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雑誌目次

雑誌文献

病院8巻1号

1953年01月発行

雑誌目次

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1953年の病院管理の課題

著者: 橋本寬敏 ,   千種峯藏 ,   尾村偉久 ,   吉田幸雄 ,   守屋博 ,   島內武文 ,   小西宏

ページ範囲:P.2 - P.7

病院管理本年度の課題
終戰後,現われた病院管理改善運動は日本の醫界に起つた未曾有の新しい出來事である。僅か3—4年の間に,兎に角,こゝまで來たが,今年も前進を續けたい。前途には困難が多い。隘路もある。しかしここまで來たのだから,後ろを振り向いて逆戻りなどしないで,元氣を出して進みたい。
最初は強いられた變革の一つのように白眼視する人々もあつたが,明治時代以來醫科には秀才が集まつたのだから,さすがに明敏な人々も多く,病院醫療の意義,病院管理の重要性を理解して,早くも斯の運動の先頭を切り,熱狂的だとも評される院長も少くない。そして歐米追從でなく,獨創的の計畫を以て,進路を切り開こうとする意欲が盛になつて來た。

醫療社會事業と精神身體醫學

著者: 深津要

ページ範囲:P.11 - P.15

最近醫療社會事業を擔任する者の業務や或いは又その推進に當る具體策等について相當系統づけて考究されている傾向が認められるのは大變喜ばしいものである。そして此頃の本誌に於てみる樣に,その業務を擔當する者が精神身體醫學を理解しておる可きだと言う提唱は極めて意義深いものがある。一般にまだ充分なる考察がこうした面についてはなされていない樣である。よほど大きな病院か何かでなければ,所謂練達の士が醫療社會事業のみを專任として受持つと云う事は少い樣な傾向が認められる。そして大低は相當の老年者等に比較的輕い業務分擔の一つとして與えられると云う場合が多いようである。從つて單なる目前の事象の解決策のみに腐心するのが殆んどで,精神身體醫學などと云う事を理解するだけの餘裕と積極性は多くの場合皆無に近い樣な點がみられる。しかし是は必らずしもその擔當者を責めるのではなく,この精神身體醫學そのものが強調されたのが最近である爲である。又醫者の中に於てさえも斯うした面について果してどれ丈の人が充分な認識を持つているだろうかと考えさせられる事がしばしばある。米國の醫者により叫ばれたのであるのに,若い教育を受けた醫者のうちでさえ此事について却つて蔑視する樣な感じを受ける事がある。從つて醫療社會事業家にとつてこの精神身體醫學的な素養が必要な事は明白であるが,丁寧な解説や教導を受ける事は餘りない樣であるのは殘念なことである。

小さな産科婦人科病院經營の憶出話(1)

著者: 木下正一

ページ範囲:P.17 - P.18

 私は,亡父(正中)から木下産婦人科病院を繼承し,戰災によつてこれを失うまで10數年の間,その經營に當つた。この病院をうけつぐと同時に病院というものに對する深い興味關心をも父からうけついだように思う。病院はもう燒け失せて無くなつたけれども,受けついだ興味と關心とは,私の胸の中に今もなお深く刻まれていて,それ故にこそ,私は今日この雑誌の編集委員の1人に連つているような次第である。ところが,平素編集會議でも殆ど發言しないし,又執筆も絶えてしないものだから,今回は何でもよい,少し筆をとれと嚴命を下された。そこでこれから少しづつ,つまらない憶出ばなしを書き綴つてみることゝした亡父は,始め青山胤通教授のすゝめによつて濱町産婦人科病院と云う病院を營んでいたのであつた大學の教職を退いて,同病院の院長として,專らその經營に當り始めてからは,診療を思いのまゝに行えるような,理想的な病院をつくり上げたいと,全勢力をこれに傾けていたように思われる。幸にして,亡父は色々の點で惠まれていたので,ベツト數40に足りないぐらいの小病院ではあつたけれども,今から考えてみても殆ど理想に近い,立派な病院經營を着々と實現していたように思われる。完全看護・完全給食・看護婦の3交替勤務制なども既に大正年間から實行していたし,醫師當直の制度なども,完全なる診療を行うという趣旨の下に,きわめてやかましい規定を定め,且つそれを嚴重に實行していた。

小兒病棟看護に關する一調査—(第2部)小兒病棟に於ける看護調査

著者: 今村榮一

ページ範囲:P.19 - P.24

緒言
小兒病棟における看護は單に疾病の看護だけでなく,その根柢に保育的事項があり,その特殊性については(第1部)において述べた如くである。そして完全看護の内容を追求するために現在のわが國の小兒病棟看護の調査を行う必要を認め,實驗的に多人數の看護婦を用いて看護調査を實施した。その中「小兒病棟における乳幼兒の日課」については前回に述べたので,今回は看護婦の勤務内容につき調査し,検討を加えてみたいと思う。

