icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

病院7巻4号

1952年10月発行

雑誌目次

--------------------

病院の進歩

著者: 本名文任

ページ範囲:P.2 - P.4

1.病院の性格
 "病院"という文字の起原については,私はまだ完全にはわからないが,ドイツ語のKranken-haus (患者の家)というよりも,Hospital又はl'Hôpital又はHospice或はl'Hôtel Dience (神の宿)というような南歐系の言葉が何となく心の駒に感應するものがある。
 然し現代の病院は昔のものとは性格もかわり,病氣に對する診斷と治療,入院患者の看護,それに附随する病院サービス等が主なる任務となり,更に社會的,經濟的或は教育的の要素などが多分に加わつて來た。

綜合病院の精神神經科病室設置の必要性について

著者: 關根眞一

ページ範囲:P.5 - P.7

 最近の新聞紙上を賑わす自殺,尊卑族殺し,次いで青少年の諸問題等その他の社會問題は精神衞生の見地から考究批判される點が多いことは注目すべきことであつて,看過し得ない重要な世相の一駒である。これらの社會問題は社會全般に精神衞生に關する知識と理解が深まれば事前に解決されて,家庭の悲劇も救い得ることもあり得るのであるが,未だ社會全般に精神衞生に關する理解が極めて貧弱なために,かかる社會問題が眞劍に考慮されずに,一時の感激にしか取扱われないのである。今後これが對策としては,日常生活に精神衞生の知識を普及せしめ,健全な社會生活を作りあげることに施策を講ぜざれば,平和文化國家の建設というスローガンは全く空念佛に終つてしまうことになるので憂慮に堪えない。
 現在の社會情勢の複雑性は今後ますます深刻化の一途をたどるこどと考えられるので,かかる社會環境に對處する人間生活にあつては,正しい健康法を徹底せしめることが必要であつて,それには是非とも精神の健康を基底として築き上げねばならぬ。しかるに世間一般の常識として,健康と云えば身體の點にのみ重點が置かれて,精神の面に於ける健康に關しては殆んど無視されているといつても差支えないのである。眞の健康とは心身共に兩立した車の兩輪の如きものであつて,いづれを分離しても決して成り立ち得ないものである。

醫學檢査技術學校

ページ範囲:P.8 - P.10

 臨床検査の中央化が病院經營の合理化の上から不可缺の要件であることは,既に誰1人異議を挿む人はないであろう。然し中央化によつて臨床醫師の負擔が輕減され,診療の水準が向上することがわかつていながら,どこの病院でも容易に實行し得ない1つの大きな原因は,技術者の居ないことである。現在の各病院の臨床検査技術員は,陸海軍で養成された技術者が殘つているか,さもなくばそれら技術者によつて手ほどきされた者,或は臨床醫師が自ら検査する餘暇に手傳をさせながら教えた者である。從つて現在の検査技術者の教育の程度はまちまちなのは言わずもがな,技能の程度にも大層な開きがあることをまぬがれない。又自ら究めると云う實力をもたぬ事はやむを得ぬ事である。
 大學病院や大きな綜合病院の如く,無給の醫師をふんだんに持つている病院では,それら若い醫師達が技術者の代用を務めるから,殊更に技術者を傭う必要も感じないが,かかる無給の醫師が居なくて,1人の醫師が多くの病床を持たねばならぬ中小病院及び療養所では,—かかる病院では滿足な検査もしないで診療している處が多いが—,安心して検査を委せられる技術者を要求する聲が多い。

醫研生としでの感想

著者: 針生昌子

ページ範囲:P.10 - P.10

 現在の私は混迷と寂寥との世界に流浪する旅人である。常に苦悩の道を旅する寂しい旅人である。この苦悩,寂寥の因つて來る所域は,「疑惑の數々」を常に持つて居るからである。自己の心の中にいつも何ものかを求めむとする處に,私の迷いがあり,寂しさがある。
 この求めんとする何ものかは「眞理」である。しかしこの迷い,苦しみのさなかにある自分を,ふと果報者だと思つたりする。

中央検査室とインターン生の教育

著者: 小酒井望

ページ範囲:P.11 - P.13

 國立東京第一病院では,昨年度からインターン生は1月づつ検査科に勤務し,それ以上は原則として検査は自分で行わないことになつて,今年も又同樣の計畫で教育が行われている。
 先づ1月間にインターン生がどの樣な検査を實習するかを見てみよう。當院の検査科は次の5つの部屋に分れている。

