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雑誌目次

雑誌文献

病院7巻6号

1952年12月発行

雑誌目次

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看護問題の行く方

著者: 金子光

ページ範囲:P.2 - P.6

 人類の智惠がどれ程深まり,科學が如何に進歩しても,人の住むこの地球上から病氣をなくすることは全然不可能だと思われます。病氣のあるところ,常に不快,苦痛,貧困等がつきまとい,明るいたのしい人生は營まれることはないのです。この苦しみを少しでもやわらげ,長い療養期間を幾分でも短縮し回復を早め,病氣にうち勝つ力をもたせる役目をするのが看護なのです。
 "一に看護,二にくすり"の古諺のいう通り,病人の療養に關する世話こそまづ第一の回復への途で,醫療の目的を達するためには重要な役割を占めるものなのです。

病院の理念について

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.7 - P.11

1.近代病院の基本性格
 此所で私が取扱う課題の對象である「病院」なるものの性格について一應考察してみる必要がある。病院が病人を集めて治療する所があるという點については昔から變りはないけれども,その本質的性格については,多少の變遷があつた樣に思う。これは病院の歴史を纜いてみればすぐ判明することであるけれども最初病院がつくられた時には——それは主として宗教的慈善の意志が動機となつていたものが多かつた樣であるが——病人特に貧困であつて身よりない病人を1ヵ所に集めて世話しようという趣旨であつた。例を我が國にとれば,聖徳太子が四天王寺を建てこれに療病院,施藥院をおかれたのも,養老7年(723年)興福寺に施藥,悲田の2院が出來たのも,更に聖武天皇の天平2年(730年)にもつと大きい施藥院が開設せられたのもすべて慈惠病院として貧困の病人を救う爲であつた。
 從つて支配階級を含めて社會の上層部を構成する人々がこれを利用することは決してなかつた。然るに醫學そのものは,ギリシヤ等においては世界や宇宙の構造につらなる哲學的探求の一分野としての純粋な理論的意義をも持つていたけれどもその實際面における活躍は殆んど支配階級に對する奉仕という形をとつて彼等の利益と直結し,その保護奨勵のもとに發達してきた。このことも醫學史を開いてみればすぐわかることであつて古代の醫學史に名をとゞめる大多數の醫師は,王公貴族の侍醫という肩書をもつている。

綜合病院の設計と構造(2)

著者: 小川健比子

ページ範囲:P.12 - P.17

第2章 建物
 先ず,是非記憶しておかねばならないことは,「病院」というものは,單に病室をもつた建物に過ぎないというものでは,決してないということである。病院を造るのに,或る特殊な建築上の外觀を創ろうとして,或る地域の中に無理に諸施設を建て並べる樣なことがあつてはならない。それは,その色々な施設のために,一つの複雑した,又高度にして特長のある夫々の機能をもつた構造物になる樣に,設計されねばならないものである。この點に錯誤があると,患者も醫員も又雇人達もそれに滿足することができず,又設計家や構造家は,自分自身後悔するばかりでなく,人の非難も受けるだろうし,更に,その作業が過剰となる上に後日直ぐ模樣替の經費が必要となつて來る。
 以上のようなわけで,建築家としては,病院の機能に通牒することが絶對に必要であるし,又一方,責任ある委員としては,設計家を不利な立場にする樣な態度で,故意に,その構造物の正確な形式或は形状に就いて,云々する樣なことがあつては斷じていけない。

小兒病棟看護に關する一調査—(第1部)小兒病棟における乳幼兒の日課

著者: 今村榮一

ページ範囲:P.19 - P.23

緒言
 小見病棟における乳幼兒の看護については特殊の事情が存在するが,從來やゝもするとその特殊性が重視されず,わずかに例外的な事項として取扱われていた。歐米諸國においては小兒科病院として獨立してその特殊の事情に應じた管理が行われているのであるが,わが國においては小兒科は綜合病院の一科として存在するにすぎない。そして現在の状況は滿足すべきものとは思われず,1 組織,管理 2 施設 3 看護勤務 4 養護の在り方等種々検討すべき問題のおこるとを認める。
 今小兒科として特徴とされる2〜3の點を考えてみよう。醫學には各分科があるが多くの科は器官の別,或いは疾病の種類によつて分れているが,小兒科は年齢的條件によつてひとつの領域を作つている。小兒看護の在り方もこれと歩を同じくするわけである。

中央材料室「暮しの手帳」

著者: 安冨徹

ページ範囲:P.25 - P.27

 中央材料室の設置が近代病院の一つの重要な要素と考えられるようになつて來たのは,必ずしもアメリカの猿まねではないようです。現在の日本ではどこの病院でも人手特に看護力の不足が甚しいようです。しかし人手不足をお念拂のようにとなえるばかりが能ではありません。一つの看護力を増加させると云うことは,勿論積極的に人員を増加させることが第一ですが,それがむつかしいとすれば,一方に於て現在の看護力を100パーセント,ベツドサイドワークに向けるという道しかありますまい。中央材料室の設置の意義がこゝにあると思います。
 ところが,注射器を洗い,滅菌するという仕事を1ヵ所に集めて見たところで,病室でやつていたのと全く同じ方法でやるのでは人手の總和が1ヵ所に集められたにすぎないわけです。材料室の勤務人員がナースであり,しかもそれを病室のナースの中からぬき出すのだとしたら,病院全體の看護力は少しもふえない勘定です。逆に,ぬきとられた病室はかえつてめいわくを感ずるところも出てくるかも知れません。まあせいぜい,病室の「シンメルブツシユ」の燃料費と注射器のこわれ方が少し減るくらいのものでしよう。

