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雑誌目次

雑誌文献

病院70巻9号

2011年09月発行

雑誌目次

特集 地域医療を支える住民の活動

巻頭言

著者: 伊関友伸

ページ範囲:P.653 - P.653

 全国で地域医療の崩壊が続いている.その一番大きな要因が医師不足である.2004年に導入された新医師研修制度を契機に医師の勤務先が流動化し,地理的条件の悪い病院や過酷な勤務状況にある病院を中心に,医師が相次いで退職するという動きが起きた.医師の退職により,診療の制限や病院の休止に追い込まれる病院が続出し,社会問題になった.

 その中で,住民が「当事者」意識を持って,地域の医療を守ろうという動きが出てきている.かかりつけ医を持ち,自分たちの健康や医療についてよく学ぶ.過酷な勤務状況にある医師の負担を減らすために,適切な受診を行おうというものである.このような住民の動きは,着実に広がってきている.

住民が地域医療を支える意義

著者: 伊関友伸

ページ範囲:P.654 - P.657

■全国で広がる医師不足

 全国で,住民が地域の病院を支える動きが出てきている.その一番の要因は医師不足問題である.2004年に導入された新医師研修制度を契機に,大学の医師が急激に減少.大学医局が派遣先の病院から医師を引き揚げる動きが起きた.医師が引き揚げられた病院では,残った医師の仕事の負担が増大し,疲れた医師が退職するという悪循環を生んだ.医師不足で,診療の制限や病院の休止に追い込まれる病院が続出し,社会問題になった.現在,国では,医科大学の定員数を増やすなどの試みが行われているが,医師の養成には長い時間が必要となる.わが国は,長期間,限られた医師数で医療を行うことが求められているのである.

これからの医療とマスコミ報道

著者: 飯野奈津子

ページ範囲:P.658 - P.661

 納得できる質の高い医療を実現するには,患者と医療者が信頼し合い,「病気と闘って元気になる」という同じ目標に向かってスクラムを組んで進むことが最も大切だと考える.ところが,こうした理想の姿とはかけ離れた状況が,今なお続いている.

 例えば,患者側からは,無理に退院を迫られる,十分な説明を受けられない,自宅に戻ろうと思っても訪問してくれる医師が見つからない.そうした戸惑いの声が多数寄せられる.一方,医療側からは,がんばって治療しているのに患者から文句ばかり言われてたまらない,マスコミが患者の権利ばかり主張するからだと,お叱りを受ける.

【先行事例】

県立柏原病院の医療再生の現状―兵庫県丹波地域の住民の取り組み

著者: 足立智和

ページ範囲:P.662 - P.666

■研修医集まる―診療休止の瀬戸際を脱して

 県立柏原病院(許可病床303床)は,人口11万人余りの兵庫県丹波医療圏の中核病院である(地図).同院は,医師不足と経営難で,2008年末に診療休止の瀬戸際まで追い込まれたが,2009年4月に神戸大学人事で着任した大西祥男院長(2011年4月から加古川東市民病院長,循環器内科)が,同大学のサポートを受けながら院内改革に取り組み,病院の再生に一筋の道をつけた.

 大西氏が院長就任時20人だった常勤医は,現在,32人にまで回復した.一時期1人になった循環器内科医は,神戸大学から派遣された河﨑悟医長をトップに7月から5人体制となり,循環器救急を「24時間365日」受け入れるようになった.5年ぶりのことだ.

対話の場をつくる―地域医療を育てる会の挑戦

著者: 秋山美紀

ページ範囲:P.667 - P.670

 地域医療再生基金等で一時的に住民活動が盛り上がったとしても,それを長期的に維持・発展していけなければ,一過性のブームで終わってしまう.住民活動は,自発的なものであるがゆえに,行政や医療機関がコントロールすることは難しい.では,住民活動を継続する秘訣はあるだろうか.どうしたら,立場や考えの異なる住民が緩やかにつながりながら,自主的な活動を継続し,地域医療の再生に貢献できるのだろうか.