某私立大學病院のハウスキーパーの任務について

著者: 吉田きよ ,   淸水里都子 ,   松野正德

ページ範囲:P.14 - P.17

I 緒言
 戰後吾國の病院には歐米諸國の例に倣い,ハウスキーパー,がおかれる樣になり,東京に於ては東京病院協會の一部會として,ハウスキーパー協議會が設けられ,原素行1)先生の指導の元に既に昭和23年8月以來度々會合が續けられ,會員相互の質的向上が計られているのである。
 病院とは云うまでもなく患者に對してはホテルと醫療の兩面のサービースが必要となるところである。特に近代的病院の機能は極めて復雑に分化され,最近の科學的醫術と最高の能率的管理とが極度に要求されている。從つて病院は病院長のコンダクターの元に各機關が一糸亂れざる演奏を行つてこそ始めて病院運營のオーケストラが奏でられるわけである。即ち醫療の質的優秀さは勿論のこと,各機關もそれぞれ優れていることが必要である。その内でも特にハウスキーピングは特別に重要な任務となつている。ハウスキーパーの働きは直接病院の成績に影響するのであり,所謂,クリーン,であるか否かはハウスキーパーの肩にかゝつている。アメリカでは良い病院という言葉にはCleen Hospital (清潔な病院)といわれるということである。とにかく病院は先づ第一に清潔でなければならない。ハウスキーパーの主任務は清潔整頓である。ハウスキーパーとは一體どんなことをするのかという質問がしばしば聞かれる。それにはいつでも一家に例えればその主婦或は大家の老女中に相當するのだといわれている。では具體的にはどんな任務があるのであろうか。

入院業務の一考察

著者: 今村榮一

ページ範囲:P.18 - P.22

 入院,退院の業務は病院活動の始點であり終點であり,この線に沿つて病院は動いて行く。この業務を合理化し能率化することは病院の機能を發揮させる上に重要なことがらであることは今さら言うまでもない。しかしながらどうしたら合理化,能率化が達せられるかということはむずかしいことであり,個々の病院の事情も十分考慮しなければならない。わが國においては入院業務の基準というものはいまだ立てられていないし,又あらゆる點で模範とされる病院を求めるのは容易でない。もちろん多くの病院においてはつねに入院業務の改善に心掛けていることは認められ,その實績も逐次あげられて來ている。各病院において實施している良い點を集め検討することは大切なことと思うが,いまだその機會を得ていない。ここでは入院業務のあり方について2〜3の考察を試み,その改善に對してひとつの方向を求めてみたいと思う。

Dr. Moriya's Recordtape.

ページ範囲:P.23 - P.24

 活字とタイプライターの發明は歴史に殘る二大革命であつたが,最近のテープレコーダーはこれにも勝る大革命である。大勢の經營者がすきな時に吹込んだテープから1人のタイピストがまとめて記録に書込む事が出來るとは何と云うすばらしい事か。頭を去來するアイデアを,その場でマイクに吹込む事は從來のペンがない,紙がない,タイプがないで大騒ぎするのを一掃する事が出來る。しかもこのテープは用がすめば何回でも白紙にかへして,再び吹込む事が出來るから氣が樂である。
 病院管理に關するアイデアはいつ浮んで來るかわからない。仲間と議論している時,向うの雑誌を讀んでいる時,映畫を見ている時,あるいは實際に東一で苦勞している時,中にはすぐ出來る事もあり,中には今は出來ぬが,何とかしたい事と思う事もある。何でも吹込んでおいて,自分の參考にし又,人に聽いてもらいたい。案外聞いてる方は樂に出來る事をあろう。要は私のアイデアを1人でも多く知つてもらいたい事である。その内にアイデアが枯乾したらスピーカーを變えましよう。又みんなで吹込んでもよいと思います。