配膳の方式

著者: 島內武文

ページ範囲:P.30 - P.32

 病氣で氣分のわるい患者には随分立派な食事でも箸がつかないものだし,その鹽梅や温度のみならず給仕の時間や皿の配置等にまで氣むづかしくなつて來ているので,配膳にも愼重な心づかいが必要になつてくる。殊に老人等に於ては食慾のすすむか否かが,直ちに生命の豫後に決定的な影響をもつ事がある。しかも少し病氣がよくなつてくると今度は食事一つが樂しみになつて,量が少いとか,少し遲いとかと腹を立てられる事もある。
 病院の給食の特色は1.患者の多くがベツトに居て給仕を要する。2.食養療法上の醫學的考慮を要する。3.病人にとつては嗜好についての一層個人的の考慮を要する。4.ホテル等に比し長期に亙るために献立に一居の變化を要する。5.傳染豫防のための考慮を要する。等であるが,適當の食餌を適時適量適温に間違いなく供給し,心理的にも食慾をそゝるためには,しつかりした配膳計畫を必要とする。

綜合病院設計資料—機能別の各施設とその所要室について

著者: 佐々木圭司 ,   松野正德

ページ範囲:P.35 - P.39

 綜合病院をいざ設立するとなると,いろいろな困難な事情に遭遇する。經費の問題を別にするとしても病院の位置,地勢,年間の風向,風速から雨量,日照,交通状態,食料入手の方法等々各種の調査研究も必要である。これらの事情が一應定まるといよいよ設計にとりかゝる順序となるのである。ところがこの病院の設計ということが建築家にとつては極めて困難な仕事の一つになつているようである。なぜ病院の設計は困難かという理由は云うまでもなくそれ自身が抱含している非常な機能の複雑性が原因をなしているからである。
 外來や入院の患者が病院の玄關から入つて受付に行き所定の手續をしてそれぞれの診察を受け,治療をうけ,入院或は退院を行うこの一連の行動に伴う一切の施設,又入院患者や職員に對する給食,看護婦の寄宿施設,一般の事務,會計,用度,電氣,ボイラー,…等々膨大な各種施設や人員が患者の治療看護のため動員される。この機能の複雑さが即ち設計の困難性を生するのである。

厨房問題を檢討する

著者: 橋本寬敏 ,   守屋博 ,   金子光 ,   島內武文 ,   小西宏 ,   三宅實 ,   伊藤一郞 ,   長谷川泉

ページ範囲:P.40 - P.45

厨房問題の所在は?
長谷川 「病院」の編集會議で單に机上プランでなく,いろいろ實際の現場も見ようじやないかという話がありまして,この前エムプレス・ペツトを見學したわけでありますが,その結果非常に成績がよろしいので,一つ今度は厨房設備を見ようということで歴史の古い伊藤製作所を只今拜見した譯です。伊藤さんから各製品の性能,特長,出來具合,製産工程等先ほどいろいろ説明していただきまして,厨房機械の實際がよくわかつて來たのですが,ここにおいでの方は殆んど全員がアメリカの状態を見て來ておられるので,そういう點から日本の現状と,向うの設備などを比べて見て,こういう點を今後改善して行きたい。あるいはこうしたらよいという風な點が多多あると思います。あるいは先ほどの見學の中からいろいろ問題があると思いますから,そんなことを中心にお話願いたいと思います。最初に伊藤さんから厨房の問題の簡單なアウトラインを話していただきましよう。
伊藤 一言に厨房と云いましてもいろいろありまして概括的に述べるのはちよつとむずかしいのですが,今までわれわれが設計いたしまして一應實際化した點から2,3の經驗をお話し申し上げます。歐米の厨房界の實情,アメリカの厨房界の,いわゆる文化設備の實情と日本の現状では非常に差があると思います。

病院内各個綜合診療所の創設

著者: 森島

ページ範囲:P.46 - P.47

譯者註:米國の開業醫は各箇にオフイスを持ち其專門のみの門戸を張つて診察はしてくれるが治療は普通はしてくれない。患者に取つて不便極まりない。專門が違つたりすると別箇の門を叩かねばならぬ。入院してもかかりつけての醫師は來て診てくれるが,專門が違うと別の醫師を別に呼ぶか又はそこへ行かねばならぬ。そこで下記のような一病院内にある系統が出來て總ての不便を除くことになつた。
 ミシガン州カラマゾールにあるBronsen Methodist病院では醫師の請求に應じ入院を必要とする如何なる種類の患者でも入院出來るよう處置した。

