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雑誌目次

雑誌文献

病院8巻5号

1953年05月発行

雑誌目次

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英国の国営医療制度に於ける病院医療をみて

著者: 小西宏

ページ範囲:P.2 - P.4

 英国のNational Health Service Actは,1946年11月6日に公布,1948年7月5日より実施されその後一部の改正が行われたが,大勢に影響はない。National Health Service全般についての解説は頗る澎大なものとなるので,今回はHospitalizationの概略についてお伝えすることとする。これはEnglandとWalesで実施されているものであるがScotlandとNor-thern Irelandに於けるものも大同小異ということである。
 1948年7月5日を以て殆んど凡ての病院(精神病院convalescent home及び一定の診療所を含む)が保健省に帰屬することとなつた。唯極く僅かな宗教病院と小さな個人病院(Nursing Homeと呼称)が埒外に残つただけである。従つてこの傘下に入つた施設は一般病院は固より特殊病院即ち結核療養所,精神病院,伝染病院,慢性病病院,産院,結核外科病院,癌病院,整形外科病院,耳鼻咽喉科病院等凡ゆる種類の病院やその他の医療に関係のある収容施設を網羅している。

英国の国民保健事業の病院医療に關する資料

著者: 內野仙一郞

ページ範囲:P.5 - P.7

 福祉国家大英帝国の社会保障プログラムの中,国民保健サービスは,周知のように1)病院及びスペシアリスト・サービス2)地方保健当局サービス及び3)家庭医サービスの3つの線で運営されているのであるが,昨年の6月ころいわゆる「バターか大砲か」の問題から既掲の3)及び1)に多少の後退が,即ち一部保健サービスへの有料化とアプライアンスへの患者負担的処置がとられたのであつたが,(拙著・各国の社会保険診療報酬医学書院発行68頁以下)全般的に云えば,これらの3つの線による国民医療サービスは軌道に乗つた施行下にあると云えよう。
 病院サービスは英国国民保健事業法(1946年11月6日附)のバツクボーンを形成するもので,又英国式医療国営の基盤であると云われており,病院の引継ぎに当時の保健相ベバン氏が強引と細心と忍耐とを以て尽瘁したことは有名な話であり,条文の第2章「病院の大臣への移管」第6条乃至第10条を巨細に観察してみると,かの努力のあとが,ひしひしと感ぜられる次第である。

第8回國際病院會議について

著者: 小西宏

ページ範囲:P.8 - P.8

 国際病院協会(International Hospital Federation)主催の下に,第8回国際病院会議が,エリザベス女王戴冠式直前の5月25日より30日迄英京ロンドンで開催される。
 議長は,ブラツセル大学社会医学名誉教授,国際病院協会々長のルネ・サンド博士で,会場はチヤーチ・ハウス(ロンドン,ウエストミンスター,グレイトスミス街)この会場は同時飜訳の装置を備えた申分のない国際会議場と云われる。

屍体解剖台の構造について

著者: 野木猛

ページ範囲:P.9 - P.10

 戦前に造られた屍体解剖台は相当の費用を使つて造られたのも相当数あるが,戦後に造られた解剖台はまことに粗末なものが多い様に見受けられる。予算がない為か間に合せに造られたものと思う。然し建物の一部それも一寸した節約でもつとも重用な解剖台を使いやすい構造と,屍体を鄭重に扱う上からも建物以上に注意して造りたいものである。廻転式や移動式になると細部の設備に費用が掛るので固定式の簡単な解剖台の構造について図解して参考までに述べようと思う。第1図参照簡単でも使用目的に添う様に細部に注意してある。移動式又は廻転式は見学又は立会の場合,解剖室外から見える様に自由に位置方向を換える事も出来るが,給水及び排水設備が複雑な装置となる,固定式は給水排水設備共自由で簡単に再来る。
 構造は解剖台の上端周囲に排水用の小溝を設け排水孔の際に腕押給水栓を取付ける。頭部の処の小溝には兩方に出る放水口を設け周囲排水小溝に解剖実施中少量の水を流し出して血液等を排水孔に導く設備とする。解剖台の中央面はわづかの丸味をつけ隆起せしめて周囲の小溝に血液又は水分を流し込ませる様にする。

病院管理者論—院長と事務長との関係について

著者: 村上実

ページ範囲:P.11 - P.14

1.
 進駐軍占領下の好意ある医療行政のお蔭で,病院管理の考え方が一変しそれに伴つて病院の内容が飛躍的に改善されつつある趨勢は,社会福祉のために,洵に祝福されてよいことである。病院本来の在り方が"よい医師""よい設備""よいサービス"であり,終局するところ,"よい診療"でなければならぬことは,誰から教わらなくとも分り切つたことであるが,わが国従来の病院に対する考え方は,その分り切つた事柄が必ずしも分り切つたようには措置されていなかつたところに問題があつたのである。
 "よい診療"を行うための要件として"よい医師""よい設備""よいサービス"の3項目を指摘したが,之等の事項に具体性をもたせてよい成果を招来する役割をもつものは外ならぬ管理者である。管理者は患者が—(どこが惡いにしても一種の精神病者である)—肉体的にも,精神的にも,経済的にも,時間的にも,その他何れの角度からも常に最もよいコンデイシヨンに置かれるように,すべての業務を,その一点に帰納するための操作を預る責任者である。

