文献詳細
特集 災害と病院
【災害支援のあり方】
文献概要
1995年に発生した阪神・淡路大震災では,初期医療体制の不備が問題となった.被災地内ではライフラインが途絶し,医療機関の多くは機能を失った.この地震では救命医療が必要な急性期において,現場に駆けつけることのできた医療チームの数は少なく,航空搬送も十分に行えなかった.平時の救急医療が提供できていれば救えたはずの命,いわゆる「防ぎえた災害死」が500人以上存在したことが,複数の研究者から指摘された.
阪神・淡路大震災の後,厚生労働省(以下,厚労省)を中心に災害拠点病院,広域災害救急医療情報システム(EMIS),ドクターヘリなど様々な事業が導入された.しかし,2004年に発生した新潟県中越地震では,急性期に被災地内で救命医療を提供できる医療チームが十分とは言えず,その必要性があらためて認識され,日本DMATが誕生する契機となった.
阪神・淡路大震災の後,厚生労働省(以下,厚労省)を中心に災害拠点病院,広域災害救急医療情報システム(EMIS),ドクターヘリなど様々な事業が導入された.しかし,2004年に発生した新潟県中越地震では,急性期に被災地内で救命医療を提供できる医療チームが十分とは言えず,その必要性があらためて認識され,日本DMATが誕生する契機となった.
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