Dr. Moriya's Recordtape

ページ範囲:P.48 - P.49

9.Manufactured weather
先日,病院學會の地方會が日活會館であつて,冷房裝置の實驗と,キヤリヤー會社提供の色付映畫を見せてもらつた時,中川社長の話にMaunfactured weatherという語があつた。
 我々は今世紀になつで實は色々の發明にぶつかつて,完全に自然を征服する樣になつたが,氣候まで自由になるとは大した物だと感嘆したものであつた。云われる通り温度と濕度と氣流を自由にすれば地球といかなるポイントの氣候とでも同じものが出來,同じconditionにおく事が出來る。若し望むならアラビヤの夜の氣候でもアルプスの頂上の空氣でも人工で作る事が出來る。昔から云われた樣に,本當にサンモリツの氣候が肺結核の治療によいものならば,この樣な人工氣候で充分大氣療法が出來る筈である。山の中へ高い給與を出して醫師や看護婦をつれて行く事もないし,汽車にゆられて患者が遠くに行く事もないであろう。しかしこの冷房も何となく自然の力には及ばぬ樣な氣がするのは,考えが古いのであろうか。しかし罐詰料理がいかに榮養があつても何か足りぬ。その足りぬものがビタミンであつた如く人工氣候も何か足りぬ。その足りぬものが發見されるかもわからない。今後の研究にまちたい。

病院關係人事消息

ページ範囲:P.54 - P.54

◇木下 正一氏 東京都千代田區九段3丁目木下産婦人科病院長の氏は,川瀨潔(港區虎の門川瀬病院長)豐島齊一(練馬區豐島病院長)飯野繁治郎(中央医小田原町飯野病院長)佐藤榮七(横濱市佐藤病院長)松澤靖介(山形市松澤病院長)の諸氏と共に教育委員に當選さる。
◇大石 武一氏 國立仙臺病院内科醫長の氏は今次の衆議院議員總選擧に宮城縣2區から立候補し當選された。氏は東北大出身,自由黨前,43歳,衆議員に3回當選,解散前衆議院厚生委員長であつた。

編集後記

著者: 島內武文

ページ範囲:P.56 - P.56

 過去一年間を本欄に活躍された厚生省の小西氏が米國3ヵ月英國1ヵ月の豫定で10月29日羽田を出發,國營醫療の英國事情と共に歐米にわたる病院の管理情況視察の壯途に上つた。この樣にして我々の視野も世界的に擴つてゆく事はうれしい事である。
 終戰後は多くの事が末梢から逆に變えられる傾向があつたために,今日未だにすつきりしないものが多い。これでは眞の向上は難しい。戰前我國の科學工業も甚だ進んでいて化學藥品等も優秀なものであつたが,私は折角この國産品をつかつて,變性のため實驗を失敗した事がある。これは藥だけはよくつても,容器が惡かつたためであつた。この樣に眞に地についた發達でなかつた事もこの大敗戰の原因の一つであつた。今日市井にはびつくりするほど多くのものが外國品をまねて出てきているが,使つてみると耐久力や質に於て充分でないものが多い。病院管理の問題もこの樣に表面のみでなく本質的の向上をはかる事が必要であろう。

「病院」 第6,7巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

グラフ

不具者の生活補導カナダのヴアライテイ村

ページ範囲:P.28 - P.29

 カナダの東方に位置するトロント市の郊外,明るい太陽の光に榮えるリーサイドの丘に,ヴァライテイ村がある。
 此處には不正規分娩兒や,不慮の災害や,疾病などによつて,不具者となつた少年達が教師等の指導のもとに,元氣よく生活を樂しんでいる。彼等は皆,10代の年頃の子供達であつて,各々專門の教師からそれぞれに適した職業教育をうけ,技術の習得に勵んでいる。以下寫眞はこれら少年達の生活斷片である。

抄録

最近の南洋群島に於ける病院サービス—Hospitals. Sept. 1952 p. 52より

著者: ,   守屋

ページ範囲:P.33 - P.34

 南洋群島は數10年にわたつて我國が委任統治していた所であり,住民の生活程度は少くも,我國の山村より下であると考えられるが,此の地に終戰後米國式の病院サービスを與えているのに對する受入態勢がいかにあるかHospitalsの最近の記事は,興味がある。
 南洋群島は300年平方に散布した小さな島に55,000の住民がいるが,1945年の終戰後から1951年の7月まで米海軍によつて管理されていたが,平和會議の後國際連合の委任によつて,内務省の所管の下に高等辯務官が統治している。醫療に關しては前ウタ州大學醫學部長のマーシヤル博士が公衆衞生局長として責任を有している。Koror, Yap, Saipan, Truck, Ponape,及びMajuroの6個所に40床から121床の地區病院が開かれている。此等の病院は,直接はサイパンに常駐する總合病院管理者(著者自身)によつて管理されるが,彼は大部分の時間を巡回に用いている。各病院には米人ドクターが公衆衞生官であると同時に,病院管理者として,責任をとつている。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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