 本稿では,そうした問いへのヒントを提示してくれる千葉県山さん武ぶ地区のNPO法人「地域医療を育てる会」の活動を紹介する.このNPOは,住民,医療者,行政の「対話の場」づくりを核に地域協働のユニークな取り組みを続け,地域医療の再生に貢献してきた好事例として注目を集めてきた.本稿では,具体的にどのような活動が地域医療再生に効を奏したのか,また,「市民」つまり「自立した個」のつながりが,自発的に成長・発展していけるようなガバナンスとはどのようなものかに焦点を当てながら論じていく.

【実践報告】

「条例」に込めた地域医療再生への思い―宮崎県延岡市

著者: 首藤正治

ページ範囲:P.672 - P.675

 延岡市は宮崎県の最北部に位置し,海,山,川が織りなす豊かな自然に恵まれた,人口13万余の地方都市である.

 延岡市内の医療体制は,入院病床(精神病床を除く)が100床以上200床未満の民間医療機関が3施設,100床未満の10の病院と87の診療所,そして460床の入院病床を有し52人の専門医が勤務する宮崎県立延岡病院で構成されている.県立延岡病院は,地域医療支援病院に指定されている宮崎県北部地域の中核病院であり,地域住民からは命の最後の砦と位置づけられている.

地域と大学が協働で取り組んだ人材育成―富山県南砺市

著者: 山城清二

ページ範囲:P.676 - P.679

 筆者は2004年3月に佐賀医科大学から富山医科薬科大学(2006年10月より合併し富山大学となる)へ赴任した.その時の目標が,総合診療の展開,すなわち大学や地域での総合診療の実践と人材育成であった1).赴任当初から,地域での医師養成のために,地域の病院あるいは診療所との連携を考えていた.しかし,初めの2年間は連携できる施設が見つからず,大学病院のみでの診療に留まっていた.

 その後やっと南砺市民病院との連携が始まり,2007年5月に総合診療科を立ち上げた.さらに2008年4月に南砺家庭・地域医療センター(診療所)を開設.同時に,複数の診療所と連携できるようになった.そして,2010年4月に日本プライマリ・ケア連合学会に認定されたNANTO家庭医養成プログラムを南砺市民病院と連携して開始した.

住民・行政・医療の“かけはし”・“なかま”づくり―福井県高浜町

著者: 井階友貴

ページ範囲:P.680 - P.683

■全国の医療崩壊と高浜町

 世界一の長寿国・日本において,いわゆる「医療崩壊」という言葉に集約される地域医療の問題が取り沙汰されるようになって久しい.その原因やきっかけとして,世界的に見た日本の医師の物理的な不足,年々増加する医師の業務とそれによる医師の疲弊・立ち去り,女性医師の増加,2004年度からの新しい医師臨床研修制度などが指摘されているが1),まだその解決までの道のりは遠いように感じている.

 地域医療とは,「そこで生活する地域住民のための生活支援活動」であり,地域医療の主人公は「地域住民」である2).つまり,これらの問題に対しては,医療者だけが,行政だけが奮闘するのではなく,地域の主人公である住民が率先して活動することが不可欠であり,実際に全国各地で住民の運動が地域の医療を救った事例が多く報告されるようになった3)

“地域医療サポーター”制度―飯塚病院

著者: 萱嶋誠

ページ範囲:P.685 - P.687

 当院は,1116床,34診療科・部を有する大規模病院である.当院の所在する福岡県筑豊地域は人口約45万人で,3つの二次保健医療圏(飯塚,直のお方がた・鞍くら手て,田川)から構成される.当院は,地域医療支援病院や救命救急センターなど,筑豊地域において唯一無二の機能・役割を多数担っている.他医療機関との連携・機能分担により地域医療を支えているが,高齢化による医療需要の増大や,医師や看護師等の不足を背景とした周辺医療機関のパワーダウンなどを原因として,当院に非常に多くの患者さんが来院されている.

