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連載 世界病院史探訪・21【最終回】
1879(明治12)年に開館した山形県公立病院済生館
著者: 石田純郎1
所属機関: 1医療法人慈生会 介護老人保健施設くつろぎ苑
ページ範囲:P.915 - P.916
文献購入ページに移動こうして山形県公立病院済生館は,1879(明治12)年1月8日に開館した.三島県令は1880年9月にウィーン大学医学部を卒業したオーストリア人医師アルブレヒト・フォン・ローレッツ(Albrecht von Roretz, 1846-1884)を金沢医学校から山形県公立病院済生館医師兼山形県医学校の教頭として招いた.これより先,1874年に山形県公立病院医学寮で,洋医養成が開始されていた.ローレッツはこの病院・医学校で,母校で習得した医療と医学教育を行った.1882年に三島通庸は福島県令として転任し,ローレッツは同年7月にオーストリアに帰国した.地方税をもって医学校の経費を支弁してはならないとする1887(明治20)年制定の勅令48号により,山形県医学校は翌年廃校となった.県公立病院済生館も,1888年に私立病院となり,1904年に山形市立病院済生館になった.そして戦災にも遭わず,現在も七日町で運営されている市立病院本館として利用されてきた.1960年代に至り,老朽化のため,いったんは取り壊しが計画された.しかしながら,市民から保存するべきだとの声があがり,1966(昭和41)年には擬洋風建築物として,国の重要文化財に指定された.
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