醫師國家試驗とインターン

著者: 佐藤武雄

ページ範囲:P.25 - P.26

醫師國家試驗とインターン制度とは今次大戰後の敗戰の結果米國の組織を眞似て作られた制度である。
如何なる制度もその國情によつて差があり外國でよいからといつて日本に於て適合している制度であるということの出來ないことは何人も異論のない所であろう。この制度が出來た當初から或は變更し或は廢止されるであろうという豫測も行われていたがその當否は別として一向に變更されたり或は廢止される模樣がない。尤も今週の三者協議會で國家試驗施行方法に多少の變更が加えられたのであるがこの變更は根本的の改革とは云えない。

醫學生とインターン—醫學教育委員會内にインターン制度委員會を設置

ページ範囲:P.27 - P.28

厚生省と日本醫師會との合同の醫學教育委員會は,先般の會議に於て現在各方面に論議されているインターン制度の改革につき,今後検討する必要があるので,インターン制度委員會を設置することになり,下の16氏に依囑し12月4日午前10時から日醫會館に於て第1回委員會を開催し,委員長に鹽田廣重氏を互選し今後の方針を協議した。
日本醫大學長學術會議部長    鹽田廣重

綜合病院の設計と構造(3)

著者: 小川健比子

ページ範囲:P.29 - P.33

第4章 管理部
管理關係の事務室は,メーン・ロビーと入口に近接して,一群とされる。或る附屬的な群は,その中の各々のユニツトが,夫々そのユニツトと便利に連絡する樣な位置を占める樣に,よく考慮さるべきである。例えば,管理人事務室,看護婦長室,一般事務室,秘書室,それからこの管理施設の附屬的な群となつている管理職員のための便所施設。これら各々のユニツトは,總べて夫々他のユニツトに便利である樣にすべきである。
他の附屬的な群には,次の樣なものが含まれる。即ち,メーン・ロビーと待合室,案内受付,會計窓口の控室,公衆便所,アドミツテング・オヒスとソーシヤル・オヒス,メデカル・レコード・ルーム,レコードの研究を目的とする醫員室の一部,醫員室,ロツカー室,圖書室及び會議室,或は宿直室などである。

病院と患者

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.35 - P.39

これは1952年5月8日から10日にかけてLon-donにおいて開催された英國病院管理者協會の50年祭會合の最終日にLondon大學のSocial Ad-ministrationの教授Ridhard M. Titmuss氏によつて講演されたものである。
この會合のプログラムも次第に進んで,組織化された施設としての病院について,病院に於ける公式,非公式な個人間の或いは集團間の關係組織について,病院内の各種組織の結合方法について,病院の經濟について等々の問題がすでに取上げられてきた。今日社會にある施設の中でその深さ,その廣さに於て病院程に複雑なものはすくない。最近病院研究について有名なMassachusetts綜合病院のEdward Ceurchill博士は"病院は現代社會に於て最も複雑な最も動的な施設である"と述べている。米国に於てさえChurchill博士が病院をこの様に複雑なものと見ているのであるが,英国においては,糧て加えて全国の病院を政府財政による中央統制組織に包含するという複雑性がこれに附加されている。如何なる社會に於てもこの樣な企畫を成功させる爲には,深く廣い知性と涵養された常識とをもつてしなければならない。英国に於ても多くの人が立派に病院管理を行つてきた。しかし今日では唯一病院を管理運營するだけの才能では不十分となつてきた。

Dr. Moriya's Recordtape

ページ範囲:P.40 - P.41

13.醫師の業務の分析
醫師が患者を世話する時には,色々の行爲をやるものである。田舍で往診カバンをもつて出かけた時は1から10まで1人でやらねばならぬ。大病院では,看護婦や其の他の職員が手傳つて呉れるので,本當に醫者らしい仕事だけをやつていればよい。
所がこの醫者がやるべきだと考えられている仕事も仔細に分析して見ると,色々のものが含まれていて,時代と共に段々と他の職員におき代られつつある。

放射能動性同位元素を用いる治療用病院實驗所の建設

著者:

ページ範囲:P.46 - P.49

米国では醫療用に放射能動性同位元素の使用が益々増加しつつある。米合衆国原子委員會では其使用場所を問わず,平時におけ放射能動性同位元素の利用を促進するために生産費よりも遙かに低廉な價格で診断と治療と研究との材料に供給している。藥剤の應用方面では,此放射能動性同位元素は二つの初期の群のうち研究と治療とである。
これ等の群は醫學では嚴に分割されてはいるか,醫療の爲には如何なる形式でも研究されている其構成分子の一を以て成し遂げられることが出来る。この放射能動性同位元素の作用も,技術的には異なつている。醫學的の研究では部分的に研究されているものがどのように呼ばれているかの問題を取扱うている,これは量では甚だ小さいが,動物でも或は人間でも遙かに低い量で治療的或は致死的の水準に用いられることを意味している。しかし一方治療的量の水準に用いられた放射能動性の諸材料は放射能動性の部分部分に關しての總計では一層大なるものがある。醫療的放射同位元素の作業に於てはこれ等2つの小別は裝備にも又裝置に就でも異なつた要求を持つているということは明らかに八百屋の秤は藥屋では使用されないということを意味している。この事を知つておつて,誰でも此仕事の開始に當つて事業上如何なる形式をとり,それによつて企圖し,實證さるべきかを決定せねばならぬ。大なる病院の如き醫學中心部で研究する處では浩療と同様に研究の總てが技術者の手で爲さるべきである。

