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雑誌目次

雑誌文献

病院73巻8号

2014年08月発行

雑誌目次

特集 多様化する病院経営

巻頭言

著者: 今村英仁

ページ範囲:P.597 - P.597

 医療提供体制の改革が,2013年に提出・採択可決された「社会保障制度改革国民会議報告書」と「社会保障プログラム法案」に基づき,2025年に向けて粛々と進んでいる.2014年の医療保険診療報酬改定では,「地域包括ケアシステムの構築」が医療保険の中にも取り入られ,改めて,「病院完結型の医療」から「地域完結型の医療」を目指すことが求められている.

 病院経営者は,自院の機能の見直しと地域におけるポジショニングを行わなければならない.この病院経営については,今まで病院単体の単位で議論されることがほとんどであったが,一方で個々の病院を経営する母体の医療機関を見ると,病院単体の運営を行っている医療機関が少なくなり,複数の病院,診療所や施設,もしくは,訪問看護・介護ステーション,通所サービスといった介護サービスの提供など,複数の事業体を運営している医療機関が多数を占めるようになった.

「保健・医療・福祉複合体」から「非営利ホールディングカンパニー」まで理解するためのポイント

著者: 今村英仁

ページ範囲:P.598 - P.601

 本誌は,1992(平成5)年6月号で,「保健・医療・福祉複合体」のタイトルの下特集を組んだ.

 その際,巻頭言で,「改正老人保健法,高齢者保健福祉10か年戦略等の実施に伴い,保健・医療・福祉の統合あるいは連携は,理念の段階から,法律や制度の裏付けをもった現実の課題として浮上してきた.特にわが国では,福祉分野より医療の量的整備が先行してきたこともあり,医療関係者の取り組みが注目されている」とし,当時,病院は,単体で医療を行うのが標準であり,医療と保健・(介護)・福祉は,それぞれ独立した世界を築いていた中で,「どのような形にせよ保健・福祉を射程に入れた病院経営が必要になってくるに違いない」と指摘している.この巻頭言を受けて,特集では,保健・医療・福祉の領域にまたがって病院経営を行っているケースを,先駆的なケースとして紹介している.

多様化する病院経営形態とマネジメント

著者: 真野俊樹

ページ範囲:P.602 - P.606

■医療環境の変化

 一般の産業の組織であれば,創業者がやりたいこと,つまり理念であるが,これを従業員が一丸となって達成することが組織の存在意義となる.病院組織は,国としての基本インフラである社会保障の一部であるが故に,創業者の理念というものよりも,国としての方針や政策に依存する部分が大きくなることが多い.さらに,診療報酬といったインセンティブの制度があるために,外部環境に依存する部分がさらに大きくなってしまうのである.

 これが,独自の方向性を打ち出している一般の組織であれば当然とされる考え方を病院が行いにくくなったり,あるいは患者本位のマーケティング,患者満足度の追求といった考え方が希薄になったりしてしまった理由である.

わが国にふさわしい「非営利ホールディングカンパニー」構想とは

著者: 武田俊彦

ページ範囲:P.607 - P.612

 今,医療法人の在り方について議論が行われ,特にホールディングカンパニー構想が議論の焦点になっている.わが国の医療制度は,公的保険制度の提供主体を多くの民間法人が担うという世界的にも例の少ない仕組みとなっており,医療法人制度も特有な制度である.

 このため,主体論・法人論は多くの医療機関に影響を与えるとともに,ひいては日本の医療提供体制にも影響が及ぶ.各医療機関の現状を見ても,民間医療機関の多くが病床機能の転換や建て替え,新規投資を迫られており,その上医療改革に伴って機能連携や医療・介護連携といった他機関との連携を図らなければならない環境にある.したがって,今後の事業展開を円滑に進めるための制度的バックアップが求められていると言える.

 このような現状を踏まえ,ホールディングカンパニー論について,その経緯,意義,そして今後の在り方について整理してみたい.

非営利ホールディングカンパニー組織創設に関する一考察―医療提供体制改革の実効性と加速性の観点から

著者: 松原由美

ページ範囲:P.613 - P.616

 2013年8月,社会保障制度改革国民会議(以下,国民会議)報告書において非営利ホールディングカンパニー型法人が提唱され,以後,医療供給体制改革議論の焦点となっている.非営利ホールディングカンパニー構想の背景や意義については,同報告書に述べられている他,本特集で武田俊彦氏がより幅広い観点から論じているので,本稿では非営利ホールディングカンパニーの実効性や加速性を視野に入れてその論点や留意点を述べる.

 まずは非営利ホールディングカンパニー組織とはいかなる組織であるか見てみよう.

自治体病院の経営形態を考える

著者: 伊関友伸

ページ範囲:P.617 - P.623

■迫られる自治体病院の経営形態の変更

 病院の世界における自治体病院経営の「お役所体質」は,さまざまな場所で指摘されている.「職員の人件費が高い」「職員定数が支障となり,職員を自由に雇用できない」「本庁の財政課に予算を握られ自由に予算を使えない」「病院の要である事務職員が数年で異動してしまう」などは,筆者が自治体病院の現場に入るとよく直面する問題である.