ベツドを檢討する

著者: 橋本寬敏 ,   尾村偉久 ,   守屋博 ,   木下正一 ,   金子光 ,   須古節 ,   小西宏 ,   岡本柳太郞

ページ範囲:P.45 - P.51

〔ベツドは患者中心に考えよ〕
 岡本 病院のベツドは元來病氣を治すのにいくらか役に立つのがいいんじやないかと思つておるんです。現在日本の病院では,全部とは申しませんが,殆んど大部分がベツドを病氣を治すように使つておらないというように私は考えておるのです。病院に入つたがベツドが落込むというので,腰の下に板を入れたという話を私は今迄再三聞かされておるんです。こういう馬鹿げた話は世の中にない筈なんです。それが何處から起つているかということもよく分つております。その第一の理由は病院建設の豫算の割當がこうだからそれを上廻るものは使えないということ,結論的に言えば寢臺に對する豫算が最初から少いこと,それからもう一つは醫者の方々が藥とかレントゲンとかには關心があるが,ベツドにはあまり關心がないという理由のようです。それから更にあげるならば,この問題に對して看護に當られる方々の發言があまり採用されないことで,本當に關係をもたれる方々の關心が少ない,これがうまくゆかない原因のように考えております。聖路加病院のような,アメリカの施設をそのまま移してところのベツドはその全部が惡いということにはならないと思いますが,殆んどの病院のベツドは中だるみをして腰が痛いということを聞きました。この間たまたまある人とお話ししたときに,「病院も結構だけれども腰がだるくて板をしいてもらつている。

病院關係人事消息

ページ範囲:P.54 - P.54

◇馬詰 嘉吉氏 東京醫大附屬病院長加藤勝治教授が勇退されたので副院長の馬詰教授が院長に昇任。氏は大正9年東京醫專校を卒業,眼科學教授として副院長となり加藤院長を援け主として病院經營に當り,本年56歳。
◇武田光太郞氏 久しく國立稚内療養所長であつた氏は,今回都合により同所長を辭し,北海道天鹽郡豊岡村立病院長に轉職された。なお氏は同村立病院公宅に居住。

編集後記

著者: 小西

ページ範囲:P.55 - P.55

 燈火親しむよい時候となつた。これからは患者が段々減るシーズンであるので,開業醫家や病院經營の面からは最良の時ではないかも知れないが,各地にいろいろな學會も開かれ,研究や讀書には大いに拍車のかかる秋である。
 この秋に相應しく本號はなかなか多彩な誌面となつた。前號のあとをうけて,「臨床醫よりみた日米病院管理」座談會は愈佳境に入り,年來の問題である病院と看護婦の質の問題を始め,手術場と外來,レ線や臨床検査法等の在り方,病院に於ける基礎的研究の問題等前回より通して現在我が國の病院が直面している問題を總ざらえした感がある。非常に發言が活溌なために尻切とんぼで意を盡し得ない所もないではないが,時間の割にはよくもあんなに喋つたものだと,あとで感久しうした次第であつた。味讀して頂ければ幸いである。次に,前號で一寸ふれていた懸案のベツドの問題と眞向から取組む座談會をベツド・メーカーと試みたので御紹介することとした。我が國では,直接診療に關係の深い醫療器械については,これを使う側とメーカーの間に氣心が通じあつて逐次改善のあとがうかゞえるが,所謂調度品ということになるとレデイーメードで間に合せるという習慣がある。これは畢境後者については製作上の註文が餘りないということで,結局關心が薄いということになるのかも知れない。

座談會

臨床醫よりみた日米病院管理(下)

著者: 守屋博 ,   橋本寬敏 ,   上中省三 ,   卜部美代志 ,   榊原仟 ,   吉田幸雄 ,   尾村偉久 ,   千種峯藏 ,   木下正一 ,   山下久雄 ,   小西宏 ,   北本治

ページ範囲:P.25 - P.44

看護婦の質の問題
 守屋 次に看護婦の質の問題ですが,戰後教育制度が變つて,大分高い程度の看護婦を要求され又それに批判もある樣ですが……
 上中 アメリカでも看護婦がたりなくて困つているという面は見てきましたが,方々の病院についてみるとナースエード,つまりちよつと短期間の教育を受けて,看護婦の雑用をする。たとえば便器を取りにいつたり食事を運ぶ用事をやる人がある。その他に篤志家がいて,自分の職業はもつておるけれども夕方から2〜3時間を献身的にやろうというんで女なり男なりがきて働くというのがありましたが,手不足という状態を見てきたんです。そういう點でどうもやはりアメリカのあの教育の程度を高くしすぎたために看護婦の志望者が少なくなつてきたんじやないかという聲を聞いたんです。實際はどうか知らないんですが,或は看護婦になるより他に職業についた方が收入がいいという點もあると思います。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?