日本病院協會だより

ページ範囲:P.53 - P.53

1.醫療職員職業斡旋所を開設
從來医師會館内で開業中の医療職員職業斡旋所(有料)を日本病院協會に繼承し,全国的事業として12月1日より病院會館に於て開始協力利用が望まれている。
2.理事會(常務)報告
日本病院協會常務理事會(東京と合同)で下記諸事項につき審議決定。

病院關係人事消息

ページ範囲:P.55 - P.55

◇曾田 長宗氏 (厚生省官房統計調査部長)急逝した阿部厚生省医務局長の後任にはいろいろ下馬評があつて9月以來空席だつたが,12月5日附で氏が医務局長に就任した。氏は新潟縣柏崎市の人。明治35年生れ,大正15年東大医學部卒業,暫らく病理學教室に席を置いたが,直ぐ勞研に入り昭和7年台湾總督府中央研究所衞生部技師に就任し,ロツクフエラーのフエローとして1年間米国に留學,13年台北帝大助教授となり熱帶医學研究所で仕事をし,12年學位を得,22年厚生省公衆衞生局衞生統計課長,同年国立公衆衞生院疫學部長を得て24年大臣官房統計調査部長に就任し,今日に至つた人である。
◇小澤 龍氏 (厚生省医務局国立病院課長)大臣官房統計調査部長に就任。氏は昭和4年慶大医學部卒業,後現職の病院課長となつた人である。

編集後記

著者: 島內

ページ範囲:P.56 - P.56

昭和28年明けましておめでとうございます。「病院」も滿3年半,子供でいえば一番可愛い盛りになりました。今年も亦健やかに育つてゆきます樣,皆樣方の御後援を御願い致します。病院も,先ず赤坊の樣に自分自身のあり方を反省して,その組織や成り立ちに目をみはつてきたわけですが,4歳ともなれば此でそろそろ自我というものに目覺めると共に周圍を見回わして,社會に於ける病院のあり方,進んでは社會への働きかけとしての公衆關係(Public Relations)に考えをすゝめる時期ではないでしようか。だんだん世の中が大きくなつてくると,政治・教育・交通・通信等の色々の複雑な施設が出來てくるが,これ等の機能は誰にでも知られているというわけではなくなつてくる。色々の役所・病院・學校・博物館等々があつても,一體どう利用していゝものかわからないものが多い。そこで今日の世の中では夫々の施設がすゝんでその使命とその利用を世の中に呼びかけて,公衆の便宜をはかる義務がある。病院も同樣にその内容をひろく知らせて,利用者が安心してこれを選擇し,診療をうけることが出來る樣にしなければならないと思う。この事が廣告の取締りという問題と關連するために,猶充分の研究は必要であろうが。
本誌では「我が病院の特色」という題でアンケートを皆樣に御願して多くの御返事を戴いた。

アンケート

我が病院の特色(到着順)

著者: 畠山辰夫 ,   島村喜久治 ,   關根眞一 ,   黑澤良臣 ,   橋本昌武 ,   久野馨 ,   稻田三郞 ,   東陽一 ,   伊藤吉孝 ,   山際源一郞 ,   藤井実 ,   入貞彌 ,   大森憲太

ページ範囲:P.8 - P.10

一言にして云えば「仙臺市の南10里,農村の中にある何の特色もない療養所」が即ち宮城療養所の特徴であろう。患者900餘と職員300。それに山下コロニーの人達40名も隣に佳んでいる。職組患者自治會,生活協同組合も世間並に發展している。それでいてお互いに調和がとれている。何といつても生活は仙臺市の圈内にあるので不便この上なし。よつて長く動務する職員は少く從つて今後の發展は遲々たるものであろう。ただ地方の人々には保健衞生上に多大の信頼があり,爲にリヤカー患者ひきも切らず,反對に看護婦はサツサと都會をさして離れてゆく次第です。

ルポルタージユ

國立東京第一病院二宮分院

著者:

ページ範囲:P.42 - P.45

東海道線二宮駅下車,醫前の国道を国府津方面へ20分程歩いた所に,うつかりすると見そこなつてしまいそうな小さな標札が左手にぽつんとたつているのにきづく。ここよりさらに数米小道をゆくと,出来上つたばかりの木戸が見える。これが二宮分院の玄關である。
今日は生憎と中鉢院長先生が留守なので,お母さん役である杉田先生に面會する。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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