 救命救急センターは24時間・365日3次救急に対応するとともに,地域の医療需要に応えて1次・2次の時間外診療にも対応しており,同センターへの救急搬送件数は年間7550件(21件/日),受診者総数は年間5万1241人(140人/日)にのぼる.また,延べ入院患者数は32万2557人(884人/日),病床利用率は常時90%前後を推移している(データはいずれも2009年).

地域住民の協同によって建設―南生協病院

著者: 柴田寿彦

ページ範囲:P.688 - P.690

 2010年3月23日,名古屋市緑区大高の地に総合病院・南生協病院がオープンした.その概略を述べれば,313床のベッドの半数は個室で,残る半数が4床室である.救急病棟,緩和ケア病棟,透析施設としての血液浄化センター(30床),リハビリセンター,および健診ドックセンターが併設されている.2011年4月における医師数は初年次研修医3人,病理医,麻酔医を含む常勤医師54人,非常勤医師58人である.看護師数は228人で,7対1の基準看護体制を採用している.2010年の年間手術件数は1281例であった.

 もちろん,この程度の病院であれば,それ自体は何ら特別なものではない.しかし,この病院には,そのオープン以来,見学者が絶えず,それには医療関係者を始めとして,福祉関係者,協同組合関係者,建設業者,金融業者,自治体関係者,大学教授,映画監督など多彩な人々が含まれ,時には国会議員や中央官庁からの見学者もあった.また,2度にわたる韓国からの見学団の来訪もあった.その結果,来訪者(患者以外)の総数は1年間に延べ2万人を数え,マスコミからの取材と報道も相次いだ(本誌2010年10月号グラフにも掲載).

 なお2010年12月には,2010年に新築された建物の中から最優秀建築5件のうちの1つとして,当院が中部建築賞協議会から表彰を受けた.

 新病院を含む南医療生協を見学した映画製作者の武重邦夫氏と映画監督の小池征人氏は南医療生協の実態に触れて感動され,南医療生協のドキュメンタリー映画を撮りたいと提案された.南医療生協理事会はこれを積極的に受け止め,既に撮影は終了して,2011年秋に予定されている南医療生協の50周年記念事業の一環として,その上映を位置づけている.

 ここでは病院建設の背景とともに,多くの見学者の注目を集めた点について述べる.

グラフ

地域を知る,医療を知る―福島県立医科大学 ホームステイ型医学教育研修プログラム

ページ範囲:P.641 - P.644

 福島県立医科大学では,地域・家庭医療学講座が中心となって,2006年より「ホームステイ型医学教育研修プログラム」(以下,ホームステイ研修)を実施している.医学部6年生の臨床実習,または初期・後期研修において,希望すれば県内各地の一般家庭にホームステイしながら,その地域の病院や診療所で実習できる仕組みだ.新潟県との県境に近い福島県只見町,そして東日本大震災の被害を受けたいわき市において,その様子を取材した.

連載 看護学生と若手設計者が考える 理想の病院・9

子どもがわくわくする

著者: 中村慎吾

ページ範囲:P.646 - P.647

 そもそも病院は,子どもに人気がない.

 病院に用事がある時は,「イタイ注射を打たれるのだろうなあ」とか,「いつまで入院してなくちゃいけないのだろう」とか,いやになっちゃう気持ちといつも一緒だ.だから病院は,「わくわく」ではなく,「イヤイヤ」であり,「キライキライ」である.

臨床倫理コンサルテーション・5

臨床倫理コンサルテーションの方法(2)―ケースコンサルテーションの手順

著者: 瀧本禎之

ページ範囲:P.692 - P.693

 医療現場において価値問題の対立が生じた場合,倫理コンサルタントのもとに医療者からコンサルテーション依頼が寄せられることになる.このような臨床倫理コンサルテーションは,ケースコンサルテーションと呼ばれる.その他,医療施設の倫理に関するポリシーや方針の検討などの依頼も,広義の臨床倫理コンサルテーションに該当する.本稿では,個別のケースに対する臨床倫理コンサルテーション(ケースコンサルテーション)の手順について解説する.