病院の便所の管理—屎尿はそのままでは安全でない

著者: 加倉井駿一

ページ範囲:P.15 - P.19

結核予防法と消毒
 結核予防法第26条に医師が患者を診察したとぎは,本人や看護する者に伝染防止のため消毒方法等について指示することが規定されて居り,施行規則の第16条でその細い事項がきめられている。特につば及びたんは布か紙でとり,やくか又はたん壺にとつて消毒するように指示しなければならない。而も第19条で消毒方法は伝染病予防法施行規則の第5章の規定に従つて実施することとし,煆性石灰・石灰乳及びクロール石灰は使用しないことがきめられてある。

入院料金に関する考察

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.21 - P.25

1.病院会計の要件
 入院料金を如何程に決定すべきかと云うことは病院の経営上のみならずこれを負担する国民経済の観点から重大な問題である。この意味からして入院料金が実際の支出経費よりも異常に低く決定されることも当然考えられるし,或いは個室や,2人部屋の入院料金を実経費より遙に高くしてその分だけ大部屋の入院料金を低く定めると言う様なことも望ましいかも知れない。しかし今これからなそうと云う考察はかかる社会政策的考慮を含まない純粋の経済的会計学的考察であることを最初に注意しなければならない。
 私は先に院病管理の基本的性格は資本主義的なものであることを指摘した。資本主義的企業に於ては収支の関係を数字に表現された姿に於て完全に把握することが第一の要件となる。この把握が出た上で,或いはそれをなす過程に於て多くの資本主義企業に於ては最少経費を以て最大利潤を挙げる様に努力するものであるが,病院の特殊性はこの利潤追求については他の公企業の場合と同様例外的であることについてもすでに指摘した。かくして病院に於て必要なことは,最少の経費で最大の効果を挙げる様に努力することでありその為には先ず第一に経費の支出状況を正確に把握することである。

合衆国政府在郷軍人に最新病院施設を提供

ページ範囲:P.26 - P.26

 合衆国軍の軍人であつた人々には国中を通じて157箇所の在郷軍人管理病院が設けられ高度の医学的処置が受けられるようになつている。
 合衆国では第2次世界大戦以来広汎な病院建設が始められ,今も続行中である。治療方法も,最も進歩した医学的発展に歩調を合せたものが施行されつつある。45の新病院が戦前の病院に追加されさらに15ヵ所が建設中である。最近の病院建設計劃が完成すると174の病院となり,病床数は131,000に達する。現在さらに40の新病院が附加えられ3箇所の病院が建設中である。合衆国各地にある在郷軍人病院は小は床数100位から大は2,000床に及ぶものがある。近年建てられた病院は最大の利便と最大の効果とを目標に設計されている。治療の中心となる多くの病院は著名な医学校の附近にあり,在郷軍人勇士に最高の医学上の規範を作るのに協力して貰つている。第二次世界大戦後在郷軍人管理局の任務は再編成され拡大されて以来「医学上の所置は第二次的に為すべきではない」との語は同局医務部の標語となつた。現在,医師,歯科医及看護婦等24,000名以上の人々や数千に及ぶ技術者や其他の作業員が本業務に関係している。勇士達の復職が米国全政府医学計画の終局の目標で医師も歯科医も看護婦も栄養士もケース・ワーカーも牧師も此目標をめざし働いてる。最近の調査で合衆国軍の軍人となつた人々は1,950万人軍人病院の手当を受けつつあるものは約10万人ある。

米国及び英国に於ける病院見学所見

著者: 中村一成

ページ範囲:P.27 - P.29

 私は昨年10月より5ヵ月近く,同僚の小西宏技官と共にWHOのフエローとして,「病院管理に関する研究」という課題のもとに米国及び英国を旅する機会を得,帰路,仏,西独,スイス,伊の各国をも瞥見することが出来たことを幸として居ります。
 米国の事情については先輩諸氏によつて十分なる究研調査が為されており,今更私如きが申し上げる事も無いのでありますが,英国における国営医療(National Health Service)の下における病院の実際を見学した事は得る処大であつたと思つて居ります。従来,英国の国営医療に就いては特に開業医の問題に関して又は広く社会保障制度の解説の一部としては相当紹介されて居りますが,英国の医療制度,及び病院の機能,活動の面に関しては資料に乏しく,かねて興味を持つて居りましたのでこの問題に就きましては,稿を改めて乏しい経験を述べて見たいと考えて居ります。

綜合病院の設計と構造(7)

著者: 小川健比子

ページ範囲:P.31 - P.36

第7章 産科設備 Obstetrical facilities
 産科施設maternity service facilities)は,"ded end"の場所に計画するか,又は将来増築したために,そこが交通の通路となる様なことのない様な場所に配置する。非常に大きな病院に於ては,この科を,離れた別棟の中に置くことも奨められるがここで検討しようとする位の大きさの諸病院に於ては,産科のための施設,備品及びその補給品を別に備えた分隔した階或はwingを使つて,厳密に隔離することも出来る。
 その宿泊施設(accommodation)に就いては,便所やシヤワーの設備を増加すること以外は,他の科の患者に対するものと同様である。