 実際に,「お役所体質」を変え,経営効率を向上させるために経営形態の変更を行う自治体病院も少なくない.総務省も2007年12月24日に自治財政局長が通知した「公立病院改革ガイドライン」において,「安定的かつ自律的な経営の下で良質な医療を継続して提供できる体制を構築する」ため,①経営の効率化,②再編・ネットワーク化,③経営形態の見直しの3つの視点に立った改革を一体的に推進することを求めている.

医療機関(医療法人)の取り組む海外展開について

著者: 伊藤伸一

ページ範囲:P.639 - P.643

■当法人におけるミャンマーへの展開の発端

 社会医療法人大雄会では,15年以上前からミャンマーに対して,CT,MRI,超音波診断装置,人工透析器,病棟用ベッドなど多岐にわたる医療機器・備品の寄贈を続けている.また,技術研修や指導を目的に,現地へ医師・看護師を派遣し,現地での学会講演を行うと同時に毎年大雄会第一病院を含む多施設での医師研修を行ってきた.

 ミャンマーは対英独立戦争の時代からの名残もあって,長期にわたる軍事政権下でも親日国としての姿勢を維持し,日本も同国を他の欧米諸国とは一線を画す形で支援してきた.その流れのなかで,1990年代後半に日本からの経済視察団がたびたび組織され,そのメンバーの一員に当法人が加わったのが,この長期にわたる支援のそもそものきっかけである.

【事例】多様化する病院経営の展望

地域医療を担う中核病院を目指す

著者: 近森正昭

ページ範囲:P.624 - P.628

■目標の初期設定と修正

 2年で診療報酬が改定され,少子高齢化で社会が変化する.生まれ育った土地で自分たちが何をするべきか.

 当院は,地域医療を担う中核病院となるべく,明確な目標設定とプロセスの設計が必要だった.

大都市の民間病院の在り方

著者: 大道道大

ページ範囲:P.629 - P.633

■総合病院志向から専門分野への特化へ

 平成26(2014)年,大道会は創立60周年を迎える.

 昭和29(1954)年,大阪市城東区に大道医院を開設.昭和32(1957)年に大道病院となり,以来,地域の一般病院として機能してきた.昭和57(1982)年にはボバース概念に基づくリハビリテーション病院であるボバース記念病院が開院.以降,順次,施設を展開し,平成22(2010)年に社会医療法人となり,今日に至っている(総職員数約1,300人).現在の法人内の事業所を概観すると,表1,図1の通りである.

複数事業体経営の教訓から

著者: 猪口正孝

ページ範囲:P.634 - P.638

 筆者は医療法人社団直和会と社会医療法人社団正志会の理事長であり,所属する4病院・2診療所・2訪問看護ステーションを経営している(図1,表1,2).病院開業を決断してから15年も満たない間になぜ現在の形に至ったのか,必ずしもインテンショナルに方針を選んできたわけではないが,節目節目に決断してきたそれなりの理屈はあった.本稿では当グループの概要と成り立ちを経時的に述べ,その都度私の考えを書き記していく.そのうえで今後の展望につき思うところを述べる.

グラフ

2025年の先を見据え生き抜く力と支え合いが生まれる場所を目指す

ページ範囲:P.581 - P.584

■「アルペングループ」とは

 団塊の世代がすべて後期高齢者となる2025年に向けて,医療提供体制の改革が進んでいる.本号の特集では「多様化する病院経営」として,現在の病院経営形態について多角的に取り上げているが,ここでは富山市のアルペングループをその一事例として紹介したい.

 アルペングループは医療法人社団アルペン会と社会福祉法人アルペン会からなる.医療法人社団アルペン会は60床の回復期リハビリテーション病棟をもつ「アルペンリハビリテーション病院」をはじめ,在宅療養支援診療所の「アルペン室谷クリニック」,通所リハビリテーションや訪問看護といった医療を中心としたサービスを提供している.他方,社会福祉法人アルペン会は特別養護老人ホーム,ショートステイ,デイサービスなどの「アルペンケアビレッジ」と,それらのサービスに保育園を統合した「あしたねの森」など,福祉を中心としたサービス提供を行っている.

連載 アーキテクチャー 第235回

母と子の上田病院

著者: 小原博之

ページ範囲:P.588 - P.593

■病院の概要

 上田病院は1948(昭和23)年,阪急神戸三宮の隣駅である春日野道駅前に産婦人科医院として開業した.戦後のベビーブームを経て時代は変わり少子化の時代に地域の産婦人科が閉院していく中,60年以上の長きにわたり地域の産科小児科医療を守ってきた病院であった.しかし,先の阪神淡路大震災以降,老朽化に加えさらなる耐震化の必要性が増し,3代目となる若い跡継ぎ世代が病院経営に参画することとなり,病院の全面建替えに踏み切るに至った.

