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病院の理念について
著者: 岩佐潔1
所属機関: 1厚生省醫務局醫務課
ページ範囲:P.7 - P.11
文献購入ページに移動此所で私が取扱う課題の對象である「病院」なるものの性格について一應考察してみる必要がある。病院が病人を集めて治療する所があるという點については昔から變りはないけれども,その本質的性格については,多少の變遷があつた樣に思う。これは病院の歴史を纜いてみればすぐ判明することであるけれども最初病院がつくられた時には——それは主として宗教的慈善の意志が動機となつていたものが多かつた樣であるが——病人特に貧困であつて身よりない病人を1ヵ所に集めて世話しようという趣旨であつた。例を我が國にとれば,聖徳太子が四天王寺を建てこれに療病院,施藥院をおかれたのも,養老7年(723年)興福寺に施藥,悲田の2院が出來たのも,更に聖武天皇の天平2年(730年)にもつと大きい施藥院が開設せられたのもすべて慈惠病院として貧困の病人を救う爲であつた。
從つて支配階級を含めて社會の上層部を構成する人々がこれを利用することは決してなかつた。然るに醫學そのものは,ギリシヤ等においては世界や宇宙の構造につらなる哲學的探求の一分野としての純粋な理論的意義をも持つていたけれどもその實際面における活躍は殆んど支配階級に對する奉仕という形をとつて彼等の利益と直結し,その保護奨勵のもとに發達してきた。このことも醫學史を開いてみればすぐわかることであつて古代の醫學史に名をとゞめる大多數の醫師は,王公貴族の侍醫という肩書をもつている。
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