 ケースコンサルテーションはまず依頼内容の確認から始まる.次に,依頼内容を基に,情報収集を行う.得られた情報から問題の分析を行い,その結果に応じて介入方法を検討する.以下にその詳細を見ていく.

医療BSC基礎講座・8

BSCにおける経営戦略(その2)

著者: 髙橋淑郎

ページ範囲:P.694 - P.696

■ビジネス・ポリシーとBSC

 前回では,BSCにおける戦略は事業戦略に限りなく近いことが多く,また病院の現場で作成されるBSCは,事業戦略よりも機能戦略と捉えたほうが正しい場合も多いことを述べた.そうすると,病院の成長戦略,全社(全病院)戦略が希薄になるのではないかという疑問が残り,特に全社戦略をどのように扱うのかを考えることが必要になる.筆者は病院BSCにとっての戦略には,単に事業戦略中心ではなく,何か適切な意味合いと表現がないかと考え,1960年代にビジネス・ポリシー(business policy)として考えられてきた意味合いにたどり着いた.

 ビジネス・ポリシーは,伝統的なビジネス・スクールの科目であり,ハーバード大学でも主要な科目であったが,現在では戦略経営(strategic management)と呼び名が変わり,さらに今も変化している.経営戦略との関係を考えると,そもそも経営戦略論とはジェネラル・マネジャーの「ものの見方」であるとして,ビジネス・ポリシーという科目からスタートしたされる1).ハーバード大学経営大学院の経営戦略の原型である.そこではビジネス・ポリシーを策定する手法の開発が行われ,思考プロセスを定式化する努力がなされた.それが1960年代からのシステムズ・アプローチであり,本連載第3回でも触れたPPBS(Planning-Programming-Budgeting System)もその範疇に入る.別の立場では,「企業の生き残り」から「外部環境の変化への適応」を目指し,組織と環境との調整へと変化していった.また,経済学や産業組織論からのアプローチもあった.

医療ソーシャルワーカーの働きを検証する・61

患者の自己決定を支える―患者に寄り添った支援と連携

著者: 岩佐暁子

ページ範囲:P.698 - P.701

 脳梗塞により左片麻痺があるものの,身辺動作はほぼ自立まで回復に至った54歳男性の事例を振り返ることによって,個別支援と連携との関わりについて,本人の自己決定に着目する観点から,考察してみたい.本人は自宅での生活を希望したものの,自宅で同居する実姉と話し合うことができない状況のまま退院の受け入れを拒否されていた事例である.

医療マネジメント 21世紀への挑戦・6【最終回】

新・病院経営戦略―21世紀医療マネジメントの導きの糸

著者: 長谷川敏彦

ページ範囲:P.702 - P.707

 2002年,筆者が『病院経営戦略』という教科書を上梓したのは,戦後日本の病院業界をリードした国立病院管理研究所(以下,病管研)が46年間の役割を終え,国立保健医療科学院(以下,科学院)に統合され,消滅することの鎮魂のためでもあった1).その7年前の1995年,九州の国立病院での経営の実務を終えて病管研に着任した時,それまで経験と勘と度胸(KKD)による泥臭い病院経営の現場に,経営科学(Management Science)を導入しようと決意した2,3).病院経営を「先輩や失敗から苦労して学ぶ」のではなく「研究により改善を加え体系的に学べる」ようにしたかったからである.前述の拙著はいわばその試みの「中間報告」であった.

