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雑誌目次

雑誌文献

病院9巻6号

1953年12月発行

雑誌目次

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病院と統計

著者: 小沢龍

ページ範囲:P.2 - P.4

 小さい病院であれば,毎日の収入を院長のポケツトに入れ,支出すべき経費は必要の都度院長のポケツトから出していけば,事務員は傭わないで済むし,一見安上りの経営法の様に考えられる。しかしこれでは収入の内容が判らず,支出の細目も忘れてしまうから,経営の合理化をやろうとする場合,手懸りが得られぬことになる。収入や収出に限らず,病院業務の実態を常に数的に把握して置くことは,病院を進歩向上させる上に不可缺に要件であり,多少の事務費がかかつても却つて経済的であると考えて良い。
 病院経営上吾々が常に数字に表わして掴んで置かなければならぬ項目は沢山ある。患者に就ては,入院外来を区分し,診療科別に分け,実数と治療延人員を毎月計算しておけば,病床の稼働率,廻転率,平均入院日数,平均通院日数,往診件数,患数の地域的分布が判るし,季節的消長や将来の動向——従つて病院の盛衰傾向——も予見出来る筈である。

部門別損益計算

著者: 守屋博 ,   岡光夫

ページ範囲:P.5 - P.11

 病院も色々の費用を投じてそれに相当した効果即ち医療を行うと云う点では他の企業と変りはない。ただ他の企業では利潤を目的としているに対し病院ではより高度のサービスを狙つている点が異つている。
 合理的な経営とは常に現状を数量的に把握して,その結果をもとにして次の運転を考える事である。現状がつかめぬままに運営する事は盲飛行に等しい。

病院看護と封建性

著者: 林鹽

ページ範囲:P.13 - P.15

 この間,あるところの病院経営協議会で,病院の規則を定めるについての話し合のときに,こんなことがあつた。出席者の大半は院長,後は薬剤事務長で,看護婦は1人であつた。
 病院の治療各科を各部とする。いいかえると,外科部,内科部,眼科部というようにして,その医長を部長と呼ぶ。薬剤科も同様であるが,看護科を看護部とするのは,面白くないということになつて,その理由は看護科を部にすると,その長である看護婦を部長と呼ばなければならないからというのである。看護婦は女であり,いわゆる学校教育程度も他の部の長に比して低いから部長と呼ぶなんてとんでもないというのである。

病院内規について(2)

著者: 瀧野賢一

ページ範囲:P.17 - P.20

 前号に於て述べた通り,われわれの病院は急速な拡充の過程にあるので,病院管理も亦固定せずに動いて居る。それで内規も新らしい状況に応じて,新しく定め或は古きを改めなければならない。これは毎月,定期に行われる病院管理協議会に於て協議の上決定され,又伝達されることになる。この協議会の記録の中から内規事項を抽出して整理しておくと内規は常に実際的な規定として生きている。当院内規を全部こゝに記載することは大部ともなり,またどの病院でも同じようなきまりきつた事項も含まれているので,こゝには昭和28年9月以降の協議会記録から医師に関する内規を抜き書して記載する。即ちこれは内規の抜萃であるが,これによつて大約の動向を察知していただければ幸である。

お詑びの手紙—病院内規をつくつてないわけ

著者: 原素行

ページ範囲:P.21 - P.22

 折角私共の病院内視を「病院」に掲載して下さるという事は誠に光栄に存じますが,生憎私共の処には内規が出来ていませんし,又今の処これを作ろうとも考えて居りません。このようなわけで内規のことは御勘弁を願います。
 但し,いつの日かには「病院各部門の職員の心得」のような規定ではない物を作ることがあるかも知れませんが,それには非常に慎重な用心が必要であると思います。規定をつくる事はホントウにむつかしいと思います。患者を預つて其の生活のお世話をする病院としては一歩間違えば大変なことになる恐れがあるからです。例えば書き洩した事項があつたとしたら動きのつかないことになりましようし,時には抜け道を探して己の任務ではないという人があつたらどうにも裁きのつかない場合も起ると思います。ズーツと以前のことですが,私も危くそんな目に遭いかけましたので,内規をつくる事を断念して遂に職業上の道徳観念ということを張調して「不文律」としたことがあります。そのためにお役所の規定には「他の部門に屬しない事項」という仕事の割り当てを受ける課や係が生じて来るのでありますが,それでは内規を作つて病院各部門の運用を円滑且つ高能率にすることは到底無理ではないでしようか。機構が出来ると屡々抜け道を堂々と歩む人が出て参ります。

國立病院業務運営參考資料集(下)

著者: 厚生省醫務局国立病院課

ページ範囲:P.23 - P.38

 項目(前号よりつづく)
 4.給食に関する事項
1.給食管理について
 (1)給食懇談会について…………………………嬉野
 (2)給食委員会について…………………………鳴子

1952年米國病院統計より

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.39 - P.40

 アメリカ病院協会は例年アメリカ医師会に登録されたすべての病院に対して書面に依つて報告を纒めて,病院に関する年間の統計をまとめ,それを(1)病院施設(2)病院設備(3)病院経済(4)その他の特殊事項と言う4項目に分類して同協会発行の月刊誌Hospitalsの6月号別冊として公表するのを常としている。
 本年即ち1952年度の分としては特に病院管理者や病院医師の状況について新しい統計をのせているので,簡単に御紹介してみることとする。

