文献詳細
連載 アーキテクチャー 第221回
文献概要
2011年3月12日,出張先の九州から朝一番の飛行機で,まだ電車の運行がままならない東京に戻った.やっとの思いでたどり着いた自宅は意外にも地震による被害がほとんどないことを確認し,ほっと一息をつき,テレビにスイッチを入れた.その瞬間,目に飛び込んできた映像は,海の中に孤立した,見覚えのある建物の屋上でSOSのサインを送る人々の姿であった.
それが,自らが2001年に設計した南浜中央病院であることは,すぐに理解できた.昨日仕事先で呆然と見ていた津波に襲われる三陸地方の映像が,突然現実のものとして迫ってきた.それまで宮城沖で度々マグニチュード(M)7以上の大地震が起こり,三陸では津波被害も報告されていたが,ハザードマップでも5mの津波にも耐えられると記されていたため,十分な高さの防波堤を備えている海岸線が水につかることは考えていなかった.しかしM9の地震は人知をはるかに超え,防波堤を,そして防風林をなぎ倒し,南浜中央病院をのみこんでいった.
それが,自らが2001年に設計した南浜中央病院であることは,すぐに理解できた.昨日仕事先で呆然と見ていた津波に襲われる三陸地方の映像が,突然現実のものとして迫ってきた.それまで宮城沖で度々マグニチュード(M)7以上の大地震が起こり,三陸では津波被害も報告されていたが,ハザードマップでも5mの津波にも耐えられると記されていたため,十分な高さの防波堤を備えている海岸線が水につかることは考えていなかった.しかしM9の地震は人知をはるかに超え,防波堤を,そして防風林をなぎ倒し,南浜中央病院をのみこんでいった.
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