツなどの歴史を見れば,考え方,システムの差は,そもそもの出発点でも極めて大きい差となって現れるのではないだろうか.

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1383

印刷版ISSN:0385-2377

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