 しかしこの15年間で,病院経営は未曾有の激動期に突入した.6年前,科学院を辞する直前には病院幹部への講演で「もう何を話してよいのかわからない」と嘆じて不評を買った.そしてここ5年,「視界ゼロの病院業界」はさらに混迷を深めている4).ある会議では「5年後,10年後の病院の姿を病院経営幹部が描けない病院は消滅する」と言い,またある雑誌には「病院業界は今後3~5年,血の海,焼け野原」と書き顰蹙を買った5).しかし,これからの10年,特にここ5年はさらに大きな転期が訪れることが想定される.

 今回,半年に亘って病院業界の諸課題を大局的観点から分析し,われわれが直面する問題の構造が浮かび上がってきた6~10)

 そこで最終回となる今回,視点を医療提供側に移して,10年前の病院経営戦略を発展させ,新たな戦略の形を模索してみたい.

鉄郎おじさんの町から病院や医療を見つめたら…・48

鉄郎対談集③ おなかの胃ろう見せて―食べるはいのちの深淵と結びつく

著者: 鉄郎

ページ範囲:P.708 - P.710

 前回,胃ろうと経口摂取を併用しているALS患者,西村隆さんと対談した.そこでのポイントは,まず,悪い評判が少なくない胃ろうが,西村さんにとっては福音であり,胃ろうによって健康が保たれ,QOLも高まっていること,そして彼は経口摂取を続けていることだ.医療において,食事は「栄養摂取」を意味するが,本来食べることは栄養摂取以上の意味を持ち,いのちと深いところで結びついている.それは当たり前に食べられる時には意識しないが,「私のように失いかけた時に気づく」と彼は語り,胃ろうをしても食べるという日常から切り離さないことが大事だと強調した.

 前回の対談をふまえて,あらためて西村さんと語り合った.

アーキテクチャー 保健・医療・福祉 第200回

【200回特別鼎談】医療・福祉施設の被災からの復興

著者: 筧淳夫 ,   中山茂樹 ,   山下てつろう

ページ範囲:P.712 - P.716

■未曾有の広域災害によるインフラ破壊

山下 本日は「アーキテクチャー 保健・医療・福祉」の連載200回の特別鼎談として,日本医療福祉建築協会の被災調査を担当した筧先生,中山先生,そして私の3人で,医療・福祉施設の被災から復興までを考えたいと思います.

 まずは,今回の東日本大震災の被害の特徴,そこから感じたこと,そして阪神淡路大震災との違いなどを伺いたいと思います.

リレーエッセイ 医療の現場から

東日本大震災から見えたもの

著者: 工藤裕子

ページ範囲:P.719 - P.719

 3月11日,北海道の枝幸町にも津波注意報が出され,職員が動員された.刻々と報道される被災地のあまりに悲惨な状況に胸が締め付けられ,涙がこぼれる.数日が経ち,不意に私のところへボランティア派遣の機会が巡ってきた.泣いている場合ではない.へき地・医療過疎の町で長年働いてきた私の保健師力が被災地で役立つかもしれない.そう思ったとたん,真っ先に「行きます」と返事ができた.

表紙

「恐竜」

著者: 赤木主税

ページ範囲:P.651 - P.651

 1980年岡山県生まれ.生後1か月でダウン症と診断される.中学卒業後に通所した岡山県吉備の里能力開発センターで絵画の才能を開花.97,98年「Tシャツアート展」受賞,世界人権宣言50周年記念切手デザインコンクール佳作入選ほか.2006年4月より茨城県つくば市にあるNPO法人自然生クラブに参加.絵画制作の他,田楽舞の舞台にたち,アイルランド,ベルギー等の演劇祭に参加,国内外問わず精力的に作品展,公演を行う.


【今月号の作品】

彼は昔から恐竜が大好きである.だから恐竜の絵を沢山描いている.彼の恐竜は歯が強調されていることが多い.この恐竜も大きく口をあけて,歯が見える.(母 赤木真里子)

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書籍紹介

ページ範囲:P.671 - P.671

投稿規定

ページ範囲:P.717 - P.718

次号予告/本郷だより/告知板

ページ範囲:P.720 - P.720

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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