世界病院史探訪・17

近代的病院の始まり,ウィーンのアルゲマイネス・クランケンハウス

著者: 石田純郎

ページ範囲:P.595 - P.596

 マリア・テレジアの息子で,マリー・アントワネットの兄ヨーゼフⅡ世(Joseph Ⅱ,1741-1790)は,1765年から1790年まで神聖ローマ皇帝を務めた.ウィーンに1784年に最初の近代的病院と言われるアルゲマイネス・クランケンハウス(Allgemeines Krankenhaus, 略称AKH)を,1785年にヨセフィーヌム(Josephinum)の愛称を持つウィーン陸軍病院を創設した.どちらも建物は現存し,構内の散策ができる.現役のウィーン大学病院であるAKHと1784年に創設された旧来のAKH,ヨセフィーヌムとの位置関係の地図を右に示す.

 地下鉄6号線(U6)のMichelbeuern-allgemaines Krankenhaus駅で下車すると,現役の巨大なAKH本館が目前に聳えている.その南部,東部の建物は19世紀の建造物で,産褥熱の原因を突き止めたゼンメルヴァイス(I.P. Semmelweis,1818-1865)の顔と新生児を抱く母親のレリーフを描いた碑が東部の庭に建つ.

医療計画・地域医療ビジョンとこれからの病院マネジメント・2

DPC公開データを用いた急性期入院医療の可視化

著者: 松田晋哉

ページ範囲:P.644 - P.651

■DPC公開データの分析でわかること

 平成15(2003)年に特定機能病院等82施設を対象に開始されたDPC(Diagnosis Procedure Combination;診断群分類)制度は,平成24(2012)年には約1,500施設がその対象となり,これに支払いを伴わない施設を加えると実に1,770強の病院がDPCの枠組みでデータを作成している.これは病床数で50万床以上に相当し,患者数ベースで1,039万件のデータが集積されている.これはわが国の一般病院の病院ベースで22.8%,病床ベースで54.7%に相当する.救急医療およびがんの急性期入院医療についてはDPC調査対象施設がその90%以上をカバーしていると推測される.当初,大学病院本院だけであったDPC関連情報の施設ごとの公開は,その後その対象が拡大され,現在は準備病院も含めて厚生労働省の調査に参加している施設全部がその対象となっている.また,調査期間も当初の4か月(7~10月)から通年となっている.

 すなわち,これらのデータを用いることでわが国の急性期入院医療の現状が分析できるようになったのである.DPCデータでは施設名がわかっているため,これに住所地をひも付けすることで二次医療圏単位での医療のあり方を検討することが可能である.

病院のお悩み相談室・8

職員のメンタルケア

著者: 垂水謙太郎

ページ範囲:P.652 - P.654

 ストレス社会と言われて久しい昨今,人と深く接する機会の多い医療機関ではなおさらメンタルヘルスケアの必要性が問われているのではないでしょうか.第8回となる今回は,職員のメンタルケアとして“看護師の精神的フォロー”に悩む事務長からの質問を取り上げ,取り組むポイントについてご紹介したいと思います.

医療者からみた高齢者の「こころとからだ」・2

生活の「満足度」の図形化試案

著者: 高齢者の生活環境と「こころとからだ」を考える会

ページ範囲:P.655 - P.655

 前回で高齢者が入居,生活している老健(老人保健施設)について総論的に問題点を取り上げてみた.高齢者が利用している施設は老健,特養,有料老人ホーム,軽費老人ホーム,小規模多機能型居宅介護施設など他にいくつかあるが,それぞれ特徴があり,入居者は必ずしも「満足」していない点があるようだ.

 それは入居者の事情,施設の事情,そこでサービスを提供している職員の事情などが複雑に関与している結果であると思われる.しかし,心身ともに障害を持っている入居者にとってみれば,生活している今の時点で,できるだけ満足していたい,幸せをかみしめていたいと思うのは真に了解できることではある.

リレーエッセイ 医療の現場から

ジェネラリストを目指して幾星霜

著者: 木村眞司

ページ範囲:P.657 - P.657

 1980年,高校1年生のときに,北海道のへき地で働く医者になろうと決意してから早34年が経った.

 何とか医学部に入り,部活に,医学に打ち込んだ.最終学年になって,へき地で働くのだから幅広く診られる医師になろう,と決めた.理解者は,少数だが,いた.医局には入らず,卒後2年間横須賀米海軍病院と茅ヶ崎徳洲会総合病院(ともに神奈川県)で内科・外科・産婦人科・小児科のローテート研修を受けて米国に渡った.家庭医療(family practice─または総合診療)を3年,老年医学を2年研修した.帰国し,古巣茅ヶ崎で研修医の指導に当たった.ジェネラリストである私を,研修医たちは当初からよく受け入れてくれた.最初は戸惑っていたスタッフ医師たちからも,しばらくすると重宝がられた.2000年,母校札幌医大に戻り,新設されて間もない総合診療科の助手となった.学生実習を外の医療機関で行うよう企画したり,インターネット上での生涯教育講座『プライマリ・ケアレクチャーシリーズ』を開始したりした.どちらも未だに続いており,後者は37都道府県から毎回90施設が参加するまでになった.目指していたへき地医療にやっと従事するようになったのは8年半前,2005年のこと.志してから実に四半世紀も経ってからのことであった.

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投稿規定

ページ範囲:P.658 - P.659

次号予告

ページ範囲:P.660 - P.660

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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