Dr. Moriya's Recordtape

著者: 守屋博

ページ範囲:P.37 - P.39

(20)日本醫師会の入院料に関する聲明について
 日本病院協会其の他の入院料40点引上げ運動に対して,日本医師会は2月10日附の声明書で見解を明にしているが,非常に同会の性格をよく示しているので再掲して見たい。

醫療社会事業の実際知識(4)

著者: 木村典子

ページ範囲:P.41 - P.45

第4編 醫療社会事業の実際
12月16日
 子供をねんねこで背負い,質素であるが洗濯のよくされた着物をきている妻が来部する。ケースワーカーは子供を背からおろすのを手伝い,火鉢をすすめつつ面接をする。以下妻から聞いた概略は次の通りである。
 夫の発病の状況。発病は昭和25年6月からで急に眼が見えにくくなつたり頭痛がしたりしていた。義母の信仰している「生長の家」の信仰をすすめられ,信仰にこつていたが其の中腦に異常をおこし,おかしなことを云うので妻が無理に近所の開業医の診察をうけさせうと,相当重態だから赤十字病院へ入院を勧められた。

病院関係人事消息

ページ範囲:P.46 - P.46

◇斎藤 保氏 (厚生省国立療養課長)厚生統計協義会専門委員に併任。
◇加納 達夫氏 (国立療養所梅森光風園)国立療養所梅森光風園医務課長に昇任。

日本病院協会インターン調査委員会報告

著者: 東陽一

ページ範囲:P.49 - P.51

緒言:インターン制度の必要性について
A)およそ医師たるものは,たとえ将来専門医としてたつ者と雖どもそれ以前に医師としての全般的の技術の修練並に素質の練磨こそ必要である。これインターン制度が強調せられるに至つた所以である。
 従而,本制度の存続並に育成を希望する。

編集後記

著者: 守屋

ページ範囲:P.52 - P.52

○ 折角出来上つた28年度予算も議会の解散でおじやんになつた。28年度計劃の新規事業も皆足止めになつた形である。
 本号の出る頃には総選挙もすんで政権の行方も明になつている事と思うが,左が出ようが右が出ようがも少し国民医療に熱心な政府が出てほしいものだ。国民の望んでいるのは,優秀な医療専門家は勿論であるが医療専門家の腕をふるう場所,即ち病院をそれ等の人の小規模の個人企業にのみまかしておくのはあまりに無責任ではあるまいか。

アンケート

我が病院の特徴(到着順)

著者: 高島重孝 ,   武藤多作 ,   吉村英一

ページ範囲:P.20 - P.20

 駿河は未完成の療養所で,未完成であることが特色である。昭和20年が開所で以後8ヵ年間職員と入所者とは協力して駿河を建設したわけです。元来療養所は一般病院と異り,入所者の生活が療養のうちの大きな部分を占める。生活が愉快でないと,療養はうまくゆかない。所長以下職員と患者とが対立,抗争するような事では,病院は全快する筈がない。我が駿河は終戦時の混乱時代,未完成の施設を徐々に,或る時は喧嘩もしながら建設した事が倖いとなり,一種の気風が出来上つた。此の気風を私は駿河の特色として自慢したい。近頃見舞に来て下さる人々曰く駿河はなんとなく明るい」と。未完成ながらなんとなく明るい気風が出来上つたのは,硝子のない窓から吹き込む箱根山の雨や,富士おろしの風を凌いで,駿河に生き抜いた入所者が作り上げた気風だと自慢もし又自慢できることを有難いと思つている。

病院長プロフイル・2

病院經營のエキスパート松江赤十字病院長武藤多作氏

著者: 神崎三益

ページ範囲:P.30 - P.30

 君とは高等学校から大学,日赤と40年の同じコースを歩いている。よくよく因縁の深い間柄だ。
 然も一方は5尺8寸余の大男,僕は5尺2寸足らずの小男,昔よく一緒に歩いて看護婦から「最高最低」と云う有難くないニツクネームを頂戴した。

病院小史

越後府病院印

著者: 家田三郞

ページ範囲:P.47 - P.47

 日本で病院と云う名称が用いられたのはいつ頃からか,文献上,明治維新後の事であろうか,と考えている。独逸語のクランケンハウスの訳語か何かから出たのではなかろうか,施薬院,養生所,其他何々館と云う名称は古くから認められるが明治元年に藤堂邸を大病院となしたと云うところから病院という文字が発足した様に考える。
 施薬院とか養生所等は恐らくは病人を入院せしめず,ポツクリ的なものと思われ享保6年に幕府の作つた養生所は官立の始めとか云われているが町医とか御番医とかの数人がかわるがわる出仕していたもので,広い意味のオープンシステムと云うことが出来るし,そうするとオープンシステムは独制的にも日本に存在したことにもなる。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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