病院事務管理(4)—協調のはなし

著者: 三沢仁

ページ範囲:P.41 - P.43

企業組織とデモクラシー
 敗戦後,デモクラシーという大波が日本を洗つたとき,会社・工場・病院・行政官庁などの組織そのものがデモクラシーに反するのではないかという疑問をもつた人がある。「院長とか部長とか課長とかのある組織が,ソモソモ民主々義の基本精神に反するんじやないか」という疑問なのである。これには民主々義の先生たるアメリカ人もイササカ弱つていたようだ。
 とにかくシゴトを実行する組織には,政治系体のイカンをとわず,アメリカでもソ連でも,みなこうした組織が必要なので,船に船長がいてオモカジ,トリカジについてダレにも相談しないのとおなじである。この船長を独裁的だと非難するのは当らない。

Dr. Moriya's Recordtape

著者: 守屋博

ページ範囲:P.45 - P.46

(37)米国の科学
 人には2つの型がある。或いは1人で2つの性格を有するといつてもよい。1つは排他的であり現状維持派であるが,他は国際的であり,改新的である。若い人には後者が多く,年とると前者になる。
 前者は外国の思想が入れば,古い伝統は全く亡びてしまうと考えるが,亡びてしまう様な伝統は実は無いに等しいので比島等の米国化は実はそれである。古来文明は戦争の度に進歩して,しかもそれは敗けた国にいちぢるしいのは,敗戦によつて現状維派が強力に発言を禁じられるからである。出来れば敗戦なくして自由に外国の思想を取り入れられる様な態勢でありたい。一人で考え出す量より,他数で考え出す量の方が多いにきまつている。よく外来の思想は取捨選択してと云うが,取捨選択は個々の役人や学者がやるより大衆が行う方が確である。悪い物は自然に消えるものである。古来歴史で悪い物が残つて国が亡びたという話を聞いた事がない。其より頑固に殻にとぢこもつて亡びた例の方がずつと多い。

病院関係人事消息

ページ範囲:P.49 - P.49

◇大槻 菊男氏(東大名与教授)国立東京で一病院外科顧問の氏は,同病院副院長に就任。氏で東一は栗山重信博士と共に副院長は2名となるわけである。
◇武井虎之助氏(霞ヶ関診療所長)東京都台東区浅草駒形2丁目旧実費診療所を人手し,人事院内霞ヶ関診療所附属駒形病院と改称,病床250床,内,外科,耳鼻咽喉科,眼科,産婦人科,性病科,肛門科及びレントゲン科の各科を新設し,綜合病院として11月下旬開院,診療を開始する。

病院管理研修所だより

著者: 岩佐

ページ範囲:P.50 - P.50

 前号のおたよりで予告しておきました通り,10月23日から30日まで事務長のみを対象とした研修会を開催しました。毎回のことでありますが今回は特に受講申込数が多く200名に達しましたが4分の1の50名を限つて出席をもとめました。
 その選定は主として規模の大きい公的のものを優先し又各都道府県に行き亘る様にしました。実際の受講者は更に増加して61名になりましたので講堂が狭くて困るほどでした。今回受講できなかつた方には誠にお気の毒でしたが,来年度に於ては回数を増す積りですからあしからず御諒解下さい。

文献紹介(1)

ページ範囲:P.51 - P.51

(A.理論)
1)仁術理念の批判 日本医事新報;28.9.26. No. 1535P44 仮家達郎
2)医学の道 診断と治療;第41巻第4号 小林一耀

日本病院協會だより

著者: 片山弘

ページ範囲:P.52 - P.55

税政調査会長 小暮武太夫殿
社団法人日本病院協会会長 上条秀介
 今般現行税制に対する病院としての要望事項を具申致しますから宜敷く御審議賜わり度御願い致します。

あとがき

著者: 小西

ページ範囲:P.56 - P.56

 今年も余すところ幾ばくもなくなつた。この一年間の歩みを顧みると,新年号の巻頭に於て編集同人が思い思いに述べた希望や夢が,単なる空想に終ることなく或程度は実行に移され,実現に到らぬ迄も解決の曙光を見出しているものが多いのに今更驚嘆する次第である。この様なめざましい進展というものは単に一部の好事家の道樂だけでもたらされるものでは決してなく,我が国の病院関係者が病院の管理に挙つて関心を注ぎ始めた証拠であろう。
 今年の誌上にあらわれた傾向をみていると,話が余程具体化し,理論より実践という気構えがありありと伺える。

「病院」 第8,9巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

病院長プロフイル・7

病院長のニユー・タイプ清原蕃郷氏(非現業共済組合稲田登戸病院長)

ページ範囲:P.16 - P.16

 新宿から小田急で約30分,多摩川の鉄橋を渡るとやがて電車は,一連の丘陵の間に吸いこまれる。その丘陵の東斜面に,一見学校か寮かと思われるクリーム色の建物がいくつか松林の間に車窓から散見される。これらの建物の一部は,戦時中米国二世の再教育にあてられた所で,戦後外務省の同胞援護会の病院となり,更に24年9月非現業共済組合連合会に引とられて同会の稲田登戸病院として今日に及んだ。当初僅か20床の名ばかりの病院であつたのが,5ヵ年計画の下増築に次ぐ増築をもつて拡充整備された結果,5年目に入つた許りの今日既に285床の大病院ができ上つてしまつた。尤も病末の9割が結核であるから,結核増床の国策の波にのつた結果と云えるかも知れないが,院長清原蕃郷博士の熱意と手腕を看過する訳には行くまい。
 清原先生は生粋の肥後人,斎々黌から予科を経て昭和5年熊本医大を卒業,海軍々医として人生のスタートを切られた。大河蘇の懐に抱かれた火の国熊本の産であるだけになかなか激しい気性の持主であるが,良識と人徳のヴエールに包まれて接する人に与える感じは温い。海軍では夙に頭角を表わし将来を嘱望されたが,戦時中は海軍々医学校教官,海軍省医務局々員を歴任,清原局員の名はなかなかコワイ存在であつた。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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